第六十二魔 ウロボロスの輪
「竜也!コラ!起きろ竜也!」
「ん?んん~……あと四分と六十秒」
「五分じゃねーか!」
ドグシャッ
「ゴッパー!」
福与が俺のみぞおちに、フライングニープレスをキメてきた。
「ゴハッ!ゴホッ!いやいやいや!今のはマジで死ぬって!危うくお前、殺人犯になるとこだったぞ!」
「大丈夫だよ。ギリギリ死なない程度にやってるから」
「気の遣い方がズレてる!」
俺が冴子と別れてから、早いもので数ヶ月が過ぎた。
来週はもう卒業式だ。
俺達が別れたことは、翌日には街中に知れ渡り(この辺が田舎の怖いところだ)、俺は冴子のファンクラブ員達から、一足早い卒業証書を、笑顔で手渡された(嫌味なやつらだ)。
その反面、福与は大層怒り狂い、俺をボッコボコに殴った。
福与に暴力を振るわれたのは、実に久しぶりのことだった。
「あれだけ!冴子を!悲しませたら!アタシが!ぶっ殺すって!言ったよな!」
福与は『!』の位置で俺を殴った。
つまり、上記のワンセンテンスだけで、俺は六回殴られたことになる。
だが俺はそれを、甘んじて受けた。
福与が思いの丈を出し切った頃には、俺の顔はパンパンに腫れ上がっていた。
でもこれはしょうがない。
確かに俺はそれだけのことをした。
俺がちゃんと自分の気持ちに向き合ってこなかったせいで、冴子の心を深く傷付けた。
冴子の心が負った痛みは、俺が福与に殴られた痛みとは、比にもならないだろう。
ただ、何故か福与は、俺達が別れた理由は聞いてこなかった。
まあ、「俺が冴子より、福与の方が好きだから、別れたんだ」なんて言える訳がないから、その点は助かったが……。
しかし、俺もいい加減、この気持ちに決着をつけないとな。
冴子に、「女の子にここまで言わせたんだから、男を見せなかったら、怒るよ、私」とまで言われたんだ。
一日も早く、福与に俺の気持ちを伝えなきゃと思いつつも、状況が状況なので、なかなかその一歩が踏み出せないまま、いたずらに時間だけが過ぎてしまった。
そもそも、「冴子よりもお前の方が好きだから、俺と付き合ってくれ」なんて言われたら、普通の人はどう思う?
とんだチャラい野郎だと思われて、秒でフラれるんじゃないか?
もちろん、俺はそんな軽い気持ちで、冴子と福与を好きになった訳じゃないが、傍から見たらそうとしか思えないと言われたら、ぐうの音も出ない。
ハア、ホントどうしたらいいんだろう、俺……。
「何シケたツラしてんだよ。さっさと支度しな。アタシの朝練に遅れるだろ」
「……わーったよ」
俺と別れてからも、冴子が朝、俺を起こしに来ないままなのも、俺と福与、二人だけの時間を作ってくれるためだってことは、わかってはいるんだけどな……。
俺と福与は、大分寒さも和らいできた通学路を、二人で歩いた。
「なあ福与、お前いつまで部活に出続けるつもりなんだ?もうとっくに引退してんだろ?」
「そんなの卒業するまでに決まってんだろ。大丈夫だよ、後輩達の邪魔はしてないから。今後のためにも身体は鍛えとかなきゃいけないからさ。何せ、植木屋は身体が資本だからね」
「……ふーん」
高校を卒業したら、福与は実家の植木屋を継ぐことになっている。
俺はもちろん、三代目夜叉として、今後は代打ちに専念することになる。
冴子はというと、東京の大学へ進学するそうで、春から東京で一人暮らしだ。
物の見事に、三人共、進路はバラバラに別れた。
今までは、何をするにも三人一緒だったのにな……。
これが、大人になるってことなんだろうか。
俺の心の中は、暖かくなる気候に反比例して、日に日に肌寒くなっていた。
「じゃ、アタシは部活行くから、後でね」
「おう」
軽快に走り去っていく福与の背中を見送りながら、俺は独り、溜め息を零した。
それは、俺の下駄箱に入っていた。
可愛い封筒に入った手紙だった。
そこには、こう書かれていた。
『竜也君へ
今日の放課後、旧校舎裏の
桜の木の下に来てください。
冴子』
確かに冴子の字だ。
……どういうことだ、これは?
この学校には、『旧校舎裏に一本だけ生えている桜の木の下で、告白して結ばれた男女は、永遠に幸せになる』という、どこかで聞いたことがある言い伝えが存在している。
あんな別れ方をした冴子が、今更俺に告白してくるとは思えないが、だとしたら何の目的で、冴子はこの手紙を出してきたんだ?
頭の中は疑問符でパンパンだったが、とりあえず俺は、教室に向かった。
教室では、既に登校していた冴子が、クラスメイトの女子と楽しそうにおしゃべりをしていた。
冴子は、俺が教室に入ってきたのに気付くと、一瞬だけ意味ありげな目線を向けてきたが、すぐにおしゃべりに戻ってしまった。
放課後まで、何故呼び出したのかは秘密ってことか。
まあ、そういうことなら、無理に今問い詰める理由もない。
黙って放課後を待つとするか。
今日は一日、卒業式の予行演習だったのだが、式の間中、俺は内ポケットに入れた冴子からの手紙を、制服の上から何度もさすり、その度に、何とも言えない複雑な気持ちになっていた。
「あれ?竜也、何でアンタがこんなとこにいんのさ?」
「え!?福与!?」
放課後、桜の木の下でドキドキしながら、独り待っていると、そこに現れたのは、他ならぬ福与だった。
何故こんなところに福与が!?
この旧校舎は、今では使われていない校舎ないので、普段は誰も寄り付かない。
まして、テニス部がいつも練習しているテニスコートは、こことは正反対の位置にある。
とても福与が、こんなところに用事があるとは思えないが……。
「……それは俺の台詞だよ。福与はここに、何の用なんだ?」
「いや、アタシは別に用はねーんだけどさ。何か今朝、アタシの下駄箱に、放課後ここに来てくれって冴子が書いた手紙が入っててさ。随分深刻そうだったから、スゲー緊張してここまで来たんだけど、まさか竜也がいるとはね。で?アンタは何でここにいんの?」
「……俺も冴子に呼び出されたんだ」
「あ、そーなんだ。……ふーん。何の話なのかな?ま、冴子が来ればわかるか」
「……そうだな」
いや、きっと冴子は来ない。
これはつまり、そういうことなのだろう。
……ホント情けないな、俺。
別れた彼女に、次の恋のお膳立てまでしてもらうなんて。
ハッキリ言って、末代までの恥だ。
俺は今、世界で一番カッコ悪い男になっている気がする。
……でも。
だからこそ俺は、今度こそ男を見せなきゃならない。
それが、冴子の善意に対する、俺のできる唯一のことだろう。
「……なあ、福与」
「流石にまだ咲いてないね、桜」
「え?あ、ああ、そりゃあな」
桜の木は蕾を付けてはいるが、まだまだ開花には遠そうだ。
「……竜也、アンタも知ってるよね?この桜の木の言い伝え」
「!……まあ、な」
何だ急に?
もしかして、福与も俺のこと……?
だが、次の瞬間、福与の口から出てきた言葉は、俺に衝撃を与えた。
「アンタさ、もう一度冴子と付き合いなよ」
「え」
俺は福与の言った言葉の意味が飲み込めず、その場で固まってしまった。
「二人が何で別れちまったのかは、アタシにはわかんないけどさ。アンタも冴子のことが嫌いになった訳じゃないんだろ?だったらもう一度、この桜の下で冴子に告白してさ、また一からやり直しなよ。きっと冴子は、今でもアンタのことが好きなんだと思うよ。アタシにはわかる」
「……それは違うよ、福与」
「!?何で違うってわかんだよ!」
「確かに俺は、今でも冴子が好きだよ」
「!」
「そして多分、冴子が今でも俺のことを好きでいてくれてるのも、本当だと思う」
「……だったら」
「でも俺には、冴子よりも好きな人がいるんだ!」
「なっ」
福与は眼を大きく見開いて、顔に困惑の色を浮かべた。
「……ここまで言えば、わかるだろ?」
「そ、それは」
福与は耳まで真っ赤にして、その場に俯いてしまった。
福与とは長い付き合いだが、こんなしおらしい福与を見るのは初めてで、俺の心臓は、ドクンッと大きく跳ねた。
だが、空気に耐えきれなくなったのか、福与は踵を返して、足早にこの場から立ち去ろうとした。
「ま、待てよ!福与!」
俺は咄嗟に、福与の腕を掴んで福与を止めた。
そして、福与の前に回り込み、福与の顔を見た。
福与は、眼に薄っすらと、涙を浮かべていた。
「福与……」
その時、俺は全てを理解した。
きっと福与は、薄々俺の気持ちに気付いていたんだ。
それがいつからかは定かではないが、少なくとも、俺と冴子が別れた時点では、気付いていたはずだ。
だからこそ、敢えて俺に、冴子と別れた理由は聞かなかったんだろう。
そりゃ聞けないよな。
別れた理由が、自分かもしれなかったんだから。
福与は福与で、この数ヶ月、ずっと独りで悩んでいたのかもしれない。
「……こんなこと言ったら、またブン殴られるかもしんねーけど、俺が一番好きなのは、冴子じゃなくて……福与、お前なんだよ」
「……!」
「自分でも最低なこと言ってるって自覚はある。同時に二人の女を好きになっちまうなんて、軽い男だと思われても仕方ねーとは思う。……でも信じてくれ!俺がお前を一番好きだって気持ちには、絶対に嘘はねえ!」
「そ、そんな」
福与の瞳から、一筋の涙が、綺麗な直線を描いて流れ落ちた。
「約束する。俺は一生お前を幸せにしてみせる。だから……、だから俺と、付き合ってくれ福与」
「…………ズルい」
「え?」
「ズルいよ、バカ……」
そう言うと、福与は俺の胸に、おでこをくっつけてきた。
何がズルいのかは、よくわからないが、まあ、今は置いておくとしよう。
俺は福与の背中に手を回し、福与をそっと抱きしめた。
そして福与の顔を上げさせ、俺の方を向かせた。
「で?返事は?福与は俺のこと、どう思ってんだ?」
「……ホントバカだな、アンタは」
「え?」
満面の笑みで、福与は言った。
「大好きに決まってんだろ」
「……ハハッ、そうかよ」
俺達は、涙の味がする、少しだけ甘酸っぱいキスをした。
その瞬間、俺達を祝福するように、桜が満開に咲き誇ったように見えたのだが、それは、俺の心が見せた、甘いまぼろしだったのかもしれない。
「……堕理雄」
「……沙魔美」
「今日はとっても穏やかな顔で寝てたわね」
「……そうか」
俺はそんな顔で寝ていたのか。
何て言えばいいんだろう……。
文字通り、両親の馴れ初めを追体験した訳だが、全身がむず痒いと言うか、とにかく恥ずかしくてしょうがない。
こりゃ、しばらくお袋の顔は見れないな。
しかし、何だか身体に違和感があるな。
何だ?
「……って、アレ!?また俺、亀甲縛りされてる!?」
俺は何回、亀甲縛りされれば気が済むんだよ!(?)
「安心して堕理雄。今回は、ペアルックだから」
「は?お前何言って――」
横の沙魔美を見ると、沙魔美も亀甲縛りになっていた。
ペアルックってそういう意味かよ!?
「こういうのはペアルックとは言わねーよ!」
「フフフ、でも二人揃って縛られてるのって、なかなか新鮮ね。まるでお互いがお互いを縛り合っている、ウロボロスの輪みたい」
「まったく意味がわかならい!早く解けよ!」
「……堕理雄」
「え?」
「愛してるわ」
そう言うと沙魔美は、亀甲縛りのままにじり寄ってきて、俺の唇にキスをした。
「……沙魔美……って、オイ!?」
沙魔美はそのまま、舌を俺の首筋に這わせてきた。
「沙魔美……ダメだってそれは……くっ」
その日の俺達は、それはそれは、激しく燃え盛った。




