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002

 携帯が鳴っている音に気がついて、目が覚めた。

 いつのまにか日付が変わって、もう次の日の朝になっていた。

 気分は最悪。

 有無を言わさず、というわけでもなかったが、バーチャルな妹と生活を共にするという意味不明な試練を押しつけられて、俺は混乱することしきりになっていた。

 意味がわからない。

 体の節々がこわばって、悲鳴を上げはじめるのを聞いて、俺は緊急措置を行うことにした。

 酒を飲んだのである。

 いくら金がないといって、自分の稼げで飲んではいけないという法はない。

 コンビニじゃないディスカウントショップで買ってくれば、外で飲むより格段に安くすむ。

 リーズナブルに酔うなら、ウィスキーあたりの徳用ボトルを買えばいい。

 ともかく飲みきれないだけの量を買うぐらいわけない。

 飲んで酔ってなにもかも洗い流したかった。不条理が生む痛みを忘れたかった。

 だから、結局いつ眠りについたのかは覚えていない。

 翌日のこと。つまり今日のことだが、どうなるかまでは考えてなかった。

 メガネをつけっぱなしで突っ伏すということだけは、どうにか避けたのか、ちゃぶ台の上のメガネをかえつつ、俺は携帯を開いた。

 そこには着信が一個とメールが一つ届いていた。

 新手のスパムか。

 いくらスパムフィルターが発達したところで、いくらでも新手が現れる。

 けれど開かずにはいられない。

 まずは電話の方から。アドレス帳に登録のない素の番号が並ぶ。

 普段からそう多くない着信にも、ワンテンポ遅れる口である。

 すぐ手に取れてたとしても、出ていたか怪しい。

 そしてもう一つ、メールの着信。

 これにもやっぱり見覚えがない。

 めんどくさいと思いつつも開いてみる。


『起きろ』


 起きろ、とは? ゲットアップ? なにから?

 無味乾燥な文字の並びを見ながら、なにやらむかむかしたものがこみ上げてみる。

 そして何気なく見た日付と時間に、脳みそが沸騰する。

 速攻で出ないと、遅刻する!

 ひげを剃ってる時間もない。

 それでもどうにか、冷たい水で顔に打ち付けて、よごれをこそぎ落とすようにタオルで顔をぬぐった。

 着替えもそこそこに、荷物もそこそこに、メガネだけは忘れずに駅まで全力疾走。

 やすりをかけたみたいに肺が痛む。なんで俺がこんな目に。

 なにがこんなに俺をかき乱す。

 たかだかはした金のために。

 駅前の商店街を通り抜けようとすると、そこかしこに浮かび上がっているARのポップが実にうるさい。

 メガネに認識されたそれらは、手で払いのければ消えたりどこかよそへと漂っていく。

 それはARに化されたコードに従って、クライアントの意志のまま、ものによっては自機に追随するオプションのように、ゆらゆらとついてくる。

 うっとうしさに、俺はメガネのARモード切った。

 途端に現れるアーケード街は、シャッター通りと見まがうほどの無味乾燥ぶりをあらわにした。

 今時は小学生から老人まで、誰もが当たり前に、ARの世界に浸っている。

 だからもう町はそれ無しで歩くようには出来ていない。

 うっかりして赤信号を見落としそうになって、慣らされたクラクションで思わず立ち止まる。

 目の前通り過ぎるトラックの側面には、砲塔の模したバーコードパターンずらりと並んでいる。

 ARを認識していれば、ビームの一発も撃たれているところだろう。

 べったりと張り付いた汗を気持ち悪く感じながら、俺はARモードを再びオンにした。

 そうしないと電車に乗れない。

 電車の中ならARもだいぶおとなしくなる。

 直に到着する電車までの待ち時間と、併せて目的地までの到着時間が浮かび上がる。

 どうにか遅刻はしないですみそうだった。

 ただまた駅から職場までは、ダッシュということになるだろうが。


「だからね、いくらやっても消えないんですよ」

「なるほど。それではちょっと見せていただけますか?」

 俺は客から受け取ったウェアラブルグラスを有線で外部モニターに繋いだ。

 グラスを右や左に振りながらモニターを見ると、確かに視界のそこかしこにモザイク状のものを確認できる。

 こういう症状には見覚えがあった。

 早速グラスのコンパネを開いて、アドオンのバージョンを調べてみると、かなり古い物がいくつか混じってる。

「アドオンのバージョンの問題ですね。最新にすれば、ちゃんと見られるようになりますよ。今更新してしまいますか?」

「頼むよ、そういうのはとんとわからなくてねぇ」

「はい。それでは更新しますね」

 ウェアラブルグラスの表示上の問題のほとんどは、この手のアプリケーションの不具合によって引き起こされる。

 生活に密着しているだけに、すぐに対応できるよう俺みたいなエンジニアがショップで待機しているというわけだ。

 その一人が俺だ。

 けれど、それだけでは解決しない場合も往々にしてある。

「栗田さん、あの……」

 アルバイトの一人が、接客中にもかかわらず、おずおずと話しかけてきた。

「芹沢様のご指名が」

 そらきた。

 俺はその場を任せて席を立つ。

 芹沢様はいわゆる常連の客だ。

 何度も何度もお店に来て、何度も何度も同じ問題を抱えてくる扱いの難しいお客である。

「お待たせいたしました、芹沢様。不具合の方、お伺いいたします」

「あ、うん」

 芹沢はまだ若い女だ。肩の露出した黒いロングドレスを身にまとい、肌を恐ろしいほどつややかで、血管が透けて見えそうなほど白い。

 顔の半分ほど隠れそうな、大きな色つきレンズのウェアラブルグラスを、無造作に外す。

 勝ち気そうな切れ長の目が、どこか不安そうに震えていた。

 俺はウェアラブルグラスを両手で受け取った。

「拝見いたします」

 やることは他の客と変わらない。

 アプリケーションの干渉はないか、アドオンのアップデートは行われているか、バッテリーは十分にあるか、そのほか干渉しそうなもろもろの事をモニターに接続してチェックする。

 ウェアラブルグラスは最新のデザイナーズブランドで、デリケートではあるものの、そうそう不具合の出るものでもない。

 出なければ高い金を出して買った意味がない。

 俺が手にしているウェアラブルグラスなら、高級外車一台分は平気でするだろう。

 本当ならもっと上級のエンジニアが扱う物なのだが、最初のクレームを受け付けて以来、ずっと指名が続いている。

 時間をかけて丹念にチェックして、目に見えるような不具合は発見できなかった。

「どんな症状が出るんでしょうか?」

「なにかがずっと……あとからついてくる。人みたいなのがずっと……」

「人型のオブジェクトですか」

「払っても、リブートしても、ずっとついてくる」

「そうですか」

 ウィルスチェックも行って、怪しいアプリが走っていないことも確認する。

 見ると芹沢は、目元に黒いくすみが現れていた。

「だいぶお疲れのようですね」

「うん、そう」

「よくお休みになれませんか?」

「寝れない。薬も効かない」

「そうですか」

 疲れていながらどこかぎらぎらしている。

 不機嫌さを隠そうともしない。でもどこかで救いを求めている。

「お薬は飲んだ方がいいですよ」

「そう」

「相談はされてます、病院とか」

「今度の月曜、通院日」

「そうですか」

 ARが氾濫することで、本来見えない物が見えるようになり、一方でもうすでになにかを見ていた人々との区別がつきにくくなっていた。

 幻覚や幻聴は、いくらウェアラブルグラスを調整したところで直らない。

 その手の疾患に多少知識があった俺は、話の聞き役として抜擢されたというわけだ。

 俺はOAクリーナーを一拭きして、ウェアラブルグラスのレンズを拭いた。

「一通り点検しましたんで、これでまたしばらく様子を見てください。また気にある事がありましたらご相談に乗ります」

「そう」

 芹沢は俺が差し出したウェアラブルグラスをかすめ取るようにして、目を覆う。

 色つきのレンズで、表情の大部分が消えた。

 右から左へ、ゆっくりと首を回し、視界の端から端までを確かめているようだった

「栗田」

「……はい?」

 いつもならここで、立ち去るところを頭を下げて送り出すところだったのだが、今日はまだなにか用事があるらしい。

「なにかいる」

「……」

 芹沢の病状が進行しているのだろうか。

 とは言ってもここは病院ではないので、できることといってもせいぜい話をすることでしかない。

「なにか見えますか? グラスに映ってますか?」

「なにも映ってない」

 いよいよ言動が怪しくなってきた。

「でも、感じる」

 そういう機能はグラスにはない。

「故障じゃないのはわかってる。ただ気づいただけ。栗田のそばにいる」

「……そうですか」

「悪い物じゃない」

 芹沢は俺の方に手を伸ばす。俺は一瞬身を引きそうに成りながら、そのまま芹沢がするのに任せた。

 ひやりとした細い指先が、首筋をなでる。

 そして頭蓋骨の吟味でもするように、俺のあごをつかんでくいっと持ち上げる。

 そのまま身じろぎもせずしばらくしていると、またぱっと手を離した。

「また来る」

「……お待ちしています」

 かつかつとヒールが床を叩く音が、遠ざかっていく。

 行動が読めない客の相手は神経を使う。

 けれど、これで今日するべきことが全て終わる訳じゃない。

 さっさと気分を切り替えて、仕事の続きをしなければ。

 それにしても立て続けに、予想外に巻き込まれる。

 誰かがそれを望んでいるのか、それとも。

 いままでやっかいをずっと後回しにしてきた付けが、全部いっぺんにやってきたのか。

 ふいに視界の横を、なにかが横切った様な気がした。

 夢か幻か、それともARか。

 実にやっかいな世の中になったものだ。

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