第15話『沖谷幸生は氷解する』
幸生は脳内で屁理屈の生地をこね、正常のオーブンレンジに入れて封印する。大丈夫だと祈りながら。
「彼氏と別れてからは篠木としか行ってないよ。こまめに連絡くれるのも時間問わず電話してくるのも篠木が一番。お陰でマナーモード解除できないよ」
「俺の連絡がしつこいって言いてーんかコラ。てか他にも友達いるだろスマホ見せろ」
――RICHを交換してから頻繁に連絡が来たりするようになって、やたら私が誰とどんな会話をしているのか聞いてくるようになって……。
幸生は難色を示すことなくスマホを手渡す。その無抵抗な態度が威弦の暴走に拍車をかけつつあった。
「……大体あけおめRICHで止まってんな」
「新年の挨拶が来るだけありがたいよ。冬休みは終わったけれど、あと2週間ちょっとで春休み来るし。私まだ全然1年の苗字と顔覚えてないや……」
「それ必要か?ほぼ男なんだろ?」
「そうだね。だからもうすぐ1年終わるのに把握しきれていないんだけど」
事前に覇弦のRICHを消していたお陰で威弦に実兄との繋がりがバレることはなかった。執拗に男の影を気にする彼がこの事実を知った時には――と考えて幸生は息を呑む。
――いやまだ分かんない。まだ……。
「あ、でも気になっている人は出来た」
「は?」
重くなった空気に反応し、凄絶な殺気に絶望を感じても遅い。幸生が恐る恐る威弦を見ると――底の見えない激情が瞳の奥に見え隠れしていた。そして漸く無駄にこねていた屁理屈と正常性バイアスが潰れる。
――まだまだ納得いってない部分は山程あるけれど……篠木って露骨に私のこと好きじゃん。
「最近、篠木以上に電話とSMS送ってくる人がいて。送ってくるメッセージも一方的でなんて返したらいいのか分かんないし。ミステリー的な謎って意味で気になってるかな」
幸生は威弦に自分のスマホを持たせたまま履歴を見てと言うが、彼は右手に力を込めるばかりで何も動かなかった。
「ちょっ……それ私のスマホ。あーでも機種変したいし。ストーカーの件が落ち着いたら変えようかな」
「……怖くねーの。知らねぇ奴に電話番号特定されてんだぞ」
「特定した経緯には興味がある。後はどんな人なのかなーとか。いつどこで私と知り合ったのかなーとか。こんなクソ寒い時期に無理してストーカーしなくてもいいのになーとか。付きまとうくらい私のこと好きなのかな……って強い強い!握力だけでスマホ破壊しないで!?」
幸生が慌ててスマホを回収すると、そのままガシッと威弦の右手に捕まる。彼女は左手を犠牲にスマホを安全圏に放った。
「なに?今度はそんな得体の知れねークソキモストーカー野郎のことが気になってんの」
「そりゃ気になるでしょ。全然心当たりないし住所も特定されているみたいだし……」
言葉を切り、命知らずの幸生は追い打ちで爆弾を投下する。
「……私なんかに思い入れする執念や執着を拒絶するかどうかは、その人と対話してからじゃないと判断出来ないしね」
「…」
――は?俺よりあんな奴の方が気になる?つか何でストーカーに自分から会いに行こうとしてんだよ馬鹿じゃねーの。
幸生に恐怖心を植え付け、自ら孤独になりにいく性質を利用する計画だった。威弦に縋るのが最善手だと誘導し、ゆくゆくは外堀も埋めて逃げ道を失くしてしまえばいい。だが頭のネジが外れている幸生は涼しい顔で彼の手からすり抜ける。
「なんてね。流石に冗談だよ。普通に危ないしね。ストーカーって舐めてると死んじゃうんでしょ?だからその……今日は家まで送ってくれると嬉しいです」
「冗談でも言うな。ガチで危ねぇから」
「うん……ごめんなさい」
――あ、危な……やっぱり怒らせるとあの人並みに怖いな。沸点低いし。
怒った威弦を前にすると、自分はこの男の前では矮小で無力な存在なのだと思い知らされてしまう。幸生は残りの時間、縮み上がった心臓と場の空気を和らげることに注力した。
――本当は送られたくない……マジでストーカー邪魔だな。
幸生は思惑を秘めて雑談に花を咲かせる。だが酔いと緊張で頭が回らず、威弦の提案を却下することが出来なかった。
「もう家の中に盗聴器とか隠しカメラとか仕掛けられてるかもしれねーだろ。今日は自分の家に帰るのやめとけ」
「絶対に嫌だ帰る」
――明日明後日は全オフだから引きこもるし……そうだ。
「んなこと言ってる場合か……」
「なら、私の部屋に目立った異常が無かったらそのままそこで過ごす。土日はバイトも用事もないから一日中家にいるし……篠木が心配で堪らないって言うなら明日か明後日遊びに来てもいいよ」
「……マジか」
――ま、人として心配するのは当たり前だろ。俺より先にアイツが入るの無理だったから幸生の部屋はまだ何も手ぇつけてねーけど……男いるだけで隣人の牽制にもなるしな。土日に幸生と2人っきりって嘘だろ……!
威弦は支離滅裂な理由を並べ、何がなんでも両日の予定を空けると決意する。幸生は彼がいなくなるまで待った後、家庭ゴミをゴミステーションまで持って行った。
――篠木の態度が嫉妬に基づくモノだと仮定していいなら……ヤキモチがこんなに恐ろしいなんて知らなかった。
ドスの利いた低い声が頭の上で反響する。執着、独占欲、嫉妬、溺愛……一つ一つが重たすぎる感情が混ざり、胸の奥に溜まっていった。
――無自覚恋愛系の物語なら最後まで彼の真意に気づくことが出来ないまま衝突して、拗れる未来が訪れるけれど……私はその前に気づけた。
幸生は認めざるを得なかったと白い息を吐く。
――篠木は私のことが好きなのかぁ……頼むから気の迷いであってほしい。切実に。とにかく、このまま無神経に行動するのは篠木にも悪いから気をつけないと。
幸生は寒空の下、平穏の為に威弦の理性をコントロールしなくてはと意気込む。まだ彼が幸生の恋心を自覚しきれていないことまでは認識していないが、この段階で正解に辿り着けただけでも十分だろう。
「安全に破綻できたらいいんだけどな……」
――厄介なことになった。こんなことなら……はぁ。不幸だ。
空いた両手をはたき、階段を通過して道路に出る。最低限の明かりが灯された住宅街はシンと静まり返っていた。幸生以外の気配を感じない。そんな場所で彼女はいない陰を思い浮かべる。
「理由が何であれ、貴方は犯罪者なんだから……斟酌の余地は無いよね」
――別のことで忙しいんだから、もう消えて。
『…』
この願いが『何か』に届いたのか――無言電話は日が経つにつれ減っていき、幸生の写真がポストに投函されることはなかった。
(=^・^=)
幸生を手に入れる為なら裏で手を回して、汚して、嘘を重ねることも厭わないと――威弦は本気の意思で動いていた。
自分が隣にいても全く安心できない。
思考も言動も、自分だけのものにしたくて堪らなくなる。
自分以外の男が幸生の隣にいる姿を想像すると血が逆流して視界が揺らぐ。
――アイツの八方美人は表面上で、裏だと全然人に興味持たない性格でよかった。狭く深くってタイプ?
威弦がさり気なく尋ねても、幸生は『同じ学部の人だよ』となんてことない様子で答える。自分と同じコミュニティに属しているから仕方なく目を向けているだけ。大した関係は築いてない。威弦は自分より酷い態度に安心したと同時に少々引いた。
――今日明日でアイツの内側に入ってやる。てか何買って行こうか……。
威弦は寝る前に悩み、着ていく服で悩み、幸生が喜びそうな手土産でも大いに悩んだ。
――あぁ、本当にくるんだ……しかも予想より早いし。
幸生はあと10分で着くというメッセージを見て空気の重さを上げる。週末始めの午前中。彼女は誰がいつ来てもいいように起きてすぐ掃除に勤しんでいた。
――うん完璧。天気と私の心は憂鬱だけど。
一度全てを諦めた少女は、愛を受け入れたくないと拒み、恋を理解したくないと目を塞いだ。
彼女が人生で一番欲しいものは既に得ている。あとはそれを清潔にして、外部からの攻撃が来ないよう祈り続けるだけ。
――生来の気質があるから、何事も無く穏やかになんて高望みは出来ないけれど……体から堕とされるなんて真っ平ごめんだ。この部屋では絶っっ対に経験したくない!私は篠木のこと全く興味ないし。
『ピンポーン』
「っ!」
――本当に……心から笑えないよ。
ビクッと体の内が跳ね、すぐ玄関へと向かう。幸生は平常心の仮面を被り、早くとせっつく客の為に鍵を開けた。
「どーぞ。ちゃんと手洗ってね」
「おー。あとこれ」
威弦は靴を脱ぎ、幸生にコンビニ袋を手渡す。彼女は中身を見て瞳を輝かせた。
「わぁコンビニスイーツがいっぱい……!」
――しかももれなく高めのヤツ!
「…」
幸生が手土産を冷蔵庫にしまっている隙に、威弦は素早く部屋の鍵をかけた。




