無表情な人形は気を引きたい
ダークブラウンの戸棚。青々と茂る観葉植物。赤い絨毯に、静かな青色のカーテン。窓からのぞく陽光の柔らかい黄色が、ブラックコーヒーの湖面を穏やかに照らしている。
ここはある洋館の一室。
「ご主人様。コーヒーです」
「助かる」
そこに暮らす物静かな錬金術師には一人のメイドが居た。今日も今日とてメイドは、錬金術の研究に没頭するご主人様のためにコーヒーを用意したようだ。
日の傾きは正午の峠を下り始めたころ合いで、昼間の眠くなり始める微睡の時間ぴったりに差し出されたコーヒーは、メイドの確かな心遣いを感じられる一杯と言えるだろう。
ただし。
「……シャル。どうして私の机にコーヒーカップが二つあるんだ?」
用意されたコーヒーは二杯あった。
流石の錬金術師もこれには困惑の表情を隠せない。更に言えば、きらりと光る眼鏡の奥の瞳には、静かにもしっかりと火のついた怒りが感じ取れるだろう。
しかし、メイドは顔色一つ変えずにきっぱりと言った。
「それはメイドが、15分前にコーヒーをお持ちしたからですね」
「ああ、そうだな。私もちょっと『ん?』ってなったから気づけたが……って違う! 私が言ってるのはどうして十五分経ってもう一杯持ってきたかってことだ!」
卓上の二杯のコーヒーの内、片方だけ僅かに水かさが減っているけれど、まだなみなみとカップにはコーヒーが残っているのは、一目見ればわかることだ。
しかしメイドは追加のコーヒーを持ってきた。
なんというミステリーだろうか。
もちろん、そのミステリーに対するメイドの回答は以下のとおりである。
「それは……メイドの分もコーヒーを作ったからですね」
果たしてミステリーは容易く解かれてしまったわけだ。なんと滑稽な謎だろうか。まさかメイドが飲めなかった分のコーヒーを、気を使ったように己のご主人様に差し入れるとは――流石の名探偵も、このメイドの強心臓を前にしては、事件は迷宮入り必至と行った所か。
しかしながら、真実を聞いた錬金術師は、両目を見開いてメイドの方を掴んで言うのだ。
「なんだと!? お前、まさか飲んだのか、コーヒーを!?」
「はい」
メイドの首肯を見た錬金術師は、そのまま彼女の体を持ち上げた後、すぐそこの椅子に無理やり座らせた。
果たして何が、錬金術師の顔に冷汗を齎したのかと言えば、それは錬金術師の手によって衣服をはぎ取られたメイドの、むき出しになった肉体に答えがあった。
「大人しくしてろよ、シャル。お前は人形なんだから、私みたいに何かを食べたり飲めたりするわけじゃないと言っただろう!」
「はい、確かにそうですね」
彼女の体はセラミックで出来ていた。
無機質な白色のボディ。関節は溝のついた球体の連なりであり、一見すれば人肌のように見える表面も、とても硬く、冷たい素材だ。
メイドは人間ではない。
メイドは人形なのだ。
だから人と同じものを食べることはできないし、その焼き付いた表情に変化はない。
例え錬金術師に衣服を剥がされ、胸部を外され内部構造を晒されようとも、その表情に一切の変化はないのだ。
「あーもう……歯車にカフェインが染み付いてる……」
「これではメイドも夜に眠れなくなってしまいますね」
「お前は元から眠らないだろうが」
あちゃーとため息をつきつつ、メイドの中から染みが付いてしまった歯車を錬金術師が取りだせば、彼女の動きが止まってしまった。
替えの歯車が差し込まれるまで、メイドは身動きが取れないままだ。ただし、今回の歯車に口を動かすために必要なものはなく、だから歯車の交換作業中も、メイドは話すことができた。
「メイドは、悪いことをしてしまったのでしょうか?」
「そうだな。二度とするなよこんなこと」
はっきりと叱られてしまったメイドだけれど、やはりその表情は変わらない。磁器製の彼女の顔に変化が訪れることは、今後一切ないのだろうということは、その無機質な白を見ればわかりきったことだった。
とはいえ、それが彼女のすべてではない。
「ご主人様は、心配なされたのでしょうか?」
「したに決まってるだろう」
「……そうですか」
無表情ながらも、錬金術師の返答を聞いたメイドの声色は、高揚したように高くなっていた。もちろん、その声色も表情に似て微細な変化だけれども、0と1の関係であることは比べるまでもない。
「なんたってお前は、唯一意思を持った成功例だからな。いずれ完成する理想の人形のためには、お前という成功例のデータが必要だ。だから壊れるなんてもってのほかだ」
「……そうですか」
しかしながら、続けられた錬金術師の続く言葉を聞いたメイドは、打って変わって深海に沈むような寒々とした相槌を打った。
言うまでもないことだ。
メイドにとって、メイド以外の人形の存在が許せないことなんて。
しかし、錬金術師は気づかない。
それもそのはず、何せ彼は――
「自立して動き、思考して言葉を話すことができるのは、私の実験の中でお前だけだ! 後は《《感情さえ手に入れることができれば》》……誰も生み出すことのできなかった、理想の人形が完成する! だから絶対に、自分が壊れるようなことをするんじゃないぞ!」
錬金術師は、メイドに感情がないと思っている。
思い込んでいる。なにせメイドには表情がないから。
無機質なセラミックの顔に焼き付いた無表情が、錬金術師にとって窺い知れるメイドのすべてであり、だからこそメイドの中に秘められた思いに彼は気づかない。
既に彼の言う理想の人形が出来上がっていることに気づかない。
「ご主人様。その……メイドから抜いた歯車はどうするのですか?」
「さて、どうするかな。……処分だな。木製だし、洗って落ちるような染みじゃないだろう」
処分。
もしも彼女に表情があるとすれば、きっと酷く辛い面持ちをしていたことだろう。何せそれは、いつか自分が辿る道かもしれないから。
所詮は理想の人形ができるまでの成功例でしかない人形は、お払い箱になる未来が決まっているも同然だ。
そもそも、その歯車はついさっきまでの自分である。そして自分の行動で、今まさに処分されてしまいそうな自分である。
「その歯車、頂いてもよろしいでしょうか?」
「なに? ……まあいい。何に使うつもりか知らないが、変なことに使わないなら持っていていいぞ」
彼女の中から取り出された歯車は三つだ。ほんの少し、コーヒーの香りが付いた木製歯車。
交換作業も終わり、ぱたんとメイドの体が閉じられたところで、メイドは動くようになった右腕でそれら三つの歯車を手に取った。
自分の体の一部だったそれの凹凸を確かめるように、メイドが指でなぞった後、徐に彼女は錬金術師へと訊ねた。
繰り返すように。
「メイドがコーヒーを飲んだ時……ご主人様は、心配なされたのでしょうか?」
「またその質問か? さっきも言っただろう」
大きくため息をついたあと、錬金術師は言った。
繰り返すように。
「心配したに決まってる。なんたってお前は、私の理想の人形を作るために、欠けてはならないものだからな」
「……そうですか」
日向に居るような高揚か、或いは深海に沈むような落胆か。その時のメイドの声色は、その焼き付いた無表情のように、その内に抱くものを読み取ることができないものだった。
しかし、歯車を強く握りしめる手を見れば、メイドが望むことなど手に取るようにわかるだろう。
「とにかく、次はコーヒーを飲むなんてことはするな。それとこのコーヒーは私が貰う」
「はい、わからしました。おかわりが必要でしたら、いつでもお申し付けください」
「私を眠れなくして、実験の邪魔をしたいという理由がない限りは、次は持ってこなくていい」
「はい、かしこまりました」
果たして、これは理想を追求する錬金術師と、そんな錬金術師に自分の感情に気づいてもらいたいメイドの話である。
そこに劇的な変化はなく、漫然とした日常が続くことだろうが。
メイドの気持ちに気づいてもらえるのは、いったいつになることやら。
「ご主人様。コーヒーをお持ちいたしました」
「なあ、シャル。私は持ってくるなと言ったよな?」
「はい、そうですねご主人様」




