第16話 帰ってこない
結局、宿で一泊してもアレンは帰ってこなかった。
ヴァイルに調べに行こうと言っても、片っ端から探すには、世界は広すぎる…とか言って、首を縦に振らない。
リリアは探しに行きたそうにしてるけど、待つと決めたらしい。
セルリアは今朝方ガイゼルさんとエルが迎えに来た。
聖国の国王と何か会談をしていたが、私たちのあずかり知るところではないので、詳細は不明だ。
おそらく、賠償金か何かの話だと思うけれど。
そして、ガイゼルさんとエルにもアレンが返ってこないことを話すと二人は…
「アレン君…無事だといいのだが…こちらの方でも捜索隊を結成して、探す手伝いをさせてくれ。クローディアさん。」
「わたくしも探すのを手伝いますの…!」
と言ってくれた。
私は礼を言い、二人に捜索の協力をしてもらった。
だが、二日たっても、三日たってもアレンは帰ってこない。
そして、アレンが失踪して三日が経った。
――――――
今日は雨がひどかった。
バケツをひっくり返したようなそんな豪雨。
雷も遠くでなっている。
こんな時、アレンが隣にいてくれれば、どさくさに紛れて甘えられるのに…とか思ったのは内緒だ。
不意に思い出してしまう、アレンの温もり。
最後に手をつないで歩いたのは、いつだっただろうか。
身体と想いを重ねてから二日と立たないうちに、私の…私たちの夫はいなくなってしまった。
隣のベッドで寝ているリリアも、夜中にすすり泣く声が聞こえることもあった。
そんな時は、二人で思いっきり泣くのだ。
気分は晴れない。状況も変わらない…だけど、そうすることによって塞がらない傷を二人で埋めあわなければ、生きていけない気すらした。
リリアはまだ寝ている。
昨日の夜はかなりの量のお酒を飲んでいたのだ。
二日酔いだろう。
ヴァイルもそれに付き合い、結構な量を飲んでいたが、アレは最後まで素面のままだったのが印象的だ。
私はこっそりと外に出る準備をする。
寝る時も、お風呂に入るときもずっとつけている指輪は、あの日から色あせることなく私の指で輝いていた。
それを見て、不意に涙がこぼれそうになるが、頑張って耐える。
もう、これ以上は待てない。
宿の主人に外に出る旨を伝え、私は豪雨の中、外へと駆けだした。
向かった先は、魔王と、勇者…アレンが戦っていたあの場所だ。
何か手がかりがあるかもしれない。
この豪雨では流されてしまう可能性があった為、急いでここに走ってきたのだ。
雨は絶対障壁で防げる。
何とも贅沢な使い方であるが、まだアレンの魔力は感じる…それが私の唯一の救い。
間違いなく、アレンは生きているという確信。
そして、使ったら使っただけすぐさま回復するという、異常な回復力。
これも証拠だ。
私は空中に残る魔力の残滓を調べる。
獣人族は本来、環境の変化に敏感なのだ。
縄張りで誰が、どこで、何をしたかすぐにわかる。
だが、それは現在進行形で誰かが何かをした時の話。
三日も経てばかなり気配は薄れているだろうが、私はそれでもここにいる。
アレンを探すために。
「ねぇ、クローディアちゃん」
不意に、声がした。
聞き覚えのある声だったが、信頼している人間ではない。
私はとっさに包丁を二振り構え、目の前の人物を凝視する。
「そんな殺気立たないでくれよ…せっかくアレン君の居場所を教えてあげようかと思ったのに…」
「ふざけないでっ!!ハデスっ!!」
そう、全身真っ黒のこの男。
前に私とリリアを変な空間に閉じ込めた男だ。
ハデスは肩を竦め、大げさに言う。
「おやおや…嫌われたものだ…。でも、安心してくれ。今日は君達を攫いに来たわけじゃない。」
「どういうこと…?」
「いや、まぁ…なんだ。その…」
「さっさと言いなさいよっ!!」
大きな声で私がせかすと、ハデスは私を意外そうな目で見てきた。
「君はもう少し落ち着いているかと思ったが…やっぱり、恋をすると人は変わるものなんだねぇ…」
その言葉に、私はついにキレてしまった。
素早く踏み込み、思いっきり包丁の柄をハデスの腹にぶち込む。
「このっ!!あんたに私とアレンの何がわかるって言うのよっ!?」
「ぐふっ!!…少なくとも、君達よりは、君たちの置かれている状況が分かっている。だから落ち着け。急いては事をし損じる…ということわざも…君たちは知らないか…。」
ハデスは小さくよろけ…わけのわからないことを抜かす。
「冗談だよっ!冗談…いいかい?クローディア。君は今冷静になるべきだ。」
いきなり真面目くさって目の前の男は私に言う。
「考えてもみろ。ここはどこだ?」
ここ…?聖国というのは、間違いがない。
いよいよこの男、頭がおかしくなったのか…。
そう思い、私は鼻で笑って返事をする。
「フェガリア聖国に決まってるじゃない。」
「…で、君の愛しの夫は、勇者なわけだ。聖国の。」
「…だからなんだっていうのよ?」
「まったく…。よく考えてもみろ。聖国の上には王がいる…。だが、その上には、なにがいる…?」
「…え?」
未だわからない私に、ハデスは段々とイラついてきている様だ。
「最高神ゼウスだよ。黒猫くん…。彼の男が、君の愛しの男と今も戦っている。ずっと。ずっとだ。君たちが宿屋でアレン君を心配しているあいだ、アレン君は神とずっと戦っている。そう、今も。」
「どういう…ことっ!?」
「どうもこうもないさ。言葉そのまんまの意味だよ。流石アレン君だね。三日三晩闘い続けてもまだ一歩も引いてない。連絡のつかない嫁たちのあらぬ姿を幻覚で見させられても、彼はずっと君達を信じているよ?」
ハデスの言っていることが理解できない。
最高神…確かに聞き覚えのある名であることに間違いはない。
だが、それとアレンが戦ってる?何のために?
それを問うと、ついにハデスは耐えられなくなったようで、震えながらしゃべりだす。
「何のために…?だって…?そんなの、決まっているじゃないか!?いい加減にしろ!君が、君たちが居るから、彼は闘っているんだぞ!?今、この瞬間もだ!アレン君が不死族になったから、最高神に命を狙われる羽目になっていることも知らないのか!?まったく、ヴァイルは一体何をしてるんだ!?おいヴァイル!!どういうことだっ!説明しろっ!!」
その言葉に、ハデスの傍らに黒い炎が燃え上がり、ヴァイルが突然姿を現した。
彼女にハデスが掴み掛る。
「一体どういう了見だ!?この機会を逃せば、次に奴を殺せるのはいつになる!?」
「ハデス。…これは、主の戦いだ。いかなる理由があろうとも、我らが手を出していい戦争ではない…。もっとも、我らでは手を出そうとしても、出せるわけがない。それがわからない貴様ではないだろう?ハデス。」
「だが、この黒猫ちゃんは知る権利があるとは思わなかったのか!?愛しいものの帰りを…待つことしかできない辛さを…君はわからないのかっ!?」
「ハデス。聞け。我は聞いたぞ。アレンの声を。ただひたすらにリリアと、クローディアと、その他の者たちすべての安寧を願う声を。そして、それを為すには、奴一人でなければ為せないのだ。権利、鍵、眼…すべてを持っているのはアレンのみ。そして、奴に呼ばれたのも、またアレン一人だったのだ…。いくら我やハデスでも、最高神の居る場所は遠い。想像もつかぬ程にな。そして、それをクローディアに伝えてみろ…。確実にこやつはアレンの元へ行くため、無茶をするのは目に見えている。」
「くっ…。」
ヴァイルの言葉を聞いているうちに、私は涙が止まらなくなっていた。
なんて、馬鹿な男なのか。
なんて、真面目な男なのか。
なんて、自分勝手な男なのか。
なんて…なんて、優しい男なのか…。
そんなことばかりを頭がめぐる。
(そういえば、まともにご飯、食べてなかったわね…)
そう、アレンが心配で、何も喉を通らなかったのだ。
当然…栄養失調と貧血で、黒猫は力尽きたかのように、その場に崩れ落ちる。
それを地面に着く前に抱き留めるヴァイル。
「…ハデス。人の心とはわからぬものだ…。あんなにも奴を殺すと息巻いていた我でさえ、アレンの強さには正直、憧れを抱いてしまったのだ…。」
「はっ…君が、人に、憧れ…か。確かに、彼は強い。絶対的な強さを持ってる。…君の判断は正解だったのかもね。ヴァイル。今彼女たちが最高神のところに行ったら、確実におもちゃにされるに決まっている…。」
「そうだろう?……悔しいが、我らには待つことしかできん。それに貴様もうすうす気づいているのではないか?…決着がつくのは、もうすぐだと…。」
「……確かに。僕が今ゼウスの名を口にしても、奴の白雷が飛んでこないからね。それどころじゃないくらいの相手なんだろう…アレン君は…。しかし、余計なことをしてしまったかな?…黒猫ちゃんがあまりにも可哀想なんで、ついつい口を出してしまったよ…。」
「我が逆の立場だったら、そうしているかもしれぬ。気にするな…。だが、悔しいな。リーダー、たかが人が、神を超えうる存在になるなど…まことに信じられぬよ。運命と言うものは…。」
「…まぁ、僕たちはおとなしく見守るだけさ…奴を殺したら、次の最高神は…誰になるのやら…」
その言葉を最後に、ハデスは姿を消した。




