第五十二魔 巫女さん
2018/12/29 誤字を修正いたしました。内容に変更はございません。
『只今電話に出る事ができません。ピーという発信音の後に――』
「クソッ!兄貴にも繋がらない!」
「竜也君、とりあえず、メッセージだけでも残しておいたら?」
「ああ、そうだな……」
俺は兄貴のPHSに、師匠がクリボッタ付近で、握井に襲われたかもしれないことと、今から俺と冴子で、クリボッタまで師匠を探しに行く旨を、留守電に残した。
何故か桜紋会の事務所や、親父と兄貴も、みんな連絡がつかず、やむなく俺と冴子の二人で、クリボッタへの道をひた走った。
頼むから、無事でいてくれよ、師匠。
「あれ?そんな慌ててどこ行くのさ二人共?」
「っ!福与!」
「福ちゃん」
「?何かあったのかい?」
運悪く、部活帰りの福与と会ってしまった。
……どうする。
俺の頭に一瞬、福与も一緒に来てくれるように頼むという選択肢が浮かんだ。
だがすぐに、その考えを振り払った。
本当は、冴子も一緒に行かせたくはないのだ。
この先に待っているのは、『本物の闇』かもしれないから……。
何とか適当に誤魔化して、福与だけでもこの件から遠ざけなければ。
「い、いやー、別に何でもねーよ。なあ冴子?」
「え?う、うん……」
「……嘘だね」
「えっ!?」
何故バレた!?
「何年アンタと一緒にいると思ってんだい。アンタが嘘吐いてる時の顔なんて、目をつぶっててもわかるよ」
「見えてないのに!?」
「……話してみなよ。何か、マズいことが起きてるんだろ?」
「いや、それは……」
「竜也君、福ちゃんにも説明して、一緒に来てもらおうよ。今は一人でも多い方が安心だし、どっちにしろ、こうなったら福ちゃんは絶対に引かないよ」
「ハハッ、流石冴子は、アタシのことよくわかってるじゃないか。さあ、観念して話しな」
「……」
しょうがないか。
正直、こうやって言い争ってる時間も惜しいくらいだ。
「……わかった、事情は話す。ただそれは、クリボッタっていうパチンコ屋に向かいながらにさせてくれ。とにかく急ぎの用なんだ」
「了解。すぐに行こう」
ハッ。
いちいち言動がイケメンなやつだ。
男だったら、さぞかしモテただろうに(今でもM男には引っ張りダコだが)。
不謹慎にも俺は、そんなことを考えていた。
「誰もいないね」
福与が呟いた通り、クリボッタの前は閑散としており、人っ子一人いない。
「アタシは店の裏の方を探す。竜也と冴子は店の店員に、怪しい男を見なかったか聞いといてくれ」
「オイ福与!危ないから一人では行動するな!」
クリボッタに来る途中で、走りながら福与に事情を説明すると、
「わかった。アタシも一緒に師匠を探しに行くよ。来るなって言ったら、竜也の全身の骨を砕いて、タコみたいにしてやる」
と脅された。
「怖ぇよ!何でお前は俺に対してだけ、そんな嗜虐的なんだよ!……来るなとは言わないけど、くれぐれも無茶だけはしないでくれよ」
「はいよ。任せてくれよ、アタシは生まれてから一度も、無茶をしたことがないんだ」
「本当かよ!?嘘クセーな!?」
と言った先からこれだ。
もしも店の裏に、握井達が隠れてたらどうするつもりなんだ。
「あ!福ちゃん待って!ここに壊れたPHSがあるよ!」
「「え」」
冴子の駆け寄った先を見ると、見覚えのあるPHSが、壊れて道路脇に捨てられていた。
「……間違いない、これは師匠のだ」
てことは、やっぱり師匠は誰かに襲われて、どこかに連れて行かれたのか?
辺りを念入りに見渡すと、少し離れたところに、赤い跡が付いているのが見えた。
あれは!
近付いて見ると、確かにそれは血痕に違いなかった。
血痕は、目の前の小さな交差点を、右に曲がった方向に続いている。
あっちは……。
「鈍頼商店街の方か」
鈍頼商店街は、今では全ての店舗が潰れて、廃墟になってしまった商店街で、普段は人がほとんど寄り付かない、とても気味が悪い場所だ。
あそこなら後ろ暗いことをするのに、うってつけだろう。
「アタシは先に行ってるよ!」
「!福与!待てって!」
あのバカ!一人で突っ走りやがって!
早速約束破ってるじゃねーか!
だから福与は連れてきたくなかったんだ……。
「待てよ!福与!」
福与は俺の声を完全に無視して、息一つ乱れぬ綺麗なフォームで、鈍頼商店街の方にダッシュしていく。
流石は、とっくにテニス部を引退しているにもかかわらず、未だに毎日部活に出ているだけはある。
帰宅部の俺とは、体力が違う。
「待っ……て……福……与」
呼吸するのさえ苦しくなっている俺を置いて、既に福与は豆粒程の大きさになっている。
「ゴヘッ!」
遂に俺は、苦しさのあまり、その場に倒れ込んでしまった。
クソッ!こんなことなら、普段から少しだけでも運動をしておくんだった。
「大丈夫、竜也君!?」
「冴子……」
冴子が俺に追い付いて、俺を起こしてくれた。
「ありがとう冴子。まったく、福与のやつ、あれだけ無茶はするなって言ったのに」
「でも福ちゃん、あそこで何かの建物を、ドンドン叩いてるよ」
「え?」
冴子が指差した方に目を向けると、冴子が言った通り、福与がある建物のドアを思い切り叩いているのが見えた。
血痕はその建物に続いている。
あそこに師匠が拉致られてるのか!
あの建物は……
雀荘だ。
間違いない。
師匠はあそこだ。
「おっと動くなよそこのアベック。手を挙げてこっちを向け」
「「!」」
今時アベックって!?
後ろから鼻につく声が聞こえたので振り返ると、髪をぴっちりと七三分けにした、いかにもチンピラ風の男が、拳銃をこちらに向けて立っていた。
俺は冴子に目配せし、二人でゆっくり両手を上げた。
「……お前が握井か?」
「いいや、俺はただの握井さんの舎弟だ」
ということは、やはり師匠を襲った首謀者は握井なんだな。
「お前らは『夜叉』の仲間だな?」
「……弟子だ」
「へえ?夜叉は弟子は取らないって聞いてたけどな。ま、どーでもいーか。って、うおっ!?」
「チィッ!外したか」
いつの間にか福与が俺達のところに戻ってきて、いきなり七三に跳び蹴りを浴びせたが、すんでのところで七三は福与の蹴りを躱した。
「あっぶねーな。最近の女子高生は、ヤクザに平気で跳び蹴りしてくんのかよ」
そう言うと七三は、拳銃を福与に向けた。
「……やれるもんなら、やってみなよ」
「へえ、肝も据わってんねえ」
「挑発するな福与!オイ七三!」
「七三!?」
「俺はどうなってもいい!だからこの二人には手を出すな!」
「!竜也……」
「竜也君……」
「かー、かっこいーねー。カワイ子ちゃん二人のために、自らの命を差し出す王子様ってか?いやー、若いねー。オジサンにもあったなー、そういう頃」
「ふ!ふざけたこと言ってんじゃ――」
ドゴッ
「ぐあっ」
「でも、それを決めるのは俺じゃねーからなー」
「竜也!」
「竜也君!」
七三が俺の腹に、思い切り前蹴りを入れてきた。
「とりあえず三人共、雀荘の中に入ってもらおうか。あっ、鍵が閉まってて入れねーのか。ちょっと待ってろ」
七三は銃口を俺達に向けたまま、左手でPHSを操作して誰かにかけた。
「もしもし、俺です。やっぱり握井さんの言った通り、外に夜叉の仲間が来てました。今からそっちに連れてくんで、鍵開けてもらえますか?」
「よお竜也。俺に貸す金は持って来てくれたか?」
「師匠!無事だっ――」
っ!!
師匠は雀荘の椅子に縛りつけられていた。
頭は鈍器の様なもので殴られたらしく、血で真っ赤に染まっている。
そして師匠の腹には――
深々と出刃包丁が突き刺さっていた。
「し、師匠ッ!!!」
「心配すんなよ竜也。急所は外れてる。こんなもん、唾付けときゃ治るって」
「そんな……そんな訳ないだろ!!今すぐ病院に――」
「オイそこの小僧、それ以上わめいたら、今すぐ夜叉を殺すぞ」
「!」
一番奥で椅子にふんぞり返っている、顔が傷だらけの男が冷たい声で言った。
師匠のPHS越しに聞いた声だ。
……こいつが握井か。
よく見ると、右耳も付いていない。
随分昔に、鋭利な刃物で切り取られた様に見える。
握井の周りには、舎弟と思われる男が三人立っており、俺達の後ろには、先程の七三と、その他に二人の男が、こちらに銃口を向けて立っている。
福与はそれでも堂々としたものだが、冴子はすっかり怯えて、顔が真っ青になってしまっている。
「……何でこんなことをしたんだ」
「ん?言ってる意味がわからんな」
「お前も代打ちなんだろ!?師匠に麻雀で勝てないからって、暴力に訴えるなんて、勝負師として恥ずかしくないのかよ!」
「それは違うな小僧。勝負師として一番恥ずかしいのは、敗けたままでいることだ」
「なっ!?」
「逆に言えば、どんな手を使ってでも、相手をこの世から消せば、俺はそいつに勝ったことになる」
「ふ、ふざけんな!!そんなのは屁理屈だ!!お前は自分の敗けを認めたくないから、師匠を殺して、それを有耶無耶にしようとしてるだけだ!!」
「いや、そいつの言う通りだぜ竜也」
「!師匠……」
「勝負師の世界は、文字通りの殺し合いの世界なんだ。『死んだ方が敗け』、これが鉄則だ。そういう意味じゃ、俺は弱かった。悔しいが、俺の敗けさ」
「そんな……そんなのって、あんまりじゃないか師匠……」
「師弟の感動的なシーンに水を差すようで悪いが、俺も暇じゃないんでな。小僧、お前には死んでもらう」
握井が右手を軽く上げて合図すると、握井のすぐ横にいる男が胸元から拳銃を取り出し、俺に向けた。
「クッ!」
「竜也!」
「竜也君!」
「ああそれと、後ろの女二人はヤク漬けにしてから、金持ちのジジイに売り払うから、用意しとけ」
「なにっ!?」
「……そんなことしてみな。舌噛んで死んでやる!」
「ヒッ……福ちゃん……私……」
「心配すんな冴子、冴子は絶対にアタシが守る」
「待ってくれ!俺はどうなってもいい!だから二人のことは助けてくれ!!」
「ヒャッヒャッヒャ!またかよお前!お前それしか言えねーのか!」
七三が嫌味な笑い声を上げながら言った。
「黙れ」
「あ、す、すいません」
握井が凄むと、七三は一瞬で大人しくなった。
「……そうだな、いいことを思いついたぞ。小僧、お前は夜叉の弟子だそうだな」
「え?……そうだけど」
師匠から聞いたのか……?
「ならお前が夜叉の代わりに、麻雀で俺と勝負しろ」
「は?」
「幸いここは雀荘だ。雀卓は売る程ある。俺とお前が麻雀で勝負して、お前が勝ったら全員の命を助けてやる。その代わり、俺がお前に勝ったら、俺は夜叉に麻雀で勝ったも同然て訳だ。何せ、相手は夜叉の直弟子なんだからな」
「……そんな」
「当然俺が勝ったら、夜叉とお前は殺す。そして女二人は、この世の地獄に直行だ」
「……」
待ってくれよ。
俺が師匠の代わりに、麻雀で戦う?
正直、今の俺は、師匠の足元にも及ばないのに?
握井は師匠程ではないにせよ、仁凍会を代表する代打ちになるくらいの腕はあるってことだ。
そんなやつに、俺なんかが勝てるのか……?
しかも、俺が敗けたら、みんなは……。
「よしわかった。それでいこう」
「っ!師匠!?」
「竜也、お前も俺の弟子なら腹を括れ。どっちにしろ、それしかみんなが助かる道はねーんだ。大丈夫、お前は俺の自慢の弟子だ。こんな腰抜け野郎なんかにゃ、絶対敗けねーよ」
「……師匠」
「冴子ちゃんも福与ちゃんも、それでいいかい?」
「え……はい」
「アタシはそれで構わないよ」
「よし、勝負成立だ。頼んだぜ、竜也」
「……ああ」
……やってやる。
師匠に自慢の弟子だって言ってもらえたんだ。
師匠の顔に泥を塗るような真似だけは、死んでもできねえ。
「話はまとまったようだな。こっちから三人メンツを出したら、お前も納得しないだろうから、そっちの女二人の内、好きな方を相棒に選べ」
「えっ?」
相棒を?
冴子か福与から?
俺は後ろを振り返り、冴子と福与の顔を見た。
冴子は相変わらず青白い顔をしており、半分涙目になっている。
福与も相変わらず好戦的な顔をしており、拳を強く握り締めている。
……正直、麻雀の腕は冴子の方が圧倒的に上だ。
そもそも福与は、麻雀には大して興味がないので、アガリ役も半分くらいしか覚えていない。
できれば相棒は、冴子にお願いしたいが……。
「……冴子、頼めるか?」
「……」
「……冴子?」
「……ごめんなさい、竜也君」
「え?」
「さっきから私、ずっと震えが止まらないの……。きっと私じゃ、竜也君の足を引っ張っちゃうと思う……」
「そ、そうか」
そりゃそうだよな。
冴子は普通の女の子だ。
こんなこと、本来なら頼むこと自体、おかしなことなんだ。
「……アタシがやるよ、竜也」
「!……福与」
「そんな顔すんなよ。実はアンタには黙ってたけど、アタシは麻雀五段なんだ」
「麻雀に段位はないけど……」
福与なりに気を遣ってくれているのか。
よく見ると、福与の肩が、少しだけ震えている。
……そうだよな。
普段は強がってはいるけど、福与だって冴子と同じく、普通の女の子であることには変わりはない。
それでも福与は恐怖に敗けまいと、必死に自分を奮い立たせているんだ。
俺も、男を見せなきゃな。
「福与、頼む。俺に力を貸してくれ」
「ハハッ、しゃーないから、頼まれてやるよ」
「竜也君、福ちゃん……」
「少しだけ待っててくれ、冴子。必ず助けるから」
「……うん」
「これが終わったら、アタシが冴子にチューしてやるからな」
「フフフ、待ってるね、福ちゃん」
「竜也」
「……師匠」
「『全体を見ろ』よ」
「!」
『全体を見ろ』。
それは麻雀の稽古中に、いつも師匠から言われていたことだった。
目に見えるものだけを見るのではなく、目に見えない場全体の空気感や、運気の流れを読むことこそが、麻雀の極意だ、と。
「わかったよ、師匠。こんな勝負さっさと終わらせて、すぐ病院に連れてってやるからな」
「さっきも言ったろ、俺は大丈夫だ。今は目の前の勝負にだけ集中しろ」
「ああ」
「よし、卓につけ小僧。さっさと終わらせたいのは、俺も同じだ」
そんな余裕ぶっていられるのも、今の内だぞ握井。
お前は絶対に許さない。
師匠に代わって、俺が引導を渡してやる。
「勝負は半荘一回勝負。小僧と俺で、点数が高かった方が勝ち。もちろん、ルールはナンデモアリだ」
「!」
ナンデモアリというのは、つまり『イカサマ』もアリということだろう。
望むところだ。
今日こそ、師匠直伝の燕返しを見せてやる。
「お、クソガキ、お前の親からだ。精々頑張れよ」
七三が緊張感のない声で言った。
握井の相棒に七三が選ばれたのは少し意外だったが、多分麻雀ができるのが七三しかいなかったのだろう。
ただこいつは、手つきが明らかに素人だ。
その証拠に、指に麻雀ダコができていない。
こっちの相棒の福与も素人だから、条件は五分といったところか。
つまり、単純に俺と握井の実力勝負ってことだ。
俺の上家(※自分から見て左側)に七三、対面(※正面)に握井、下家(※右側)に福与という席順だ。
そして最初の親は俺。
これはチャンスだ。
俺は牌山に四暗刻を積み込んでおいた。
これを燕返しで上がれば、天和とダブル役満で瞬殺だ。
俺はまだみんなが配牌を揃えている隙を縫い、覚悟を決めて燕返しを仕掛けた。
――が。
「残念だったな、小僧」
「なっ!?」
握井に俺の腕を掴まれ、俺は牌山を崩してしまった。
何故バレたんだ!?
俺の燕返しのスピードは、師匠にだって負けてないはずだ!
それが何故……。
「お前はワザを仕掛けようって気が出過ぎなんだよ」
「!」
握井が俺の心を見透かしたように言った。
「確かに燕返しのスピードはなかなかのもんだったが、仕掛けるタイミングがわかってるなら、防ぐのは然程難しくない。夜叉の弟子だっていうから、少しは期待してたんだが、期待外れだったな。夜叉の燕返しは、いつ仕掛けたのか、気配すら感じさせなかったぜ」
「……そんな」
やっぱり俺じゃダメだったのか。
俺じゃ、師匠の代わりは務まらないのか。
「竜也、顔を上げな」
「!……福与」
「まだ勝負は始まったばっかだろ。アンタは師匠が唯一認めた男なんだ。自信を持ちなよ」
……フッ。
まさか、福与に背中を押されるとはな。
「……ああ、そうだな。サンキュー、福与」
「後でチョコレートパフェ奢りね」
「わかったよ」
「イチャついてるとこ悪いがよ、今のはお前のチョンボ(※反則行為)だぜ?早く罰金を払えよ」
七三がいやらしい声で言ってきた。
「……ほらよ」
俺は三人に4000点ずつを支払った。
麻雀では親がチョンボをした場合は、全員に4000点ずつを支払うことになっている。
これで大分厳しくなった。
しかも、もう燕返しは使えない。
でも、師匠から教わったイカサマは他にもある。
必ず勝機はあるはずだ。
今は、その時をジッと待つんだ。
だが、次の局。
「リーチだな」
握井がリーチをかけた時に、それは起こった。
「あれ?」
「ん?どうした福与」
「あ……いや、何でもない」
「?」
まあいい、今は握井のリーチに集中だ。
とはいえ、幸い握井の捨て牌にも、俺の手牌にも『南』がある。
麻雀は、自分が捨てた牌では上がれないことになっているので、南は俗に言う安全牌だ。
とりあえず、南を切って様子を見よう。
俺は、そっと南を捨てた。
「ロン」
「え」
握井の口から、信じられない言葉が飛び出してきた。
こいつ自分の捨て牌を見てないのか!?
だが、握井の捨て牌を見て、俺は愕然とした。
今さっきまで南があった場所に、今は『東』が置かれている。
そんなバカな!?
確かにあそこには、南があったはずだ!
「リーチ一発三色オモウラ、跳満で12000点だな」
開かれた握井の手牌の中には、確かに南が入っていた。
「はっははー!流石は握井さん!」
「……何で」
いや、そんなの決まっている。
握井がすり替えたんだ。
こいつ、『拾い』をやりやがったな。
拾いというのは、自分の手牌と捨て牌をすり替えるイカサマで、燕返し同様、高度な技術が必要とされるが、その分効果は絶大だ。
何せ、今みたいに安全牌を当たり牌に変えることができるのだ。
その上、他の人の捨て牌と自分の手牌を交換すれば、他の人よりも圧倒的に早く、聴牌に持っていける。
恐らく、福与が「あれ?」と言った時は、福与の捨て牌とすり替えたのだろう。
これはマズいぞ。
これでもう、安全牌は一つもないようなものだ。
何かないか……、何か手は……。
だが、何も糸口が見出せないまま、無情にも勝負は最終局を迎えてしまった。
俺も何とかイカサマを駆使して、奮闘はしたものの、俺と握井の点差は31000点も離れてしまっている。
俺が勝つためには、上がり点が32000点の役満を上がるか、上がり点が16000点の倍満を握井から直撃するしかない。
その上、最後の親は七三だ。
麻雀は、親が連チャンする限り勝負は続くが、七三は上がらずにこの局を流局させるだろう。
つまりチャンスはこの局しかない。
神にも祈る想いで配牌を開けたが、役満はおろか、倍満すら難しい牌姿だった。
俺は暗い地獄に下ろされた、一本の蜘蛛の糸を登る様な気持ちで、手役を高めていった。
しかし、残り三巡となったところでも、俺の手牌は倍満にすら届いていなかった。
……クソ、ダメか。
ゴメン師匠。
やっぱり俺は、師匠みたいにはなれないよ……。
「竜也」
「……師匠」
「さっきも言っただろ。『全体を見ろ』」
「!」
……師匠。
師匠はこんな俺でも、まだ期待してくれてるってのか。
…………。
パンッ
「うおっ!?何だよクソガキ!ビックリさせんなよ」
「悪いな。ちょっと気合を入れただけだ」
俺は自分の頬を、思い切り両手で叩いた。
そうだ、まだ勝負は終わってない。
見ろ。
全体を見ろ。
何かまだ、見落としてることがあるはずなんだ。
「竜也」
「福与?」
福与は唇を真一文字に引き結んで、力強い瞳で俺を見つめていた。
ありがとう福与。
俺は今度こそ、諦めないよ。
何としてでも、絶対にこの勝負に勝ってみせる。
その時だった。
俺の頭の中に、一瞬閃光が走り、ある考えが形を成した。
……もしかして。
いや、きっとそうだ。
もうこれしか、逆転の手はない!
俺は腹から声を出して言った。
「リーチ!」
「なにいっ!?」
「……ホウ」
マヌケな声を上げた七三とは対照的に、握井は至って冷静だった。
そりゃそうだろう。
役満なんて、そうそう出るものじゃない。
仮に俺の手が倍満だとしても、残り三巡安全牌を切っていればいいだけだ。
福与が手配を捨てた後、握井の番になったが、この時、握井は初めて少し笑った顔になった。
「ククク、最後の最後で少しだけ楽しくなってきたじゃないか。何とか倍満を聴牌したか?だが残念だな。俺の手牌にはお前の捨て牌がたっぷり残っている。もちろんお前が『拾い』をしないように、俺は常に見張っているぞ。拾えるものなら拾ってみろ」
「グダグダうるせーな。あんたの番だろ。さっさと切れよ」
「……ハッ。まあその減らず口もあと三巡だ。精々今の内に吠えておけ」
握井は手牌から、俺の捨て牌にもある東を抜き出して捨てた。
「ロン」
「は?」
今度は握井がマヌケな声を上げる番だった。
それもそうだろう。
ロンと言ったのは、福与だったからだ。
「こ、小娘……お前まさか」
「そのまさかだよオッサン。国士無双、役満で32000点だ。これで点数は1000点だけ竜也の方が上だね。アンタの敗けさ」
「そ、そんなバカな……。その捨て牌で、国士だと……」
無理もない。
国士無双は么九牌と呼ばれる牌を、13種類集める役で、必然的に捨て牌には么九牌以外の牌ばかりが並ぶので、誰が見ても一目瞭然だ。
しかし、福与は奇跡的にも、配牌の時点で么九牌を過剰に持っていたらしく、捨て牌の初期の頃は么九牌が多く並んでいた。
これでは国士と読むのは難しい。
あるいは、それが俺だったら握井も警戒しただろうが、福与は明らかな素人だ。
無意識の内に、福与のことは視界から外してしまっていたのだろう。
だが俺はあの瞬間、福与が国士を聴牌していることに気付いた。
福与が唇を真一文字に引き結ぶのは、高い手を聴牌している時の癖だからだ。
その上、福与はアガリ役を半分くらいしか覚えていない。
中でも、役満は国士しか知らないのだ。
あの時点で福与が握井から上がるとしたら、役満以外は有り得ないから、消去法で、福与は国士を聴牌していることになる。
だから俺の役目は、確実に握井から福与の当たり牌を引き出すことだった。
捨て牌の雰囲気から、当たり牌は東と踏んだ俺は、俺の捨て牌にも東があることを確認した。
後は聴牌していない手配でリーチをかけ(バレたら反則だ)、握井の手牌に東があれば、高確率でそれを捨てるだろう。
結果は、蜘蛛の糸よりも更に細い糸を、何とか登り切ってのゴールといったところだ。
正直今回は運が良かった。
でも勝ちは勝ち。
勝負の世界は結果が全てだ。
何とか師匠の名誉を、ギリギリ守れたか……。
恐らく師匠は、こういう意味も含めて、『全体を見ろ』と言ってたんだな。
麻雀は機械と戦ってるんじゃない。
あくまで人間と戦ってるんだ。
つまり、自分の手牌だけを見ているのではなく、常に相手の顔を観察し、その人の気持ちになって場を考えるのが大事なんだと。
これは何も、麻雀に限った話ではないかもしれないけどな。
「竜也君!福ちゃん!」
「冴子」
冴子は、涙で目を真っ赤にしていた。
「ごめんなさい、私……何の役にも立てなくて……」
「そんなことないよ冴子。冴子がいてくれたから、アタシも頑張れたんだ」
「福ちゃん……」
「そうだよ冴子。謝ることなんてないよ。あんな状況で、図太く『アタシがやるよ』なんて言える、福与が異常なんだからさ」
「どうやらタコにされたいようだね」
「ヒッ」
パーン
「「「!!」」」
握井が、天井目掛けて拳銃を発砲した。
「舐めやがって……。無効に決まってんだろ、こんな勝負」
「なっ!?キタネーぞお前!」
「何とでも言え。続きはあの世で喚いてろ」
握井が銃口を俺に向けた。
クソッ!
せっかく麻雀には勝ったのに!
ここまでなのか……。
「そこまでだ」
「!」
この声は。
「待たせたな。竜也」
「……兄貴」
振り返ると、そこには兄貴と桜紋会のみんなが、三十人近く雪崩れ込んでくるところだった。
「お、お前は桜紋会の若頭の……」
「うちの弟とセンセイが世話になったな、仁凍会の握井。いや、元仁凍会と言った方が正しいか」
「何だと!?」
「今しがた桜紋会総出で、仁凍会に話をつけに行ってきた。お前は仁凍会を正式に破門だそうだ。後は、俺達の好きにしていいとさ」
「そ、そんなはずはない……。俺が今まで仁凍会に、どれだけ貢献してきたと思ってるんだ!」
「そんなお前が、麻雀以外の方法でセンセイに報復したと知れ渡ったら、仁凍会の看板に泥を塗ることになるのがわからなかったのか?仁凍会の組長から、言付けを預かったぞ。『お前には呆れた』とさ」
「う、嘘だ……。俺は信じないぞ……。組長が、そんな……」
握井はうわ言の様に、「嘘だ……嘘だ……」と繰り返していた。
そうだったのか。
みんなで仁凍会に出向いていたから、誰も電話に出なかったのか。
「ちなみに破門は、ここにいる全員も同様だ」
「ハアアッ!?ちょっと待ってくれよ!俺は握井さんに脅されて、仕方なくやっただけなんだよ!」
七三が泣きそうな声を上げた。
「それは俺の知ったことではない。とにかく全員来てもらう。オイ、連れていけ」
桜紋会の組員達が、握井達を外に連れ出していった。
七三は最後まで抵抗していたが、握井は魂が抜けた様に大人しくなっていた。
「……兄貴、あいつらをどうするんだ?」
「……お前は知らない方がいい」
「……」
俺は握井に対して、同情とは違う、複雑な感情を抱いていた。
それは『代打ち』という仕事に対する、恐怖に似た何かだったのかもしれない。
ひょっとしたら、握井は未来の俺の姿なのか?
俺も一歩道を踏み外したら、握井の様になってしまうのか?
そんな疑問が、俺の心の中を支配していた。
「ガハッ!」
「っ!師匠!」
師匠が突然、血を吐いて苦しみ出した。
「兄貴!急いで救急車を呼んでくれ!早く!!」
「……竜也、センセイは……」
「っ!?何突っ立ってんだよ兄貴!早くしてくれよ!!」
「いいんだよ竜也。どうせ救急車を呼んでも、無駄足になるだけだ」
「!……師匠……嘘だろ?急所は外れてるって言ってたじゃないか!」
「ああでも言わねーと、お前がそうなるのはわかってたからな。夜叉ジョークってやつだ」
「そんな……師匠……。笑えねーよ……そんなの」
「センセイ、本当に申し訳ありません。俺がもう少し早く、仁凍会と話をつけられていたら」
「お前が謝るこたぁねーよ。竜也には言ったが、こうなったのは全部俺が弱かったせいだ」
「そんなことはございません。俺は、センセイを……」
兄貴の声色が変わったので、兄貴の方を向くと、兄貴は涙を流しながら奥歯を嚙みしめていた。
「兄貴……」
あの常に冷静だった兄貴が、泣いているところは初めて見た。
「竜也」
「!何だ、師匠」
「……頼みがある」
「!師匠、嫌だ!そんな、今生の頼みみたいなのはやめてくれ!」
「……『夜叉』の名は、お前が継いでくれ」
「っ!……師匠、ダメだよ……。俺にはまだ、その名前は重過ぎるよ……」
「いいや、お前はもう大丈夫だ。それにな、お前は夜叉の名の、正当後継者なんだ」
「……え?どういうことだよ!?」
「先代が、初代夜叉だったんだよ」
「兄貴!?先代って……」
俺達のじいちゃんが!?
パラパラが趣味の、あのじいちゃんが!?!?
そんな話、初めて聞いたぞ!?
「俺達の苗字は『夜田』だろ?夜田の『夜』から取って、先代は『夜叉』と名乗っていたそうだ」
「そんな……」
なんて安直な。
「お前がセンセイから夜叉の名を継ぐまでは、先代が初代夜叉であることは秘密にしてくれと、先代から言われていたからな、今まで黙っていたんだ。すまん」
「何でじいちゃんは秘密に……」
「お前には、夜叉の名に縛られずに、自由に生きてほしかったからだろうよ」
「師匠」
「だからお前が自分の意志で、二代目夜叉である俺の弟子として稽古に励む様を、先代はあの世で大層喜んでることだろうぜ」
「……そうかな」
パラパラの練習してるだけだと思うけど。
「ガハッ!ガハッ!ゴフッ!」
「師匠!」
師匠の吐血が、一層酷くなった。
「師匠!死なないでくれよ!師匠!!」
「竜也……本当のことを言うとな……俺は、お前のことを、自分の息子みたいに思ってたんだ」
「え」
「毎朝廊下で俺とすれ違ってただろ?あれは偶然じゃない。冴子ちゃんや、福与ちゃんが俺の部屋の前を通り過ぎる音を聞いてから、お前の部屋に向かって廊下を歩いてたんだ。お前の顔を見るためにな」
「師匠……師匠……」
俺は涙で、師匠の顔がぼやけて見えなくなっていた。
「冴子ちゃん、福与ちゃん」
「……はい」
「……うん」
冴子と福与も、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「うちのバカ息子をよろしくな」
「……はい」
「……任せてよ」
「フ……竜也」
「……ああ」
「今まで楽しかった……ありがとよ」
「……師匠!!」
「また……な」
師匠はゆっくりと、瞼を閉じた。
その顔は、とても安らかだった。
「師匠ーーー!!!!!」
「師匠!!」
「堕理雄!?師匠って誰!?」
「……沙魔美」
「泣いてるわよ、あなた」
「……ああ。あれ!?何でお前、巫女さんの格好なんてしてるんだ!?」
「やっぱり、泣いてる堕理雄を慰めるには、巫女さんが一番かなと思って」
「まったく意味がわからないよ……」
俺の涙を返してくれよ。




