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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第3章『与えられるのは――』

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 第32話『それは認めたくない真理』

到着してから気づく。指定された場所は、かつてニャルラと身代金2000万円用意してきましたごっこで使用した廃工場だった。


「幸生さん1人で来ないと威弦の無事は保証できない……といった内容でしたよね」


「え、あぁ……」


「なので幸生さんは正面から行ってください。私は裏から回りますので」


「囮……」


眉間にシワを寄せて呟いても、覇弦さんは口の端を上げるだけで何も言わない。私は仕方なく車を降りて堂々と突入することにした。今回はニャルラいないのに……。


――入った瞬間、頭殴られて気絶させられたらどうしよう。眼鏡外しといたほうがいいかな。今日スタンガン持ってきてないよ。


「……はぁ」


恐怖を抑え、私は――


『バンッ!ダッダッダッダッダッ!』


――勢いよくドアを開け、奇襲されないよう広い作業場跡を走り回る。灯りのついた室内には、年上らしい男たちが数人、目を点にしてこちらを見ていた。


後ろを取られないような位置を確保し、私は静かに彼等と対峙する。果たして篠木は……。


「……あれ。篠木のお友達さん達……」


「悪魔ちゃん……」「すげー勢いで来たな」


――なーんだ!ただの身内ネタかぁ!


嘘を吐いてまで私を呼び出した相手は、篠木のお友達――理知的な亜錬(アレン)さんと猫を引き取ってくれた(ボルト)さんとやられ役の荒野(コウヤ)さんと名前がカッコいい來雫(ライダ)さんだった。ただアシカさんの姿は見えない。今日は不在なのだろうか。


「お疲れ様です。年末ぶりですね」


私が緊張を緩めて1歩踏み出そうとしたその時。カァンッ!と來雫さんが飲んでいた缶コーヒーを床に叩きつけた。


「は?」「馴れ馴れしー」「もう威弦と縁切ったんじゃろ?俺らにそういうノリで行くの止めてくれん?」


殺伐とした空気に身動きが取れなくなる。8つの目が同種の敵意を向いており、私は何て答えれば良いのか分からなくなってしまった。


――えーっとこの人達は一体何の目的で私を呼び出したんだっけ……今RICH見返したらマズイか。


「おい悪魔ちゃん。何でここに来た?威弦にはもう関わりたくねぇんだろ?」


「……それは」


「まさか、責任感とか言わねぇよな」


亜錬さんの売り言葉を買えるような言葉が出てこない。だからといって、このまま尻尾巻いて逃げるのは違うと判断した。


「篠木と話をさせてもらえませんか。これからどんな関係になるのかは……相談して決めたい、です」


「じゃあ……威弦の好きなとこ5つ言ってみ」


「え」


口がえの形から戻らない。こんな緊迫とした状況でそんなの答えられるワケ……。


「せっ……あ、いやこれは無しで」


「え?」「なんて??」「おいちょっと待て」


――危うく背中って言いかけた……けど、これは篠木がこの人達に話してる可能性があるからな。既出を言っても冷めるだけだ。


しかし何と勘違いしたのか……男性4人はやや興奮した様子で言葉の続きを促してきた。セクハラですよ。


『――ガチャ』


「!?」


しかし私が口を開く直前、入り口の扉が普通に開いた。


――誰……って。


「うげっ」「ぎゃー!」「え゙!?」「げー!」「は……!?」


「わざわざ悲鳴で出迎えてくれるとは……気が利きますね」


私を含めた反応の通り、新たな乱入者の正体は覇弦さんだった。誰からも聞いてなかったけど、予想通り篠木フレンズは大魔王と顔見知りらしい。


「裏口から入ろうとしたんですが、ご丁寧にもアシカの見張りがいまして。私も正面から伺うことにしました」


――アシカさんいたのか。まぁでも……。


「覇弦さん。彼等が実行犯です。篠木がここにいるかは分かりません」


「大方、どこかの隅で聞き耳を立ててるんでしょう。幸生さんは馬鹿が好みそうなところを探してみてください」


私は彼の全身を視界に収めてゾッとする。いやありがたいけど……。


「おー。これはまさか、あのお決まりの台詞が来るヤツですか?」


「はぁ……仕方ないですねぇ。ここは私に任せて先に行ってください。威弦のことは任せましたよ」


「ありがとうございます!じゃ!」


來雫さんの「おい早くカイト呼べ!」という言葉を背に、私は裏口から篠木を探すことにした。人質に取られる前に逃げなくちゃね!


――アシカさんは……いない!張ってる扉から中に入ったか。折角彼に会ったら『私より覇弦さんの足元を気にした方がいいですよ』って助言してあげようと思ったのに。


彼が車を運転している時と合流した後で明確な違いが一つあった。それは靴である。果たして篠木フレンズは覇弦さんの足元が革靴から黒のスニーカーに変わっていたことに気づいたのか。スーツ姿だったので私はすぐ違和感に気づいたが……。


――まぁ気づくか。『あ、この人わざわざ靴履き替えたんだ。俺達と喧嘩する気満々じゃん』って……。


私はスマホの明かりを頼りに上を目指す。馬鹿が好みそうな場所なんて2階か屋上しかない。そしてここは屋上があるタイプの廃工場だった。


――こういう時ニャルラがいたらスムーズに行けたのに……でもここかな。


レバーハンドルを下げると、錆びついたスチール製の扉はあっさり開く。夜気(やき)がすっと流れ込み、目の前に驚くほど澄んだ空が広がった。


街の明かりが届かない所為で、星がまるで冷えた砂粒をばらまいたように天頂に集まっている。白だけじゃなく、青みがかった白色や微かな金色も混ざって――深い闇の上でだけ許された光のように瞬いていた。


「……!」


――綺麗……。肉眼でこんなに綺麗な星空見たのいつぶりだ……?


全てを忘れて上を見る。世界から切り離れた屋上は、時が止まっているかのように静かだった。


――お母さん……。


ふと『死んだ人はお星さまになる』という比喩表現が頭に浮かぶ。途端に込み上げてきた感情を誤魔化すように息を吐くと、それさえも星に溶けていくように思えた。


――駄目……嫌だ。今こんなとこで泣いてる場合じゃ……。


上を向いたまま、ぼやけた視界を乾かそうと躍起になっていると――背後から伸びた手が私の顎をしっかりと固定した。


「ぇ――!!??」


吸い込んだ息ごと誰かのキスによって奪われる。唇にかぶりつかれて舌を吸われて絡まれて――


「っっ!?」


――不意に上あごを舐められ、私は分かりやすく反応してしまった。なんっなんっ何で!!


「は……誰……篠木??」


「……好き」


卑猥な水音から必死に耳を逸らして尋ねると、篠木はうわ言のように好きを繰り返した。その驚きで零れた涙を隠す余裕なんてなくて――


「好き……」


「…」


――背筋に悪寒が走った。


慌てて彼の手から逃れ、屋上の端まで逃げる。手すりに触れると、指先で分かるくらい湿った冷えが纏わりついた。


「普通だよ……普通に好きで、嫌いじゃない……篠木も覇弦さんもアシカさんも淳先輩も皆同じだよ!何なの!?記憶喪失したばっかの篠木だってそうだったじゃん!」


「チッ……俺だって分かんねーよ。けど全部幸生の所為だろ」


「は……いつも全部私が悪いんだ。いつも、私が……。だから……ずっと1人でいたかったのに」


――篠木と楽村君が私に惚れたのも、お母さんが消えたのも……全部全部私が悪い。


眼鏡を外してポケットに入れる。篠木に捕まる前に、ポケットティッシュで思いっきり鼻をかんだ。


「……俺のことは嫌いじゃないんだろ?」


「っそうだけど、種類が違」「でも好きだよな?」


――極論!暴論!


「嫌いだよ……」


「あ゙?」


「……どこまでも中途半端で無関心になれる自分が、もう嫌だ……」


圧を含んだ声と雰囲気に呑まれそうになる。ここで流されては楽村君の二の舞になること間違いなしだ。


「もう無理なんだって……応えなきゃってプレッシャーがきついし。誰かにそういう目で見られることがもうしんどい……。何でこんなクズでクソで終わってる私のことなんか好きになっちゃうの……私は生理的に無理なのに」


私は終わってる。誰も選べなくて、強く拒めなくて、いつも楽な方に逃げてばかり。自責と諦観が得意で、口下手ですぐ躊躇うから本音を上手く伝えられない。


今だって、篠木の気持ちは嫌という程よく伝わっているのに――言い慣れた言葉しか吐き出せなかった。


「俺だってもう無理だよ」


弱々しい声に思わず顔を上げると、切実な視線に射抜かれる。気づけば篠木が目と鼻の先まで近づいていて、そっと私の両手を包んだ。


「今も泣いてるお前見て可愛いとしか思えねぇし」


「な……」んだって!?わ、私の精一杯の本心が……。


「幸生が『私のこと好きでしょ』とか言うからだろ!あーそうだよ記憶失くしても俺はまたお前のこと好きになっちまったよ!」


再び顎を掴まれ、腰には腕が巻き付いて逃げられない。最初に病院で会った――憎悪に満ちた瞳の男はもういなかった。

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