三題噺 お題「海・少年・蛇」
今日は少年たちの住む島が誕生した日である。
島に伝わる伝説はこう語る。
『昔、世界を旅する大蛇がいた。大蛇は海を渡る途中に卵を産み落とした。大蛇は一所でとぐろを巻き、卵は海の底から積み上がった。卵は孵ることなく島になり、大蛇が海を渡る際の休息場所の一つとなった。大蛇は一年に一度海を渡る。島を通るたびに大蛇は卵を産み落とす。日が南の空に差し掛かると同時に大蛇は海を再び渡っていく』
伝説はそのまま信仰の対象となり、島の中心にある山の頂上に大きな神殿が作られた。そこに大蛇は蛇神として祀られている。
この日伝説の通り、少年たちの住む島に蛇神の通り道ができる。道といっても行き先はわからない。毎年、前日の正午頃に海の彼方から海が割れる。それが蛇神の通り道だ。
翌日の正午、再び海が割れ、海の彼方まで道が続く。島の人間が道に踏み込むと、島から続く道は閉ざされる。同時に二人以上が踏み込むと道は消え、道へ進んだ人間は帰らない。
一月前、少年は唐突に言った。
「俺、島を出たい。もっと違う何処かを見てみたい」
幼なじみの少女は目を見開いて問いただす。
「本気で言ってるの?帰ってこられる保証はないんだよ」
少年は少しためらってから答えた。
「……わかってる。でも、こんな小さな島で暮らす一生じゃない、違う人生だってあるかもしれないだろう。その可能性を見てみたいんだ」
「わかってない!蛇神様の道だって、一人しか通れないじゃない!私はあなたみたいに速く走れないから、一人に選ばれることだって絶対にないんだよ。あなたがいなくなったら、私はどうすればいいの?」
少女は激しく言い募る。
「あなたはいろんな事ができる。大人以上に自分のことを分かっているし、誰よりも優れている。でも、私は両親もいなければ親戚もいない。その上、なにか特別な事ができるわけじゃない。頼れるのはあなただけしかいないの!……私を一人にしないで」
最後は涙声で消え入りそうな声だった。少年はその思いを受け止め、それでもなお、意思を曲げなかった。
「特別なことができる必要なんてない。それに、もう俺を頼らないでも生きていけるだろう」
少年はあえて突き放すように言った。そうでもしないと、少女はいつまでも誰かを頼りにしてしか生きていけないような気がした。
少女は涙を袖でふきながら、顔を上げた。
「気持ちは変えてくれないの」
少年は頷く。
「うん。……これから神官様のところへ行って、話してこようかと思う。一緒に来てくれる」
少年は立ち上がり少女の手をとった。
神官とは蛇神を祀る神殿を取り仕切る役職だ。現在神官として存在するのは、皆に「神官様」と呼ばれる男一人だけ。神殿には他に見習いや、別の仕事をする者などで総勢二十余名がいる。
少年たち二人は神官を訪ね、今年の候補はいるのか聞いた。
「今年は誰も名乗りを上げていない。私は、過去誰一人帰ってきたことのない、島を出るということを、積極的にしてほしいとは思わないのだがね」
少年はひとつ息をついてから言った。
「神官様、俺、島を出たいです」
その時の神官の顔を、一生忘れることはないだろうと少女は思った。それほど、今まで見たこともないような恐ろしい顔だった。
神官が表情を変えたのはほんの一瞬だった。すぐに表情を戻し、少年に言った。
「帰ってこられる保証などない。何度も言う。今までに君と同じことを言って出て行き、帰ってきた者はいない。それは『死んだ』という可能性が一番高いということを意味している。それでも、気持ちは変わらないと?」
「もう、決めました。もしかしたら、外の世界が楽しすぎて、皆帰ってこないだけかもしれないじゃないですか。その可能性だって捨てきれない。俺はそれを見に行く。誰にも、止められません」
神官は頷き、最後の確認をした。
「君が今の島民の中で一番足が速い。条件は満たしている。横の彼女が言っても気が変わらないのだね?」
「はい」
神官の言葉を最後の確認と認めた少年は、強い意志を込めた目で見つめ返して頷いた。
蛇神の道ができる今日、山の上の神殿には島民全員が集まっている。山の上からは島全体を見渡せるようになっており、海が割れると同時にその方向へ少年が走りだす。
今は島民全員で少年の帰還を願う儀式の最中だ。儀式は神殿の前に火が焚かれ、見習いが作る円の中心で神官が祈祷をする。
見習いの中には少女の姿があった。一月前から「少年の帰りを祈り続けたい」と神官見習いとなったのだ。
神殿の中から禊を終えた少年が出てくると、神官は顔を上げ、歩み寄った。
「準備はいいか」
少年はこわばった体をほぐしながら頷いた。
海が割れてからの少年は、陸に辿り着くまで、走り続けなければならない。海が割れる方向は無作為であること、島民が集まるのに適した場所が神殿の他にない、という二点から、島の中央に位置する神殿に少年はいる。
いくら蛇神が大きいからといって、海が割れている時間はそう長くない。だから、海が割れたそばから走り始めることは必然といえる。
逆に言えば、この時間が少年と話せる最後の機会なのだ。
少女は少年のそばへ行き、そっと抱きしめた。
年をまたぎ、季節はめぐり、一年が経とうとしていた。
「神官様、祭壇の準備が出来ました」
「ああ、分かった。休んでいていいぞ」
少女は神官見習いとしてこの一年を過ごした。つい先程、蛇神がこの島へ来るための道が開いた。今年は島を出るものはおらず、明日の島民たちは静かな一日を送るはずだった。
しかし、神官が言うには島を出た者の無事を祈るために、特別な儀式をするという。昨年の少年のように島を出ようとする者は珍しいもので、この二十年以上いなかった。この儀式は、島を出る者が現れた一年後にしか行われない。大人たちも知るものは少なかった。
夜、少女は神官に呼ばれ、神官の部屋を訪れた。
扉をノックすると、くぐもった声で入りなさい、と言われた。部屋に入ると、その床には縁に沿って奇妙な文字が書かれている円があった。
「よく来た。さあ、この円の中に」
少女は促されるまま、歩を進めた。顔を向けると神官が口を開いた。
「君は、彼とのつながりが特別強かった。だが、明日で終わりだ。君だけは二日がかりでないと消えないのが難点だが、一人ならたいしたことはない」
少女が異変に気づいた時は既に手遅れだった。円から出ようとしても、見えない壁のようなものに遮られ、出ることができない。
「私はしてほしくないと言ったのになあ。彼は聞き分けが悪く、信仰心も足りないようだった。そんな人間がどうなったところで構わない。どうせ、陸になど辿り着かず死ぬだけだ。君は残ってくれた」
神官の言葉は優しく発せられている。だが、少女は寒気がしていた。聞いてはいけないと思っても、既に手足が動かなくなっていて、耳を塞ぐこともできない。
「君との縁が一番厄介なのだが、それさえ切ってしまえば、他の者などたやすい。君はこれからもずっと私達の仲間だ」
少女を、抗えない眠気が襲った。最後に目に写った神官は、あの時の表情とは似ても似つかない笑顔を浮かべていた。少女は同じような恐怖を感じて、意識を失った。
「そう、これでいい。蛇神様は唯一無二の神。裏切り者など、覚えておくのも汚らわしい」
翌日の儀式は神殿を囲むように大きな円が描かれ、その中に島民全員が入った。
神殿の中に作られた祭壇には少女が横たわり、周りを他の見習いたちが囲み、神官が祈祷していた。神殿の外、島民たちは神殿に向かって祈りを捧げていた。
少女が目覚めると、見習いたちは少女を心配そうに覗きこんだ。
何事もなかったかのように、少女は見習いたちに感謝を述べた。
「みんな、ありがとう。儀式の途中で倒れちゃうなんて、修行がたりてないね」
少女たちは笑い合って、日常に戻っていった。それが偽りであることを知らずに。
一隻の船が島を見つけた。島は船長の知る島によく似ていた。
その島には大きな山があり、頂上には立派な神殿が建っていた。
船長は船を沖に停め、数人の部下とともにボートで島に上陸した。船長の目に写ったものは、少年時代に過ごした島そのままだった。人、家、草の一本に至るまで。
すみません。本当は土曜日に上げる予定でした。
三日も遅れてしまったのは、ストーリー作れなかったからです。嘘です鳴森の怠惰です。
引き続きお題は募集中です。