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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第3章『与えられるのは――』

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 第37話『貴女の希望で俺を包んで』

幸生の18歳の誕生日から約1年3か月の間、島永は距離を取りつつ彼女を気にかけていた。しかし監視し過ぎるとまた干渉してしまいそうで、何を選んでも間違える気がしてならない。だから島永は遠くから幸生の無事を確認するだけで、彼女がどれだけ弱々しい顔をしていても――生きていればそれでいいと我慢を重ねた。


――でも大学にいる時の幸生は元気に見える……。


遠くで幸生の気配を感じながらグループワークに参加する。島永は今日初めてファシリテーションをする彼女を見た。


ファシリテーションとは、会議やグループワーク等で参加者の意見を引き出しやすくし、全員が協力しながら目的に向かえるようサポートする役割のことだ。


単なる司会とは異なるので意思決定には加わらないが、意見を整理し、対立を調整し、必要に応じて質問を投げかけることで、議論を円滑に進める支援を行うことが特徴である。


君はファシリテーターをする幸生を見て密かに驚いた。


――やっぱり何回見ても慣れない。俺の前ではこんな明るくなかったのに。


『想宮』で膝を抱えて泣いていた頃の幸生はもういない。今の彼女はまるで別人のようだと――島永は時の成長を実感した。


同じ人間でも声のトーンと表情を変えるだけで新たな一面が形成される。島永はまた一つ幸生から学び、自分の班の課題に集中した。


『――どうだった?』


大学内にある学生相談室にて。島永は『魔術師』の問いに何て答えるか迷う。


『今回の研修を運営してるサークル、人手が全く足りてないみたいです』


『あー。13期生……沖谷さんの1個上の代が2人しかいないらしいよ。こういう集団って最初はいっぱい人いるけど、学年が上がる度に少ーしづつフェードアウトしてっちゃうんだよね』


『魔術師』はそういうとこが大学生らしいけどねと笑うが、島永は幸生の言葉を反芻するのに忙しかった。


『俺がSIGに入ったら……』


『え?』


『なんでもないっす』


『いいんじゃない?』


島永は肯定的な意見に目を見開く。『魔術師』は口の端を上げてしたり顔を見せた。


『寧ろそうしなよ。僕もここの講師として沖谷さんと接触する予定だったし。このまま君は経営学部1年SIG所属の島永芹生になってよ』


『何度も言ってますけど俺のこと君って呼ぶのやめてください』


躊躇いこそしたが、強く拒否出来ないまま日が経ち――彼は入会届を手に立ち尽くしていた。


――これを出したらもう戻れない……本当に俺は『人間』として幸生の前に顔を見せていいのか?


『君も入会希望者?』


『!?』


島永が息を呑んで振り返ると、穏やかな表情を浮かべた幸生が立っていた。彼は背後の気配に気づけなかったことに内心ショックを受け、それを隠すように睨む。


『……3月の。入学前研修って大したことないですね』


『そうなんだよ。私も今回がスタッフ初参加で。もう皆てんやわんや』


さらっと同意した幸生に面食らう。彼女の反応を見るに、名札を拾った参加者が島永だと認識していないようだった。つまり彼女からすれば、彼は初対面の相手ということになる。


――俺のこと覚えてない……のはいいけど。普通はもっと難色示すんじゃないの?


『だから君が入ってくれたら、来年はもっと良いモノになると思うな』


『……!』


優しく寄り添うようなオーラに警戒心が溶けそうになる。身体も目線も、その場に縫い付けられたみたいに動けなかった。


『君って呼ぶのやめてください。俺、1年の島永っす』


『あ、ごめん。私は2年の沖谷です』


『……俺より先に辞めないでくださいね』


『え……勿論。こっちも君、じゃなくて島永君がSIGに失望しないよう尽くすから。一緒に頑張ろうね』


――一緒……。


耳に届いた言葉がじわじわと彼の胸の奥に食い込んでいく。すぐには嬉しいと気づけなかった。言葉は既に幸生の口から消えているのに、余韻だけが何度も脳内で再生される。そして一つの事実に気づいてしまった。


――今の俺は……幸生の支えになれる。いっぱい頑張れば、幸生は俺を見て褒めてくれる……?


本能に忠実な彼は罪悪感を顧みず『有能な後輩』として彼女の傍に居座る。飲み会でもしれっと隣を確保した。


『え?芹生ってさっちゃんのこと好きなん?』


そして必ずと言っていいほど聞かれるこの質問は、幸生から教わった方法で乗り切る。


『あー俺年上好きなんすよねー。今狙ってる人も11歳上で』


『ちょ!おいその話もっと!』


以前血を吸う為に近づいた女性をさも恋愛対象として語ることで、幸生のマークからも外れることに成功した。


――恋愛系の話題から逃れるには、恋人を作るか恋慕している相手を作るか……。写真と軽いエピソードを更新し続ければ1年は持つって言ってたな。


当然この自論は幸生が羽柴(はしば)彩果(あやか)と話した内容を盗み聞きしたものである。


――本当は幸生さん以外の人間に興味ないけど。警戒されるくらいだったら異性として見られたくない……絶対に。


島永は静かに息を吐き、幸生の隣に座って正解だったと安堵する。以前彼女と対面に座った時、空いた首筋にばかり目が入って会話に集中出来なかったからだ。


――匂いも大分慣れてきた……。まだ2人きりになると不安が残るけど。


『島永も最初の頃はクセ強めじゃったけど。さっちゃんが即手懐けたもんな』


『手懐けた……?獲物の間違いじゃね?』


『こんなイジり甲斐のある先輩初めてっす』


『おい。いやまぁこの通り島永君はかなりアレだけど。私も面倒な人間だって自覚あるし』


『あぁ……』


『おーい。今納得した人の顔覚えたよ?あと沖谷君にだけは同意されたくない!沖谷君も大概だるいから!』


『はぁ!?俺ほどの常識人おらんし』


『はぁーー!?』


――幸生さんおもしれえ。


そして幸生とSIGの活動を行うだけでなく、大学の授業や社会勉強の為のアルバイトにも精を出した。隅から隅まで彼女にとって優秀な後輩であると誇れるように。


『――幸生さんは夏の研修行くんすか?』


『うん行くよ』


『分かりました』


『あ、島永君も参加?』


『はい。幸生さんが行くなら菜々緒さんとタニさんもいますよね?なら行くでしょ』


『また島永君は先輩を玩具にして……でもその研修って普通のリーダーシップ研修じゃなくて、なんか大学対抗戦?らしいよ。先輩から聞いてた?』


島永が黙って首を横に振ると幸生はふっと微笑を浮かべる。その仕草を目にするだけで、今はもう無い尻尾が幻のように揺れた。


『勝負って聞くと一気に自信失くすけれど……島永君がいるなら確実に1勝はできるね』


『――』


誤魔化しの皮肉で返す前に、幸生は准教授に呼ばれて行ってしまった。島永は非常階段に身を潜め、その場にへたり込む。


――本当の幸生はこんな風に笑わない。だって泣いてない。もっと……あの時見た笑顔はもっと嬉しそうだった。


心臓が胸を叩く音だけが耳に響き、脈拍が速まる。顔どころか耳の先まで火照った。


――頼られてる……期待されてる。サマトレだっけ。頑張ったらまた頭撫でて……。


はっと正気に戻り、生理的な汗を一瞬で乾かす。『君』と『島永』は全く別の存在だと己を律した。


『魔術師』の読み通り、幸生は下の者に優しく、心を許しやすい性分だった。年下は見下しがちとも言えるが――島永が幸生を出し抜いて一枚上手なことをしても、当人は『自慢の優秀な後輩です』と誇らしげな顔をする。


――嘘は吐いてない。それも先輩としてどうかと思うけど。幸生さんはどの人間よりも優しくて綺麗で花みたいな存在で……だから虫ケラみたいな人間を惹きつけるんだ。


折角幸生と同じ姿形になって隣にいるのに、幸生の本性がどんどん複雑化して分からなくなっていた。


――今日の幸生さん、いつもより元気ないな……今聞いたって多分『バスケって疲れるね』の一言であしらわれるだろうけど。何であのニャルラって奴が傍にいるのにそんな暗いの。


島永は幸生の秘密を全て知っていた。SIGの前ではそれらを綺麗に隠し、抱えている事すら悟られないよう努めていることも。だからこそだたの後輩である島永は相談相手にもなれず、上辺の幸生を見て接するしかなかった。


――俺以外が気づいたら速攻で聞き出すの……。


『にー』


『失せろ。俺がお前のこと見えとるって幸生さんにバレたら殺す』


屋内型レジャー施設『スポッチャワン』略してスポワンの最上階バスケコートにて。島永は突然話しかけてきたニャルラに対して殺意を表出する。しかしニャルラ動揺する素振りすら見せず、小さな声でにーと鳴いた。


『は?午後のボウリングで幸生さんが輩に絡まれる?チッ……お前の未来視で動くのキモ。ずっと幸生さんの踏み台になってろ』


彼は人目を避け、起こり得る未来を先回りして潰していく。島永は、幸生が菜々緒と沖谷との掛け合いで見せる笑顔を特に気に入っていた。自分ではあの笑顔は出せない。彼女が全て知った後でも、同じように笑ってくれるのか――


「笑えないならせめて、全部俺の所為にして……俺を消してください」


――君にとって、それだけが重要事項だった。

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