企画 A面
冬といえば、スノボが定番。
まあ、一概にはそうとは言えないかも知れないけれど、私と私が今付き合っている彼氏は、冬の遊びはスノボ一択と思ってる。
他の遊びを考えた時。いつもこうなるからだ。
冬といえば、スケート。自宅の近くに毎年凍る池(しかも薄っすい氷。沈むわ)はあるけど、スケート場はなし。
「スケートしに国境をまたぐ(隣の県)って、どうよ?」
「うんそれな」
冬といえば、蟹。蟹を一匹手に入れれば、鍋だなんだと大いに遊べるのだが。はあ⁉︎ 一杯5000円だあ⁇ そんな高級食材、手に入れる金なし‼︎
「学生に1000円以上、求めちゃなんねえ」
「ああ貧乏すぎて泣けてくんね」
冬といえば、イルミネーション。筋向かいにある大金持ちのお医者さんの自宅が、12月に入った途端、豪華な家と広い庭の隅々にまでLEDを張り巡らせ、それはもうキラキラピカピカやるもんだから。
「おまえんちのバルコニーから見えるし、こんでいいな」
「そだね。ラッキー♡」
恋人同士の会話とはとうてい思えないだろうけれど、まあ私、夏鍋と、彼氏の春雪は、長い付き合いなので、こんなもんだ。
どれだけ長いかって?
ざっと計算して、19年プラス1日。私たち、誕生日が一日違いなんです。
「ちょ待て。おまえらの名前、混乱するわ。夏の鍋とかっ」
「春の雪もですよねー。うちらもこれ、一生、混乱ものですからこれ」
大学の先輩にご指摘いただくごとに、このように返しているがそれだけではない、実は私たち、ぶっちゃけますと、なんと秋生まれなんです。生まれた季節と名前に一切の関係はありませんっていう、隣同士で親の顔が見てみたい?
そんなわけで、話を戻すと、冬といえばスノボ。
これはすでにボードは手に入れてあるわ、ウェアはあるわ、車とガソリンはハルユキ父のだわ、リフト券は割引券もしくは一人だけ無料券ってやつを毎年スキー場でバイトしている先輩が毎年ポケットに無理矢理ねじ込んでくるわ、お昼ご飯はうちにある米で作ったおにぎり8個(4:4)だし、そんなわけで、これが一番安上がりってやつ。
で、スノボ。
「はああ、貧乏すぎるー。バイト増やそっかなあ」
私がため息まじりで言うと、ハルユキが「おい、ナツナ。学生の本分を忘れるなよ」と真顔でキュキュッと私を軌道修正してくる。
このハルユキの真面目さがあったからこそ、面倒くさがりかつ人の意見にふらふらしてしまう私が、真っ直ぐな道を迷うことなく歩み、大学生にまでなれた所以っていうね。
「さあ、出発」
「スノボへGOー」
テンション上がるかと思いきや、いつもあっさり味、こんな調子の二人。いやいや、もう付き合い長いから、こんでいーの。
✳︎✳︎✳︎
ハルユキの運転で、道を往く。少し、寒さが増してきたかなあと思って膝にブランケットを掛けた途端、周りは雪景色と化した。
「寒う」
「ああ、寒みいな」
「暖房、最強にしよ」
「おいこら、勝手に触るんじゃねえ」
「だって、こんなに寒いのに、『1』はない。せめて『2』でしょ」
「バーカ、余計なガソリン食うだろうがっ」
「じゃあ、『1.8』」
私が絶妙な位置に暖房のツマミをセットする。
けれど、ハルユキはその神がかった位置におわすツマミ様を、カカカっと元の位置へと戻す。非情だな、悪魔か。
そうこうしているうちに、あっという間に雪道だ。スタッドレスは履いているけれど、滑らないとは限らない。
ガリガリと嫌な音がして、私は少しだけ恐怖を感じた。
ハルユキが、大学合格祝いにおじいちゃんに買って貰ったという、GのSHOCKの腕時計をチラッと見る。
「やべえ、間に合わなくなる」
「なにがなにが?」
「ん、イベント」
「イベントー⁇ なんなん⁇ それ」
「……宝探し」
と言いながら、ドリンクホルダーを、ん、ん、と、あごでしゃくる。
宝探しなど初耳だが? と思いつつ、私はドリンクホルダーに置いてあったポットのフタを開けた。ほわっとコーンスープの香り。ゆらゆら湯気が立ちのぼる。猫舌なハルユキのために、私は腹筋を大いに使って、フーフーしてやった。
「宝探し? 子どもか」
「雪山が作ってあって、そん中に宝が埋めてあるらしい。それを掘り出して探すんだと」
「え、まじで言ってる?」
「それに参加するつもりなんだよ」
自分のスマホの時計を見ると、現在、8時ちょっと前。
「スキー場って、何時に開くんだっけ?」
「8時だっけな? それよりよー。そのイベントが、9時からなんだよ」
「ちょま、待て。てか、完全に間に合わんよねそれ」
「アウトか? それはヤバイ」
イソグゾ。
なぜかカタコトになったハルユキの、ハンドルを握る手に力が込められた。アクセルをふかすエンジン音が、急にうなりをあげ始めた。
「いやいや、雪道だから」
危ないよ、声をかけたがどうやらもうハルユキの耳には入らない、らしい。
「ねえ、宝探しなんてキッズ向けのイベントでしょ。私たち、スノボしにいくんだから、そんなの参加しなくても別にいいって」
必死こいて話しかける。こんなところで死にたくない。
ガガガッと車のタイヤが凍りかけている雪道を勢いよく転がっていく。
一瞬‼︎
ザリザリっと音がして、背筋に緊張が走る。
「ちょっと危ないっ‼︎ なんでそんな死に急ぐの? イヤだよ私、もっと遊びたい‼︎ せっかく念願のT大生になれたんだから‼︎ 死にたくないから‼︎」
「大丈夫だって‼︎ 俺のドライビングテクで……」
「なに言ってんのよっ。このペーパードライバーがっ」
そんなやりとりをしていると。目の前に橋が見えてきた。
橋はヤバイ。橋はスベル。
事故を起こしやすい雪道スベル現象において、『橋』という建造物は堂々のランキング一位を獲得しているのだ。知ってんのかーこらー⁇
「ハルユキぃぃ、マジでこのスピード、死ぬからああぁあ。お願いいい、お願いだからユックリ行ってえぇぇええ」
私の、今にもおぶえええぇぇと吐き戻しそうな、必死な懇願が功を奏したのか、ハルユキもこのままではヤバイ死ぬと思ったのか、橋の手前で少しだけスピードを落とし。
難なく、橋を通り過ぎることができた。
(……あ、焦ったあぁ)
これは私の心のうち。ほーっと心からの安堵の息を吐く。
ドキドキが止まらない私の心臓を、どうにか落ち着かせながら、私はハルユキを不信感丸出しの目で、睨みつけた。
「ごめん」
そんな私の鬼の形相を見て、ふぇっと思ったのか、ハルユキは神妙な面持ちで謝ってきた。
ならよし。許さんでもない。
今まで、特になんの苦労も、山あり谷ありも感じずにここまで生きてこられたのは、このハルユキのおかげと言っても過言ではないのだけどもな。
うんまあ、許すぞよ。
けれど、おかしい。
ハルユキの判断力はまさに神。しかも慎重派。石橋をコツコツと叩きながら、絶妙なタイミングでヒラメイタっ今だっっと叫びながら、橋を渡り終える男。
それなのに。今日は少しだけ違和感を感じるのも確かだ。
よくよく考えてみれば、朝からおかしかった。
今朝、早くに設定した待ち合わせの時間。いつもなら遅刻寝坊なんぞ、私の専売特許のはずが。
来ない。
いつまで経ってもハルユキが来ない。
「おかしいな、いつもは時間より早く来るのに……」
スマホで電話すると、その私の電話で、目が覚めたという。電話越しに、うおおお寝坊したっっ‼︎ という叫び声とガタガタドスンドスンっという、謎の音。
ようやく来たと思ったら、ボサボサの頭。目の下のクマ。ひど。
「珍しいねえ、ハルユキが寝坊だなんて」
「ほんと悪ぃ、昨日あんま寝れんかったもんだから」
「そうなんだ、スマホでエロでも見てたんじゃないの?」
ちょっとからかっただけなのに、ちげえ‼︎ って大きな声をあげて、それきり黙ってしまった。
まあ、直ぐにご機嫌は直った、のだが。
(とにかく、これはなんかあったな?)
懐疑心と、いまだスピードを抑えないハルユキのハンドルさばきに恐怖心を覚えながら、私たちはスキー場へと続く山道に差し掛かった。
✳︎✳︎✳︎
頑なにハルユキがスピードを緩めなかったこともあって、順調にスキー場には着いた。
だが。
「あーーーやっぱ間に合わんかったああぁ」
宝探しのイベントは終了。ガチャガチャのカプセルに入れられた粗品(これはもう粗品にしか見えない。だってスキー場のキャラのピンバッチだぜ?)を振り回しながら、嬉しそうに親元へと帰っていく子どもたち。
「うん、間に合わんかったけど、マジであれに混じるつもりだったんかい⁉︎」
「だっ……って、楽しそうだし。宝探しは男のロマンだし」
「それはわかる。女にとってもロマン」
「ナツナの場合はロマン=金だろ⁉︎」
「まあね。あの踊るスノーマンのピンバッチではない、ということは断言できる」
そんな会話を交わしながら、ハルユキがスノボの板を下ろす。
「どっちにせよ、これ絶対小学生以下限定ののイベントでしょ。入り口で、えへへわたち小学生でしゅーって言い張って、冷ややかな目で見られるより、間に合わなくて、はい終了で良かったわ。今心底、ホッと胸を撫で下ろしてるから」
その通りだ。もしハルユキが寝坊しなかったら、と思うとゾッとする。
ハルユキはヤルと言ったらヤル男なのだ。
「……くっそー」
ハルユキはリフト券を購入するまで、ブツブツと文句を言っていた。正直、そこまでやりたかったのこれえ⁉︎ と、横目で宝探しで子どもたちに踏みつけられた雪山の残骸をちらりと見る。イベント終了の立て看板と、立ち入り禁止のコーンの赤色と、コーンバーの黄色と黒のトラ模様。
真っ白な雪原の中、インスタ映えしている。いと虚し。
(たまに、あんたのこと、わからなくなるわあ。見失うわあ)
ハルユキを見る。背は180あってスラリの、スタイル。運動神経は抜群に良いわけじゃないけど、悪いわけでもなく、そこそこで。顔は、ジャニーズにギリ入れるかってくらいのイケメンとも言えるし、まあ確かにイケメンと言えなくはない、そこそこって感じだし。
生まれた時から幼馴染だから、総合的に見てカッコいいのかどうなのかは、判断できず。ハルユキの周りに群がる女子の量とぽわわーんってなってるその顔で、その都度、モテバロメーターを判断しているという。
そんなハルユキからハッキリと付き合おうって言われた時、「え⁉︎ あ⁉︎ ほ⁉︎ うほ⁉︎(……エネゴリ?)……えーーっと、えっと……はい?」っていう反応しかできなかったことは、いまだトラウマ。告白現場にしては、女子として最悪な姿を晒してしまった。だって、私的にはすでに付き合ってるような感覚だったから、それを一からやり直すみたいに、付き合ってくれ、とは。
それだけ、ハルユキは私にとって、近しい存在だったのだ。『隣にいるのが自然』『すでに空気』というくらいに。
「さあ、リフト乗るぞ」
リフト券を手に入れ、リフト乗り場へと移動する。ボードのビンディングにブーツを滑り込ませ装着。自由な方の足で、雪を蹴る。
少しだけヨロけて、腕をぐいっと引っ張られた。
「あ、ごめん。ありがと」
リフトに乗る時、一歩出遅れた私を乗場へと誘導してくれた。背後を回ってくるリフトを横目で確認しながら膝を曲げると、ドスンとお尻がリフトのイスに着地。
厚地のウェアでも触れた右側の腕に、ハルユキの体温を感じて、少し照れた。心なしか、右の太ももも触れている、気がする。
「なあ、もうそろそろ俺、下まで滑ってっちゃっていいのか?」
「あー、うん。多分もう大丈夫。一気に滑れると思う」
「何回目だっけ?」
「三回め」
「まあ、おまえは元々スキーやってたからな。飲み込みも早えし」
「ふふん、まあね」
リフトが風を切って、真っ白な雪一面の山肌を、グウングウンと登っていく。
「ナツナ、降りる時……」
「んー?」
「背中押してやる」
「よろー」
リフトが頂上に到着し、腰を上げる。リフトのイスに膝裏を押されながら前へ進むと、ぐらっと身体が揺れたと同時に、背中にハルユキの手が回った。
「足で蹴れ」
言われるままに、足を動かす。
背中を押してやると言っていたのに、ハルユキの腕は私の肩に回され、いつのまにかハルユキの身体に引き寄せられている。そして私なんかはあろうことか、ハルユキの腰に右腕を回し、倒れまいと掴まっている、ではないか。
ヒューと誰かが囃した声。
けれど、気恥ずかしさなんかは全然、感じない。付き合いが長すぎて、こういうのが当たり前になっている証拠なのだろう。
リフトを難なく降りると、私たちは雪山の頂上に着いた。リフトに乗っている時は感じなかった山の斜面が、こうして頂上に立ってみると、とても急に思える。
「うわ久しぶり過ぎて怖い。急斜面」
「大丈夫か? 俺が後ろからついていこうか?」
最初からボード派だったハルユキのボードテクは素晴らし過ぎるので、私は、先に行って、と断った。まだ三回目のノロノロな私に付き合っていたら、それこそハルユキが楽しめないからだ。
「じゃあ下のリフト乗り場で待ってるから、ゆっくり降りてこい」
そう言って斜面を滑り出すその後ろ姿。ちょっと見惚れてしまうくらいには、まあカッコいいのかな。
そして、私もボードを少しずつずらしながら、斜面へと乗り出す。その斜面の容赦のなさに、おうっとなるけれど、ここまで来たんだからこれはもう滑って降りていくしかない。
「よし、行くぞ」
勇気を振り絞って、私は身を乗り出した。
✳︎✳︎✳︎
宝探しのイベントに間に合わず、少し不機嫌だったハルユキの機嫌が、お昼ごはんの頃にはもう回復してきて、私はふうっと息をついた。
それにしても一体、何がどうなってるのか。陰気な私よりは断然気は長いし、不機嫌より笑っていることの方が多い、普段から明るいハルユキなのに、今日はなんともチグハグだ。
私が少し気を許していると、その隙にぼけっと何かを考えているようだし、そんな時は男らしい太い眉毛も真ん中がくっつきそうな勢いで、ぎゅっと中央に寄せてられている。
(そんなに宝探しやりたかったのかなあ)
何が原因って、それしか思いつかないもんだから、私も混乱してしまうってわけで。
「はい、オニギリ」
私は早起きして作ったオニギリと玉子焼きを差し出した。
食堂の隣、休憩室で二人、陣取って座る。
「ああ、ありがとな」
受け取った包みを開き、そのままかぶりつく。
「中身、なに?」
私もひとくち。
「んー? そりゃあ梅こんぶさ」
「俺、梅こんぶが一番好き」
「知ってるー」
「玉子焼きもうめえ」
「良かった良かった」
私が、箸にぶっ刺した玉子焼きを口に放り込んで口をもごもごさせていると、ハルユキがじいっと私の顔を見てくるもんだから。
「あ、ごめん。最後の玉子焼き、食べちった」
「あ、や、そういうわけじゃ……」
「食いたかった?」
「うん。また今度、作ってよ」
「おうよ。いつでも作ったるよ」
「え⁉︎」
私が言うと、ハルユキは驚いたような表情を浮かべてから、え⁉︎ え⁉︎ と呟きながら、視線をあちこちに飛ばす。その顔はまるで挙動不審。
(こっちが、え⁉︎ なんだけど、なにその顔)
私なんか変なこと言ったっけ、とこっちこそ不審に思いながら、私はタッパーの蓋を閉めた。
ハルユキは慌てて残りのおにぎりを口に詰め込んでいる。
そして。
「ありがとな、朝早くから弁当作ってくれて。……それなのに俺、寝坊しちまって」
俺しまんねーな、などと頭を掻きながら、まだ視線をあちこち泳がせている。
(ああ、そんなこと気にしてたんだ)
だからか、と納得し、私はにかっと笑って言った。
「なに言ってんの。まだ気にしてたんだ。いいっていいって、そんなこと。ってか、いつも私が遅刻気味だし、私もこれからは気をつける」
「お、おう」
コーヒーでも飲むか? とポケットからサイフを出しながら、立ち上がる。
私がラテと言うと、手を上げて自販機へと向かう。スタスタと、少し頭を振りながら、歩いていく姿。その背中では程よい筋肉がしなやかに動いている。顔面はギリジャニーズだけど、サイフの中身はひじょーにショボイ。だから誕プレなんかはいつも手作りのものだ。例えば、手作りミサンガとか肩タタキ券とか。優しいんだよ、モテないはずがない。
(こんな私でいいんかなあ)
心で呟くこと、100万回。
はああっと溜め息と頬づえをつきながら、自販機でカップコーヒーを買うハルユキの、その後ろ姿を見ていた。
✳︎✳︎✳︎
昼ごはんを食べた後、二時間ほど滑ってから、リフト乗り場でハルユキが声を掛けてきた。
「ナツナ、もう帰るぞ」
まだたくさんのスキー客はいるし、日は高い。
「え、まだいいじゃん?」
私がリフトへと行こうとすると、ハルユキが腕を引っ張った。
「今日はもう帰る」
いつもなら夕方まで滑り倒すのに、と不服を口にしても、ハルユキは頑として譲らない。帰るの一点張りだ。
モヤモヤが一気に膨れ上がった。
(なんか様子がおかしいなあ)
思いを胸に押し込める。
仕方なく、駐車場へと急ぐハルユキの後を、カルガモのようにヒョコヒョコついていき、車の後ろに回って抱えていたボードを置こうとした時。
「ボード俺がしまうから」
運転席に身体の半身を突っ込んで、車のエンジンをかけていたハルユキが、叫ぶように言ってくる。
「トランクに入れりゃいいんでしょー」
私は答えながら、トランクのカギに手を伸ばした。
そこで。
「ナツナっ、俺がしまうって言ってるだろっ」
伸ばした手が、ビクッと止まった。その拍子に顔を上げると、運転席から血相を変えてハルユキが走って回ってくるもんだから、私はその迫力に負けて思わず後ずさりをしてしまい、地面に置いたボードに足を取られてしまった。
「わっ」
ぐらっと身体が後ろへと倒れる。
「ナツナっ」
ハルユキが手を伸ばしてくる姿がスローモーションのように見えて。
ぐいっと抱きしめられた。
「あっ……ぶねえ……」
ハルユキの運動神経の良さで、私は後ろへとひっくり返ることもなく、Go to Heaven でもなく。
「ご、ごめん、助かった」
私が抱きついていたハルユキの背中から手を離すと、ハルユキが慌てたように私から手を離した。
「気をつけろよな。そんで、ボードは俺がしまうから。取り敢えずブーツを脱げ」
「え、あ、うん」
言われた通りブーツを脱ぐと、すでに私の靴がそこに準備してある。そして、そのまま車内へと連行され、ウェアを脱ぐように指示された。後ろの座席で着替えている間に、ハルユキが荷物の全部をトランクに押し込んでいる。
着替えが終わり助手席に乗り込んで座ると、今度はハルユキが後部座席に移り、無言で着替え始めた。
なんなんだ、この違和感は。
今日のハルユキはどこかおかしい。
いつもなら、あんな風に怒鳴ったりしないし(いや実際怒鳴ってはいないかもしれないが普段は温厚なのでちょっとそう見える)、そう、いつもなら今回みたく後片付けは全て任せろ、みたいな強引さも奇妙さもないのだから、こんな風に違和感を覚えるのも、仕方がないだろう。
(なんだろう)
けれど、その原因はすぐにわかった。
ハルユキが後ろでなかなか脱げないスパッツと格闘している間、運転席にうっちゃってあったスマホが、何度も何度も、ム、ム、ム、と着歴を表示しているからだ。
(あ、ユリ、……からだ)
スマホの画面に浮かぶ、『ユリ』の文字。着信音は消してあるのに、着歴はバナー表示って。
(詰めが甘いなあ)
私の胸が途端に、ぐううんっと雪が降り出す前のスキー場の空のように曇っていく。
私はスマホの画面から目を離して、フロントガラス越しに外を見た。車内の空気が完全に暖かくなったのか、フロントガラスの縁から白いもわもわが、真ん中へと向かって、じわりじわりと侵食を始めた。それは少しずつ白く白く曇っていって、とうとう私の視界を遮った。