第40話『結局0か100しかない』
「よくよく考えたら、威弦さん本当に幸生さんのこと好きなんすね。俺ちょっとそこらへんの感知が鈍くて。全然気づきませんでした」
――成程。君は私以上に鈍感……というか共感性が低いのか。
君用の紅茶を置き、今度は引き寄せられる前に篠木の隣に座る。これで彼の態度が軟化することを願おう。
「っ!?」
「分かったなら帰れ」
肩を抱き寄せられ一気に密着する。やっぱりこうなったかと半ば遠い目を向けると、君が私でも分かるくらい敵意をあらわにした。
「無理矢理する男は嫌われますよー?現に嫌がってますし」
「…」
「いッ!かっ肩!篠木のことは嫌いにならないよ」
「じゃあ好き?」
「愛想尽かす、じゃなくてぇ……」
ギラついた眼光にあっさり屈する。果たしてこのまま何もないまま帰ってくれるのだろうか。
「あーあ。おかしいでしょ。何でこうなるん」
君の顔に浮かんでいたのは怒気ではなく、淡々とした不快と嫌悪だった。篠木が私を守るように腕の中に閉じ込めたその時。君が低い唸り声を漏らす。
「威弦さんから幸生さんの記憶消した意味ないじゃないっすか」
「え?」
ドサッと音がした方に首を向けると、篠木が倒れたまま動かなくなった。名前を呼んでも反応が無い。だが呼吸はあるようだった。
「すぐ目覚めますよ。じゃあ俺はこれで」
「待て待て待てーい!記憶消したって……じゃあ篠木の記憶喪失って君が引き起こしたの!?」
「はい故意です」
正直な白状ぶりに絶句する。だが君にもちゃんと理由があったらしい。
「幸生さんが……あの人間がどれだけ危険な奴なのか理解してんのに縁を切らなかったんでやりました。怪我治すついでに。幸生さんならこれを機に喜んで距離置いてくれると思ってたんすけど?」
また責めるような目で睨まれ、思わず顔を背ける。いや分かるけど厳しいって!
「だって覇弦さんが……実兄が……」
「本当それっすよ」
「まぁ君が篠木にやったことは咎めないから……でも2人の内緒ね」
「了解っす。威弦さんで上手くいったら次は楽村さんにしようかと思ってたんですけど」
「絶対駄目。というか全然上手くいってないし」
「……はぁ。俺には理解不能です」
君は不満気な顔で気絶中の篠木を見下ろす。
「幸生さんに関する記憶は全部封印したんですよ?愛情0からの他人スタートで、幸生さん自身はそこまで威弦さんに興味ないなら……自然と離れる流れになりますよね?」
「私もしたり顔では言えないけれど……」
言葉を区切って肩を落とす。篠木の愛は人外である君を驚かせるくらい大きかった。
「別人になったワケじゃないから。お互いの自覚がないまま再構築しちゃったんだろうな……。一般的にはこういうのを『奇跡』と呼ぶんじゃない?」
「いやあんたの話ですけど」
「思考を他人事にすることで脳の負担を減らしてんだよ……!君が原因なら元に戻せるよね?出来るだけ篠木の脳に負担がかからない形で治して」
「はーーい」
こうして特別なドラマチック的展開もなく、篠木は私に関する記憶を取り戻した。恋愛的なエモさも感動もなかったな……。
――こんなあっさり解決するとは。覇弦さん達にどう説明しよう。
「あ、待って。前後の記憶とかはどうなって」
「ゔ……」
――はや!?
聞くより先に篠木の意識が浮上してしまった。私は焦る思考で必死に言葉を考えていると――君の姿が忽然と消えていることに気づく。わぁニャルラみたい。
「さちな……?」
「あ、えっと篠木、さん?体調どうですか?」
脳内で『君の馬鹿野郎!私に全部押し付けて逃げやがった!』と叫びつつ篠木の身を案じる。彼は瞼をカッとこじ開け私の両肩を掴んだ。
「怪我は!?」
「し、してない」
「……よかった……幸生になんかあったら俺マジで……」
「ありがとう……ごめんなさい」
張りつめた表情と、自分より私を案じる声色。その気遣いだけで心の中に複雑な想いが生まれた。
――私にめっぽう弱いとこは割と好きになれそうなんだけどなぁ。
事情を説明した結果、篠木は記憶喪失になってからの出来事を全て覚えていなかった。実質記憶喪失のままである。
「マジか……11月から……4ヶ月も!?」
「(って私も言いたいけど)マジだよ。あの、本当に私の所為でごめんなさい……」
「…」
「?」
小首をかしげると、篠木は黙ったまま私の髪に触れた。
「髪伸びたな」
「え……うん。まぁ4ヶ月も経てば」
「他に変わったことあんの」
「え?私の話?」
頭の中で言っても刺激しないような内容を整理する。しかし彼が本当に聞きたいことは私が正月にシーバーと旅行に行った話でも、篠木が迷わず私の後を追おうとした話でもないだろう。
「……変わった話。なら沢山ある。周りがこう変わったとか、どこに行ったとか……特に年末年始はイベントいっぱいあったし。覇弦さんとか侑香里さんとか篠木のお友達とかとも知り合って……人間関係もかなり変わった」
「…」
篠木は声こそ上げなかったものの、どうにか荒ぶる怒りを抑えて私に続きを促した。いや怖いんですけど。
――前々から自分の知り合いには一生会わせないって雰囲気出してたもんなぁ。アシカさんの時もかなり不愉快そうだったし。
「でも私は……」
と言いかけて躊躇う。しかし、この陰った本心を打ち明けられないままだと彼に誤解されかねないと思い、結局諦めた。
「ぜ、全然変わってない。20歳の誕生日からずっと……変えようとしても間違えてばっかりで、何も出来なかった。だから、篠木が気になってるようなことは全然……良くも悪くも」
「本当だろうな」
「うん。ごめん……って謝るのも変。いや、ちょっと違う……かな」
つい俯いたまま言ってしまったけれど、篠木は私の発言に嘘や誤魔化しは無いと感じたのか……一先ず信じてくれた。
「てかアイツ等に説明すんのだりー。暫く黙ってるか……」
「皆心配してたからちゃんと報告した方がいいと思う。それに私は聞いてないけど、かなり迷惑かけてたっぽいよ。主に心労とか……」
篠木が億劫だと言わんばかりに顔をしかめる。正直、篠木はとっくに記憶を取り戻していて、私を翻弄するためにワザとそれを伏せているのではないか――そう思った時が何度かあった。だがこの邪推は他の秘密と一緒に墓まで持っていくつもりだ。
「篠木の記憶が戻ってよかった……は違うか。とにかく、おかえりなさい篠木?」
「……ん」
これでようやく大きな悩みの種が消えた。もう表立っての言い訳は出来ない。篠木と楽村君に誠実な返事を届けられるその時まで。変わることを諦めないでいよう。
さり気なく君に淹れた紅茶を手元に引き寄せ、一口も飲まれていないことに安堵する。犬猫にカフェインは有毒だからね。
――さてこの後どうするんだろう。空白の期間を説明で埋めなきゃだけど、別に今日でも明日以降でもいいな……。
そんなことを考えていた刹那、視界が壁から天井に変わった。
「!?」
篠木は軽い混乱状態から一転、私の向こうにいる『誰か』に対して険悪な目で威嚇する。私を組み敷くという、あまりにも危険な体勢で。
「幸生の誕生日はとっくに終わってんだもんなぁ……」
「え?」
――いやデジャブ!なんたって世の女慣れしてる男は隙あらば押し倒すんだよ!
「あの話の続きだ。楽村秀悟との関係について全部吐け」
ギクリと身体が強張り、篠木の獣めいた瞳を見て観念する。ついさっき空いたばかりのスペースは、即座に容量超えの悩みによって占領されるのであった。
(=^・^=)
春休み終了まで残り1週間となったこの頃。4月の陽光で乾いたワイシャツにアイロンをかけていると、ベランダの網戸を通してチキンの香りが漂ってきた。
「柚子胡椒……?あー腹減ってきた」
私の家に遊びに来ていた楽村君が、その匂いに反応して口を開く。生憎フライドチキンは出前か外に行かないと食べられない。確かにもうそろそろ昼時だが、彼はどうするつもりだろう。
「どっか食べに行かん?チキンじゃなくてもえーけど」
「分かった」
衣類スチーマーの電源を切ってワイシャツをハンガーにかける。外出の支度が完了するまで、楽村君はぼーっとした表情で私に意識を集中させていた。
「じゅ、準備できたけど……どした?」
「大好き……」
「え?」
淡く甘い、シンプルな告白は、窓を閉めた部屋にそのまま残る。一拍置いて楽村君の顔は耳まで真っ赤に染まり、そそくさと立ち上がった。まるで照れ隠しのような仕草だけで察してしまう。今の言葉は、心の声がついポロリと出てしまったのだと。
「…」
不意に気恥ずかしさが込み上げ、半ば八つ当たり気味に手を繋ぐフリをして小指だけ握る。すると、何故か楽村君の態度が砂糖を煮詰めたように甘くなった。一応嫌がらせのつもりだったんだが。
「あー可愛い……!手。ちゃんと繋いで」
「ぅ、うん」
まだまだ恋愛に疎い私は、この先も自覚ナシのまま彼等の心を揺さぶってしまうのだった。




