第19話『現実味の無い日々を抜けて』
全ての区切りがついてから1週間が経った。長期休みが終わり、進級するまで残り1か月とちょっと。相変わらず外は何も変わらない。私が『いつも通り』でいれば相応の日常が返ってきた。
夢の中で泣いて、途中で目が覚めるということもなく、己の気丈夫さにうんざりした。まるでもう悲しんでいないみたいじゃないか。
――だから、この涙は違う……。
起きているのに悪夢が広がる。空気が視界ごとドロドロに溶けて前が見えない。辛くて辛くて、涙は塩辛くて……もう泣くことでしかあの人との繋がりを感じられない。そう思ってしまった。
――ああ駄目だ。精神的に参っている……これはもう相当に。
冷静な思考が顔を出してまたすぐに引っ込む。1人の部屋で目が腫れる寸前まで泣いても、バイト先の人は誰一人として私の状態に気づかない。同僚なんて案外そんなもんで、それがいいと思うのが正しいんだと納得した。私だってあからさまじゃないと気づけないしね。
「みんな、次は神奈浜かけてー」
電話をかける地域は社員の裁量によって変わる。私は神奈浜の電話帳を開いて『通話』をクリックした。呼び出し音がヘッドセットから聞こえる中、右手はホームページで該当地域の地図を表示する。留守番電話に繋がったのですぐ切って次に行った。
かけて切って話して切ってを繰り返している間、ずっと神奈浜のとある家を探していた。
――多分この家かな……。
しかし当たりをつけた瞬間、アポに繋がりそうな流れになってきたので顧客の住所をコピーして周辺の地図に切り替える。自分に合ったトークでアポに繋げ、今回の人はトントン拍子でイケたなと一息ついた。
――まあでも、こっからナシになることも全然有り得るんだけど。
私は誰も見ていないのをいいことに、思い詰めた表情でとある人物が住む家を見つめていた。
(=^・^=)
そして私は今――佐古から遠く離れた地、神奈浜にいる。荷物は覇弦さんからもらったミニバックパックと手土産だけ。何故なら日帰りで帰る予定だからだ。
――おばあちゃんの顔見て、ちょっと挨拶できたらそれで……。
沖谷智子が存在しない世界になったその日から、外祖母や伯母、従姉妹など――お母さん側の親戚全員と私を繋ぐ縁は切れてなくなった。とは言っても、その中で関りがあったのはおばあちゃんとお母さんのお姉ちゃんとその娘3人だけだったんだけど。
伯母一家もおばあちゃん家の近くに住んでいるが、今回も寄る気がなかった。いや子供の頃は里帰りする度に遊んでたんだけど。めっちゃ仲良かったんだけど。3人共年上だったからお姉ちゃん的存在で凄い好きだったんだけど。伯母さんも優しくて面白い人だったし。
時の流れと心の成長は残酷である。いくら良い思い出が詰まっていたとしても、すっかり人見知りの私に5年以上会っていない親戚の家を1人で訪ねる勇気は無かった。本当にごめんなさい。電話なら話せるんだけどね!
電車とバスを乗り継いでとうとうやって来た。『麻生』の表札と対峙し、私はゆっくり深呼吸する。もう今年初めに押し掛けたノリでは行けなかった。
「……!」
あえて何も考えずにチャイムを鳴らす。少し待ってもう1回押すと、小さく返事をする声が聞こえた。
――おばあちゃん……せめてインターホンに交換した方がいいよ。
私より数倍も都会に住んでいるクセにセキュリティが数世代前の家に別の不安が募る。チョコ板のようなドアが開いた瞬間、私は呼称をおばあちゃんから下の名前に変えた。
「はいはい……あらっ。どなた?」
「えと、私……節子さんの畑で作った小松菜を食べて。それが凄い美味しくて……どうしてもお礼が言いたくて、美玖ちゃんに教えてもらって来ました」
「あらっそうなのー。あたし令ちゃんに沢山とれたからって渡しすぎちゃったのよ」
令ちゃん――令子は伯母の名前である。バスの中で考えた偽の経緯を話すと、従姉の名前を出したのがデカかったのか……おばあちゃんは秒で心を開いた。
――年配だから敢えて捕捉を省いたんだけど……こんなド簡潔で雑な言いくるめで警戒を解くなんて。マジかおばあちゃん。いくら私が無害そうな若者だからって。
「美玖ちゃんのお友達?」
「は、はい。あのこれ、小松菜のお礼です」
拍子抜けしながらも、佐古で買った紫芋のスイートポテトを差し出す。当たり前だけど、おばあちゃんは目を丸くして首を横に振った。
「え!いいよいいよ。そんな……大丈夫大丈夫。大丈夫だから」
「あ、でも、折角なので本当に」
「うーーん……でもね。あたし紫芋大好きなの」
知ってるよ。正月の時に話してくれたじゃん。ちゃんと覚えてるよ。
「そうだったんですか。なら是非……本当に美味しかった、ので……」
じわじわと現実がこみ上げてくる。他人向けの一人称。開口一番の『どなた?』と追撃で『孫のお友達?』が割と刺さった。
――分かってた。奇跡なんて有り得ない。おばあちゃんは私を忘れてるのが当たり前なんだから。
「貴女お名前は?スイートポテト好き?」
「あっ、幸生です。スイートポテトは好きです」
「じゃあ貴女も一緒に食べよ。おばあちゃんお茶入れるから。今日も寒いねー」
「え」
遠慮する間もなく、トントン拍子で家に上がり込んでしまった。私はさり気なく洗面所で手を洗い、そそくさとコタツの中に入る。もうこれくらい断りなしでしても失礼な若者扱いしてこない確信があった。
――孫以外でも優しいんだな……心配になるくらい人当たりが良いというか。セールス来た時どうしてんだ。
お茶っ葉を急須に入れている様子を眺める。おばあちゃんとお母さんの顔立ちはあまり似てない。と思う。あと性格も。伯母はバリキャリなのでこの人から何故あの姉妹が生まれたのかは永遠の謎である。まぁ恐らく反面教師だろう。それでも、お節介なところと家事をしっかりしているところは――もう2度と会えないあの人と重なる。
――2ヶ月ぶりだけど、特に変わったとこは……。
「……!」
コタツに入ったまま居間を見渡すと、決定的なそれを見つけて息を呑んだ。
テレビの横にある写真立て。そこには当然の如く、姉家族の集合写真しか飾られていなかった。
「……」
この家に次女はいない。この家にお母さんの足跡は残っていない。付随して2人の孫がいたことを表す品も存在しない。だって私が消したから。
――年賀状も、写真も、お母さんがこの家に残した数少ない私物も、全部……。
疎外感と罪悪感が溢れ、ついに零れた。それもおばあちゃんがお茶を持ってきた最悪のタイミングで。
「あらっ。どうしたの」
「すみませっ……その、最近、凄い辛い事があって。おばあちゃんが作った小松菜食べたら美味しくてほっとしたんです。ちょっと、思い出しちゃって……」
「うんうん。大丈夫大丈夫」
おばあちゃんは柔らかい声のまま、しわくちゃの手を私の背中に回す。そして何があったのかを聞かれた。
赤の他人、それも孫に近い年代の子の悩みなんておばあちゃんの人生に何の影響もない。私だったら聞くだけ時間の無駄だ。
――それでも、暇潰しにはなるか……。
「飼っていた黒猫が死んで。そんな好きじゃなかったんですけど。死んだら私、家族の誰よりも泣いちゃって。今も泣いてるんですけど……ごめんなさい」
酷く冷静な思考が創作話を紡ぐ。開いた瞳孔が更に潤んだのは……気が抜くと謝罪してしまうのは……どうして?
――もう分かんない……何で泣いてるの?悲しい?申し訳ない?辛い?もう何が当て嵌まるのかが分からない……。
乾いた砂漠から水が噴き出るように、私はおばあちゃんの胸の中で泣いた。こんな嘘しかついてない私を、神奈浜在住の孫の友人を名乗ったにも拘らず佐古土産を持参して号泣する私を、おばあちゃんは何一つ疑わずに受け入れてくれた。その理由は――
「辛かったね。おばあちゃんの小松菜食べてくれてありがとう」
「……っ、ご、めんなさっ……」
「貴女ひまちゃんに似てるねえ。ひまちゃんが高校生の頃の写真がねぇ……」
――頭のどこかで、2番目の孫と私を重ね合わせていたからだった。
私には3人の従姉妹がいる。上から咲ちゃん、日葵ちゃん、美玖ちゃん――皆社会人で私よりうんと年上のお姉さんだ。おばあちゃんは唐突に次女の名前を出し、私を放ってアルバムを引っ張り始めた。
――あれ。ああ、いや。気を紛らわせようとしてるのかな。興味が逸れたとかじゃないくて。
一旦大きな波が去った隙にマイタオルとティッシュで悲痛を拭った――が。
「あったあった。ひまちゃんはね、令ちゃんの真ん中の子なんだけど。ほらっ。やっぱそっくり。顔とか雰囲気が。ひょっとしたら貴女もおばあちゃんの孫かもよ?うふふっ」
「……」
「あらっまた泣いちゃった。泣き虫は誰だろ。美玖ちゃんかな?」
まだまだ、私はおばあちゃんの前で溺れ続けるのであった。




