プロローグ
婚約破棄を望んだ悪役令嬢の物語。
気ままに更新します。
文章全体を推敲し直し、加筆修正しています。
2020 1/8追記
──私が「私」だったころの最後の記憶は大学4年の夏休みのある日のこと。
その日は今月で一番の暑さになるとかで、テレビでよく見る人気のお天気キャスターのお姉さんが熱中症対策を呼びかけていた。
私はふとテレビに表示されている時間を見て、化粧していた手を止めた。
「うそ、もうこんな時間なの!?」
画面の左上に表示されていた時間を確認すると慌てて化粧ポーチをバッグにしまいキャリーバッグを掴んでテレビを消した。
そのまま転げそうになりながら走り、家を飛び出す。
今日は大学のサークル仲間と二泊三日の旅行に行く日だ。
天文サークルなんていう星を観察するだけの地味なサークルだけれど、一年の頃からの付き合いの気心のしれた仲間達と行く初めての旅行を私は楽しみにしていた。
大学四年生になり、皆就職先も決まってあとは卒業を待つばかりの身。
社会人になって離れ離れになる前に皆でひとつ思い出を作ろう! という軽いノリで決まったこの旅行。
サークル仲間で小学校からの大親友なセナが言い出しっぺであり、表向きはサークル仲間との旅行といいつつ、彼氏と旅行に行く口実が欲しくてたまらなかったのだとその思惑を私は見破っていた。
それでも私はこの旅行には大賛成だった。
私が大好きな「彼」も来るから。
彼はサークル仲間で学部は違うけれど、同じゼミで知り合った。
最初はクールに見える印象のせいで無愛想だと思っていたけれど、その実誰よりも温厚で優しくて、私はその性格に惹かれた。
相手も私の事を快く思ってくれていたようで、何度か恋人になれそうな雰囲気はあった。
けれど私も彼もなかなか奥手だったのか告白出来ずに、年月だけが経ってしまった。
何度か告白しようとしたことはあるのだ。そんな雰囲気になったこともある。
しかし「彼」といると、緊張して上手く話せないのだ。話してもお互い世間話しかできなくて大学4年になっても私は未だに友達ポジションのまんまだった。
そんな様子をセナに何度「見ていて焦れったい!」と言われたことか。
でもそれも今日までだ。
私はこの旅行中に彼に告白すると決めた。
卒業したらもう今のように気軽に会えなくなってしまう。それは嫌だ。今回こそは絶対に言うんだ。
私はキャリーバッグをコロコロ転がしながら拳をぎゅっと握りしめた。
昨日はその事をずっと考えて緊張して眠れなくなり、朝目が覚めるとすっかりクマができあがっていて焦った。
なんとか化粧で誤魔化したものの、思ったより時間がかかって今度は待ち合わせ時間ギリギリに家を出るハメになってしまった。
旅行初日から踏んだり蹴ったりである。
そんなことをつらつらと考えながら歩くこと15分。
待ち合わせ場所の大学門前に到着する。
門前には私以外の3人が揃っていた。
私が3人に向かって歩いていくと、一番最初に真ん中にいる白のワンピースを着た女性がこちらに気づき、手を振ってきた。
「もー、アリサおそーい!」
ぷんすかと可愛らしい顔に怒ったような表情を浮かべる大親友セナに私は手を合わせて許して、と懇願する。
「ごめんセナ。化粧に手間取っちゃって」
「ほほう。さてはお主、緊張して眠れずにクマでも作ったな?」
セナは私の顔をジロジロと見つめると、すっと目を細めて私のアイメイクの出来を確かめるように頷いている。
「なんでバレたの!?」
本当にその通りで言葉もない。うっと言葉を詰まらせるとセナが私に顔を寄せてきた。
「なんでわかったと思う? 私も楽しみすぎて眠れなくてクマをコンシーラーで隠してんの!」
いたずらっ子のようにペロリと下を出してセナが笑う。
釣られるようにセナの顔を覗き込むと、確かにアイメイクがいつもより派手な気がする。恐らくカバーのためだろう。
なんだ、セナもだったのか。私とセナは互いに顔を見合わせるとくすくすと笑う。
恋する女同士、悩みは一緒なのである。
──と、セナと笑い合っていると掴んでいたキャリーバッグの感触が突如消えた。
何事かと後ろを見ると、見慣れた黒髪の長身が目に入った。
見ない間に少しだけ日に焼けたらしい浅黒い肌。白いシャツに細身のジーンズという格好がよく似合っている。
柔和な笑みを浮かべる顔は涼しげに整っていて、アーモンド型の黒い目は理知的な印象を与える。
不意打ちの想い人の登場に私の心臓が高鳴った。
頬を赤くしてぼうっと魅入っていると、「彼」が私のキャリーバッグを持っていることに気づいて慌てた。
ああ、なんてことだ。彼に荷物を持たせてしまうなんて。
「あ、いいよ。私が……」
「いいよ。俺の荷物もトランクに入れるからついで」
遮るようについでだと言われていたずらっぽくこちらに微笑みかける彼。
普段はクールなのに時折こういう茶目っ気のある仕草をするのもまたキュンとくる。その上優しくて紳士的なのだから惚れない理由がない。
彼のさり気ない優しさが嬉しくて私は頬をほころばせながらお礼を言う。
「ありがとう……」
恥ずかしくて小さく呟くようにしか言えなかった。けれど彼は静かに微笑んで「どういたしまして」と返してくれた。
荷物を全部トランクに入れて全員が乗り込むと車が発進する。
「さーて。2泊3日レンタカーで行く温泉旅行! 楽しみだねー!」
助手席でセナが楽しみ、とばかりにはしゃいだように声をあげる。その膝にはお菓子がパンパンに詰められた袋が用意されている。
それまさか全部食べる気じゃないよね……。
軽く頬を引き攣らせていると横で運転しているセナの彼氏、少し癖のある茶髪が可愛らしいイズル君がセナを愛おしげに見つめていた。二人はこの間結ばれたばかりのカップル。傍から見ていても初々しさが溢れている。
うん、初々しいなぁ。ラブラブそうでいいなぁ。
私も二人のように楽しみたいところだが、それどころではなかった。
なんで彼が私の隣にいるんですかね……なんで手を握られてるんですかね、なんで肩に頭を置かれてるんですかね!!
彼……黒臣くんは朝が弱いのは知っていた。そう言っていたから。
けれど彼は「眠い……」と呟くと私に頭を預けたまま、なぜか私の手を握って眠ってしまったのだ。
おかげで私は1ミリたりとも動けず、そのまま微動だにせずに固まっていた。
これ喜んでいい所なんだろうけど無理だよ! こんな近くに居られると心臓落ち着かないんだけど!
ていうか手を握る必要はなくない?
黒臣くんおきてえええええ! 私の心臓が持たないよおおおおお!!
嬉しいやら恥ずかしいやら心臓が破裂しそうやらで私はパニックになっていた。
そのまま車は暫く高速道路を走り、サービスエリアで休憩も取って私たちの旅路は順調に進んでいた。
進んでいたのだ、この時までは。
「うん……?」
不意にイズル君が困惑気味の声をあげた。
「どうしたの?」
「対向車線の車……みんななぜか片側に車線変更して行くんだよね……」
その言葉に釣られて反対の下り方面に目を向けると、二車線あるのに車は何故か一様に左側へ移動していた。
「事故でもあったのかなぁ……」
「うーん、分からないね」
その時だった。
ほかの車が片側へ寄った車線とは違う、もうひとつの車線。
何故か不自然に空いたその車線には、一台の大型トラックが左右に大きくユラユラしながら蛇行運転をしていた。
運転手が居眠りでもしているのか、ヤケに揺れている。成程、これで皆車線移動していたのか。これは危ない。
呑気に見守っていた次の瞬間、その大型トラックが垣根を超えてこちらの車線へ入ってきた。
「えっ!?」
垣根を超える瞬間に段差に足を取られたのか大型トラックのタイヤがスリップして車体が横に大きく揺れる。
バランスを失った大型トラックの車体は速度を落とさず私たちの車に向かって突進してくる。
イズル君が慌ててハンドルを切ったが、間に合わなかった。
大きな衝撃音と共に、4人乗りの軽は呆気なく空中へ投げ出された。
車体が大きく傾く中、窓から見えた光景に私は驚愕した。
地面がない。
ここは下が普通の一般道で上が高速道路になっている。
そんな場所でどうやらガードレールを越えて車体は投げ出されてしまったらしい。下の一般道では車が普通に走っている。
そんな所へ車体諸共投げ出されたらどうなるか。思わず想像してさあっと顔が青くなる。
不意にテーマパークのジェットコースターで急降下した時のような浮遊感が襲ってきた。
世界がゆっくりと回ってみえて。
──死ぬ。
直感した。
これから私は死ぬんだと理解して。
助手席に座っていたセナの悲鳴がどこか頭の遠くで響いた。
誰もが死を予感して呆然とする。その中で。
「──アリサ!!」
彼の焦ったような声と、その腕に抱きしめられる感触がヤケにリアルだった。
──これが私の最期の記憶。
ここで途切れているということは間違いなくここで「私」は死んだのだろう。
後悔はある。未練も、ある。
彼に思いを告げられなかったし、もっと生きていたかった。
でも、それはもう叶わないから諦めよう。諦めた。
でも、どうしてもひとつだけ思い出せないことがある。
──「彼」の。
黒臣くんの名前はなんだっただろう──……
次から本編