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沖谷幸生にしあわせを  作者: 椋木美都
第2章『沖谷幸生は母親を辿る』

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 第20話『出鱈目を言ってまで会いたかった』

「美玖ちゃんのお母さんは、おばあちゃんの娘なんですよね」


「うん。おばあちゃんね、令ちゃんしか子供いなくて。でも令ちゃんが3人も女の子生むなんて思わなかったのよー。ねぇ。本当3人目出来た時はビックリした」


言ってもいいのなら言いたかった。私は貴女の4番目の孫だって。貴女の娘を、私の我儘で消してしまってごめんなさいって……。


お母さんはおばあちゃんのことを少し鬱陶しがっている節があった。でもおばあちゃんからお母さんの悪い話を1回も聞いたことがない。自慢話もないけど。


孫目線、お母さんとおばあちゃんの関係は『悪くもないけど良くもない』で、お母さんと伯母さんの関係は『まぁまぁ良い』だった。こんなことになるのなら、もう少しお母さんとおばあちゃんの関係について知っておくべきだった。


――もう全部遅いけど。私と成愛とおばあちゃんとの思い出は、振り返ると割とあったんだけどな……。


「ごめんなさい……迷惑、かけちゃっ……」


「いいよいいよ。よしよし」


――若いおばあちゃんが赤ちゃんの私を抱っこしている写真、過去に1度だけお母さんの解説付きで見せられたことあるんだよ。


例えその写真がこの世に無いとしても。二度と貴女を本当の意味でおばあちゃんと呼べないとしても。最初に名乗ったのにずっと名前で呼ばれないとしても。


「……っ。うぅ……」


――私は、おばあちゃんのことが好きだったよ。ずっと優しくしてくれて、甘やかしてくれてありがとう。


もうこの家に来ることはない。おばあちゃんと会うのもこれで最後……と言い切りたいけれど。


――もし入院とかしたら、顔出すくらいはするかもしれない。でもその情報を入手しようがないな……。


「長居しちゃってっ、ヒック、す、すみませんでした」


涙の余韻が残る顔で謝る。おばあちゃんの顔はぼやけてよく見えなかったけれど、独特の柔らかさが私を再度包んだ。


「よしよし。おばあちゃん今日ね、畑でほうれん草とってきたから。持って帰ってね、お浸しにしてもいいしお味噌汁にいれても美味しいから」


「え」


「袋……あらっ。ないわ。ごめんねぇ。丁度いいからこれに入れちゃお」


私のおばあちゃんは他のお婆ちゃんに比べると天然でマイペースだ。絶対パート出来ないと思う。だってこれは絶対に年の所為じゃない。


いくら野菜を入れる為の手ごろな袋が無いからって――残りのティッシュを引き抜いて、空いた箱の中にほうれん草を詰めるなんてボケでしかないと思う。


――あれっ。まさか私が残量を減らしちゃったから、使ったんなら箱も捨てろって言ってる?


思考が皮肉に進みかけたその時、おばあちゃんから緑色の箱テイッシュならぬ箱ほうれん草?をもらった。


――葉の部分がテイッシュに見えなくもない……。


「ふっ……ふふっ」


いつの間にか心に温かさが戻り、段々と面白くなってしまった。


「おばあちゃん……ギチギチに詰めすぎだって」


「あぁ、紙袋あった。これに入れて」


「わざわざテイッシュの箱に詰めた意味……!」


ボロボロの顔をマスクとバケットハットで隠し、おばあちゃんから紙袋を受け取る。


「また美玖ちゃんと遊びにおいで」


「……うん」


最後くらいは笑顔でお別れしたかったけれど――『またいつか、家族みんなでおばあちゃん家に来てね』という言葉がフラッシュバックしてしまった。


「……」


マスクの下で顔が強張り、早歩きでバス停まで急ぐ。怖くて振り返ることができなかった。


――どうして……。


「っ、ふぅっ……」


下り坂に足を取られないように、一歩一歩を意識して歩く。その度に目から涙が零れ落ちた。


――もう他人なんだ。おばあちゃんにとって、お母さんはどんな娘だったのかな……。


マスクが濡れる前に回収してタオルを掴む。春休みとはいえ平日の昼間だからか、山を切り開いて作られた住宅地に人の気配はなかった。バスが来るまであと40分。私には眼前に広がる公園で過ごすか、節約のために少しでも先の停留所まで歩くかの2択が提示された。前者は背もたれナシの金属製ベンチに座って寒空の下泣いて待つことになる。後者は運賃が浮くけど時間との勝負だ。次の停留所に向かっている間に乗る予定のバスが通過するリスクがある。ここで私が選ぶのは当然……。


――歩こう……。


今回の日帰り旅行は泣くこと前提で準備した。通行人に『この子泣いてる』とバレないように――元からの眼鏡にバケットハットとマスクを装備して顔を隠し、ミニバックパックの中にはスキンケアセットと保湿ポケットティッシュが数個とタオルが入っている。もれなく全部使うことになりそうで更に気分が落ちた。


――でも一番の目的は果たした。それも凄く良いカタチで……。


あとは駅かどこかのトイレで顔を洗って新幹線でパッと帰るだけだ。


乾いた顔をマスクで覆い、勘で坂道を下ろうとしたその時。


「こんにちは」


「!?」


「私はトナ。漢数字の十七(トナ)です」


突然、知らない女性に話しかけられた。相手が名乗った苗字は聞き覚えがあるモノで……私は驚きすぎて言葉を失ってしまう。


――確かトナって、おばあちゃんの向かいに住んでいる人だったっけ……。


「節子さんの家からアナタが出て行ったところが見えました。アナタは節子さんのお孫さんですか?」


「……いえ。私はただの知人で」


そうですと言いたかったけれど、これ以上おばあちゃんを混乱させたくなかったので我慢した。


「踏み込んだことを聞きますが、節子さんと何かあったのですか?隠していても分かります。今日の神奈浜は晴天ですが、アナタの目元はまるで雨に濡れた後のよう」


「……」


異国の顔立ちをしたトナさんは、たどたどしい言葉遣いと文学的な比喩で私のことを案じていた。ここで顔を背けて立ち去ってもよかったけれど……。


「……節子さんには言わないでくれますか」


「この星に誓いましょう」


なんだその誓い。


「……似てたんです。私の祖母と……。おばあちゃんはもう、私のことを綺麗さっぱり忘れて今もこれからも生きていて。私もそれを受け入れてはいたんですけど……やっぱり、大事だと思っていた人に赤の他人として接されるのは辛いですね」


「……」


トナさんは聞き間違いでなければ、吹きすさぶ風に紛れて「素晴らしい」と呟いた。それを裏付けするかのように目を煌かせて私の手を握る。彼女の手は酷く乾燥しており、所々硬かった。


「無理に笑わないでください。私はアナタの軌跡に強い興味があります。よろしければ、私のアトリエでアナタの話をお聞かせ願えませんか?」


「え?」


「バスを待っている間だけで結構。温かいお水も出しましょう。アナタが感じた悲しみと自責が、私の作品にインスピレーションをもたらすのです」


色々ツッコミたいところは山程あるが、この人はおばあちゃんの向かいに住む絵描きで、私の人生を作品の参考にしたがっていることが分かった。彼女の曇りなき笑顔を見るに、害を与えるような真似はしなさそう……と思いたい。


「バスが来る時間になったら帰りますけど」


「はい」


「嘘ついたり隠したりするかもしれないですよ?それでもいいんですか?」


「さあ行きましょう。私の家はもう見えているここです」


年齢不詳のトナさんは私を玄関ではなく、アトリエにある掃き出し窓に案内した。外よりはマシな空間には図工室に似た匂いが充満している。周囲を観察するとイーゼルやキャンパス、絵の具の他にデジタルイラストを描くような道具も備わっていた。


「お待たせしました。私『ホシトキコ』という名で絵を描いている者です」


「ゴフッ!」


「あら。アナタはこの名をご存じでしたか。恐縮でございますね」


ガチの白湯を飲んですぐ吹き出し、ちょっとしか飲んでなくて良かったと安堵する。お陰で被害は手と服だけで済んだ。


ホシトキコ――今も現役で国際的に活躍している現代美術家である。タロットカードや花をモチーフにした作品で知られ、彼女の絵では幻想が生じる繊細さと精神的な内面を表現している。そんな世界的アーティストとして注目を受けている彼女が、あの……。


――新手の詐欺か?私が名前しか知らないからって……なりすましも十分考えられるな。


ふと私の貯金を狙った集団がストーリーをでっち上げて金を巻き上げようとした記憶が蘇る。用心深い性格のため、私は簡単に彼女を信じられないでいた。


「……」


――でも、もしも本物だったら。この人が生み出す絵は常に高値で取引されるって……。


刹那、脳がスパークして鼓動がドクドクと響く。この人が本当にあの『ホシトキコ』本人なら――。


振って来たアイデアを叶えるべく、私は汗ばむ手を握って口を開いた。

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