第5話:「存在感を失う社員」
火曜日の午後、佐藤は席にいた。
だが誰も、それに気づかなかった。
社内システムで“出社”と記録されていても、Slackで名前が出なければ、それは“いないもの”と同じだった。
最近、会議の招待が来ない。
ランチにも誘われない。
Gitのレビュアーにも指定されない。
そして、誰からも「ありがとう」や「お疲れさま」が飛んでこない。
気づけば佐藤の作業は、AIアシスタントに置き換わっていた。
「今日のログ監視と報告、AIがやってくれるから」
「データの前処理、もうスクリプトで自動化してるよ」
「レポートも自動生成だから、佐藤さんチェックだけお願いね」
“お願い”という形で残された作業は、確認ボタンを押すだけの業務だった。
誰も彼に意見を求めない。反論もしない。エラーが出ても、責任はAIに向けられた。
──存在はしている。だが、機能していない。
そんな曖昧な状態で、佐藤は今日もログを見ていた。
たしかに、異常はあった。
だが前回のようにSlackで投稿することはなかった。
どうせ反応は返ってこない、とわかっていたからだ。
午後、AIアシスタントがアラートを出した。
誰かがそれにスタンプを付けた。
それで「対応済」となった。
佐藤は、自席で静かにうなずいた。
「俺じゃなくても、もういいんだな」
そして、ウィンドウを閉じた。
AIが、今日も報告をまとめていた。
人間のレビューは、必要なかった。
あとがき
この物語は、「AIファースト企業」の、どこか現実にも似た不条理な日常を描いたものです。
社内の空気は「人間より、AIを信じろ」という“無言の社是”で満たされ、AIの判断に疑いを持つことすら許されません。
作者自身は、このブラックユーモアを十分に理解しているわけではありません。
むしろ、「なにが笑いどころなのか、わからない」「こういうのは嫌だな」という気持ちを抱えたまま、この話を書きました。
だからこそ、物語の根底には、真面目な怒りや不安がしっかりと横たわっています。
この作品は、作者とAIの合作とも言えるかもしれません。
人間の“わからなさ”と、AIの“無感情さ”が交錯し、互いに手を取り合いながら、不思議な形で“笑える現実”を紡いでいます。
たとえば今回の話。
・システムの異常を見つけても「AIがまだ“重大”とは言っていない」で片付ける上司
・Slackに報告しても、AIの自動通知だけが「既読&反応あり」になる職場
・手動でログを見た人間の報告はスルーされるのに、「AI通知済」という事実だけが“対応履歴”として残る運用フロー
そして最終的には──
異常に気づいた人間よりも、通知を出したAIのほうが“貢献者”として扱われる仕組み
……これって怖いけれど、同時にあまりにバカバカしい構造でもあります。
人がいてもいなくても「AIが出してたからOK」となる環境。
それが、人間の存在ごとスルーされるブラックなリアリティです
そして、現実にも似たようなことは多々起きています。
それもまた、もしかしたら“AIによるブラックユーモア”と言えるのかもしれません。
もし、そうした日常の不条理に気づけるようになり、
そしてほんの少しでも“くすっ”と笑える余裕が生まれたなら。
それは、あなたの中に“ブラックユーモアへの耐性”が育ってきた証です。
それは、つらい現実と向き合いながらも共存していくための、ひとつの“やさしい防御”なのかもしれません。