精神と神経
わずかな囁き声でも人はそれを大きく見せ、あたかも自分が発見しましたよとアピールをして相手に伝える。それが時に地獄化する場合もある。この間というよりつい前日まで付き合っていた彼女が怒り心頭した醜い顔で、「これはどういうこと?」と押し付けるようにスマホを顔前に見せつけられた。内容は僕が他の女と腕を組み、一緒に行動する写真が写されていた。いつも写真写りが悪く、子供のころからはっきりとした写真がまるでなく、心霊写真の如く自分の顔はまともに写ったことはない。のにも、関わらず人に写真を撮ってもらう時、特に疑いが向けられた時のみ発揮はしてくれないものなのかと僕は呆然とした顔でその写真を暫し眺めた。そして考える時間を与えてもくれず、彼女は続けて「この女誰!」と激しく叱咤する。口から散水の如く、吐かれた唾は前であればありがたい聖水の如く浴び、内心感謝をするが、この時ばかりのその聖水もただの口うるさいおじさん、例えるなら説教おじさんと変わりなかったためまったくその内心に感謝はなく、ただ無になる他感情を委ねるしかなかった。そして、彼女は答えない僕に「誰! 誰なの!」と『誰』という言葉を何回も言う。会社の使われない倉庫に強引に連れてかれたが、その倉庫に人のような気配を感じた。僕は「はぁ」とため息。一呼吸を置いて、僕の目はたぶん、結構細かったことだ。
「いや、そもそも誰です? この女の人」
と、首を傾げた。抵抗というわけではなく、本当に僕は知らなかった。この時にせめて焦るなり慌てるなり、何かしらの行動を取ればよかったのだが、僕の生まれついてのその生意気に満ちた態度はまるで剣を生身の腕で受け止めるように無駄だったみたいだ。彼女は態度をさらに荒立てる。僕は落ち着いてと声をかけ、両肩に手を置く。だが、その時の女というものは火事場の馬鹿力という生ぬるい表現でなかった。まるで獣のように手を叩き、その手は白い肌がくっきりと赤く染まった。その時の会話は覚えていない。彼女がガーっと目元に雫を浮かべさせながら、僕という人間の不満を吐き出しては卑下し、こけ落として僕に心のストローグを伸ばさせる。何か言い返せばよかったのだが、こう人が怒りと悲しみを持ち合わせた状態の人が目の前にいると何か言い返せばいいということが頭からなくなり、彼女の奴隷のように「はい、はい」と頷くだけだった。そこから休憩時間をすべてその彼女の怒りで時間が潰され、冷めた弁当はさらに冷めて、頬に受けた平手打ちの痛みは血の味がしたが、最たるところは何も感じなかった。