表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Bhut Jolokia  作者: ムトウ
2/3

中編

「お待たせ、ハルくん。お待ちかねのジョロキアのオイル漬けね」

 常連の佐藤は顔なじみらしく、店員も親しげに話しかけてきた。八重樫にも愛想よく会釈して、次々と皿を並べていく。

「こちらのお兄さんは初めてかな? いっぱい召し上がってってくださいね。辛さは調整できますから、いつでも声かけてください」

 はいこれ、唐辛子フォンデュ。チキンは揚げたて、万願寺の焼き浸しに、箸休めのピクルスはサービスね。

「おー、サンキュ。これこれ、たまんない」

 ひとまずガチ真剣タイムは中断、とばかりに、佐藤は嬉しそうに歓声をあげた。


 フォンデュ鍋にはトマトと唐辛子が加えられたチーズがオレンジ色にふつふつと湯気を立てる。

「男ふたりでチーズフォンデュってのも気恥ずかしいけど、この店の名物だからほとんどの客が頼むんだ。八重樫さんにも食わしたくってさ。バゲットが定番だけど、ベーコンが合うよ。ズッキーニもオススメ」

 万願寺とうがらしは辛くないから、がっつりいっても大丈夫。うまいよ。

 手慣れて取り皿やフォークを渡し、「はい、熱いうちに、食って食って」と、八重樫に勧めた。


 八重樫の健啖ぶりはいつも通りだ。湯気の立つチーズソースをたっぷり絡めとって、大きなひと口で頬張る。いかにも「喰ってる」といった野生味があって、佐藤は、ひゅう、と口笛を吹きたくなった。

 食ってるところが様になる男、ってのは、イイよな。

「見てると気持ちいいな。遠慮しないでくれて嬉しいよ」

 嬉しそうにニコニコ笑った。



「辛い」

「うまい」

「熱い」

「でもうまい」

 といった台詞のローテーションに、笑い声が重なる。

「なんで辛いもん食うと笑いたくなるんだろ」

「あんまり辛いと、どうしていいかわからなくなるんですよ。でも、止まらない」

「ヤバいよな。ビールも止まんねえ」


 それから佐藤は、満を持して、といった風情でもったいぶりながら、

「これがジョロキアね。フライドチキンにつけて食うの、俺、好きなんだ」

 小振りのガラス瓶を手にしてみせる。

 中にはしなびた風船のような赤いものが、薄いオレンジ色のオイルに浸かっている。見た目はそれほど強烈なものではない。小さめのハサミが添えられていて、手にとってチョキチョキしてみせた。

「オイルだけでもアリだけど、実の方はこのハサミを瓶に突っ込んで刻んで使う。で、帰りに蓋くれて持って帰れるんだ。いっぺんに食べきるのは無理だからさ」

 知ってる? 辛さは痛覚刺激なんだ。舌に「痛い」って感じるのが辛みなんだよ。

「へえ」

 八重樫は佐藤のテンションに気圧されつつも、促されてジョロキアオイルの小瓶を手に取った。

 おそるおそる覗きこんで、

「あれっ」

 と、意外そうに目を見開いた。

「いい香りがする。唐辛子ってこんなに甘い香りがするんですね。フルーツみたいだ」

「だろ?!」

 佐藤は嬉しそうに頷いた。目尻にくしゃっとしわをよせて、ニコニコ無邪気に笑う。


 辛さばっかりに注目されるけど、唐辛子ってよく味わうと、この香りとか、甘みとか旨み、酸味なんかも感じられるものなんだ。

 ジョロキアは、香りがよくて辛みが強く、最初からガツンとくる。そして、キレがいい。

「干した物はまた別の風味があるよ。もっと香ばしい」

 唐辛子の種類によって、辛さの質も甘さも香りも異なるんだ。そこがおもしろい。


 饒舌に語る佐藤に、八重樫は興味深く頷き、それから、楽しそうに、愉快そうに笑った。

「ハルは本当に、唐辛子が好きなんだな」

 その言い方が、さっきとまったく同じ。

 なんだか照れくさくて、困ったようにへにゃっ、と笑って返した。



「八重樫さんさ、さっきからずっと前園さんのことを「珠美さん」って呼んでるよね。ごく普通に、以前から呼びなれてるみたいに」

 佐藤はジョロキアオイルの瓶にハサミを突っ込みながら、唐突に言った。

 八重樫はなんとなく空気が改まったことを察し、居住まいを正す。


 佐藤はそれには構わずに、瓶の中身をチョキチョキ刻みながら、世間話みたいになんでもない口調で続けた。


 俺、ずっと彼女をそう呼びたかったんだけど、絶対許してくれなかった。同じ職場だから人目を気にして、ってことなんだろうけど、きっとそれだけじゃないよね。

 彼女にとって名前呼びは「恋人の称号」なんじゃないかな。違う?


 佐藤がちらりと目をやると、八重樫は一瞬驚いて目を見開き、それから、かすかに頷いた。

 困ったように目をそらす。耳が赤いのは、辛さのせいでもアルコールのせいでもない。


 頑ななほどに拒むのは、名前呼びが嫌だから、ではないんじゃないか。と、佐藤は察していた。

 彼女にとって、「珠美」は特別な呼称。DarlingとかSweet HeartとかMy Preciousの意味を重ねる呼び名。ただひとりだけの、特別な誰かのための名前。

 クールに見えて、すっげえロマンチストだ。なんて可愛らしい。


 くすっ。と笑いをもらして、佐藤は続けた。

「八重樫さんだけだよ、そう呼べるのは。羨ましいな」



 前園さんはね、職場ではびっくりするくらい以前と変わらないよ。もとから、潔癖なくらい仕事とプライベート切り離す人だから、まあ当然っちゃ当然なんだけどね。


 俺に対しても、気まずくなったりしない。申し訳なさそうにされたらどうしようかと思ったけど、全然まったくそんなことなくって。

 ごく普通に常温平温の仕事モード。完璧。鉄壁。


「で、それはさ。俺を信頼してくれてる、ってことなんだよな」

 同僚として、たぶん、友人としても。

 俺には、恋愛感情を持ってもらえなかった。でもそれは、それだけのことだよ。全人格を否定された訳じゃない。

 むしろ、同僚・友人として尊重してくれてるからこそ、ちゃんと断ってくれたんだ。

「そして、八重樫さんにも紹介してくれた」

 素直に嬉しいし、誇らしいよ。


 佐藤はジョロキアを刻む手を止めて、まっすぐに八重樫を見た。

「俺さ、彼女が好きだったよ。本当に好きだった」

 文末は過去形。


 八重樫はその視線を逸らさずに、見つめ返す。挑まれる、というよりは、託されたように思った。

 黙って静かに頷く。

 佐藤はいつものようにへらりとチャラい笑みを浮かべた。



 それから「うん」とか「あー」とか曖昧に唸って、マジメな話はこれでおしまい、とばかりに、声音を変えた。


「つーかさあ、八重樫さんも大概だよね。普通、自分の彼女に言い寄ってた男に呼び出されて、友好的に飯なんて食えないだろ。すっげー余裕じゃん。どんだけ懐デカいんだよ」

「……呼び出した方がいうことじゃないと思う」

 佐藤の雰囲気の転調に戸惑いながらも、八重樫は言い返した。


「買いかぶり過ぎですよ。余裕なんかないし、内心、戦々恐々だ。ハルみたいないい男が珠美さんと同じ職場にいるんだから」

 決戦に赴くような気持ちだったんだ、実際。

「決戦!?」

 可笑しそうに笑う佐藤に、八重樫は苦い顔をした。

 辛い料理に暑くなったのか、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。

 生真面目な表情が剥がれて、彼の素の顔が見え始めてきたようだった。


「珠美さんに「佐藤さんと飲みに行く」って話をしたら、呆れた顔して、I don't care って言われたし。どんな大変な目に遭わされるのかと」

 眉尻を下げて困り顔でこぼす八重樫に、佐藤はけらけら笑う。

「こんな大変な目に遭っちゃったよな」

 と、鍋底のチーズソースをバゲットでかき集めて「ほい」と八重樫の皿に載せた。八重樫は、ははっ、と笑い混じりに皿を受け取る。

「これが大変な目に遭う、ってことなら大歓迎です。唐辛子を丸ごと食わされるのかと思ってたよ」

「まさか。そんなことしないよ」


 佐藤が意外と真面目な顔で応えた時、余所のテーブルから何やら不穏な声が聞こえた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ