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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第1章『沖谷幸生と篠木威弦の出会い』

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 第5話『沖谷幸生の無意識』

荒野を蹴り倒しても晴れない心を抱え、威弦は今夜も幸生と接触する。


沖谷幸生に彼氏がいるのか問題。いるが正解だが、威弦は今まで当然いないに決まっていると考えていた。


――いやいる訳ねーだろ。自分の生活支えるので精一杯って感じだしな。アイツどーせ自分の周りにいる野郎なんて同級生とかその程度にしか思ってな……。


「――え!?あぇっ……き、聞いてない!」


幸生が誰かと通話しながら階段を駆け下りる。威弦は嫌な予感がして彼女の後に続いた。


「言ってよ!聞いてたら残業しなかったのに!」


――電話……誰だ?


威弦の前では敬語を徹底している幸生が電話の相手には砕けた口調で話している。威弦と話すよりも楽し気で――余程親しい仲なのだと嫌でも分かってしまう。


「じゃあ駅の地下いて。すぐ行くから」


「……おい」


威弦は堪らず声をかけると、幸生は目を瞬かせ挨拶すると同時に出口の扉を開ける。彼はその建前的な行為が酷く癪に障った。


威弦がこうして目合せても幸生は皆同列と言わんばかりの態度でいる。彼が電話の相手を聞いた次の瞬間――


「え?いや彼氏じゃないです。でも凄い面白くて一緒にいて超楽しい、私の自慢の友人です」


――ピキッと青筋が立ち、瞳孔が開いた。


「へぇーーー」


あからさまに低まった声に気づかず、幸生は待ち合わせ場所へと急いだ。焦りと怒りが威弦の心を不安定にする。そして数分後――威弦は佐古駅の地下改札口にいた。柱に隠れ、渦巻く強烈な殺意を抑える。


「チッ……」


――誰だ誰だ誰だ誰だ。そんなクソしょーもねえクソ男より俺と一緒にいた方が絶対いいだろ!


尾行されているとは露知らず、幸生は高校時代の友人である羽柴彩果(はしばあやか)を見て表情を消した。


「うわ本当にいる……おかえりシーバー」


「よ。へへっ久しぶり」


――女?


威弦はスマホのレンズを向けた状態で驚愕する。黒のバケットハットに黒マスクで顔はよく見えないが、体格から見て幸生の前にいる友人は間違いなく女性だった。


――ビビった……なんだよ。


威弦とは別の意味で脱力した幸生は高校卒業ぶりに会う友人を前に、会えて嬉しい気持ちと懐かしさが募る。


「はー。シーバーの陰キャ見ると癒される」


「コロス!テメーも陰キャだろ」


「外では明るく笑顔で頑張ってますー」


「うわ全然想像できない。表の顔がどんなんか気になるわ」


「…!」


――確かに弁当くれた時より覇気がねぇ……いや。これが素か。


黒縁眼鏡の奥にあるくりっとした瞳は暗く濁り、声の抑揚も無くなっている。そんな幸生の一面に驚いたのは威弦だけだった。


「シーバーには見せたくないな……普段より数倍明るめでやってるから違和感凄いと思う」


「ちょっとキモいか」


「ご飯まだならどっかで食べる……って聞こうと思ったけど、その両手に持った凸凹の袋はなんだ?」


「泊まらせてもらえるって話だからな。手土産のビールと発泡酒よ」


「絶対9割自分で飲むヤツじゃん……ならご飯は買って帰ろう」


2人が去った後も威弦は暫くその場にとどまっていた。


「…」


――あの時喜んだのも演技か?


幸生が外面の皮を被っていることが判明した以上、威弦に見せた表情と言葉は全て彼女の本心ではないのかもしれないと――脳が勝手に穿った見方をしてしまう。


それでも幸生に彼氏疑惑が浮上した瞬間、威弦はこの感情が嫉妬によるものだと唐突に理解した。


「――あの、突然ごめんなさい。おにーさん……エグ!近くで見るとめっちゃイケメンですね」


「は?」


突然見知らぬ若い女性に話しかけられるが、威弦は理解の一拍を経て彼女の顎を掴んだ。


「顔で人を判断しない方がいいですよ?俺が悪い大人だったらどうするんです?」


「ぇ。え……お、おにーさんだったら騙されたいなーー。なんて……」


女性の声が更に甘くなり、威弦を熱い眼差しで見つめる。幸生より年が近く、美人でスタイルも良い。爪も綺麗に彩られ、香りまで高級感のある――まさに威弦の隣に相応しい女性。いつもなら持ち前の色気で相手に選択を委ね、ホテルに直行する流れだったが……。


――クソ……イラつくな。


全く食指が動かないことが答えだった。心の中で幸生に対する文句が溢れて止まらない。威弦は冷めた声で適当に女性をあしらった。


(=^・^=)

週明けの大学にて。幸生は講義室に到着してからはるま母のメッセージを開いた。


――あぁ。無事に譲渡できたんだ。


(ボルト)の付き添いという体で来た威弦が滅茶苦茶イケメンだったという報告を読み、なんて返せばいいのか悩む。猫の報告より威弦に関する話が大部分を占めていた。


――そっか。しか言うことないな。


幸生の中で威弦は、端正な顔立ち以上に無秩序で破壊的といった印象が勝る。悪い噂が付き纏っていそうな……自分とは違うカテゴリーにいる人間。率直に言って全く興味が無かった。


――はるまが知ったらうるさいので黙っておいてください。と。


順調。幸生は最近、この二文字を強く実感していた。漸く一人暮らしの生活に慣れてきたということだろうか。母からの着信やメールも(拒否したので)無くなり、バイトも好調。後期の授業やSIGの活動も問題ない。おまけに猫の引き取り手だって探せばすぐに見つかった。


――まぁこの前あの人の電話でバイト終わり泣いちゃったけど……お父さんに私の暮らし見せたら一応納得してくれたし。大学祭も1年だからそこまで重い仕事は振られてないし。授業は緩いのしか取ってないし。彼とは今日一緒に夜ご飯食べるし。


全ての歯車が規則的に回っている。そう感じるだけで幸生の機嫌は上昇した。そんな自分が少しだけ誇らしいと思えたのだ。


――突発シーバーともすれ違わず会えたし。あれには肝が冷えた。


彩果は「連絡するする」と言いながら、来年の2月にまた酒を持って強襲することになる。幸生が爆笑しながらツッコんだのは言うまでもない。


――大丈夫だ。これからもきっと大丈夫……。


ささやかな願いを嘲笑うように――まずは幸生のアルバイト先が歪み始めた。


「本当カッコいい」「うん。めっちゃイケメンだった」「多分4階で働いてる人じゃない?」


10分休憩中、読みかけの本を開いた幸生の耳にとある恋話が届いた。新人の若い女性3人はこの建物内で見かけた男性の話を続ける。


「彼女おんのかな」「やだ……でもいそう。聞く?」「えー怖くて聞けんわ」「でも絶対美人でしょー」「いや逆に地味顔かもよ?」


――あれ?何か段々ヒートアップしてきてない?


ちゃっかり聞き耳を立てていた幸生は心の中でそっとコメントする。


「あー結構いるよね。彼氏カッコいいのに彼女そうでもないやつ」「そういうの見る度アタシ言ってやりたいもん。お前目大丈夫か!?って」「ほんまそれ。眼科行けよ!って」「アハハハハハハ!うけるー」


――あのお姉さん達って今日からの人だったよね?いつまで続くか分かんないけど……まぁ声のボリュームさえ抑えときゃ大丈夫でしょ。


「でももし彼女いたらソイツぶっ殺してやりたい」「過激すぎん!?」「名前も知らんのに」「あー会いたくなってきた」「4階かぁ……定時いつ?」


ここで社員から「電話中だからもうちょい静かにして」と注意が入り、やや過激な恋話が終わる。


幸生は何となく本を閉じてスマホを開くと、威弦から『今日はいつまでいる?』とRICHが来ていた。


「……」


威弦と出会って間もなくひと月が経とうとしているが、幸生はまだ彼氏がいることを伝えられていなかった。


――まぁどっちにしろ今日は定時で上がんなきゃな……。


正直に答えてヘッドセットを付ける。幸生はパーティションの向こうに戻る新人達を一瞥してから『通話』をクリックした。


(=^・^=)

幸生は断腸の思いで残業を断り、人の波が落ち着くのを待ってから悠々とタイムカードを切る。時間と心に余裕がある時は決まってエレベーターを利用していた。


――やっぱ1人っきりが一番いいね。別に他の人いるの無理ってワケじゃないけど。


幸生がそう思うと決まってエレベーターが止まり、何故か新人アルバイトである女性3人が乗り込んできた。


――なんで4階にいたのこの人達。


幸生がきょとんとした顔で挨拶すると、彼女達は震える声で返した。全員が酷く怯えており、扉が完全に閉まった途端――


「怖っっ!!ヤバいめっちゃ怖かった……泣きそう」「え何あの人アッチ系の人!?」「でもさっき見たイケメンと雰囲気似てたくない?」


――感情のダムが決壊した。3人分なので凄い勢いである。

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