6
───あれから7年。俺は15歳になった。雨音ちゃんは21歳になり、高校を卒業してそのまま就職した。
最初は料理ができなかった俺も、雨音ちゃんに仕込まれてだいぶ上達して手の込んだ料理も作れるようになった。最初はほぼ毎日通っていた雨音ちゃんのお宅にもだんだんと行かなくても自宅で済むようになり、今や月に一回新しい料理を教えてもらうくらいの頻度になった。雨音ちゃんの高校受験の時も、就職してからも忙しいはずなのにご飯はちゃんと食べなきゃだめなんだよ、と変わらず接してくれた。
雨音ちゃんは大人になっても髪を少し明るくするくらいで、お化粧もそんなに派手にならないように加減していて、でも魅力的に変わっていた。夜遊びしたり、お酒に酔いつぶれたなんて話は聞かず、相変わらず真面目に日々を過ごしていた。もっと遊んだりしないの?と聞いた時にも、なんだか自分には合わないんだよね。と言っていた。そんな日々の中でお花を飾ったり季節ごとの小さな置物を飾ったり自分で楽しい気持ちを作るのが上手だった。料理以外にも裁縫や刺しゅうも好きで、きれいに刺しゅうされたハンカチをしっかり持ち歩いてるところもなんだか清潔感があって、雨音ちゃんらしいなと思っていた。
俺は俺で年上のお姉さんのとこに通ってると冷やかされたときもあったけど、家の事情を知ってる友だちが諫めてくれたりして特に問題なく過ごしていた。勉強も雨音ちゃんが見てくれたり、自分で復習したりもしていたのでさほど困ることはなかった。背も高くなり、雨音ちゃんに見下ろされてた自分が、もう反対の立場になっている。
俺が今困ってることは、ひとつだけある。
最近よく、学校の靴箱に手紙が入っていることがあった。
(放課後、体育館裏で待ってます みさきより)
これで何通目だろうか………。放課後に呼び出されるのももう3回目。他は理科室だの音楽室だの人気のないところばっかり。そして言われる言葉はみんな同じ。そもそも関わったことがあるかどうかもわからない顔も覚えてないような女子からやたらと告白される。手紙をくれたみさきという女子も俺には覚えがなかった。
そもそも自分の容姿も別に普通だろうに………と思ってはいるけど、友達から聞くには充分に目立ってるらしい。勉強ができるところ、気配りができるところ、そんなのは全部雨音ちゃんのおかげだ。自分自身が持ってるのは平凡?な顔面と大きくなりたいと願っていた身長だけ。
雨音ちゃんと一緒にいると良いことばかりではなく弊害もある。同年代の女の子が幼く見えて仕方ない。どうしても何度告白されてもときめかない。一度だけ付き合ったこともあるのだけど食事の所作、気配り、笑い方がこれじゃないと感じてしまう。これじゃないのこれ、とは………。
年頃の思春期の男になってうっすらとわかることはある。きっと雨音ちゃんのことが好きだって、自分だって認識してる。でもきっとまだ俺は雨音ちゃんに見合う男じゃない。そもそも今もなお弟くらいに思われていて、この間もふと台所で横に並んだ時にあんなに小さかった柊くんがこんなに大きくなっちゃうなんてねえ………!と親戚のおばさんのような言い方をされたばっかりだ。
成人を過ぎた女性に、15歳の中学生なんてやっぱり子供だと思われて当然だと思う。それに、雨音ちゃんを大事にしてくれる立派な男がいるなら、そいつの方がいいと思う。絶対イライラするけど。そうなったときは、陰ながら全力で応援してやらなきゃ俺の恋心は浮かばれない。
そう思うと、俺の靴箱に手紙を勇気をだして入れてくれる女子たちには頭が下がる。自分にはできそうにない恋心を伝える勇気を出して、一生懸命伝えようとしてくれている。交わした覚えのない言葉やちょっと手助けしたときのことを、宝石のように大事に心に収めてくれるのはありがたいことだと認識してる。でも、それでもその思いに報いることができない。だからとても、憂鬱なことになっている。
みさきからの手紙を丁寧にカバンにしまい込み、放課後まで憂鬱な気分で過ごした。あっさり引き下がってくれる子もいれば、泣き出してしまって慰めることもある。どの子にも気配りしてはいるんだけど、それが余計に変な噂が立ったりしている。
放課後、指定の体育館裏に行くともじもじとした様子でショートヘアの女の子がたっていた。後ろの壁の陰からちらちらと友達だろう影の様子も見えた。
(ああこれはまた、石田君最低だよ!と詰められるパターンかな………。)
「ええと………手紙をくれたみさきさんかな?お待たせしてごめんね」
「石田君、急に呼び出してごめんなさい………。わたしのこと、知ってるかな………」
「うーんと………正直あまり会話してた記憶が………」
気まずい空気が一瞬流れる。会話していた記憶どころか顔を見てもあんまり思い出せない。クラスの女子じゃなさそうだし。早く罰を受けて帰りたい。
「ごめんなさい、実は会話はしたことなくて、勝手に憧れていただけなの」
「あ、ああそうなんだ。どっかの何かを見かけたとかそういうのなんだね」
「体育祭でリレーをみて、………とってもかっこよかったです」
「そっか………ありがとう」
早く、引導を渡してほしい。そう思ってるのはお互い様かもしれないけど。そりゃ勇気いるよな、対面で話したことない奴に愛の告白をするなんて。待って断るのがいいのか、先に断るのがいいのか。こういう時は勇気出してない俺がしっかり恨まれる方がいい。
「ごめんね、もし告白なんだとしたら受けられない」
「やっぱり………そうですよね。いろんな女子が告白したって聞いてましたし………」
「うん………ごめんね。勇気出してくれて本当にありがとう」
そう言って、立ち去るしかなかった。歩き出した背中の向こうで泣き声と陰から駆け寄ってきたであろう友達のワァッという声が聞こえてくる。なんかどうして、俺はこうなんだろう。だれかともう一回付き合ったっていいのになんだか不誠実な気がしてどうしても踏み込めない。相手に対して(違う)と思うのなんて失礼すぎると思ってしまう。
ああ、今日は雨音ちゃんのところに行く日だ。この前失敗しかけたグラタンの作り方を教わるんだった。早くあの笑顔に会いたい。俺はいつまで、あの笑顔を独り占めしていられるんだろう。




