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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第3章『与えられるのは――』

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 第36話『たとえ真っ当に生きられないとしても』

一家が寝静まった夜中。キッチンに待機していた黒猫は早速先輩の指示通りに動いた。


オイルボトルのキャップをかじって外し、IHコンロの上に置きっぱなしの空鍋に全て注ぐ。足を乗せて調理器の電源を入れ、指定された位置と回数に従うと――IHヒーターが最大火力で油を熱し始めた。


――油入れ(オイルボトル)がいっぱい入ってにゃくてよかったにゃー。


黒猫は息つく間もなく傍にあったキッチンペーパーをくわえて引っ張り、鍋の中に浸そうとするが……。


――熱っ!


未知の熱気に耐えかねて、反射的に口を開いてしまう。黒猫はやむを得ず中途半端に伸びたままのキッチンペーパーを放置し、近くにある布巾やティッシュ箱を鍋の周りに広げた。


――えっとえっと……。


黒猫は次の指示をうっかり忘れ、黒犬が待機している場所へと戻る。そして作業の続きを行おうとしたその時。


『ボッ!』と油が発火し、近くにある紙や布類に引火した。音に気づいた黒猫は慌ててリビング横の和室にある電気ストーブの電源を入れる。言うまでもなく最大熱量だった。


――んーっ!


全身の力を使って電気ストーブを倒し、表面を畳みに触れさせる。この製品には転倒時自動停止機能がついておらず、そのまま稼働していた。黒猫が部屋中の座布団や小さいクッションをその近くに引き寄せ、和室を出ると――キッチンの方角から『ゴオッ!』と炎が一気に広がり、何かが焼ける匂いが鼻腔を刺激する。


さらに、黒猫がキッチンで聞いた音と同じ音が和室からも響いた。


――先輩はあの()()()()には絶対触っちゃ駄目って言ってたにゃー。我慢我慢……。


『何でコンロとかストーブのこととか……そんにゃに詳しい?』


『俺も昔は室内犬だったからだワン。家の中の色んなものに興味を持って動き回っとったら、笑われるより怒られることの方が増えてきて……この話はここまでだワン。代わりにもっと愉快な話をしてあげるワン』


黒猫は黒犬の指示がこの一家にどのような影響を与えるのかを知らない。その上、火を危険なものだと認識していなかった。それを教えてくれる者は誰もいなかった。


最後に脱衣所にある電気ヒーターを同じ要領でバスマットの上に倒す。駄目押しで発火しやすくなるよう、周囲にある可燃物をできるだけ被せた。


そして半開きになっている風呂場のドアを体で押し、いつも脱出口に使っているルーパー窓から外に出た。


『よくやったワン』


黒猫もやってる途中で楽しくなったと伝えると、黒犬は乾いて汚れた鼻を上に向ける。


『キミが来てからも換気の癖が抜けてない……いや、ただ見落としていただけかワン。これは子猫の能力を見誤ったことと、安全対策を怠った罰でもあるワン』


黒猫がその呟きの真意を聞くより先に、脱衣所から炎が一気に立ち上った。黒犬は千切れたリードを引きずって歩く。その横顔には同情でも憐れみでもない、今までの苦痛を噛みしめるような強い怨念が滲んでいた。


火元が3ヶ所で発生し、数分後――ようやく1階の異変に気づいた家主は、火災の発生に気づいた。


彼は未だ眠る妻と娘2人を乱暴に叩き起こし、室内で唯一の避難経路へと急ぐ。だが既に火は十分に燃え上がっており、階段の下から乾いた破裂音と共に黒煙が襲う。


もうこの火の勢いは誰にも止められないと悟った母はその場に崩れ落ち、姉妹は残り少ない新鮮な酸素を贅沢に使って泣いた。まだ幼い娘のすすり泣きと甲高い絶叫が父の鼓膜に突き刺ささり、一瞬遅れて恐怖が波のように押し寄せる。


彼等の思考が凍っている間にも中は熱気と煙で包まれ、壁を赤く染めた。


『行かないのかにゃー?』


『俺はまだまだもうちょっと待つワン。まだ最後の手段を使って避難するかもしれんワン』


黒犬は家の外からうねる炎を見つめる。2匹がいる場所も黒煙が流れ、ついさっき近くの窓ガラスが勢いよく飛び散った。いつ足元の雑草が引火してもおかしくない状況にも関わらず、黒犬はその場を離れようとしない。それは何故なのか――。


『…』


『出てこないにゃー。先輩はまだここにいるにゃ?』


『うん……そろそろ限界みたいだワン』


――落下による怪我より窒息死を選ぶんか……人間は本当に愚かで分からん生き物だワン。


黒犬の推察通り、一家はその場に留まることを選んだ。母がどうしても飛び降りる決心がつかず、残りの3人がそんな彼女を置いてはいけないと縋ったからだ。


黒犬はハッハッと笑うように息を吐いてその場に寝そべる。黒猫は先輩から動かない意思を読み取り、激しく動揺した。


『ニャ??』


『これでキミが脱走しても大丈夫だワン。少なくともこの家にいる人は誰も追いかけてこないワン』


黒犬はこれから黒猫を追う者が現れる保証は出来ないという本音を隠し、瞳を僅かに揺らす。表面上は平然を装っているが、本能が逃げることを強く求めていた。


――でも、俺の体はもう……。


聡い老犬は、その目に静かな諦観を宿していた。この選択をしたのは忠誠心によるものではない。何カ月も放置された身では、例え保護されて治療を受けたとしても……そう長くは生きられないと、黒犬は理解していた。


『一緒に行かにゃいの?』


『俺は最初からそんなこと一言も言っとらんワン』


壁の一部が『ギシィ……バキッ』と音を立てて崩れ、2匹に襲い掛かる。黒猫が反射的に逃げる体勢を取った一方で、逃れられぬ運命を受け入れた黒犬は耳を後ろに倒す。


『早く逃げろワン!』


『……っ!』


『すっかり、薄れてしまったワン……けれど……俺の希望をキミに託』


ここで2匹の意識は途切れる。黒猫の俊敏性があっても、燃える壁材を全て避けることは叶わず――この家に住んでいた生き物は全て息絶えてしまった。


やがて『悪魔』が2匹の魂を拾って形を生み、幸生の血によって回復していく。『紛い物』は適当に『君』と呼ばれ――彼女の世界を守りたいと、心から願うようになっていった。


(=^・^=)

幸生を生き返らせてから1年と少しが過ぎた頃。君のストーカーぶりを見かねた『魔術師』が堪らず口を開いた。


『何で『木宮(きみや)』の姿で見守ってるの?佐古は都市圏じゃないんだからそのルックスは目立つよ』


『怪しまれることなんかしてへんって』


『あと聞こうか迷ってたけど何で梅坂(うめさか)弁?』


『……何の用や。またデスゲームの裏方やれって?』


君はこの姿に『木宮』と名を付けた彼を一瞥し、質問に答えることなく本題に入る。この仮初の姿は、前の家にあったアイドル雑誌を参考に作った。口調も、佐古(さこ)弁と梅坂(うめさか)弁が飛び交う飼い主一家の真似にすぎない。


『ううん。そろそろ悪魔が動き出す頃だから。僕からの提案。そんな遠くから見てないでさ、もう少し近くにいなよ』


『別に俺は……』


『沖谷幸生の後輩ってポジションはどう?』


君の口がこのままでもいいと言う前に止まる。不覚にも彼女をかつての黒犬(先輩)と重ねてしまった。君の葛藤を汲み『魔術師』は笑顔で提案を続ける。


『明日、新入生を集めた研修が開かれるみたいなんだ。興味あるなら覗いてみたら?その時はもっと後輩らしい姿で、名前も全部変えてね』


『…』


――この仮初は女がすぐ心を許してくれるから、血ぃ吸うんには便利やったけど。幸生は……。


見た目がもたらす社会的影響に疎い君だったが、この容姿が幸生の隣にいることは、何となく合わないと感じた。


――もっと目立たない姿で……なら口調も変えよう。『後輩』なら敬語が自然か?


君は周りに気配がないか確かめてから『魔術師』の前で姿形を変える。背は幸生より少しだけ高く、容姿も控えめに調整した。そして最後に黒縁の眼鏡をかける。


『これで文句ないっすか?』


『あれおかしいな。敬語なのにグッと不遜になった。あと若干彼女に寄せてる気が……』


『名前……苗字と名前両方っすよね。じゃあ適当に猫ひ……』


『やっぱ僕が考えてあげよう!経営学部の手続きとかは君の方でどうとでも出来るよね!』


こうして、新たに作った仮初は『島永(しまなが)芹生(せりお)』と名付けられる。島永は幸生に認識されたくない思いと、またかつてのようにじゃれ合いたい思いが対立する中――2年ぶりに彼女の前に立った。


『――すいません。これ先輩のすか?』


『えっ……あ!ありがとう!』


『いえ』


たったこれだけの会話でも、島永の手汗は暫く収まらなかった。幸生は『君』を覚えていない。『想宮(おもみや)』での記憶も忘れている。『悪魔』にもう会うなと言われるまでもなく……。


――俺が幸生にしたことは、幸生にとって許されないことだった。会う資格なんてない……それが人間にとって普通。だからこんなことは……。


理屈として分かっていても、本能は入学前研修への参加を止められなかった。班分けを操作しなかっただけでも、島永にとっては我慢した判定である。

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