第17話『篠木覇弦の逆質問』
「篠木が私のこと異性として好きみたいなんですけど、気持ちを冷めさせる方法って何かありますか?」
「ゴフッ!」
居酒屋の個室席にて。覇弦は盛大に咽てしまい、怒りのあまり原因を強く睨みつけた。
「危うく出るとこだった……人がビール飲んでる時にそんなこと聞くな」
「すみません。そんなショックなことじゃないと思って。というか覇弦さん、私より早く篠木の気持ちに気づいてましたよね?いつからですか?」
今度は幸生が睨む番だった。しかし覇弦は薄笑いを浮かべてさぁ?とはぐらかす。
「寧ろよく認めたな。もっと『そんなわけない』って思い込むかと」
「思い込みたいですよ!このまま見て見ぬフリして接しますけど、それもいつまで続くのか……」
「あいつ相当入れ込んでるぞ?簡単には諦めないだろうなぁ」
「角が立たない拒否の仕方でもいいです……とにかく決定的な言葉をもらう前に脈無しだって分かってもらわないと」
「俺が提案したところで実践できるのか?」
幸生は黙ってゴボウの唐揚げを頬張る。その表情と目線が自身の無さを雄弁に物語っていた。
「……やっぱり篠木が私を好きなのは気の所為かもしれません。普通に友人的な意味での好きかも」
「現実から逃げるな。いたずらに威弦を拗らせたくないだろ?」
「うぅ」
――クッソさっきからずっと疑問形で煽ってくる……!
幸生が威弦の恋心に気づいたきっかけを話すと、覇弦はまずストーカーの件に触れる。
「今の状況は?」
「それが何も。知らない人が私の後を尾けて、ポストに盗撮写真を入れたのは間違いないんですけど……結局どんな人なのかも分からないしあれから何の進展も無いんです。不在着信もSMSも数日前からパッタリ途切れて」
「楽観的に考えるなら、他のターゲットに目移りしたか……」
――あるいは威弦が裏で処理したか。
覇弦はまた何かあったらすぐ相談するように言い、幸生を家まで送ろうと決める。ストーカーも自分の身の安全にも無関心な彼女は何とも言えない表情で頷いた。
「で、角が立たない拒否の仕方か。『副業でグレーな仕事に手を付けてる人とは関わりたくない』とでも言っておけ」
「グレー」
「散々チンピラ呼ばわりしてただろ?威弦はずっと見た目通りのことをやってる」
――それはただの軽口で……。
幸生はふと出会ったばかりの威弦を思い出す。不穏で獰猛なオーラに、後ろ暗い何かを煮詰めたような黒い瞳が印象的だった。
「……篠木と話しているとたまに、疚しさを隠したくて黙る時があるんです。あまり深くは考えないようにしているんですけど……でもそれは本人が『じゃあやめる』って言ったらやめれるんですか?」
「禁煙と同じノリであっさり断つだろうな」
「じゃあ駄目じゃないですか」
幸生がとても断り文句にならないとぼやいて項垂れると、覇弦は真面目な声に戻した。
「正直、俺は特等席でお前等の行方を見守ってたいよ。でも当然、幸生にも選ぶ権利はある。嫌だけどもしお前が俺の妹だったら――絶対に威弦は彼氏にしてほしくない」
「なんか色々ぶっちゃけてますけど酔ってます?」
「真剣に聞け。今だってアイツは……」
「あ、すみませんちょっと待ってください」
幸生は覇弦の言葉を遮り、違ってたらアレなんですけどと断ってから続ける。
「今、篠木のグレーな部分を話そうとしてました?いくら実兄だからってそれを人伝で聞くのは違う。と私は思います。すみません……」
「チッ」
――本当にそういうとこが……。
「お前が強く拒否できないのは性格と、威弦をそうする理由がないからだろ」
「……はい」
「大抵の女性は『釣り合わない』とか言って割とすぐ離れてくけど」
幸生は『それは実体験ですか?』と言いたくなる口をキツく閉じた。
「釣り合うかどうかを考える程、篠木のこと気にしてないです。まぁどうにかして自然と好感度下げれるようやってみます」
「……そうだな。関わるのが嫌な理由を作りたくないなら威弦に作らせろ」
――厳しいと思うが。
覇弦は本音を伏せて幸生を家まで送る。彼が気に入ったように、自分の弟も消極的な癖に利他的で不思議と目が離せない彼女を好ましく思った。
――それも予想以上に溺愛している……もう本当に引き離すなら今しかないか?
覇弦は弱い幸生の身を案じ、最後の通告をする。
「威弦は忠告しても聞かねーし無駄に力強いし無駄に悪知恵働かせるし無駄に勘がいいし金もあるから。お前に惚れてる相手はヤクザじゃなくても厄介だってこと分かってる?」
「わ、かってます」
「――本当に?」
幸生はアパートの外壁に押し付けられ、いきなり顎を掴まれる。至近距離で覇弦と目が合い、ひときわ低くなった声に鼓動が早まった。
「こんな風に逃げられなくなるぞ。お前も十分バケモノだけど威弦の方が上だ。一部で『魔王』とか呼ばれてんだぞ」
「ば、化け物で魔王の兄に化け物って言われた……なら覇弦さんは大魔王じゃないですか!」
「ふふっ」
覇弦が怒っているのではなく、心配しているだけということに気づいた幸生は考えるより先におどける。
そしてそのリアクションは酔いで笑いの沸点が下がっている彼によく効いた。
「私も性悪な化け物なので。魔王の篠木とも大魔王の覇弦さんみたいに上手くやっていける気がします」
「ふふ……誰がなんだって?」
「い、痛い痛い!顎!割れる!」
覇弦は笑って壁ドンを解く。何やらぶつぶつ言って頬を膨らませている彼女を見ると無意識の内に肩の力が抜け、警戒するのも馬鹿らしくなってしまった。
――あぁ駄目だな。幸生が自重しても無理だ。こんなに可愛くていじめがいのある生き物を手放せる訳がない。
自分に向けられる怒りや敵意にしか反応しない幸生は、獲物を狙う猛禽類を彷彿とさせる視線に気づかなかった。それどころか進んで墓穴を掘る。
「覇弦さんもそんな心配しなくていいですから。別に1人でも大丈夫なんで」
「威弦の件を相談できて且つ威弦の暴走を止められるのは俺しかいないよな?」
「はいすみませんでした。送ってくれてありがとうございました」
大魔王の圧に逆らえず、幸生は引きつった笑みで頭を下げた。
「……本当に大丈夫なのに」
――1人で寂しいとか、心細いなんて感情は私の中に無い。だから独りでも耐えられる。寧ろ幸せだ。特別扱いしないしされたくない……。
幸生はまだ『元彼のネックレスをつけて欲しくないくらい私のこと好きで。またねって言う時いつも不満そうにしているのも、一秒でも長く私といたいくらい好きだからで……』と『自意識過剰だ。私みたいなさもしい人間のことなんて誰も好きにならない。私が男だったら御免だ』の間でぐらついていた。
――駄目だ。早く手洗ってシャワー浴びて寝ないと風邪引く。
幸生は己の体調を優先し、ネガティブのバルブを固く締めた。
(=^・^=)
2月13日の正午。幸生はバイト先でいつも通り読書に勤しんでいた。
「あーどっかに男前おらんかな」「すぐ下の階におるやん」「ね。もう見たら満足して家帰っちゃう」
すぐ隣で3人の女性が雑談に花を咲かせており、幸生はその内の1人――下山の声を聞いてホワイトボードに視線を移した。
――最近、下山さん調子いいよな……午前中で5本もアポ取ってる。対する私はまだ0……。
「…」
アポ件数が書かれたホワイトボードは従業員を奮い立たせる目印となる。成績に無頓着な幸生でも0なら話は別。おまけに彼女は昨日も9時間電話してアポが1件しか取れなかった。
要するに――自分の調子が悪い時ほど、調子が良い人間を妬みやすくなってしまう。それも入社して3ヶ月程度しか経っていない同性が、10ヶ月目の幸生より良い成績を取って正社員に評価されている。
――私の方が歴長いのに。もうすぐ1年経つし。なんでこの人ばっかり……邪魔だなぁ。私より成績が良い新人全員。
存外プライドの高い幸生は、それが非常に不快だった。抵抗なく心の中で呪詛を撒いた結果、彼女はしっぺ返しを喰らうことなく2本のアポを取って業務を終わった。
――帰ったらすぐチョコ作り……ん?
幸生が階段で1階に下りると、出入り口付近から下山に似た声が聞こえた。どうやら誰かを繋ぎ止めているようだ。
「――1回だけでもどう?私と……」
幸生はその場で待機し、辟易した思いで終わるのを待つ。今の彼女に盗み聞きする程の好奇心はなかった。目撃した情報を、下山が威弦に好意を持って近づいているところまでに留める。
――下心……逆ナン?あんまよく分かんないけど。やっぱり篠木もちゃんとモテるんだ。
とにかく早く終わって欲しいという願いは扉の音と共に叶えられる。幸生がぱっと体を出すと、下山の横顔が見えてしまった。
――えっ、泣……いてた?え?




