57粒目
問屋へ戻ると、狸擬きは端の客用のテーブルで、ビスケットをもさもさと頬張っており、こちらに気付いたおばばは、
「あら……」
と言いたげな、少し困ったような顔をして男に何か言っている。
男は、さらりと言葉を返しているけれど、おばはは溜め息を吐いている。
「……?」
狸擬きは、主の毛の色が少し変わったな程度の認識で、土産はないのかとこちらを見てくるだけ。
(今ビスケットを貪ってるだろうがの)
ドレスと共に靴も、黒く、爪先が丸っこい踵のあるものに新調されたけれど、絶えず抱っこ抱っこで、歩くことはあるのだろうか。
まぁ。
(人形も夜以外はそうそう出歩かないしの)
にしても。
「の、我は空腹であるの」
「あぁ、そうか」
ビスケットを貪っていたくせに、その言葉で椅子から飛び降りて、トトトとこちらへやってくる狸擬き。
狸擬きを連れて三たび路地に出ると、視線を上げても布、布、布で見えなかったけれど、南には王様の住む城があるらしい。
城が見えないくらいの方がこの国らしくていいと王様の意向で、この布の帳は続いていると男は教えてくれる。
ふらふら街を眺めながら歩きながら、食事のできる店を探していると、狸擬きが立ち止まり、店の前でフンフンと鼻を鳴らす。
食堂らしい。
ドアを開けて店に入ると、珈琲のいい香りがしている。
無地の暖簾が掛けられた奥の部屋から、おっとりとした雰囲気の、男よりはだいぶ年上の、店主と思われる男が現れた。
街中にかかる布の様な色褪せた前掛けをして、こじんまりした店内は、やはり布が掛けられた丸いテーブルを勧めてくれる。
店内も余計な飾りや色はなく、何だかこの街そのものを小さく纏めたような室内。
「……?」
ふと、暖簾の向こう、厨房の方から視線を感じ振り返ると、見た目だけは我と同じか少し上の幼子が、こちらを、正確には我の着ている服を見ており、はたと目が合うと、露骨に唇を尖らせた。
手伝いか、布を硬く硬くしたような1枚の品書きを持ってきたけれど、近づいてきた時には、もう我とは目を合わせもしない。
代わりに椅子に座る狸擬きに気づき、驚き飛び上がってはいるが。
(我は何か失礼なことをしたかの?)
男にこそりと訊ねると、
「君も気付いていると思うけれど、この国では、はっきりした色合いの服やドレスは好まれない」
男が手を伸ばして頭を撫でてくる。
(そうなのか……)
さっきのおばはの表情を思い出す。
では。
「……我は、あの娘に、疎まれておるのかの?」
「そうだな、いや、着たくても着れないジレンマかもしれない」
(あぁ……)
そうか。
「あそこの店も、実は夜の仕事を生業とする女性たちが服を買いに来る店だ」
男に、少し申し訳なさそうな顔をされたけれど、全く構わぬ。
「とても素敵なものを選んでくれた、感謝の」
と答えたけれど。
「君には、この国の素朴なものは似合わない」
こやつ、周りに言葉が通じないからといって、随分はっきりと、ものを言うの。
しかも悪びれずにニコニコしているし。
運ばれて来たのは、サンドイッチと珈琲とカフェオレ。
芋を潰したものと、燻製肉らしいものが挟まったサンドイッチ。
玉葱の浮かんだスープに、根菜の酢漬け。
不味くはないけれど、何とも質素堅実な食事。
狸擬きの食べ物に対する執着具合からしても、この店は他の店よりはまともか、食事にしては贅沢な部類なのは疑いようがない。
(ぬぬん)
空腹は満たされたけれども。
「甘味の店は城の近くにあるそうだよ」
(む)
「乙女の心を読むのは良くないの」
それでも、時間的にはどうやら明日までお預けになりそうだ。
店を出るまで、店の小さな娘からの視線は、我ではなくこのドレスに、ずっと感じていた。
けれど。
(これはこの男からの『贈り物』だからの。悪いけれど、そう易々と譲ることはできぬの)
我が身に付けるものは、着るものといい草履といい、そうそう簡単にガタは来ない。
それは、長年に渡り、
「まぁ便利だの」
程度にしか思っていなかったけれど。
(贈り物が未来永劫保ち続けられるのは……良いの)
この肉体に感謝をしなくては。
組合の近くの、やはり至極簡素で素朴な宿を取り、風呂に浸かる。
「ぬーふー……」
風呂があるだけでもよしとしなければ。
明日は城を眺めに行く予定がある。
そしてさすが布の国。
「おぉ、心地よいの」
早々と寝巻きに着替えてベッドに寝転がったけれど、敷物の肌触りがとても良い。
男は狸擬きを風呂で洗ってくれている。
簡素な壁に、衣紋掛けに吊るされた黒いドレス。
人形が着ていてもおかしくない、色こそ漆黒だけれど、肩にもスカートにも膨らみと嵩があり、華かやで艶やかで、豪華絢爛。
これが我に似合うと、男は言う。
(ぬぬ……)
このむず痒い感覚は何なのだろう。
このドレスの持ち主の念か。
いや。
(……違うの)
あの時、我が着て我が満足したことで、微かに残っていた姫の未練の念も、しっかり成仏している。
だからこそ。
(謎よの……)
部屋の小さな窓から小鳥が、とんとんと嘴でつついてきた。
「……ぬ?」
窓を開けて、ちょうど出てきた男を呼ぶと、小鳥はちょこんと、部屋の椅子の背に留まっている。
男は、手紙を取り出すと眉を寄せ、裏に返事を書き小鳥を飛ばす。
帰りがけの店で、買ったクッキーを1枚咥えさせて。
「なんの?」
「組合から顔を出せと……」
「おやの」
とっぷり陽も暮れた中、我を外へ連れて行くのは躊躇するけれど、1人にもしたくないと言った顔。
「こやつもいるから大丈夫の」
まぁ濡れ狸が何の役に立つかは知らないが。
「……悪い、なるべく早く戻る」
「の」
男が着替えて濡れ髪のまま出ていくと、布で狸擬きを拭く。
が。
「乾かんの……」
『……』
「すまぬ、男が帰るまで布を敷くからそこで勘弁の」
毛の量が多すぎてどうにもならぬ。
狸擬きは大して気にもしていないらしく、敷いた敷物の上にごろりと横になると、
『……』
街は布が凄いと、スンと鼻を鳴らして話し掛けてきた。
「あぁ、凄いの、圧巻の」
『……』
「外に?外には出ないの、出たいのの?」
『……』
「違う?あぁ、我と2人で歩いていた時が懐かしいと?」
そう言えばそんなこともあった。
「今は不満かの?」
そんなことはないと、またゴロリと、今度は仰向けになる狸擬き。
「ただ懐かしいと?……そうの」
互いに物思いに更けていると、そう大して時間を掛けずに戻ってきた男は、狸擬きの乾きかけの毛を乾かしながら、
「行商人の通例の集会に出るように言われてしまった」
眉を寄せている。
「の?」
「たまにあるんだ、大概忙しいからと逃げるんだけど、それぞれの国や街の人間とも組合は繋がってるから」
あの問屋のおばばを通じて、数日はここに滞在することが知られていると、苦笑いの後に大きな溜め息。
では。
「狸擬きと共に待っておるの」
「悪いな」
狸擬きがもういいと、男の手の平の熱風から逃げている。
男はやっと立ち上がると、
「ふー……」
ベッドに座る我をひょいと抱き上げてから、髪に顔を埋めてくる。
「小麦の王子の呼び出しより面倒そうの」
「さすがに逃げられないからな」
「昼くらいは一緒にとれるのの?」
「あぁ」
なら。
「組合まで迎えに行くの」
狸擬きと共に。
「……ん?」
男が顔を見つめてきた。
「この街からは外に出ぬし、昼間はそこらを散歩でもしておる」
男が我を見つめたまま、葛藤してるのは分かる。
1人で徘徊させるのは不安だが、この狭い宿に閉じ込めておくのも不憫だとでも思っているのだろう。
「狸擬きもいるの」
「余計に不安だ」
狸擬きが、男の言葉に視界の端で四つ足をジタバタさせ、なんだとなんだとと不服を訴えている。
「なら、鳥を付けて貰えばいいの」
何かあったら男の許に鳥が飛んでいく。
それで男は渋々承諾し、翌朝、宿の簡素な食事の後に、組合の前で少し話をし、男と別れた。




