第9話『純愛を見ても理解出来ない少女は』
幸生にとって人生初の告白だった。理由が弱いのに断るという選択が取れなかった彼女は、気持ちをすり替えて彼との交際を始める。
彼女として振舞えば、偽物が本当の恋に変わると信じていた。
彼女として彼からの愛を注がれれば、恋を知らない本質が変わると思っていた。
だが幸生は――好感度を下げたくないことばかりを優先し、素の自分を見せることが出来なかった。
――それだけじゃない。
夏休みから一人暮らしを始めたこと。最近よく威弦が絡んでくること。彼氏と違い、家族仲が最悪であることを――幸生は終ぞ平に話せなかった。
――ある意味、これでよかったのかな……
1DKの部屋で幸生はスミックマのぬいぐるみを抱きしめる。彼女は持ち前の洞察力で、平が自分に僅かながら期待していることをしっかりと見抜いていた。
――本当なら「私だって平君が一番好きだよ。この気持ちは誰にも負けたくない」って言うべきだったよね……。
演技が定着すればする程、彼氏と付き合うことに意味を見出せなくなっていった。ただ相手を喜ばせ幸せな思い出を作るために行動する。彼の為に自分の気持ちを排した結果、幸生はその時間で何も成さなかった。躊躇なく別れることを了承した時点で交際期間中――彼女の心に熱が灯ることは一度もなかったのである。
――いやプレゼント貰った時とか動物園行ったりとか、恋人繋ぎして相合傘もしてキスもしてホテルも行って……楽しかったよ。良い経験だったよ。だって初めての彼氏だったんだから。
だが幸生の指は迷いなく彼の連絡先を受信拒否に設定した上で削除し、半ば義務として残していた数少ないツーショット写真も消去する。誕生日プレゼントや1か月記念日等の品はどれも実用性が高い物ばかりだったので捨てるのは断念した。
――あぁ報告……はるまと大学の友達とサークルメンバーと……ダルいなぁ。
幸生にとって『彼氏持ち』は中々に便利なステータスだった。マウントがどうこうという点は疎まれやすいので忌避していたが、男率が多い佐古学園大学においてはかなり心強い盾となる。
――彼氏いる間は飲みの誘いもちょっとだけ減ったし、牽制してくれたから他の男子に迫られることも無かったな……アレは結構楽だった。
最低である。幸生は最初から最後まで彼氏を便利な金吐き出し装置&盾扱いしていた。もし彼女が人間に期待も信用もせず、感情が死んでいなければ――ここからの展開は泥濘と化していただろう。
――恋の本質って一体なんなんだろう……。
この世界線での幸生は『彼とは今後一生関わらない。彼氏なんて必要ない』を選択して床についた。
――好きだったよ。貴方に触れられても嫌じゃなかったよ。緊張しただけで。
幸生はタイミングを見計らって別れたことを報告した。するとそこは大学生なのか、決まって彼女を呑みに誘う。それも日付が変わるまで。
――は、はるまは下戸だからそんなことないけど……言うのは次会ってからにしよう。
オール明けの体を引きずって出勤し、流れで残業した帰り。幸生はご機嫌の威弦と出くわした。しかし彼女が気づいた部分はそこではない。
――あれ、今日の篠木……。
「よぉ幸生。大学ぶりだな?」
「うん……珍しいね」
「あぁ?」
「篠木から煙草の匂いがしない」
「今日は吸ってねぇ。てかタバコやめた」
「え!」
威弦は幸生のヤニカス発言を割と気にしていた。まだ完全に禁煙成功した訳ではないが、吸う本数は確実に減っていっている。
――なんかいつもより幸生からいい匂いしてんな……マジでこのままいけば吸わなくなりそう。
「何年前から吸ってたの?」
「んーー。10年?」
幸生は絶句した。生物的恐怖がよろしくない事実を表示する。
――篠木ってどう逆サバしても20代後半……10年前て……あっ考えないようにしよう。
「よ、よく禁煙できたね。それが凄い偉いってことは知っているよ」
「褒めて」
幸生は「いやもう褒めたじゃん」と言わず、もう一度素直に褒めた。すると威弦は真剣な表情で彼女を見つめる。
「今日は彼氏と約束?」
「あ……う、うん」
――ごめん。って言うのもおかしいし今日はもう帰りたい……。
幸生の顔に一瞬緊張が走り、動揺を表に出したまま嘘を吐く。威弦はスッと目を細め、発言を間違えた獲物を追いつめようとしたその時。
「おい何して……は?」
「たまたまポッケに水性マーカーが入ってて……おー書きやすい」
勝手に彼の手の甲に『禁煙おめ!』と書いた幸生は欠伸を嚙み殺す。
「きっと、これが消えるまではその状態が続きそうだね」
「…」
――は?かわいい……てかコイツ左利き?利き手と利き足は右だったよな?てかそのペン水性かよ落ちるじゃねーか!
眠たそうな顔にまた胸を貫かれ、威弦の思考が乱れる。勝手に油性で腕に落書きされたのに全く怒りが湧いてこない。寧ろ嬉しいが大勝ちしていた。
「じゃあお疲れぇ……」
威弦は不意のメッセージに気を取られてしまい、幸生を糾弾することが出来なかった。そして彼の表情は緩んだまま――
「手洗えねぇ……あー可愛い可愛い可愛い可愛い」
――友人に無様を曝け出すこととなる。
「こいつブッ壊れてね?」
「さっさと告白しなよ」
幸生と平が破局した原因は威弦の暗躍によるものだったが――まだ友達5人は『幸生には最初から恋人がいない』と思っていた。後に泥酔した威弦が自白してしまうが、それはまた別の話である。
――流石に別れた直後は幸生もそーいうこと考えらんねぇだろうしな……。
「告らねーよ。アイツ俺のこと煙草吸う人くらいにしか思ってねーし」
「やってみんと分からんって!」「誠意とパッションでなんとかなる!てかしろ!」「その子が押し負けるまで押せ!」
やや奥手な恋愛話にアルコールが加わり、場の空気が囃し立てに変わる。苛立った威弦が拳を固めた途端、幸生のメッセージが目に入って肩の力が抜けた。
――クソが……これ殴れねぇじゃん!
「チッ。俺が告白したらアイツと恋人になるだろ?」
「相手がOKしたらね」
「したら即ホテル行ってセックスして……」
「待て待て待て。その子話聞く限りじゃ処女」
「あ゙ぁ?アレンお前……幸生で何想像した?」
「客観視が分かんねぇのかボケ!話進まねーだろ!」
威弦が目にも留まらぬ速さで失言元にアイアンクローをキめる。亜錬は必死に左手を叩いてギブアップを訴えた。
「……セックスしたらもう結婚だろ。俺をこんなにした責任はキッチリとってもらわねぇとな。だから告白したらもう……」
――絶対逃がさねぇ。
5人は絶句した。意中の相手にその好意を伝えるという一般的な行為が、そのまま結婚の返事に直結するという暴論を受け止め切れずにいる。彼等は一旦輪になって声を潜めた。
「怖い怖い怖い」「そうはならんって」「ガチで壊れとる……」「威弦ヤバ」「シンプルにホラーだろ」「頭おかしい。ほんまに何でそうなる?教えて欲しいわ逆に」
威弦の魔王的一面を垣間見たことで、5人は彼の恋を純粋に応援することができなくなってしまった。それどころか一般人の幸生を案じ、妨害こそ正義という結論に至りかけてしまう。亜錬は溜息を吐き、意を決して狂人に総意を伝える。
「んん゙っ……あの威弦に軽口叩いて落書きするとか。相当胆力あるんじゃないかその子」
「まぁな。アイツ地味に洞察力高ぇから。にしても油性で書けよ……」
付き合ってもない19歳女性にクソ重い執着を向け、結婚まで視野に入れている男。このまま威弦が暴走すれば悲劇を見ること間違いなしである。海飛は慎重に言葉を選び、彼が破滅の穴に飛び込まないよう説得する。
「えっと威弦から告白はしないんだっけ?」
「……あぁ」
「何だその間」「絶対いつかポロッと言うやん」
威弦の図星を吐いた荒野が壁に激突したのを横目に海飛は続ける。
「引かれないよう頑張って」
「おー」
――流石に告白は博打すぎるか。もうちょい距離縮めねーと。
「いきなり指輪あげたりすんなよ?」
「指輪……もうすぐクリスマスか」
威弦の目がギラッと光り、電は失言した來雫をぶん殴った。
「バカ!お前マジ一旦止まれ!?」「ごめ……軽い感じで言っちまった……」「ちゃんとその子のこと考えて動けよ?」「カイトの忠告ガン無視で草」
5人は言葉の限りを尽くして威弦の暴走を止めた――かのように思えた。
――幸生と野郎を別れさせんの1人でやって正解だったな。次隠しやがったらマジどうしてやろうか……。
「…」
海飛は幼少期から育てた洞察力で威弦の闇を見抜く。そこから己の常識を逸したような恐怖を感じ、無言である人物にリークした。
――流石の覇弦もこれ聞いたら面白半分に焚きつけないでしょ。
この世で唯一……威弦を完璧に制御できる大魔王に。




