第2話『刺激的な運命』
「怪我……救急車呼んだ方がいいと思うんですけど」
「そんなことよりお前――」
名前を聞く寸前でスイッチが切れた威弦は、そのまま幸生の肩に寄りかかった。
「わわっ!重……せめて膝に」
幸生は膝枕をして呆れる。名前も知らない男性を介抱したらこうなるのかと天を仰いだ。
――食べたらすぐ寝るなんて保育園児?それかよっぽど消耗していたのか……。
どちらにせよ面倒なことになったと溜息を吐き、幸生はスマホで時刻を確認する。
――22時48分……帰りたい。
駄目元で体を揺らすが反応は無い。このまま寝かせてやりたいのは山々だが、このまま彼が本格的に寝てしまうのは困る。幸生にも規則正しい生活というものがあった。
――待てて1時間だなぁ。この人なんか血生臭いし。あと煙草。
それまでに威弦が起きなければ所持品を漁り、近辺にいる知人又は家族に連絡するか警察に通報しかない。幸生はこれからのことを決め、暇潰しに彼の顔を観察する。何度見ても初めて見る顔だった。
――見たとこ年は私より4・5歳年上?もっと上かな。
暇に飽きて身元を探ろうとしたその時、間近でサイレン音が響いた。
「ひょわっ!」
飛び上がって音の発信源を探す。慌てて音の発信源である威弦のスマホを掴み、画面を見ずに通話ボタンを押すと――
「威弦!お前今どこいる!?無事か!?」
「!」
――開口一番、怒号が幸生の鼓膜を攻撃した。コールセンターという職業柄、怒鳴り声を聞くと反射的に切のボタンを押しかけるが……寸でのところで踏み止まる。
「もしもし。このスマホの持ち主は現在、私の隣で気絶しております」
――大丈夫。電話越しでの通話は得意だ。できるだけ冷静に、慎重に。
「あぁ!?誰だお前」
――めっちゃ凄んでくるじゃんこの人。
幸生は心中でビビりながらも、今の状況を説明する。
「私、通りすがりに倒れていた彼を見つけた者です。今から住所を言いますので迎えに来てもらえませんか?」
「威弦は今なに?どうなってる」
「気絶中です。外傷も負っているようなので、先に救急車を呼んだ方がいいですか?」
「いや駄目だ。こっちから迎えに行く。場所は?」
「はい」
一息に住所を伝え、役目は終わったとばかりにすぐ電話を切ろうとする。
「待て。最後に名前」
『ブツッ』
「あっ。ヤバ切っちゃった」
――まぁいっか。名乗る気なんてサラサラないし。
幸生はスマホを元の場所に戻し、威弦をアスファルトの上に転がす。流石にそのままでは頭を痛めると思い、彼の腕を折り曲げて頭に乗せた。幸生は自分が無理矢理動かしている間もすやすやと眠る姿を睥睨する。
――何だ。ただの屍かぁ。
金髪に穴だらけの両耳、ガラの悪い口調……人を見た目で判断しない幸生でさえ、威弦にチンピラのレッテルを貼った。恐らく今から迎えに来てくれるであろう人達も只者ではないだろう。
――うん。怪我を負って空腹のまま行き倒れていたチンピラを助けただけでも非日常体験は十分だ。
ここで幸生が一般人のままでいたいがために取る行動は一つ。
――早く去らなきゃ。
これが沖谷幸生にとって、篠木威弦と初めて出会った日の出来事だった。彼にとっては黒歴史に近く、早く忘れて欲しいと思っていた。しかし彼女は――
「あの金髪……金髪の人。もし次会った時も金髪じゃないと覚えられないな」
――夜の暗さを言い訳にして、誰もが美形という彼の顔を一瞬で記憶から消去した。
(=^・^=)
1週間後。威弦は雑居ビル内にある喫煙スペースで乱暴に頭を掻いた。音もなく抜けた黒髪が重力に従って落ちる。
両耳に1つだけ付けた黒のフープピアスに同色の髪。服の趣味と喫煙はまだ変えるのに時間がかかるが、これが威弦の中で最大の変装だった。
――これなら前の野郎が俺だって分かんねーだろ。あそこ暗かったし。そんな喋ってないしな。
急に見た目を一般人に寄せた威弦を見て、当然兄と友人は何だどうしたと驚きの声をあげたが――当人は逆ギレで誤魔化した。
――怖がられてもダリィし。別に見た目にそこまで強いこだわりなんてなかったしな。アイツ等も大袈裟すぎ……。
「――かけ直してくれてありがとう。実は今、猫の引き取り手探してて……」
「!?」
驚いた拍子に煙草の煙でむせ、上にいる幸生に気づかれないよう静かにせき込む。腕で口を抑えたままギッと睨むと、彼女は5階の階段で誰かと通話していた。
「……うん子猫。友達の家で3匹保護してて、もし他にも猫飼いたがっている人がいたら紹介して欲しいんだけど……」
――猫?確かボルトが酔う度に猫飼いてぇーって言ってたな……。
威弦は頭を高速回転させて幸生の話を整理する。そしてゆっくりと階段を上った。
「……そっか。ごめん。ありがとう。うん。それじゃ」
――うーん難航。1人でも里親見つけられたら、もっとはるまのお母さんの好感度上げられるのにな……やっぱり動悸が不純なのがアレなのか。
「なぁ」
「!」
幸生が振り向くと階下に屈強な男性――威弦が立っていた。咄嗟にはいと返し、脳内で顔見知りか否か調べる。
――誰?コールセンターの新人にこんな人いないし。下の階で働いている人?
戸惑いの色を濃く映した幸生を見て、威弦は先週出会った人物と今の自分を結び付けられていないことを悟る。そして同時に安堵した。
――ただ弁当の借りを返すだけだ。コイツに関わんのは……。
「会話聞こえたけど何?猫の引き取り手探してんの?」
「……あ、はい。そうです」
「俺の友達が猫飼いたがってんだけど。その友達って奴に紹介……」
「……いいんですか!?」
「――っ!?」
幸生から警戒と緊張が解け、ぱあっと華やいだ笑顔が咲いた刹那――威弦の心臓がドギュンッ!と音を立ててぶち抜かれた。
「じゃあRICH交換……。すぐ友達のお母さんの連絡先送りますね!」
幸生は弾む足取りで階段を下り、両手でスマホを操作してトークアプリのQRコードを威弦に見せる。彼は言われるがまま連絡先を交換し、表示された名前に眩暈がした。
――沖谷幸生……フルネームかよリテラシーねぇな!何だその名前!なんて読むか分かんねぇだろ!
自分の名前を棚に上げるくらい、今の彼は正常な判断が出来ないでいた。電流が全身を巡って麻痺を起こし、心臓は破裂したまま激しく脈打っている。
「今送った連絡先をお友達さんに送ってください」
「……あぁ」
「とっても助かります!お友達さんにもよろしくお伝えください!」
心から嬉しそうにしている幸生から目を逸らし、威弦は無意識に食いしばっていた口を開く。
「名前」
「え?」
「これ……なんて読むんだ」
幸生はきょとんとした顔で威弦を見つめるが、すぐ自分の名前の読みを聞いているのだと察する。
――はるまのお母さんは平仮名で表示してあるから私の名前でいいよね?
「おきたにさちな。です」
「……そ」
「わざわざ声かけてくださりありがとうございました。では失礼します」
――ラッキー。この人のことも紹介してくれるお友達のことも全く知らないけど、まぁ後のことは全部はるまのお母さんにブン投げればいっか!
スカスカの約束を取り付けた幸生はあまり期待せず、自然な成り行きに任せることにした。この内容で営業のアポを取ったら確実に怒られるミスである。
一方で威弦は――機械的に足を動かして自分のデスクに戻り胸元を強く抑えた。
――は…………?あ??
脳天が痺れ、思考がまともに働かない。回路が完全にイカれていることを自覚していた。
「威弦?お前大丈夫か?」
「大丈夫じゃねぇ」
「どこが痛む?顔も赤いぞ……一体どうした」
――どうした、って……。
「……」
幸生の緩んだ笑顔が浮かび、頬が赤く染まる。明らかに様子がおかしくなった弟を見て、覇弦は家で寝かせるか病院に連れていくか迷った。
「……仕事はいいから。今日はもう帰れ。病院まで送ろうか?」
「別に……なんもねーよ」
本気で心配し始めた兄のお陰で威弦の心に余裕が戻る。大きく息を吸い、目の前のタスク以外考えないようにした。
――『沖谷幸生です。わざわざ声をかけてくださりありがとうございました』
「……っっ!!」
威弦にとって、それは決して容易なことではなかった。ガンッと額をデスクにぶつけ、無理矢理あの笑顔を振り払う。
――いやいやいやいやいや……は?何でだよ。あんなチビガキの礼とか。別にどうってことねーし。
「……威弦」
「っせぇ!眠かっただけだよ!」
この異変を1人で抱え込みたくなかった覇弦は、最近できたご飯友達に全て吐き出すことにした。
「――変だろ?何でいきなり……頭でも打ったか、宇宙人に改造されてその記憶を消去されたか……」
「それか変なモノを食べたか、変な虫が持っていたウイルスか……寄生虫っていう線も有り得ますね」
覇弦のご飯友達である幸生は至って真面目な顔で考察した。因みに目の前にある飲み物は緑茶である。




