第14話 呪いの子ら
ハルトの魂の温度が、変わった。
匂いと色と、温度とが。
ハルトの肉体はいま、粒子再構成をおこなったミディアの身体……竜鎧変形をなした竜の身体のうちに溶け込み、一体化している。だから彼の表情を、瞳の動きを目視することはできない。
それでもミディアは、ハルトが目を見開き、唇を動かし、猛烈な速度で流れる映像と情報とを読み取って自分の中に落とし込むのをたしかに見ている。
『……ハルト、大丈夫か』
ミディアの声にも、答えない。
小さく呟きながら、奔流に身を晒している。
世界の真実という奔流に。
彼女は記憶野を操作し、情報の流出速度を絞ろうとしたが、失敗した。すでにハルトはミディアの機能の大部分を把握し、制御している。
ハルトが見ているもの。
慈善院、竜祈師校、緑なす丘。
パン、チーズ、果実。人々の笑顔、いじめっ子たちの意地悪な表情。
夕景、曇天、冷たい雨。寮母に叱られ、見上げた夜空。
星空。
星空に、吸い上げられる。光の粒子は数を増し、拡がり、彼を包んで、宙に放り出した。足元にはなにもない。虚空。
虚空の中に、青く輝く球体が浮いている。
ハルトは手を伸ばし、近づく。それを地球と呼ぶことをもう知っている。命の沸る小さな揺籠。近づき、雲を破り、水に落ちる。
流れてゆく。
流れてゆく。
人々が倒れる。命を失う。次々に、加速度的に。
泣き叫ぶ人々。救いを求め、祈る。
遺跡。竜の遺骸。研究者たち。輝く小さな石。
膨大な装置、膨大な書物、流れてゆく数字と文字。
やがて得た、答え。
石、竜核が操作され、光の波が取り出される。
波は拡がり、地域を、街を、大陸を包む。
その膨大なエネルギーにより、種としての寿命を回避することに成功した人類。
複雑な装置に包まれて光り輝く石。歓喜する人々。広がる安堵。
しかし、光が薄まる。小さくなり、やがて消える。
命を失っている竜核から取り出せるエネルギーの、限界。
絶望。
そのなかで見つかった、ひとつの竜核。
いまだ生きている、わずかに生命の火を灯す、竜核。
すべての技術と知識と資源が動員され、死から強制的に呼び戻された、ギストラロムドの星の民。
その竜核は、生殖した。
特定の条件で分裂し、子をなした。
子である竜核の力は小さく、増殖もしないが、力を取り出せた。
人々は再び歓喜したが、同時に、宿命を悟った。
親である竜核は、いつか寿命を迎えるだろう。
強制的に使役する過程で、その寿命が明らかになったのだ。
子も、同様だ。
だとすれば。
『……残存した人類のうち健康なものが選抜され、巨大な移民船、真地球に乗った。崩れつつある地球を捨てて旅に出るための船じゃ。そして動力も重力制御も、その内に住む者たちの寿命の延長も、すべてひとつの竜枢が担っておる。墓で見つかった、生きた竜核じゃよ。そしてそれは、まもなく死を迎えることがわかっておる。じゃから……』
ハルトが最後に得たイメージは、巨大な口を開いて遠い星を喰らおうとする、亡霊のような人間の姿だった。その映像をシーファも共有している。
『……そのとおり。喰らおう、としておるのじゃ。人類は。自らを産んだ存在を。親を、の』
シーファの声は、呟きとなっている。
『親殺し。捕らえ、核を取り出し、自らの命を永らえるために使役する。創造主の故郷、ギストラロムドへの旅は、そのための……呪われた子らの、旅路じゃよ』
再び、映像。楽園……ハルトのよく知る世界の映像。
『そうして、人類は地球を離れた。じゃが、ほとんどの人間は宇宙空間での生活に適応できんかった。理由はわからぬ。竜枢の光を浴びても、次々に息絶えていった。が、一部が生き残った。そしてその子孫たちは、竜枢の力の一部を、生まれながらに持っておった。火を生じたり、風を操ったり、の。そういう者を保護し、外界から隔絶する目的で作られたのが、楽園じゃ』
人の身体の構造図、そして横に、一部を鉄の部品に置き換えた図。
『適合できなかった者の末裔は、身体のほとんどを機械に置き換えた。代わりに長い寿命を得て、真地球の管理にあたった。それが天界の民、天人……わしも、ジド議長も、すでに五百年ほど生きておる』
映像が切り替わる。真空の暗闇からふいに現れる、怪物。獣の姿も、直視に耐えない形状のものもある。それらが銀の船、真地球にとりつき、侵入していく様子。
『目的地に近づいた頃、抵抗が始まった。二百年ほど前のことじゃ。おぬしらが魔物と呼び、わしらが獣器体と呼ぶ、無機生命攻撃体。そいつらを迎え撃つための組織が、竜核の研究者じゃったわしの下に作られた。エノステア機関じゃ。そしてわしは、ミディアたち竜人形を建造した』
『……あたしらは、ギストラロムドの竜の鎧を模倣して作られた。粒子再構成で人間に擬態できる。エネルギー源は、竜核。竜枢の子だよ。だからあたしも、ギストラロムドの血を引いてることになる』
ミディアが声を合わせる。
『竜核を操作するといろんなことができる。でもなにができるのか、あたし自身にもわからないんだ。シーファが見つけてくれた機能しか使えない。でも……ハルトと一緒になった時だけは、なんでもできる』
『竜鎧変形、と呼んでいる現象じゃ。過去に一度だけ、まだ人類が地球を離れるまえに偶然に起こったことがある。竜核の研究者のひとりが、気がつけば竜核に取り込まれていた。そやつは人の形を失い、竜の姿の光になった、と記録されておる。その時に発した膨大なエネルギーは、竜枢のそれをはるかに上回ったらしい。変形が解除されたあとも、その人間は種の寿命の呪いから解放された、ともされておる』
シーファの声が、一度とぎれた。
『……ハルトくん。君は、自らの意思で竜鎧変形を行うことができる。ミディアの竜核と、ひとつになれる。現在のようにの。じゃから、ギストラロムドと対峙するために、種の寿命を超えるために……君は、人類の希望なんじゃよ』
『……僕、が』
ハルトが声を出す。
『……どう、して……僕、が……』
『……君に関する情報はミディアからも、真地球の主幹記憶体からも抹消してある。走査しても見つからなかったじゃろう。天界でもごく一部の者しか知らぬ。じゃが、ひとつだけ覚えておいてくれ。君は……』
と、その時。
『緊急警報。敵影、六百十七。距離二万、仰角八から百六十三。識別、竜鎧』
ミディアの声。彼女の意思に関わらず発せられる、静かで穏やかな報告に、思念の向こうでシーファが絶句している。
『……な……竜、鎧……だと』
『解像処理完了。映像を再生します』
遠い恒星の、光の帯。
その帯を背景に、彼らは宙空であるにも関わらず、隊列をなしている。
無数の、竜。
ハルトは、竜祈師校で一度見た、竜になったミディアと同じ姿だ、と、ぼうと考えながら、それを見つめている。
『……ギストラロムド……天孫、自らが……』
『警告。次元切断波の構成を感知。十二秒での射出を予想。十一、十、九……』
『いかん。ミディア、ハルトくん、戻れ!』
シーファの叫び声と同時に、全天の星が歪み、消えた。
先ほどミディアが放ったものと同様、空間位相を変化させて対象物を切断する武装。が、ミディアの処理野は、そこに内包されるエネルギーの総量を、自らの持つそれの数百倍と計算した。
消滅。
取りうる行動の帰結をすべて予測し、得た回答は、ひとつだけだった。




