外伝:「誰も見なかったコード(両面からの視点)」
あの青年が長年守り続けたVBAマクロは、確かに“目に見えない努力”の結晶だった。
毎日の単純作業に疑問を持ち、自ら学び、黙々とコードを書き続けたその姿勢は、誰もが称賛すべきものだ。
彼の手でバグは修正され、改良が重ねられ、15年もの間、止まることなく動き続けてきた。
その成果は、部署全体を効率化し、社内の誰もが恩恵を受けていた。
しかし、そのシステムは誰にも理解されていなかった。
ドキュメントはなく、コードの構造は属人的でブラックボックス化していた。
若き日の青年しか手を入れられず、彼が去れば誰もメンテナンスができない、いわば“危うい資産”だったのだ。
十五年にわたり属人化したExcelマクロが社内の業務を支えてきたことは、誰もが薄々知っていた。
だが、それが同時に大きなリスクであることも、新社長は理解していた。
彼は就任早々、これまでの“ブラックボックス”を一掃し、業務の透明化と属人化の排除を最優先課題とした。
「ExcelとVBAだけに頼るやり方では、この先の成長はない」
そう考えた彼は、IT部門に最新の技術を導入するよう命じた。
クラウドシステム、データベースの整備、そしてAIを活用した自動化や監視ツールの導入だ。
AIは、単なる補助ではなく、“判断”さえも代替できる未来の鍵と信じて疑わなかった。
「AIが問題を検知し、対応策を提案し、人間の判断ミスを減らす」
それは、彼にとって現実というよりは、むしろ“妄想”にも似た強い確信だった。
しかし、その期待の裏側には、既存の仕組みを理解せずに破壊してしまうリスクも潜んでいた。
その「正当性」が、青年を排除する力として働いた。
システムは削除され、新しい仕組みが導入された。
だが現実は思うように進まなかった。
複雑化した新システムは運用に手間取り、申請業務はたびたび滞り、トラブルも頻発した。
そのたびに「前のほうが早かった」「なんで壊したんだ」という声が、社内の片隅でささやかれた。
数年後、巨額の差異が会社に残った。
そこで
新社長は責任を問われ、静かにその職を退くことになる。
正しいかどうかではなかった。
未来のために壊すことも、過去を守ることも、それぞれに理由があり、誰かの正義だった。
ただ──
もし、たった一言、
「あなたのやってきたことを知りたい」と
「なぜ、そうしたのか聞かせてほしい」と、
そう声をかける人が一人でもいたなら。
すれ違いも、誤解も、破壊も、
ほんの少しだけ、違う形を取ったのかもしれない。
そしてそれこそが、
技術でもマクロでもAIでもない、“人間の価値”だったのだ。