第10話『別れた直後は天国?』
覇弦が幸生から話を聞いた時、真っ先に浮かんだ言葉は『間違いなく威弦が噛んでいるな』だった。
――でも思っていたより気づくのが遅かったな。上手い感じにすれ違ったのか。
威弦が本気で恋をした相手には既に彼氏がいた。覇弦目線、幸生が略奪されるか破局に追い込むかの二択だったが――どちらに転んでも彼女が沈むのは目に見えていた。
――カイトはまだ幸生に恋人がいたことを知らなくて、幸生は彼氏が浮気したことは自分の所為だって責めてる。そして威弦は……幸生がフリーになったら付き合えると思い込んでるだろうな。全部のカードを持ってるのは俺だけか。
覇弦は威弦の友人である海飛と彼の本命である幸生から全ての情報を得る。それも繋がっていることは本人には内緒で。
「クリスマスシーズンはどうするんだ?」
「25日にサークルの友達とパーティするらしいです。あとは全部バイトですね」
「どうかな……幸生を狙ってる奴がアプローチかけてくるんじゃないか?冬休み前に」
「……来ませんよ。こんな私になんて」
幸生は心を沈め、友達には見せれなかった部分をあらわにする。
「私は誰のことも好きになれない。信じられないままでいないと生きていけないんです」
「……」
「本当の私を知っても受け入れてくれるとか、こんな私でも恋愛できるとか、メインキャラは絶対に死なないとか何度も表紙やセンターカラーやってんだから打ち切りなんてありえないとか……確証バイアスに囚われすぎると痛い目見るって漸く分かりました」
「後半おかしかったぞ」
「とにかく、もう変に期待されたくないです……誰にも惹かれたくない。恋も愛も、もう全部要りません。覇弦さんはどうですか?」
――ここで俺に振るなよ。まぁ幸生なら下手に勘ぐったりしないか……。
覇弦は幸生が言葉通りの意味に捉えることを信じ、思っていることをそのまま述べる。
「俺はあるよ。やっぱり家に1人でいるのって結構寂しいしな」
「へぇ。そういうの感じるんですね」
「俺のことなんだと思ってるんだ?ん?」
幸生が『冷酷で自分にとって有益になるかどうかで人を評価しているような印象』という本音を呑み込むと、そこに生えていた棘が彼女の内側に突き刺さった。
――これはブーメランだから置いといて、成程……覇弦さんは孤独を幸福だと感じない人なんだな。
「いやだって覇弦さんの趣味って読書とか映画とか1人用……あぁでも割と感想教えてくれますよね」
「幸生が聞き上手で趣味も合うからだよ。いつも俺の話に付き合ってくれてありがとな」
覇弦が洗練された笑顔で微笑むと、幸生はやや困った顔でどういたしまして。と返した。
――真に受けていいのか迷ってるな。こういう反応を見せてくれるだけでも進歩したか。
幸生には口先だけの世辞や社交辞令にひとつまみの本音を混ぜる悪癖がある。そのため相手の感謝や好意的な気持ちを疑い無しで受け取ることが出来なかった。
覇弦が思った通り、張りぼての笑顔で流さなくなっただけ幸生と覇弦の関係は進展しつつある。
「元彼とはあれから会ってるのか?」
「いや……それが全然。なんか休学中?みたいで」
「は?」
「彼女と駆け落ちして日本1周してるとか、海外旅行してるとか……あくまで噂ですけど。大学に来ていないのは確かです」
――昔から気に入らない人はすぐ私が見えないところに消えちゃうんだけど……別に関係ないよね。
幸生の元彼である平は現在、威弦が仕向けた同年代の女性と佐古から遠く離れた地まで旅に出ていた。彼女と心身共に結ばれる展開になってしまったのは威弦も想定外だったが――結果的に平は何もかもを捨て、彼女と恋の逃避行を始める。まるでフィクションのような話だが、幸生がまた聞きした噂はあながち間違いではなかった。
しかし覇弦は弟の行動パターンを予測し、最悪の場合を想像する。威弦が激情から平に手をかけてしまったのでは――と。
――家族以前に人として看過できないな。後で調べるか……。
「杞憂だといいが……」
「……ですね」
幸生にとって、元彼が死んでいようが不幸であろうが最早どうでもよかった。覇弦は彼女の空言を見抜き、この感情が威弦にバレない方が面白いと判断する。
「元カレのこと最初から一切興味無かったってことは俺以外に知っている奴がいるのか?」
「はい。あとは幼馴染だけです」
「外面ばかり気にしやがって……心の整理を言い訳に束の間の安全を獲得できて嬉しい?」
「はいとっても。私がフラれた側ですから。みーんな私を失恋した子って目で見てるんでめっっちゃ楽。これで2年になるまでは異性のこと気にしなくて済みそうです。春休みもありますしね」
「性格終わってんな……威弦にもそういう体でいくのか?」
「そうですね。私に恋愛は必要ないって思っているのは事実なので。心の冷却期間というか……適度に弱って受け身の姿勢でいきます」
「大して変わらないな」
――これを威弦が聞けば幸生が弱っている所に付け込んで、性的な意味で慰めにかかるだろうが……本気で惚れているなら幸生の意思を尊重するパターンも有り得るか?
「慎重にいけよ。女慣れしている男程、フリーになった直後なんてチャンスとしか考えない」
「あぁ。弱った所に付け込むのが一番確率高いって言いますもんね。覇弦さんも……」
「あ?」
「なんでもないです」
「……嫌われたりフラれたりするのを待つしか出来ないんなら、最初から強く否定しろ。心の冷却期間とか言って油断するな」
――そんなこと言われても……。
「……はい」
幸生はバツが悪そうな顔で水を飲み、それが出来たら苦労しないと心の中で愚痴る。誰彼構わず愛想を振りまき親切にするのは幸生にとって譲れない姿勢だった。
――話題を変えよう。
「覇弦さんのお仕事はこれから忙しくなってくるって感じですか?」
「あぁ。だが今年は威弦がいるから大分楽かな。あいつもすっかり丸くなったし」
――まさか更生してくれるとはな……。
幸生に出会ったことで威弦の人生はひっくり返った。髪色やピアスを変えただけでなく、あくどい仕事を減らして覇弦の会社をアシストしている。極めつけには幸生に合わせて煙草を止め、不規則な生活も改め始めている。
――元からやろうと思えば私生活もちゃんとできる奴だったからな。
「付随して料理まで始めた時は言葉を失ったからな……野菜いっぱい入った中華丼食ったけどちゃんと美味かった」
「へー。いいじゃないですか」
「そっちも随分ウチの弟と仲良くしてるみたいだな。あいつの料理を食う未来も有り得るんじゃないか?」
「うーん、まぁでも彼の家に2人っきりはちょっと」
仲良くの部分が引っかかり、幸生は威弦を知人の枠から昇格させるべきか迷った。
――一時の気まぐれみたいなもんだと思っていたけど。
「ただ、情が移っただけだと思います。あまり彼と話していて目が合わないし、最近はよくアイアンクローみたいなことされるし」
「後者はお前が余計なこと言ったんだろ」
この日の夕飯も奢ってもらった幸生は『弟とはこれからも仲良くしてやってくれ』という覇弦の言葉を無下にできずにいた。そして今夜も――残業終わりに捕まってしまう。
「――篠木。お疲れ様」
「……」
「え?」
「なんだよその恰好」
幸生が視線を下げると、紺のミニスカートと黒タイツを纏った足が目に入る。足の太さを気にする彼女にとって丈の短いボトムスを履く時には黒タイツが必須であり、この組み合わせは冬にしか出来なかった。よって期間限定に弱い幸生は例え男を煽るコーデだとしても、自分の欲求に抗えず頻繁に合わせていた。したがって威弦は――
「今日誰と会うんだよ」
「いや。本屋行って帰るだけだけど」
「はぁ?明らかに今から男に会いに行きますって恰好だろーが」
――幸生の私服が気分次第でラフか勝負服になることを知らない。
「彼氏とは別れた。めっちゃ最近……」
「!」
「じゃ、じゃあそういうことで……」
幸生が意図的に気まずげな雰囲気を出すが、威弦はそのまま逃がしてはくれなかった。
「うまい飯奢ってやるから聞かせろよ」
「えっいやヤダ」
「あ゙?」
「ハイ」
幸生の思考がタダ飯ワーイが2割、申し訳ない気持ちが4割、肴にされるのダルっが8割を占める一方で威弦は――
「それで今日大学行ってんの?」
「うん。昨日ズボンだったから今日はスカート履きたい気分だった。可愛いでしょ」
「ぐっ……」
――嫉妬による怒り9割から一瞬で幸生可愛い服も可愛いって聞いてくる幸生も可愛い可愛い可愛い……に全て塗り潰された。
本屋で幸生が新刊を買っている間、威弦はアクセサリーコーナーの前で立ち止まった。
――幸生ってたまにしかそういうの付けねーよな……あ、でも今日はネックレスしてんな。
「お待たせしました」
「なぁ。そのネックレスって何処で買った?」
威弦が特別な意図なく聞いた質問が、彼にとって衝撃の事実を引き出したことに変わる。
「元カレからもらったやつだからブランドとか分かんない」
「……は?」
しかしそれも――威弦の気持ちに気づいていない幸生にとっては深い意味のない返答だったのだ。




