後編
不穏な声は少し離れたテーブルから聞こえた。
「いいから、こいつをもう一つ持ってこいよ」
酔客が店員に絡んでいるらしい。ジョロキアオイルの瓶を手に、店員に注文をつけている。
店員はどうやら断っているようだった。唐辛子は大量に食べると内臓を痛めるおそれがある。
「いいって言ってんだろ、自己責任だよ」
「どうせなら生のヤツくれよ。罰ゲームなんだから、一番辛いヤツじゃないと意味ねえし」
「生ジョロキアを刻んで一気食いさせようぜ。思いきってそれくらいやっちゃえよ」
どうやら仲間内で何かの賭をして、その敗者に課す罰ゲームとして激辛唐辛子をよこせ、と言っているらしかった。
店員は断り続けている。酔客特有のしつこさに、八重樫は眉をひそめた。
あーあ、と佐藤は呆れた顔で見やったが、その表情は「あいつら、やっちまったな」的な風情だった。
「大丈夫、八重樫さん。見ててみ」
佐藤がニヤッと悪戯っぽく笑って見せた瞬間、店中にコールが響いた。
「Bhut Jolokia!」
絡まれていた店員が宣言するように叫んだのだ。
「Too Hot!」
コールに応えて店員が全員、また、何事か知っているらしい一部の客がレスポンスを返す。
ぽかーんとする酔客のもとに、店員が集まってきた。テーブルを取り囲み、肩を組んで歌い出す。
いーけないんだ、いけないんだ
せーんせーに言ってやろ
「ジョロキアを罰ゲームにするなんて、いけないと思いまーす」
「食べ物をおもちゃにしたらいけないと思いまーす」
「農家の方が一生懸命、おいしく辛くつくってくれたのに、罰ゲームにするなんてひどいと思いまーす」
「唐辛子が大好きな人がたくさんいらっしゃる前で、罰ゲームに使うなんて、敬意に欠けると思いまーす」
「ていうか、ジョロキア様に謝るべきだと思いまーす」
「ていうかていうか、マジでお腹壊すと思いまーす」
……なにこの小芝居。
的に、店員達は口々に小学校の学級会みたいな口調で言い募った。
囃したてる歌声はヒートアップする一方で、店中の客が手拍子をうちはじめる。どうやらお決まりのイベントらしい。
もちろん、佐藤は率先して手拍子に参加しておもしろそうに囃し立てている。八重樫は戸惑い気味に成り行きを見守った。
「いーけないんだ」の大合唱を食らい、件の客達はすっかり先程の勢いを失ってあわあわと狼狽えている。
タイミングを見計らったように(もちろん見計らってんだけど)、店長と思われる壮年の男性が現れた。
しょうがないな、と言いたげに、囃したてる店員達を窘めて、すっかり意気消沈してしまった彼らに応対した。
「申し訳ありません。ジョロキアは数が限られてまして、楽しみにされているお客様もいらっしゃるので、たくさんはお出しできないんですよ。お腹壊されてもおつらいでしょうし、ご勘弁いただけませんか」
ここが退き際とわからなければ救いようのないバカだ。
さすがにそこまでのバカではなかったらしく、彼らはおとなしく退いた。
一連のイベントは店の定番であるらしい。
「あいつら、知らなかったみたいだな。結構有名なんだよ、店員の小芝居対応」
佐藤はやれやれ、と、欧米人のように大げさに肩をすくめてみせた。
今日は小学校の学級会バージョンだったけれど、他にも時代劇バージョンやらミュージカルやら2時間サスペンスドラマ調、など、いくつかパターンがあるそうだ。
「酒を出す店だし、激辛なんてゲーム的におもしろがられて、たまに調子に乗っちゃう奴がいるんだよ。テレビのバラエティ番組から問い合わせがあったりもするらしい」
冗談抜きで、内臓に怪我する恐れがあるから、本当にやっちゃダメなんだ。
そこまでダメージのない唐辛子もあるけどね、店長が絶対許さない。
唐辛子が好きでやってる店なんだから、罰ゲームになんかさせない、唐辛子を貶めるような扱いはさせない。ってね。
俺、この店のそういうとこも好きなんだ。一本筋が通っててさ。
「……そうか。確かに。僕も失礼なこと言ったな。すいません」
八重樫は神妙に頭を下げた。佐藤は一瞬「は?」と素っ頓狂な返事をして、その後、ああ、と思い当たったように苦笑した。
「さっきの? 唐辛子を食わされるかと思った、って台詞ね。いいよそんなの、律儀だなあ」
それより次はなに頼む? まだ飲むだろ? つまみも追加したいよな。
大して気にする様子もなく、メニューを広げてよこす。
八重樫は、ふっ、と息をついた。ため息とも、笑い声が洩れたようにもとれるような音声に自分でも驚き、それから、なんだか可笑しくなってきて、くくっ、と笑い始めた。
不思議と愉快になって、口元を押さえながらもくつくつ笑い続ける。
「なんだよ、どうかした? 楽しそうだな」
怪訝そうに声をかける佐藤に、
「……いや、なんだか拍子抜けして」
勘違いしていた。どんな警告じみた小言を聞かされるのかと。
「彼女を泣かせたら許さない、とか言われるのかと思ってた」
佐藤は呆れた顔をする。
「まさか。そこまで世話焼きじゃないよ」
本気でつきあえば、泣かしたり泣かされたりするだろ。そんなのふたりの問題なんだからふたりでやってくれよ、俺は知らん。
「俺は単に、八重樫さんと飲みたかっただけだよ」
そういってへらりと笑う。
「うん。飲もうか」
八重樫も応じた。
唐辛子は辛いばかりじゃないらしい。
彼も、彼女を好きだった男、というだけではない。
新しい飲み友達と乾杯を交わすために酒を選ぶべく、八重樫はメニューを繰った。
「なぁ、ガッシーって呼んでいい?」
「……いいけど。八重樫って呼びづらいかな」
「嫌ならやめるけど」
「いや、呼び名にそんなにこだわったことないもんだから。いいですよ、ガッシーでも。ちょっと懐かしいな」
「そう呼ばれたことあるんだ?」
「うん。高校の頃、お笑い研究会で漫才コンビ組んでたんです。そのとき、ガッシーって呼ばれてた」
「はあああ?! 何それ、意外すぎる過去!」
「相方が五十嵐って奴だったんだ。五十嵐と八重樫で「ラッシー&ガッシー」ってコンビ名」
「……ハル、大丈夫? そんなにむせるほどウケると思わなかった」
「……はーー、死ぬかと思った。油断してたとこに不意打ちだったから、もーーーヤバかった。ガッシー、かましてくれるわーーー」
「最近だと、イェーガーって呼ばれたこともあるな。「パシフィック・リム」って映画に出てくる巨大ロボの名前」
「何それカッコいいじゃん」
「そう? 言いづらいから定着しなかったけどね」
「家族とか親戚からはなんて呼ばれんの? さすがに名字呼びじゃないだろ?」
「それが、家族からも名前で呼ばれること滅多にないんだ。望の音読みで「ぼー」って呼ばれたりしてる」
「……ハル、笑い過ぎ」
「ネタ多過ぎんだろ、ガッシー……」
「そこまで笑うのはハルだけだよ……」
グダグダ会話エンド、なんか好きなんです。