説得するための準備
「はぁ!?それ本気で言ってんの!?」
「本気だけど…」
「なんにも言わないで勝手にって…はぁ」
「いや、確かに何も言わなかったのは悪いと思うけど自分で決めた事だし、はじめていいかもしれないって思った仕事だからさ、悪いけど今の仕事をやめて新しい仕事をやらせて欲しい」
母親とこんなやり取りをしているのは俺が何も言わずに勝手に興味を持った[とらコン]に面接を受けに行ったことが原因だ。これは完全に俺に非があるわけなのだが、俺は藤林さんのあの言葉を聞いて本当にやってみたくなってしまったので、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「せっかく出世して給料も上がったんでしょ?」
「確かに出世はしたし給料も上がったよ、だけど今の仕事は決してやりたくてやってるわけじゃないから」
「それでも給料がいくらになるかも分からないしこの先やっていけるかわからない会社に転職するのはどうなの?」
「…っ、それでも俺はあの会社で仕事がしたいんだよ!」
「あれだけ仕事は嫌いだやりたくないだ言ってたくせに」
「いや、今でも仕事は嫌いだしできることならやりたくもない、だけど仕事はしない訳には行かないでしょ?ならせめて興味のある仕事をしたいんだよ」
「はぁ…じゃあそれお父さんにも自分で言ってね」
「あぁ、まぁ…わかった」
とりあえず母親の方は何とかなったか。それはいいとしても問題は父親の方だ。俺の父親はすぐ感情的になるタイプの人間だからな、少し説得の仕方を間違えるとこっちの話をまったく聞かなくなるから注意が必要だな。納得させるために色々と準備してから話をするとしよう。
母親との話を終えて自分の部屋へ戻る。
まずは今の仕事をどう辞めるかだな、前に中途で入って来たけど1年くらいで辞めた人がいたな。
スマホを取り出して、無料メールアプリを使って連絡をしてみることにした。
『お久しぶりです。少し聞きたいことがあるんですが、実は仕事を辞めようと思ってるんですけど、辞める時どんな手続きが必要か教えて貰えませんか?』
と、こんな感じか?少し長い気もするがまあいいだろ。
と、すぐに既読がつき返事が来た。読んでみたところ、特に複雑な手続きなどはなく、退職願や退職届などはなくてもいいんじゃないかということらしい。店長に話して辞める手続きをしてもらえばいいっぽい、こんなもんなんだな。お礼を言っておこう。
さてと、次は父親の説得のための準備だ。
「まずは[とらコン]に就職することで得られるメリットをいくつか挙げないとな。」
適当な紙とボールペンを用意して、箇条書きのスタイルでメリットを挙げていく。
・今の就職先とそこまで距離が変わらず、実家から通える範囲にある。
・やってみたい仕事である。
・交通費はしっかり支給してくれる。
・サービス残業は絶対にない。
・残業も基本ない。あることがあっても長時間の残業はない。
なんだかあまりインパクトがない気がするがこんな所だな。最後の2つは面接の後少し藤林さんに質問をして聞き出したことだ。
「逆にデメリット、というか父親に話した時つっこまれるとまずいこと、だな」
同じように箇条書きにして書き出してみる。
・給料がよくわからない。
・会社の経営が上手くいく保証がない。
・仕事内容が胡散臭い
ざっと浮かぶのはこれくらいだがなかなかに強烈な問題だ。まともに納得させられる答えを今の状況だと返せなそうだ。1番手っとり早く答えを見つける方法は1つだけか…。
俺はある人物に電話を掛けることにした。
3コールほど待ったところで、相手が電話に出る。
「もしもし?私だ」
「すみません。須藤です、少し話を伺ってもいいですか?」
「もちろん!なんでも聞いてくれ!」
なんかすごい嬉しそうなんだが…。暇なのかな。
「はぁ、それじゃあ…」
そう言って俺はさっき箇条書きしたデメリットについての事を質問していった。流石に仕事内容が胡散臭い、については聞けなかったが。しかしこれで何とかあのデメリットに関してつっこまれても、ある程度は納得させられる答え方を考えることが出来る。
「ところで、君は今何をしているのかな?」
「え?えーと…」
「あっいや、無理にとは言わない、ただあまりにも暇でせっかく電話しているから話を長引かせたくてな!」
やっぱり暇だったのか…。
「いえ大丈夫ですよ。少し言い難いんですけど、父親に転職の事について話すためにちょっと考えてて」
「そ、そうか、そうだったんだな、うん。こんな会社じゃ納得させられるような事はあまり無いものな!ははは…はぁ」
落ち込んじゃったよ。できれば言いたくはなかったけど隠すのもなんかやだったから仕方ない。
「落ち込まないでくださいよ、藤林さんの会社を選んだのは自分なんですから」
「でも、君のお父さんを納得させられるだけの事がたくさんある会社ではないだろう?」
「そんなことは無いですよ、それに、自分は何としてでも藤林さんの会社で働きたいですから」
「す、須藤くん…、君はなんて優しいんだ…」
電話越しにぐすっぐすっ、と鼻をすする音が聞こえてくるが演技なのか本気なのかわからん。
「ま、まぁとりあえず藤林さんから色々と聞けたんでこれで父親も納得させられますよ!大丈夫です」
「そうか、ならいいんだがな」
「ええ、ではそろそろ切りますね」
「え?あ、あぁそうだな」
「はい、ではまた何かあったら連絡しますね」
「うむ、いつでも掛けてきたまえ、じゃあ」
いつでもって、ほんと暇なんだなぁ。
とはいえ、これで準備は整った、あとは父親を説得するだけ。
「う、上手くいくかなぁ…」
そして、その数時間後…。
「ただいまぁ」
ついに、父親が帰ってきた。