第39話『愛を追う者と愛から逃げる者』
もう、あの壮絶な過去を1人で背負い続けるのは辛い。悲悼できるのは私だけでいいと覚悟した。でも人外なら話は別だ。
――何回も繋がれたこの命をあっけなく終わらせちゃ駄目だ。ささやかでいいから、私は幸せに生きないと……お母さんのためにも。
お母さんのことを想ったら、私もつられて泣いてしまった。
「っ……分かった?」
「はい……ちゃんと、届きました」
涙が自然と溢れ、化粧が崩れる前にテイッシュで吸い取る。眼鏡を置いた場所に手を伸ばすと――黒い塊に触れた。
「…」
「に、にゃー」
あまりに下手糞な猫の鳴き声を聞き、ぽかんと固まっていると――
『ガブーー!!』
「痛ーーっっ!?」
2年前より悪くなった視界の中で、君は勢いよく私の手首に牙を立てた。
(=^・^=)
午後3時。無事アパートの前に送り届けられた私は、荷物整理を終えてから君を家に呼んだ。
「――君のことは今まで通り島永君って呼んだ方がいい?」
「……いいっすよ今まで通りで」
どっちだよ。
「……なんか君って呼んだ方が島永君の反応が良いから出来るだけ君って呼ぼ」
「…」
責めるような目で睨まれているが無視して話を続ける。
「ニャルラは壁をすり抜けたり瞬間移動したり相手に幻覚を見せたり……不思議な力を沢山使っていたけど。君はどんな能力持ちなの?」
「異能バトル漫画の登場人物みたいな扱いしないでください。俺の力は念動力と記憶操作と変身と……気配を遮断するのもよく使ってました」
「凄い……悪い事に使えるヤツばっかじゃん」
「思考が俺より犯罪者で草。その想像力なんとかなりません?」
いつもの棘のある言い方にどこか安心している自分がいた。やっぱり島永君はこうでなくちゃなぁ。
「足が速いのは?」
「あれは……ほら。俺はハイブリッドなんで。デフォで人間より優れてる部分は結構あるんですよ」
君は加減が難しくて最初は苦労しましたと頭を掻く。確かに犬と猫の五感と身体能力は人間より秀でた部分が多い。それでも今まで何の不信も抱かなかったのだから――よっぽど擬態を頑張ったのだろう。
「えーじゃあ今度私をおぶってパルクールしてよ。いや私がワザと誘拐されるから、能力使って救出してもらおうかな……」
「……漫画脳のお陰で受け入れてもらえたとか嫌なんすけど」
「っふふ。そっかそっか。君は今まで沢山頑張ったんだね」
やはり私は後輩に弱かった。正直ニャルラより心を許してる感がある。
――いやこれは……傾倒する君を侮っているのか。
その思考を読みとったのか、彼は舌打ちをして最低と詰った。
「気を許すのは結構っすけど、俺がいつも従順でいるとは思わないでください」
「でも裏切らない……よね?」
「……楽村さんと威弦さんが消される覚悟くらいはしといた方が良いんじゃないっすか」
こたつに入っているのに全身の血が凍った気がした。君は暗い忠心を揺らめかせ、水の入ったコップを引っ繰り返す。私が驚きの声を上げると同時に中の液体が――幻のように消えた。
「……え!?」
「楽村さんも威弦さんも嫌です。幸生さんに相応しくない」
「ま……まだ消しちゃ駄目だよ?」
「大体、楽村さんには芙由香さんがいるじゃないすか。楽村さんは昔ちょっと悪だっただけで今はもう丸いし。芙由香さんくらいが丁度ピッタリだと思いますけど」
今いない人をメッタ刺しにするな。あと地味に私にも流れ刃が来てないか?
「まぁ。私には勿体ないくらい素敵な男性だけどさ」
「は?逆ですけど。いい加減卑屈になるのやめてください」
「きゅ、急に噛みつくな……!」
どうやら君は私のことを恋愛対象としては認識しておらず、尊い存在として私の幸せを願っているらしい。
――そういう意味での愛おしさってことか……。
前よりあからさまに敵対心を向ける君に苦笑する。他の人の前でも上手く隠してくれるだろうか。
「これ以上、厄介な悪を誘惑しないでください。幸生さんは俺にとって魅力的で崇め讃えられるべき至高の存在っすから」
「神格化せんでもろて……。あと彼等について、私の気持ちを言い渡す理由が乏しいというか……」
「ちょっと何言ってんのかよくわかんないです」
「こっちの台詞なんだが!?」
君の一言に促され、私は答えが見えない決断に向き合わされることとなった。
「幸生さんのちょっとした行動が誰かの心を動かすってこと忘れないでください」
「ぅ……」
「まずは俺の力で、楽村さんの恋を芙由香さんに置き換えましょうか」
「そんなことできんの!?」
相変わらず君は不条理な存在だな!!
「時間はかかりますけど。1年もあればいけんじゃないっすか?」
「いや……駄目だよ。これ以上取り返しのつかない罪を背負いたくない」
「それは甘えじゃないすか?俺はこの方法が最善だと思ってますけど」
悪魔が心の弱いところを抉ってくる。楽村君のため、倉嶋さんのため、私のため……常識の外側から舞い込んできた選択肢に心が乱れそうだった。
「――あ、ちょっと待ってください」
彼が何かに反応した素振りを見せた瞬間、来客を告げるチャイムが鳴る。私は耳に付けた馬蹄型のピアスに触れ、まさか……と嫌な予感を募らせた。
――君もいるし大丈夫か……。
誰かを確認せず扉を開けると、胸騒ぎがそのまま現実となった。
「わぁー篠木……今は平日の16時前だぐぇっ!?」
がばっと抱きしめられ、中には君がいるのにと焦る。だが――
「……会いたかった」
「そ、そう……っ!?お、襲う気なら出てって!?」
――暴走した篠木を止めるので精一杯だった。
恐る恐るリビングに入ると、中には誰もいなかった。どうやら君が空気を読んで自分がいた痕跡ごと消えてくれたようである。
――てか旅行前に掃除しててよかった……。
篠木をビーズクッションに座らせてお茶を出す。私は出来るだけ離れた位置に座ろうとするとあら不思議。あっという間に彼の背後に座っていた。
「何もなかっただろうな」
「ないよ……あーいやでもちょっと疲れたかなー。1人でまったりしたいなー」
余計焚きつけるだけだと分かっていても抗うことはやめられなかった。引火した篠木が私の顎を掴んだその時。
『――ピンポーン』
「え」「あぁ?」
今度は誰だと立ち上がると、篠木が目でお前は出るなと制した。私は大人しく彼が対応している隙をついてスタンガンを隠し持つ。
――これで一旦安心か……。
「幸生さーん。忘れ物っすよー」
わざとらしい声に呼ばれ、急いで玄関に向かうと――篠木が邪魔で島永君の顔が全く見えなかった。邪魔……。
「威弦さん邪魔です。流石にスマホは本人に返さないと」
「え゙!?」
「一番大事だろ馬鹿。んなもん忘れんな」
「……すいません」
――いつの間に……!てか忘れてない!
彼の機転に救われたのは確かだが、どこか腑に落ちない思いが残った。そして君は覇弦さんの会社でバイトしていることを思い出す。
――だから篠木を名前呼びしてるのか。2人が直接話してるとこは見たことなかったからビビった。
「わ、わざわざありがとう。よ、よかったら家でお茶でも……」
背後から殺意が突き刺さる。篠木の顔を見ていない私でも声が上ずるくらいだ。君に向けられた圧は一般人なら耐えられないだろうが……。
「えーマジすか!俺、幸生さんが2人の時に話してくれた紅茶飲んでみたかったんですよ」
「……あ゙?」
――ヒイィ……!!そんな話してないのに……!てか何であるの知ってんの!?
倍化した殺気を感じて心臓が跳ねる。いや君の介入は助かるんだけど!その煽りは要らないんじゃない!?
「…」
――ヤバイこのままだと篠木が島永君を連れてどっか行っちゃうかもしれない……!
咄嗟に篠木の背に抱き着く。そのまま彼等をリビングに押し込み、私はため息を吐いてクッキー味がする紅茶を淹れた。
「威弦さんと幸生さんって家行くくらい仲良かったんすね。全然知りませんでした」
「お前も意外と空気読めない奴だったんだな」
――私の城でレスバしないでもらってもいいかなぁ……。
「え?威弦さんと幸生さんって付き合ってるんですか?」
「この前告白した」
「ブッ!」
袖で口元を抑える。今熱々の紅茶を飲んでいなくて本当に良かった。
「へぇ……幸生さん?」
――あれ?まさか知らなかったの?
てっきり『告白したとしか言わないってことは幸生さんその場で返事しなかったんすか?』的な返答をすると思ったのに。君は据わった目で、ただこちらをじっと射抜いていた。
「ちゃんと今は誰とも付き合わぇない、付き合えないって言ったよ。君が心配するようなことは何もないって」
「付き合わぇないって言った割にはフラれた相手が家凸してますけど」
「フラれてねーよ殺すぞ!芹生テメェ……なんか幸生に馴れ馴れしくねぇ?家来た時から敵意隠せてねーぞ」
「!?」
噛んだことがスルーされるくらいの衝撃発言を聞いて動揺する私をよそに、君は篠木を挑発するように笑った。




