それぞれの 中
「あら、そんなに青い顔をしてどうしたのかしら?
おかしいわね、そんなに怖いものを初対面の私に投げつけるなんて、よほど根性が腐ってるのね」
それが、姉御と僕の最初の会話だった。
僕の名前はサミュエル・アンドロフ。
アンドロフ公爵家の嫡男で、次期公爵。
家柄は然ることながら頭脳明晰で、社交界では神童と持て囃されていた僕は、そんな日常に些か退屈を感じていた。
そんなとき、ニコルが第2王子の婚約者になった姉御をいたく気にしていることを知った。
ニコルは年上で面倒見がよく、アラン殿下と現在騎士を目指しているキリアン、そして僕の面倒をよく見てくれる兄的存在だった。
そんなニコルが自分達よりも年下の女の子を気にしているということが、まるで自分の兄を取られたかのように気に入らなかった。
しかもそれが、あの第2王子の婚約者だということが更に負の感情に拍車を掛けた。
生意気なやつに身の程を弁えさせてやろう。
そんな嫉妬心から、僕は何が効果的にダメージを与えられるかバカみたいに夢中になって考えた。
ああでもない、こうでもないと考えていると、今までの退屈な毎日が遠ざかって、とても気分が良かった。
そして僕は、ある計画を立てたのである。
それは、女の子ならみんな悲鳴を上げて泣きわめき、下手をしたら肌に醜い跡をつけるアレ。
毒虫と言われる毛虫を、対象に向かって投げるというもの。
毒虫を投げつけられて恐怖に顔を引き攣らせ、許してほしいと懇願してくる様を想像するだけで愉悦の感情が沸き起こる。
そうしてあの女を屈服させた俺を、ニコルは羨ましがるだろうか、それとも誉めてくれるだろうか。
そう胸を高鳴らせ、せっせと側仕えに毒虫を集めさせた。
何?
もちろん自分でするはずがないだろう。
僕のこのキレイな肌に跡が着いたらどうしてくれる。
そして、側仕えに頑丈な袋に毒虫を詰めさせ、王宮の通路の脇に身を隠しながら姉御が通るのを今か今かと待ち構えた。
遠くに姉御の姿が見えたとき、これからの展開を期待して忍び笑いが止まらない。
必死に笑いを堪えながら、姉御が通り過ぎる直前に袋を勢いよく投げつけた。
ーーーと思ったら、姉御は持っていた本でそれを叩き返してきた。
まさか防御されるとは。
愕然とする僕と姉御の間にぼとりと毒虫が入った袋が落ち、そこからくねくねと毛虫たちが這い出してくる。
ふふふ、どうだ怖いか、怖いだろう。
そんなことを想像して、恐怖にゆがむ姉御の顔を拝んでやろうと顔を上げた僕の目の前には、全身に毛を纏わり付かせくねくねと身をくねらせるソレ。
「っう、わあぁぁぁぁぁぁあ!」
予想だにしない展開に後ずさろうとした僕は、何かに躓き尻餅を着いた。
それにもかかわらず迫ってくるソレ。
そして、その奥にはソレを扇子の先に乗せて無表情に僕に近づけようとする姉御。
そんな姉御が発したのが冒頭の言葉である。
「穢らわしいやつの婚約者め!
僕を誰だと思っている!
こんなことをしてただですむと…ひぃっ!」
「穢らわしいやつってどなたのこと?
まさかヴィルフェルム様のことを言っているのではないわよね?まさかね。
こんなことをするあなたの方が穢らわしいもの」
「なんだと…って、やめろー!」
尻餅をつきながら後ずさる僕。
ぐいぐいとソレを近づける姉御。
「こんなのを神童って呼んでいるなんて、神への冒涜もいいところね」
「っ貴様!」
あまりの侮辱に頭に血が昇る。が、僕は壁際まで追い詰められており、少しでも動けば毒虫とキスしかねない状況に身動きができない。
そんな僕に姉御は冷笑を浮かべた。
「こんなのが将来国の重鎮になるなんて、世も末ね」
「なんだと!?」
これまで、僕が重役に付けば国は安泰だと言われ続けてきたことの逆を言う姉御に、僕は純粋に驚いた。
まさかそんなことを思っている人物がいるなどと、考えてもいなかったからだ。
そんな驚きの表情を浮かべる僕に、姉御は何をそんなに驚いているのかと首を傾げる。
「だってそうでしょう?
己の能力を過信し、周囲の評価に惑わされ、真実を知ろうとしない上司に、何人の部下が涙を飲むのかしら。
優秀なものが王宮から去り、残るのは身分を笠に着たおべっかの上手い能無しだけ。
そんなので国が回るはずがないもの」
「…っ」
「現に、あなたはヴィルフェルム様を何も知らないはずなのに、周囲の言葉だけを鵜呑みにしてヴィルフェルム様その人を見ようとしてないじゃない。
そうやって周囲の言葉に簡単に左右されるあなたが、神童であるはずがないのよ」
「…」
突き付けられた言葉に愕然とする僕を、姉御はしばらく無表情に見下ろしていたが、ふと息をつくと扇子ごと毒虫を僕の足元に投げ捨てた。
それに反応する気力も失った僕は、ただ呆然と打ち捨てられた扇子と毒虫に目をやる。
扇子から投げ出されてくねくねと身をよじる毒虫と同じくらい、僕も滑稽な存在に思えた。
「折角才能があるのだから、自分の目と耳を存分に使って、きちんと物事を評価できる人になりなさいよ。じゃなきゃ才能もないのと一緒よ」
そう言って颯爽と歩いていく姉御の後ろ姿が、とても眩しく見えた。
それから僕は、少し変わったと思う。
まず、平民や自分より能力がないものからの意見を聞かないことを止めた。
きちんと身分隔てなく話を聞き、いいと思うことは積極的に取り入れるようにした。
そして、評判が良くないものについても、評判そのままを受け入れるのではなく、自分で話して観察して、その人物を知ることに努めた。
すると、評判通りのものももちろんいたが、中には周囲の嫉妬や嫌がらせから評判をあえて落とされている者もいて、実際関わってみるととても優秀でよい人柄だということが分かった。
そして、それは第2王子もそうだった。
姉御といる第2王子は、とても穏やかで誠実で、そんな人物を理由なく迫害していたのかと思うと、罪悪感で息ができなくなりそうなほど苦しかった。
2人を観察して、姉御を介して少しずつ第2王子とも打ち解けるうちに、その心の強さに自然と第2王子を兄貴と慕う気持ちも湧いてきた。
そんなとき、王宮で姉御に呼び止められた。
解毒の知識を教えてほしい、と。
僕は神童と呼ばれるほど才能がある。
その才能は医学にも精通し、常に暗殺の危険に晒される王族に仕える身として解毒の知識も習得するのが我が公爵家の習わしだった。
何よりも姉御から教えを請われたことで、姉御に認めてもらえたような気がして、天にも昇る気持ちだった。
そして、薬草やちょっとした魔法を使って、ある程度の毒に対処できるくらいの知識を教え始めた…はずだった。
「これは?」
「これは神経性の毒だね。だから、これとこれを組み合わせて…」
目の前で繰り広げられるのは、知識欲の塊と化した姉御とそんな姉御を愛しさ全開の目で見つめ、優しく毒の特性と解毒の方法を教える兄貴の逢瀬。
兄貴はこれまで色んな毒で暗殺されそうになったことから、解毒の知識は僕の知識を遥かに凌駕していた。
僕、いる?
ていうか、それだけ暗殺されかけて生きてる兄貴、すごくない?
暖かい雰囲気の中にいる姉御と兄貴に、きっとこの2人には何をしても敵わないんだろうなあと、ちょっと不貞腐れたのは秘密。