猫の国のお姫様とポテロングを探す男の物語
猫の国のお姫様は、猫の国のお城に住んでいました。猫のお城は新橋駅から徒歩15分のところにあり、近所には排骨麺の美味しい中華屋さんがありました。
お城の中には三匹の猫がいました。それぞれ名前がついていましたが、これといった仕事はありませんでした。猫たちは気ままにごはんを食べ、気ままにお姫様のベッドの上でねむり、気ままに猫同士で喧嘩したりするのでした。
ある日の昼下がりのことです。お姫様はいつものように、ベランダで紅茶を楽しんでいました。紅茶のおともは、職場の先輩から頂いたイギリス製のビスケットでした。どうせならイギリスの小説を一緒に読むと楽しいかなと思ったので、お姫様は本棚からグレートギャッツビーを取り出しました。紅茶とビスケットと小説が予想以上にマッチしてくれたので、お姫様はとても楽しい時間をすごすことができました。
そうして、一時間ほど紅茶の時間を楽しんだころのことです。一瞬だけ、ひときわつよい風が、ベランダに向かってふきつけました。お姫さまは小説を閉じ、それから瞳を閉じ、風がやむのをじっとまちました。風がやんだあと、ゆっくりと目を開きますと、ベランダの向うに奇妙な男がいるのをみつけました。
男は重厚なタキシードを着ていました。しかしその両手には、なぜかフタのあいたポテロングが握りしめられていました。男はポテロングを持ちながら、ふらふらと不安そうな面持ちで街道を歩いていました。
それを見つけたお姫様は、感激のあまりおもわず喜びの声をあげました。
「まあ!あのお方、なんて気になるんでしょう!いったい、何がどういう理由で、ポテロングを握りしめながら歩いているのでしょう。その背景、その経緯、想像もつきませんわ!気になりますわ!気になりますわ!」
興奮するお姫様とは対照的に、三匹の猫たちは冷めた態度をとってみせました。
「あれはただの、不審者だニャー」
「そう。あれは春という魔物が解き放った心の闇」
「そんなことより、ポテロング食べたいニャ」
しかしお姫様の興奮はおさまりません。
「みなさん。あの方をこのお城に、すぐにお招きをするのです!不審者も心の闇も、そんなことはわたくしの好奇心を押さえ込める理由にはなりませんわ!レッツ好奇心ですわ!」
これには猫たちもあきれ顔でした。
「好奇心は猫を殺すんだニャー」
「あれは決して手を出してはいけない物件」
「ポテロングにはピルクルが合うんだニャ」
「つべこべ言わずに、早くあの方をお連れしなさい!そうしないと、あのお方がどこかに行ってしまわれるわ!そうしたら、わたくしの好奇心は永遠に暗いとばりの中。そんなのはイヤ。そんな人生は絶対にイヤ!」
猫たちは顔を見合わせて、それから同時にため息をついて、それからお城から一緒に外にでていきました。外に出ると、三匹の猫たちはすぐに男を見つけました。
「おい、不審者。待つんだニャー」
「本心では待たなくてもいいと思っている。通り過ぎてくれと思っている。だが残念ながら今は仕事中だ」
「怪しいやつ。何してるんだニャ?」
すると男はおどおどしながら答えます。
「なくしてしまったんです。ポテロングを二本」
「それを探しているのかニャー?」
「ええ。一昨日の夜、ここの通りのどこかで亡くしてしまったのです」
「一昨日?そりゃあもう、落ちてないだろう。とっくに風に飛ばされたんじゃないか?それに、仮に落ちてたとして、そんなものもう食べれないだろう」
「今は食べれなくても、大切なものだったのです」
「冷静になるニャー。食べられないポテロングなんて、価値なんてもうないニャー。それにしがみついてるお前も価値なしだニャー」
「そういう考えもありますね」
「未来なんてものは俺がつくってやるぜっていう気合さえあれば、いかなる過去も、いかなる喪失も、ニャーっとした顔ひとつで乗り越えられるニャ。さ、お姫様がお前のことを気にしてるから、ついてくるニャ」
男はお城に通されると、お姫さまは男をベランダに連れていきました。そしてクッキーとおいしい紅茶をふるまいました。そしてにこにこしながら、ときに神妙な顔をしながら、男からポテロングに関する事情を聞きだしました。
「なるほど。そういう事情でしたか。それはおつらかったですね」
「ありがとうございます。でもこうして誰かに話して、少しすっきりしました」
「これはわたくしの意見ですが、過去を大切に思うことは、それほど悪いこととは思いません。実際にわたくしのお城のなかには、たくさんの過去があります。そしてその多くは、今はもう生活を営むなかでは必要がなく、すでに現実的な価値を失ったものたちです。でも、そういうものたちが振り返ったときにきちんと居てくれるからこそ、紅茶もビスケットもきちんと美味しいのだと思いますわ」
「その通りですね。でも、こんなに立派な紅茶に、ポテロングは合いませんね」
男がさみしそうに笑うと、お姫様は男の両手を両手で握りしめて、そして逃げ場がないくらい真正面から向かい合い、とびっきり力強い笑顔で微笑みました。
「あら、そうかしら?そんなことないですわよ。だって…」
お姫様は大きく息を吸い込みます。そしてベランダの向こうのそのまた向こうに向けて、大きな声で叫びました。
「ポテロングはイギリス製のおやつなんだからーー!!!!!!紅茶にとっても合うんだからーーー!!!」
お姫様が叫ぶと、男は手を強く握り返しながら泣きました。男はやっとはじめて、泣いたのでした。ポテロングはお姫様と男と三匹のねこで、おいしく頂きました。
そして男がお城から出ていくときには、もう夕方になっていました。お城の出口のところで、お姫様は金のどんぐりを1つ、男に手渡しました。どんぐりは男の手のひらのなかで、蛍のように優しく静かに光りました。男がそれを握りしめると、ほんのり暖かく、猫たちはニャーっとした顔でお城の中に戻っていきました。
めでたし、めでたし。