第26話『それはどんなディストピア』
全て浦本淳視点です。
多分最初の被害者は西村じゃと思う。幸生の見張りを頼んだのを最後に、あいつを見た者はおらんくなった。俺の所為なんかと悩む前に、幸生はどんどん不可解な出来事を起こしていく。
威弦さんが幸生の家で500万を見つけた話を聞いて何人かに調べさせると……予期せぬ犠牲を払った末、幸生が大金を隠し持っとる証明は出来んかった。
――俺も幸生が腹から血ぃ流してる幻覚見たしな。あれほんまに頭おかしくなりそうじゃった……。
幸生に『レディーキラーの悪魔』なんてふざけた悪名がついてから、利用して威弦さんを陥れようと企む輩や『2000万円と拳銃を持ってヤンキーのアジトに乗り込んだ』ってよー分からん噂を鵜呑みにしたアホ共が増えまくった。あの時はどうせ近い内にどっかのチンピラか組織が俺らの目を搔い潜って幸生を攫うんじゃろーなとか他人事に思っとったけど。実際に起こったのは1月の1回だけ。その間もヤクザと繋がりがあるとか、詐欺グループを撃退したとか、幸生によく似た女がカジノで1億8000万勝ったとか……。根も葉もありそうで不気味な噂が絶えず広まる。
――に加えて、威弦さんを記憶喪失にさせたのも、俺が幸生を追いかけた時に見た幻覚も……常識じゃ説明しきれん何かが絡んどるとしか……。
幸生の背中に向けられている目の数と伸びた手を切った回数が合わん過ぎて引く。逆にあの1回はなんじゃったん?
家族仲を気にしとる場合じゃねぇ。あいつの秘密はもっと理解し難くて、内側に入ったら終わる。現に踏み込んだ奴等は存在ごと消される勢いで……。何故か佐古にいる有数の情報屋も幸生の情報は売らんかった。
――逃げてーよ。単位ギリで来月から卒論始まるし就活もせんとおえんし……俺がただの先輩でおったら、幸生は気に入らんけど無害でそこそこ従順で使える後輩なんじゃろ?
SNSも返信もまともにせん幸生が、バイト先と大学と学生時代の友達以外のコミュニティに属しとる可能性は無い。何でアイツに害成す人間がこぞって消える?何であんな噂を耳にする?
この半年ちょっと、近くで幸生を観察してみたけど……会う回数を重ねる程、多少闇を抱えただけの貧弱陰キャじゃった。いくら危機管理ができても『魔王』の隣にいて『レディーキラーの悪魔』って異名を付けられた時点で、アイツの望む平穏な生活なんてとっくの昔に潰えとる。
――中途半端なとこに立ちやがって……誰がお前を支えとるんか知らんけど、いい加減姿現せや!
目を背けても幸生の謎がずっとへばりついて気持ち悪い。本人はこんな近くにおるのに――俺は悩んだ末、この問題から一歩進む覚悟をした。そこにどんな牙が剝いとっても、俺は……。
人気もカメラもない長い階段の真ん中で実行に移す。幸生の小さな手は俺を巻き込むことなく空中をなぞり――階下まで一直線に転げ落ちていった。
「…」
心臓がドクドクと跳ねて呼吸が荒くなる。何度見ても、幸生は仰向けに倒れたままピクリとも動かない。俺はしっかりと手すりを掴み、こまめに後ろを警戒しながら――幸生が無傷で起き上がる未来を想像した。
「……どうせ平気じゃろ。誘拐された時も死んだフリして助かったって聞いた。落ちたは落ちたけど、お前はどうせ……!」
――この血も脳が見せとる幻。いや夢か?とにかく俺は殺してねぇ……!
幸生から広がる赤黒い水溜まり。鼻腔をくすぐる血の匂い。6月に見た幻覚が再び俺を襲った。1つ違うのが、あいつの死んだ魚みたいな目が力なく閉じられて……。
「嘘じゃろ……?なぁ!早よ起きろ!死にそうで死なんのがお前じゃろ!」
勢いのまま幸生の手を掴むと、明らかに冷たい感触に怖気が走った。力なく置かれた指先が、返事のない口元が――じわじわと俺に現実を伝えにくる。
「……っ!」
舌に犬歯を食いこませ、恐怖を嚙み砕こうとしたその時。幸生の鼻が微かに動いた。
「……勿体ない」
「え……!?」
噛みつくように口づけられ、幸生の舌が俺の口内で暴れる。反射的に逃げようとしても、いつの間にかあいつの両腕が俺の頭をがっちりホールドしとった。
――えっ……は!?なっ!?全然離れん……てかコイツなんか、なんでキス上手いん!?
特に俺が舌噛んだ部分を執拗にじゅるっと吸われ、幸生の死んどった指先が首元をすりすりと撫でる。カッと顔に熱が集まり、嫌でも身体がそっち方向に反応しそうじゃった。よう分からんまま舌を絡ませ、いい加減幸生から主導権を奪おうとすると――
「足んない……」
「あ……?」
「はあ……仕方ないけど、同じ血で我慢するか」
「っっ!?」
――牙のように尖った何かが、俺の皮膚を突き破った。じゅるじゅると熱を奪われる音が耳の奥で響く。上体を起こした幸生に血を吸われとることを理解するまでたっぷり1分はかかった。
「お、まえ……」
「ふー。やっぱりあの人の方がいいな。分かってたから今まで手つけなかったんだけど」
幸生の姿と声をした『何か』は俺の首元に好き勝手やって満足した奴がするような笑みを浮かべる。あいつが流した血はいつの間にか消え、ただ園内の階段前で抱き合うカップルみたいになった。
「あれ。まだ意識ある。あの人よりちょっと多めに吸ったのに……やっぱ性別が違うと血の量も違うんだね」
「っ、誰お前。幸生……あいつはどこにおる」
「今はあんたのスマホに一報入れて空中サイクリング乗ってる。ぼっちで自転車型ライド楽しんでるよ」
――くっそ……。
幸生の声が遠くで聞こえる。かなりの量の血が一気に抜かれたのか、目は霞んで耳鳴りも酷い。俺は今にも折れそうな膝と腕で体を支え、『何か』から距離を取ることに集中した。
――幸生を階段から突き落としたら生き返って、生き返ったと思ったら俺の血を吸われて……あいつから流れた血や怪我は幻覚?もう何も考えられん……。
頭に血が回らず、喉の奥から声が出ん。曖昧で浮いた思考は目の前にいる女と幸生を切り離した。
「会いたいからこんな真似したの?わざわざ私が一番嫌がるやり方で……留年予備軍のクソカスヤリチン先輩はやることが違うね。死にたいならそう言えよボケ」
こいつ口悪っ!
「っせぇ……お前何。吸血鬼の化け物?まだ昼やぞ。助ける気あんならこんな回りくどい真似すんな。俺の血がどんだけ貴重か分かっとん」
「うん。私はあの人の血で救われたからさ……もうRh-のB型じゃないと辛い。我慢して+からももらってるけどさー」
――救われた……?やっぱあいつ何も考えんでよー分からんモノ助けたん?
「浦本先輩。消えたクズはもう帰ってこないよ。みーんな死んだか『性悪世界』に送っちゃった。理由は勿論お分かりだよね?刑務所よりも、地獄よりも相応しい悪人の為の更生施設。片井しおんや人殺しが集う場所……ぬくぬくと過ごしてんのはお前らもだろ」
「知らんわ……俺も俊二もクズなんは認めるけど。しおと違って警察にしょっぴかれるようなヘマせんわ」
――年下増えてからそいつらにさせる側にシフトしたしな。
大昔にあったとされる、法で裁けない犯罪者を更生する為の施設――『性悪世界』と中二病臭い建物は今や都市伝説としてインターネットに名を残しとる。中では前科が付かないことを条件に、治験や実験と称した殺し合いが行なわれるとかどうとか……本当にそんな場所が存在するのかは知らんけど。しおは少年院には行かず、それに似た場所にいると俊二から聞いた。あいつの父さん母さんは、しおが少年院に行くより早く帰ってこれるらしいからと得体の知れない施設に送ったらしい。
「お前は、そのナントカって更生施設の関係者なん?」
「……そうと言えなくもない。殺すくらいだったらそこに送れって言われたからやってるだけ。私はあの人が幸せならそれでいいから」
「誰に」
「『魔術師』。腐っても同じ型の血に免じて教えてあげるね……沖谷幸生を不幸にするな。あの人に危害を加えようとした人間は全員、私がこの世界から消す。浦本先輩は血液型と将来性があるから多分殺さないで『性悪世界』送りだろうけど……次は無いから」
冷酷で隙の無い警告を最後に『何か』は姿を消そうとする。俺は噛まれた箇所を抑え、アウターの隠しポケットから折り畳みナイフを取り出した。
「待てやコラ。お前は結局なんなん……幸生のコスプレとかクソすぎ。説明するまで帰んな」
「パワハラDV野郎に説明する必要なんてないよ」
『何か』は凶器に目もくれず、幸生らしくねぇ表情で俺に笑いかけた。上手く言語化できんけど普段せんってことだけは分かる。あとコイツどんだけ俺のこと嫌いなん。口調が地味に寄っとるけぇ傷つくんじゃけど。
「もっと――の許容の広さに感謝して?きっと――は浦本先輩に殺されたって恨まないだろうから」
それだけ言い残し、今度こそ『何か』は冬の空気に溶けた。




