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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第3章『与えられるのは――』

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 第38話『変わらないこの気持ちが。私の――』

島永君の正体が『想宮』で出会った『君』だということ。


お父さんとお母さんと成愛を呪い、自殺した私を生き返らせたこと。


お母さんと私のどちらを救うかという局面で、私を選んだこと。


そして……私を守るという口実を掲げながら、何食わぬ顔で人間生活を味わっていたこと。


ニャルラがくれた真実とはまた別の切り口から告白され、胸の奥に色のない悲しみがじわりと染みた。


――島永君は人間じゃなかったのか。ずっと私は……。


「……全部、全部……君の所為だったんだ」


「っ」


「……とは言わないけれど」


「え?」


深く息を吐き、表情と声を保つ。けれど内側では――まるで雪が積もるように、冷たい恐怖が心を覆っていった。


「感情の共感が弱い人や、感情表現が乏しい人は実際に存在する。けれど君は犬と猫と異質な力が混じった化け物だ。いくら完璧に擬態できたって、他者性も人間性も喪失している存在とは……」


思考が極端になっていることに途中で気づく。私も私で……合理性という体裁を前に、島永君を排斥しようとしていた。


「っすよね……分かってます」


「いや待って。まだ私が分かってないから」


「なんですか……もうそろ喫煙組か買い出し組がこっち来ますけど」


「なんとかして……あ、じゃあ朝また再集合しよう。絶対皆起きてこないし。私も整理する時間欲しいし」


「え」


――てか安井君トイレから全っ然戻ってこないじゃん!えっ生きてる!?


強制的に意識を切り替え、安井君の無事を確かめに急ぐ。すると酷く戸惑った面持ちの島永君が私の後ろをついてきた。私だってそんな顔したいわ。


「…」


「んぅ」


「今はSIGでグランピング中。大半が飲酒しているとはいえ、そんな顔したままじゃ怪しまれる」


私は両手で島永君の頬を挟み、先輩の顔で諭す。


「もっとちゃんと話そう。もっと私との時間を作って……君だけは消えて逃げないで」


「は……っ、りょ、了解です」


「うん」


聞き分けの良い返事をした犬を褒めるように彼の頭を撫で、トイレのドアを開けると――安井君が便器を抱いたまま爆睡していた。


――あーあー後輩もいるってーのに……。


額を抑えて呆れていると、玄関からななちゃんの声がした。酔っ払いの介抱は男子に任せ、喫煙組がいるウッドデッキに顔を出すと――バーベキューコンロに火がついたまま全員爆睡していた。まさかこれ全部……島永君SF(少し不思議)パワーで眠りを誘発したんじゃないんだろうな。


容疑者にジト目を向けるとスッと目を逸らされる。なんとか4人を復活させ、追加の酒とつまみを皆で味わい尽くしたのだった。


(=^・^=)

一般論のものさしで測るのなら、島永君――君がしたことを許してはならない。真っすぐな未来を歩む気でいるのなら、この道から逸れないようにするべきだ。


――正しい判断は出来ている……。鈍ってないし感情が麻痺ってもない。大丈夫。


「おはよう」


「……おはようございます」


彼はどう見ても萎縮していた。私はその怯えを知っている。今まで気づかれないよう隠してきた恐怖が、暴かれたことで形を変えて現れたのだと。


――私もドリルの答え盗み見たり勉強時間中に友達から借りたゲーム機で遊んだりしたことがお母さんにバレるの怖かったな……結局後に全部バレたけど。


心を鬼にしたいのに、島永君を見る視線はどうしても優しさと同情を隠しきれない。私は彼と同じソファーに座り寝起き特有の低音を発した。


「……てっきり酒豪組はリビングで寝落ちしてるかと思ってたけど。机も綺麗だし……」


「汚かったら幸生さん絶対気にすると思ったんで……片付けました。安井さんと上延さんと吉室さんは2階の寝室にいます」


「君が運んだの?私が起きて化粧してる間に?」


「はい」


私は少し考え、彼の頭を優しく撫でた。


「流石。君は気配り上手の良い後輩だね」


「……!」


惚けた顔が一瞬で苦悶に変わり、彼は唇を強く噛んで涙を流す。島永君の泣き顔を始めて見た私は瞬きを忘れて硬直したまま、ほんの少しだけ眉尻を落とした。


「今から怒られるって身構えている相手に急に優しくされると大抵こうなる……私の体験談だよ」


「っご、ごめんなさい……いい後輩になれなっ、くて、すみませんでした……」


「君の話を聞く限り、先輩の黒犬は凄い賢そうだったのに。どうしてそんな思考が極端になっちゃったの?」


「依存してんすよ……幸生さんから血をもらった日からずっと。俺にとって幸生さんは命の恩人で、俺にとっての幸せそのもので……幸生さんだけは、俺の前からいなくならないでください」


昨日は確かに存在した恐怖や不信、倫理的葛藤が、時間と涙によって徐々に和らいでいくのを感じる。


島永君は人間じゃない。知識として理解していてもその本質は変えられない。なぜなら彼は――


「いなくなってほしくないからって……私の家族含めて、どれだけの人を手にかけたの?」


――私に害を成す存在を呪い、壊して奪って消すことしかできないからだ。


「……はい。幸生さんの家族以外は皆クズ人間でしたけど……許されないことをしました」


「私もその中の1人に入ると思わなかったの」


「…」


「思ってよ……私はっ、私は……両親と妹を呪った君を怒る資格がないくらい、心根が歪んで、濁りきってんだよ……」


島永君は何も言葉を挟まずに、ほんの一瞬だけ視線を落とす。しかしその一瞬すら痛ましいほど人間らしくて――残酷なほど誠実だった。


「どうして……私じゃなくてお母さんを選ばなかったの……!」


先月。私はニャルラに『お母さんの存在を消してほしい』と願った。その願いは綺麗に叶えられ、お母さんに関わる全ての人は今も必要な悲しみを忘れて生きている。


――私がした願いはきっと……いや。絶対間違ってる。


だってこの真実をお父さんと成愛とおばあちゃんと……血縁者に伝えたら私はどんな罵声を浴びせられるか分からない。人格否定されて絶縁も有り得るかもしれない。


――じゃあ他の願いは?私はそれ以外で何を願えばよかった?精神的な強さとか、沖谷家の安寧を願うべきだった?


私1人の壊れた頭じゃ晴れるような答えが出せない。でもはるまに打ち明けてもきっと……反射的に『それはおかしい。間違ってる。ちゃんとパパと成愛ちゃんに本当のこと言お』と否定される気がした。


――いや。はるまが正しい。はるまの感覚が一般的で、私が間違ってて不健全なんだ……。


極端な願いをしてしまったという自覚はあった。罪悪感と責任感が混同し、元から心の奥で歪んでいた痛みがこんな……倫理的にもアレな願いを生してしまった。


――でもあの願いがあったお陰で、少なくとも外側だけは取り繕えている。血縁者が不幸に打ちひしがれているところを見るくらいだったら、私が全部背負った方がマシだ。


見たくなかったから。どんな顔をすればいいか分からなかったから。なんて声をかければいいか分からなかったから――私はお母さんを好きな人からお母さんを奪った。


――分かってるよ……異常で危険で自罰感情が暴走してることくらい分かってる……。


それでも、ふとした瞬間にお母さんを思い出しては『あ、もういないんだ』と実感するのが辛い。お母さんがいない前提で話す成愛とお父さんが怖い。嘘を守ろうとすると漂ってくる別種の緊張が、なおさら息苦しかった。


「幸生さんだけは……俺より不幸だって思ってほしくなかったんです」


彼は目を伏せたまま、涙声で呟く。


「幸生さんの選択は……否定こそされるかもしれませんけど。幸生さんをよく知ってる人なら、非難まではしてこないんじゃないっすか……知りませんけど」


「……そんなの分かんないじゃん。今だって、分かってて選択を間違えようとしているのに」


「え……」


私が『君』を見限らないのは必然的行動だった。だってこの傷は一生かけても癒えない。心の均衡が崩れる前に、真実を共有する柱が必要だった。


「私を勝手に生かしておいて、勝手に消えないで……私はそんなこと望んでないし願ってない」


「正気っすか……?」


「じゃあ拒んだらいい?」


惑わすようにタートルネックの襟を下ろすと、首筋が暖房の空気に触れる。案の定餌を前に目を輝かせ、唾を呑む君の仕草が実に滑稽だった。


「……近くで見てたなら分かるよね?私は君の献身を無下には出来ない。一般的な考えを持つ人間なら、紛い物である君を忌避するかもしれないけれど……私にはニャルラとの7ヶ月があったから」


 両手で彼の手を取り、乾いた目を合わせる。やはり家族のことでないと涙腺は刺激されないみたいだった。目の前にいる彼は号泣しているっていうのに。


「私は君を受け入れた上で傍に置きたい。これからずっと……私だけの味方でいて」

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