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じゃあ早速行こうか、と言われて総菜を片手に持ちながら雨音ちゃんに続いて知らない道をどんどん進む。お惣菜屋さんからそんなに遠く離れてはいないので自分の家と近い場所だと思うけど、歩きなれない道を一本入ってしまうとそこは別世界のような知らない町のような気がしてしまう。
「ほら、もうすぐそこ。私の家はそこの青い屋根の家だよ」
指を差された方向には、たしかに青い屋根の家がある。古そうでも、新しそうでもないこじんまりとした一軒家が建っている。その目の前には小さな公園があった。そこは何度か友達に連れてきてもらったところのような…そうじゃないような…。似たような公園はこの辺にいくつもあるので、記憶が曖昧だった。
勢いでついてきたものの、本当に迷惑じゃないだろうか。
そういえば知らない人についていったらいけないともいわれていたような。でももうここまでついてきてしまったし、うだうだ考えていても仕方ないかもしれない。雨音ちゃんのおうちの人に咎められたらしっかり謝って帰ることにしよう。
彼女はさぁどうぞどうぞとガラガラと音をたてる引き戸をあけて玄関の中に俺を招待した。すると耳をつんざくような大きな声で雨音ちゃんが家族を呼んだ。
「おじいちゃーーーん!!!」
玄関から続く長い廊下の向こうから、そろそろとおじいさんが顔を出してきた。優しそうな眼の筋と雨音ちゃんによく似た顔。
「おかえり、雨音。………おや、その子はお友達かい?ずいぶん小さい子みたいだが」
「そこのお惣菜屋さんで一緒になったの。石田柊くんっていうのよ。この子、毎日一人でご飯だっていうから、心配になって連れてきちゃった。一緒に食べてもいいかな?」
「はじめまして、石田柊です。あの………お邪魔じゃないでしょうか。もしあれなら僕はここで………」
おじいさんが、あまり乗り気じゃなさそうな顔をしたらすぐにでも帰るつもりはできている。人の迷惑にはならないようにと父さんにしっかり言われてるんだから。
「いやいや、ぜひ上がっていきなさい。ごはんは大勢で食べたほうがうまいんだぞ」
大人はこんなに小さい俺を上から下まで舐めるように見て、嫌そうな顔をすることも多いのにおじいさんはそんなそぶりも見せることなくさきほどの雨音ちゃんがみせてくれた笑顔と同じ笑顔で、俺を迎え入れてくれた。きっと、雨音ちゃんの最初の言葉だけでおじいさんもまた俺の事情を察してくれたんだと思う。
そうして総菜だけじゃやっぱりなんかね!せっかくお客さんが来たからと言ってサラダや煮物までどうみても三人じゃ食べきれなさそうな料理がテーブルに並んだ。
俺はテーブルいっぱいの料理を初めて見たし、料理をおいしそうだって初めて感じた。いつもの霞んだ視界にぼんやりうつる総菜とは違う。うっすら立ち上る湯気さえキラキラしたように見えてきて、なんだかマッチ売りの少女を思い出すようだった。雨音ちゃんの料理が完成するころにはすっかり夕飯時になっていて、友達の家でもこのくらいの時間には引き上げて帰ってくることが多かったので新鮮だった。
「さぁ、食べよう食べよう。柊くんが来てくれて少し作りすぎたかな。いただきます」
「い、いただきます………」
ごくりと生唾を飲み込んで、まずは量の多そうな煮物を一口。
だしの香りが口の中に広がって、野菜の甘味と醤油の豊かな香りが鼻に抜けていく。そしてほくほくしていてあったかい。
「お、おいしい………!」
そういうと雨音ちゃんがよかったあと言いながらこちらを見ている。ご飯って、温度も雰囲気も大事なんだと思い出したような気がする。本当に本当にひさしぶりの人に囲まれての夕飯。給食では友達はいるけどそこまで味や雰囲気というよりも、早く食べきって友達と遊ぶことの方に意識が向いてしまっているから、気が付いた時には食事は終わっている。
俺は火が付いたように箸をあちこちに伸ばし、どこからこんなに活力が湧いてくるんだという不思議な気持ちを抱えたまま美味しい料理を咀嚼していった。その間、おじいさんと雨音ちゃんはにこにこしながらこれも食べな、あれもどうぞと俺のほうにおかずを寄せてくれてその優しさにまたお腹の満たされなかった部分がゆっくりと膨らんでいく気がした。
食事の合間に自分の身の上話、なんていうとそんなに長く人生重ねているわけじゃなかったけど小学校三年生の8歳であることや母は離婚してしまって居ないこと、父が仕事でいつもおらず一人で晩御飯を食べていること、まだまだ料理までは難しくていつも冷えたお惣菜を食べていることなどを、何もつらくならずにすっと話すことができた。おいしいごはんは心の鎮痛作用でもあるのかもしれない。
ずっと印象に残っているのはこの時の雨音ちゃんの笑顔だ。元気よくて活発な人かと思ったら、笑い方は優しくてふふふとお箸を持ったまま手で口を覆ったり、俺のご飯事情になると本当に心配そうな顔をしていた。表情から心のうちまで透けて見えるようで、子供で人の裏の感情など知らない俺にはとても安心してありがたかった。
すっかりお腹がいっぱいになった俺は、ごちそうになった分のお代を払おうといつも総菜を買うために持たされている財布からお金を出そうとすると、雨音ちゃんとおじいさんはいらないいらないと怒り出すくらいの勢いだった。むしろ、これからお父さんのいない日は遠慮なく一緒にご飯を食べようと言ってくれた。
「ほ、本当にお世話になっていいんですか………?ご迷惑じゃないでしょうか?」
「いいのいいの、うちもおじいちゃんと二人で食べるより柊君がいてくれる方がうれしいから。ね!おじいちゃん」
「そうそう、こんなに楽しい夕飯は久しぶりだったしな。気を使わなくて大丈夫だから、一緒にご飯を食べていきなさい」
「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて………父にはしっかり報告しておきますから、よろしくお願いします」
すっかり夜も更けて、帰り道は雨音ちゃんが送ってくれると言ってくれたのだけど、さすがに女の子を夜道に歩かせるわけにはいかないというのはチビの自分でもわかっていたので丁重にお断りをした。
玄関先でさよならと二人に手を振って、なんだかウキウキで家に帰る。体の芯からなにか温かいふわふわしたものが包み込んでいるようなそんな気持ちになって、重いランドセルが全く苦にならないまま自宅までの道のりを歩いた。