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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第1章『沖谷幸生と篠木威弦の出会い』

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 第8話『時と場合、人と己の調子次第で選択はいくらでも変わる』

次の日。威弦は休みを利用して平日の佐古学園大学に潜入した。


――アイツに彼氏がいるとか俺の知ったことじゃねぇ。ただ……。


威弦にとって確かなのは、海飛の『佐古学園大学には男しかいない』という台詞に殺意を抱いたということ。事実、幸生が通う大学は理系学部が多いため男女比が偏る傾向にあった。


「……人いなくね?」


「まだ講義中なんで。あともうちょい?」


「2限終わるまであと10分くらいあります」


佐古学園大学2年生の俊二(しゅんじ)(じゅん)は偶然にも幸生の1個上の先輩だった。威弦は彼女のことを伏せ、調査という名目で彼等に案内を頼む。


――経営学部棟……意外と綺麗だな。幸生は……。


威弦が後ろの扉から講義室を覗くと、50人近い生徒がスマホをいじったり伏せて寝ていたりしていた。


「……マジで男ばっかじゃねーか」


「そうですね。俺ら経営でも女子は10人ちょっとしかいないです」


「だからグループワーク有りの講義とか逆に気ぃ遣うんですよねー。1グループに女子2人いるとか無いんで」


「…」


幸生が四六時中男と一緒にいるシーンを想像するだけで傍にある壁を殴りたい衝動に駆られる。威弦はどうにか耐え、昼休みを待つ間――


「図書館はどこだ」


「「……図書館?」」


――幸生が居そうな場所を見て回ることにした。


意外そうな顔で聞き返した2人に無言の圧をかけ、淳の学生証を奪う。大学図書館は基本、学生証がないと入れない仕組みだった。


「案内はいい。授業終わったら返すわ」


そう言い残し、威弦は小説コーナーを探す。空調が効いていない連絡通路を通り、別館の扉を開けると――


「!」


――丁度、幸生らしき人物が書架の間に入っていった。


「…」


威弦は気配と息を殺して近づき、彼女が本人かどうか確認する。腕を組み、トレーシング中の幸生は儚く隙だらけで……彼の視線も自然と熱くなっていった。


「幸生」


「ホアッ!?」


彼女の肩がビクッと大きく跳ね、化け物を見るような目つきで威弦を見る。リアクションが思ったより面白かったため彼は必死で笑いを堪えた。


「……笑うならちゃんと笑っていいよ。今ここ誰もいないから」


「ふっ……向こうは割といたけど?」


「本館は新しい和書やPCがあるから。ここに来る人は読書好きか古い蔵書目当ての人しかいないんだよね。だから空きコマはいつもこんな感じ」


――コイツ大学でもぼっちなんじゃね?いや……カマかけてみるか。


幸生が原因で荒んでいた心が凪ぐ。全ての感情を彼女にコントロールさせているような気分だった。


「彼氏は付き合ってくんねーの?」


「ぇ」


「ん?」


「彼……は今2限受けてる」


「幸生は?」


「私の方は休講になったから……」


――なんだ?分かんないけど、篠木の機嫌が右肩下がりだって直感が告げている……。


借りる予定の小説で心臓を守り、幸生は無意識のうちに後ずさる。だがすぐに意識を切り替えて威弦をおだてる作戦に移行した。


「……今日の篠木、めちゃくちゃ大学生っぽいね。ちゃんとココに溶け込んでる」


「ま、まぁな?こういう服シュミじゃねーけど」


「TPOだね。どっちの恰好でもちゃんと似合ってると思う」


「幸生はどっちがいい?」


幸生は『男のファッションなんてどうでもいい』という本音を消し、偽りのない見解を述べる。


「篠木が好きな服着たらいいと思うよ?私も服のセンス良いワケじゃないし……」


「は?幸生は可愛いだろ」


「はぁ……ありがとう?」


「なんで疑問形なんだよ」


「篠木が急に私の頭鷲掴んでくるからだけどっ……!?」


「うっせえな。それ早く借りてこいよ」


威弦目線、黒のマーメイドジャンパースカートに薄紫色のリボンボウタイブラウスを合わせた幸生は(さながら)ら図書館に住む秋の妖精だった。病的な肌の白さと控えめな雰囲気も相まって、すれ違う人が思わず二度見してしまいそうな――実際、幸生はこの大学において人の目を集めやすい類だった。


――なお全員男ってか。あー気に入らねぇ……。


威弦の中で幸生に彼氏がいることはほぼ確定していた。今はほんの僅かな理性が、幸生に詰め寄りたい衝動と危害を加えたい焦燥を押さえつけている。彼が闇に堕ちるかどうかは全て齢19の少女にかかっていた。


「篠木は今日どうしてここに?」


――お前に会いたいからに決まって……。


喉元まで出かかっていた本音は奇しくも幸生に届かず「別に」とそっけない返事で上書きされる。彼女も彼女でそれ以上深追いすることはなかった。


「そっか。じゃあお疲れ」


「コラ待て」


「あえっ!?な、何?何か協力した方がいい?」


幸生と離れがたい想いが先行し、威弦は彼女を引き留めてから理由を模索する。


――こんな簡単に捕まると思ってなかったからな……。


「折角会えたんだから案内しろよ」


「分かった」


沖谷幸生は昔から話が早く、利他の心が強かった。その潔さと決断力は根暗で消極的な一面に反して非常に男らしい。今回も自分の昼休みを削ってキャンパスウォークを始めた。


「まずはこの建物から出よう」


「あ?ここ幸生の学部棟じゃねーの」


「うん。私が1日の大半を過ごす建物からこそ、知り合いと先生で溢れているから。篠木が部外者だって1発でバレるよ」


「彼氏にも見られるから?」


「彼は学食でお昼食べてるからここにはいない」


威弦の皮肉を涼しい顔で打ち返し、幸生は彼の半歩先を行く。


「これから案内する場所は篠木にピッタリだと思う」


「俺?」


「うん。きっと佐古学園大学マジサイコー大学って言いたくなるよ」


「絶対言わねー」


――なんか……大学生の恋人っぽくね?


威弦は表情を引き締め、そわつく心を奥底に隠す。幸生が所属しているサークルの部室や行き慣れた講義室、彼女と関わりのある人間にも若干の興味があったが……。


――ま、こうして並んで歩いてるだけでも悪くねぇ。


めっきり寒くなった風が幸生の髪を揺らす。威弦が小春日和に照らされる彼女を横目で盗み見ていると、丁度その体がピタリと止まった。


「はい到着」


「……おい。誰が喫煙所がピッタリだって?」


「実はココ入れて大学内に2ヶ所しかない激レアスポットだよ」


「は!?バカ広い癖に喫煙所そんだけしか……ってバカ!案内下手かお前!」


幸生は服の裾で鼻を覆い、次から次へとニコチンを求めてやってきた喫煙者に憐憫の眼差しを送る。


「え、だってヤニカス。じゃなくて篠木は煙草がないと不機嫌になるかなって……」


「お前俺のこと心ん中でヤニカス呼ばわりしてんのか!」


「痛い痛い痛い。私の頭はバスケットボールじゃない……」


「クソが……」


威弦は悪態を吐いて彼女を射殺すような目つきで睨むが――


「折角親切にしたのにー」


「……っ!」


――と言ってぶうたれている幸生のあまりの可愛さにズキュウウン!と胸に矢が突き刺さった。


――あーもうどうしようもねぇ……可愛いすぎる。


ブチ切れた血管を煙草で修復し、次の講義を受けに行った彼女を想う。表向きの幸生は可愛らしくて話しかけやすくて気遣いができて愛想がいい。現彼氏である平も入学当初から偽りの部分に絆され、他の誰かに先を越される前に告白した。


「――あれっ。(たいら)いつから煙草吸い始めた?」


「先週ー。幸生の前では黙っとって。まだ言っとらんけぇ」


そんな彼は――威弦に背を見せ、呑気に友達と談笑していた。


「沖谷さん煙草無理じゃったらどーするん」


「ないない。幸生ってマジ俺に甘すぎやから。寝坊でデートに2時間遅れても笑って『来てくれて嬉しい』って言ってくれるし。仮に嫌でも最後は向こうが折れてくれそう。可愛い」


「うっぜぇー。後で沖谷さんに彼氏じゃからって甘やかすなって言っとこ」


「ちょやめーや」


ピシッと威弦が持っているスマホが音を立てる。全身を巡る血液が沸騰し、目の前が真っ赤に染まった。


――我慢するなんてらしくねーよなァ……この俺が。


彼の視界が本能的な殺意で染まる直前、幸生の泣き顔が頭によぎる。もし当人に相思相愛の関係を引き裂いたと知られれば……。


『酷いよ……篠木なんて大嫌い。死んじゃえばいいのに』


威弦は幸生に拒絶される未来を想像するだけで体がふらつき、喫煙が困難な状況に陥る。煙草の吸殻を灰皿に捨て、威弦は平の顔をカメラに収めた。


――バレなきゃいいんだろ。上等だ……ダリィけどやってやるよ。


自分が直接手を下さない方法で幸生と平を破局させる。威弦は嫉妬の炎を原動力にプランを練った。


幸生が自分以外の所有物になっていることが気に喰わない。


幸生が自分以外に微笑みかけることが許せない。


幸生が自分の手が届かない場所で邪な目で見られていることが酷く不快だ。


――付き合ってる癖に外面のアイツしか見えてないとか彼氏名乗る資格ねーだろ。ただ優しくて顔が可愛い女なんて腐る程いんだから……お前は幸生じゃなくてもいいよな?


『ごめん。今、俺が一番好きっていう子と一緒なんじゃけど……。その、俺と別れてください。お願いします』


平がそう電話で幸生に言い放ったのは――威弦が大学に来てから1週間後のことだった。

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