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「というわけで、今日から彼女があなたの妹です」
「ちょぉぉぉっと待てぇぇぇ!!!」
それは悲鳴のような、突っ込みだった。
これまでの人生で一度も上げたことが無い、出した自分がびびるような声で、俺は思わず突っ込んでいた。
どうしてこうなった。
なにがどうしてこうなった。
それより何より、目の前にいるケースワーカーの男に罵声を浴びせたのだという事実に気がついて、背中にどっと冷や汗をかく。
けれど今更出してしまった突っ込みを引っ込めるわけにもいかず、俺の方も一度外れたタガを戻せるわけでもなかった。
「ただ、生活安全費をもらえるって話じゃなかったのかよぉ!!」
生活安全費。
これはいわゆる条件付きのベーシックインカムというやつだ。
少し前の時代なら、健康で文化的な生活を営む権利に生活保護を受けるなんてのもあったみたいだけど、俺には仕事もあるし大病を患ってるわけでもない。
ただ金がない。
頼るやつもいない。
なにか一回でも蹴躓いたら地獄に堕ちるような経済状況で、情け深くもお上がいくらか金を融通してくれるという。
まあ、結局それにすがったのは俺自身なわけなのだが。
それが今日、長かった審査をようやく終え、支給に向けての面談があるということでアパートで待っていたわけなのだが。
その条件が、妹を養えというのは?
「そもそもなんで妹!? 兄弟なんかいねえっつうの!!」
「この際こちらとしては義理でも腹違いでもどっちでもいいんですけど」
「義理も腹違いもいねえんだよ!」
「ともかく肉親としてご同居していただきます」
「意味わかんねー!!」
頭を抱えて悶絶する俺の前には、ケースワーカーともう一人いた。
それが件の妹だ。
高校生ぐらいなのか黒っぽい制服を着て、髪にはやや茶色のメッシュがかかっていた。ギャル風と言えばいいのか。憮然とした表情でうつむきながらケースワーカーの隣に正座している。
俺はかけているメガネと共用のヘッドマウントグラスをひょいと持ち上げた。
制服の少女はさっと視界から消える。
この少女は現実には存在しない。ヘッドマウントグラスにだけ映し出される、拡張現実の存在なのだ。
メガネタイプのウェアラブルコンピューターが普及した昨今では、別に珍しい存在ではない。
広告として視界に拡張現実がポップすることもあるし、コアなユーザーなら拡張現実彼女なんてものに手を出して連れ歩いているのもいる。
秋葉辺りならそこら中にいるという話だ。
けれど俺はそこまで病んでない。
「なにが悲しゅーて幻と暮らさなきゃならないんじゃい!」
ケースワーカーは何も言わずに小さく肩をすくめた。
自分には関係ないってのか、無責任な。
「ともかく、承認してください。この子を」
拡張現実にもルールがあって、どこでもかしこでも拡張現実を展開していいわけではない。個人の住居はプライベートな空間だ。そこへ他人の拡張現実が無制限に進入しないよう、いくつかの制約がある。それで承認制度が使われることになる。
いまは少女はケースワーカーの連れという立場でここにいるが、俺が承認しない限りここにはいられない。ケースワーカーがここを立ち去れば、少女も一緒に消えることになる。
その方がせいせいする気がした。
「これは生活安全費の受給を受けるための条件ですよ? 申請は大変だったでしょう……」
確かに、いろいろとしちめんどくさかったことを思い出して、ぐっと詰まる。
今回はあきらめて他の形での扶助を受けるという手もないわけではない。
けれどまたしばらく、苦しい生活を送らなければならない。
ようはこの罰ゲームみたいな条件を受け入れればいいのだ。
少女は相変わらずうつむいたまま、こちらを見ようともしない。
なにやら不満そうにも見える。そういう設定にでもなってるのか?
やむなく遠い肉親に預けられる、世をすねたひねくれ者であるとか。
誰だ、そんな作り込みをしたやつは。
俺の沈黙を承諾のサインとでもとったのか、ケースワーカーは拡張現実ウィンドウを開いて、それをつかんでこちらに回す。
もろもろ承諾書のような説明の下に、電子認証のボタンがあった。
別に引き受けることにしたって、現実にかかる費用は皆無だ。
飲み食いもしないわけだから、飲食費は一切かからない。病気にもならないし、教育費もいらない。
無視すればいいのだ。
生活安全費支給のためのモニターとして、この電子ペットとのコミュニケーションは多少の判断材料にはなるのかもしれない。
まあ虐待するのでもなければ、大きな問題にはなるない筈。
適当に飼っておけばいいんだ。
だめだったらそのときはまたそのとき。
俺は認証ボタンを押すことにした。
電子マネーを引き落とすような軽薄な認証音のあと、視界の端でもろもろ移行の手続きがテキストとなって流れていく。
こうして少女は俺のものになった、と言えるかもしれない。
「彼女の名前は春菜です。栗田さん」
なにかを見透かしたように、ケースワーカーがそう俺に告げた。
「俺にそう呼べって?」
俺はどこか挑戦的に、そう言ってしまう。
申請が通るまでは、かぶれるだけの猫を被って平身低頭でお願いしたものなのに、この数十分かのやりとりで、俺の株は大暴落してる筈である。
俺の気持ちをえぐって反応を見るつもりの演技だったのなら、たいしたものだ。
口が回らないなりになにか言ってやろうとしていると、突然春菜がすっくと立ち上がった。
薄汚れたスポーツバッグを脇に抱えて、何もなかったはずの壁に突然出来たふすまを横に開く。
そして中に入りながらやや振り返り、険のある視線を俺に向けてきた。
「入ってこないでよね!」
そう言ってぴしゃりと音を立ててふすまを閉じた。
やたらに良くできている拡張現実である。
今日からこの壁の向こうが、春菜の部屋ということらしい。
入れるわけがない。拡張現実なんだから。
なんだこいつ生意気だぞ。
「それじゃあ仲良くやってくださいね」
「お前いったいいままで何見てたんだよ!!」
仕事は終わったとばかりに、ケースワーカーが立ち上がる。
「問題があったら訴えてやるからな!」
「問題なんて起こるはずがありませんよ」
そうにっこり笑顔まで向けてくる。
役所ってのもっとこう、必要最低限ことだけするとこじゃないのかよ。
面倒ごとが嫌いなんじゃないのかよ。
「それじゃあ、またなにかありましたら窓口まで」
俺がもごもごと口ごもっているうちに、ケースワーカーはさっさと部屋を出て行ってしまった。
なんというか、どっと疲れた。
室内を振り返ってみると、そこにはしっかりと出来たばっかりのふすまがある。
こちらが能動的になにかしない限り、ずっとそこには新しい部屋があるということなのだろう。
天の岩戸よろしくぴったりとしめられたふすまに開く気配はない。
もしかしたらこのままずっと締まりっぱなしとか?
メガネを外すとやはりそこにはなにもない。
悪い夢を見ているようだった。
けれど拡張現実は、さめない夢と同じなのだと思う。
悪夢の予感がした。
いろいろ手探りです。
とりあえず上げて、あとで修正と反省をします。