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55/147

55粒目

日の出と共に男は、サクサクと荷台の車輪を取り替え、風魔法を仕込んだ石を車輪に嵌め込んでいる。

こちらは急ぎの仕事があるからと、男は我と狸擬きを荷台に乗せたまま川沿いの道まで出ると、すっかり笑顔を見せた若い女と狼と別れた。

狼の、絶えず何かこちらへ言いたそうな空気は伝わってきたけれど、荷台でうつ伏せになり、狸擬きとお絵かきに勤しみ、気づかないふりをした。

(助けたのは男であり、我ではないしの)

雲一つなく快晴の冬空。

雪化粧の草原、男が馬車を停めて、

「おいで」

手綱を引くベンチに移動するために、荷台にいる我に両手を伸ばしてきた。

「お主はどうするのの?」

狸擬きはそのまま荷台から動かず、けれど狸擬きの腹から、

ぐー……

と盛大に音が鳴った。

狸擬きにしては、らしくなく空気を読んでいたらしい。

「はは、のんびり行こうか」

天気もいいしと、男が馬車の脇に物干しを設置し、布団を干す。

湯気を立て始めた炊飯器の隣で、男に髪を梳かして貰う。

「……?」

ぺたりと座り込み、視線を下げた先にふと目に入ったのは、小さな手。

桜色の爪の、先。

白いものが生えている。

正確には、爪が、

(伸びている……?)

今まで、そんなことは一度もなかったのだけれど。

目線まで上げてじっと眺めていると、

「爪は後で削ろう」

男の声が背後から届く。

「切らぬのの?」

「爪が傷む」

「お主は器用にナイフで切っておるの」

「君の爪は薄く脆い」

よく見ている。

しかし。

「爪を削る道具などよくあるの」

「卸すための品物に混じっている」

堂々と横領宣言をするなの。

握り飯とお茶で朝食を済ませると、荷台の柵を下ろして座らされ、荷台から降りた男に、指先の爪を1本ずつ削られる。

「我はまるでお姫様の」

「君はお姫様だ」

荷台から降りていた狸擬きが、フンフンと我の目にすら留まらない程度の、微量に散っていく爪の粉を鼻先で追っている。

「……の?」

『……』

獣、我等の中でもまこと稀有な不死の存在の欠片、粉塵ですら惹かれて仕方ないと。

(ふぬ)

確かに、梳かれる髪も全く抜けることはない。

削れたほんの微かな粉塵をも逃すものかと、鼻先を上げてをスンスン鳴らす狸擬きに、

「くふふ、ならお主に、唾液でも与えてやろうかの」

戯れ言を口にしてみせるも、

「駄目だ」

狸擬きの言っていることはわからないはずなのに、男から禁止された。

「……の?駄目の?」

「……」

男は答えずに、手の爪を削り終えると、だらりと下がる我の足から足袋を脱がせ、小さな足を、大きな硬い手が包み込むように、足の爪先を削っていく。

そう大して伸びていない爪も、1本1本丁寧に削られると、そのまま男は、目を伏せて、足の甲に唇を触れさせてきた。

少し、くすぐったい。

足袋を履かされながらも、どうやら本当に、我の身体に、粉塵に変な力でもあるのか、狸擬きはふらふらと千鳥足になり、出鱈目に雪に足跡を付けている。

「……何を話していた?」

男が不審気な顔で狸擬きを見下ろしてから、我を抱き上げてくる。

「あやつが我の爪の垢に酔うと言うから、ならば唾液でも飲まそうかと言ったのの」

「……」

男の呆れた様な、不可解と言った様な、複雑な表情に、

「人の男にでも効くのだろうかの?」

男の頬に触れてみる。

ひんやりとしているのに、皮膚の奥には血が通っている。

「酔いが、か?」

「不死の」

冗談めかしてみたものの、男は笑わない。

男の瞳に、我が映る。

「君は、人魚なのか?」

「人魚の?」

人魚。

ふぬ。

「人魚はこちらでも変わらず、不死の象徴としての扱いなのの」

男は答えない。

しかし。

「残念ながら、我には、両足があるの」

今の今、男に丁重に両足の爪を削いで貰ったばかり。

くちづけまでされた。

けれど。

「まぁ、似たようなものよの」

あやつらも、我も。

人から見れば。

同じ、

(化け物の)

「……」

そっと目を伏せれば、

「それなら、人魚も結構な食いしん坊か」

男に頬をつつかれ、

「ぬ、我は甘いものが少し好きなだけだの」

つつかれた頬を膨らませる。

膨らませたまま男と顔を見合わせ、額を合わせて、笑う。

(あぁ……)

あぁ。

楽しいの。

男の首にしがみつくと、男もしっかりと抱き締めてくれる。

そして。

「君の唾液が飲みたい」

男に囁かれた。

「なんと……。お主も不死が必要の?」

失笑して見せたが。

「君と同じ時を過ごすためだ」

「の……」

そうか。

そうだ。

そう。

この男は、いつでも軸がぶれない。

「そうの……」

もし我の身体に、本当にそんな力があるのならば。

「いくらでも、与えようの」

唾液どころか、片足くらいなら、股ぐらからもぎ取ってくれてやる。

そしてその時は、文字通り骨の髄まで、しゃぶって貰おうかの。



淡々と馬車を走らせ、陽が暮れ始めた頃。

急げば布の国まで辿り着けそうだったけれど、急いでも、ろくなことはない。

それはあの若い娘が身をもって教えてくれた。

(あれも半分は狼のためではあるけれどの)

空が紫色に染まり、川の畔に、馬車を停めると。


「あーずき洗おか、つーめをけーずろか♪」

「あーずき洗おか、なーにを食べよか♪」

しゃきしゃきしゃき

しゃきしゃきしゃき


狸擬きには、あの若い娘の居場所を見付け、そこまで誘導したご褒美に、何重にも重なる蓮の花弁を、羽に見立てた鶴の折り紙を折ってやった。

どうかと思ったけれどそれは杞憂で、また前足で天に掲げるようにして眺めているから、作りがいもあると言うものだ。

夜の草原。

今夜は風がないのが有難い。

男が、パンの在庫が過剰なため、夜はパンのみと伝えられ、狸擬きは不服そうにしていたけれど、赤飯おにぎりがないだけで、肉の煮込みと、芋のポタージュ。

この世界は、国と言っても、規模はだいぶ小さい。

これから向かう国は、この世界のもの達でもそう思うほどに小さく、3国が一括りにされることも珍しくないらしい。

花の国へ向かうつもりが、若い女の元へ向かったため、もう一つの布の街の方が若干近くなり、先に寄り道することになった。

甘味は遠退くけれど、仕方ない。

国は小さいけれど、それ故に移動も短くて済むと。

「布の国と言うくらいの、お主のその煙草は大丈夫の?」

少し開いた幌の隙間から煙を出す男は、肩を竦め、

「早めに切り上げたい」

まぁそうだろうの。

「あそこは、火の魔法のない人たちが、遠くから、他国からも来たりするらしい」

この世界では珍しい火魔法の出ない人間。

「火魔法がないと、自国では居心地が悪いのかの?」

「いや、うっかりがないから重宝される」

確かに。

「なら我も重宝されるの」

男の許に四つん這いでにじり寄り、あぐらの中におさまると、

「君は手先も器用だ、勧誘されるかもしれない」

右手を男の手に掬われる。

「器用といえば狸擬き、お主もよの」

3体の折り紙を並べて悦に入っていた狸擬きが、

「?」

顔を上げ、自分の前足を眺める。

「宝物が一杯だな」

男が折り紙を眺めながら、また煙を吐き出す。

「お主も欲しいのの?」

いくらでも折るが。

「いや、宝物は腕の中にある」

いやはや天然のたらしよの。

「ある意味関心するの」

「?」

無自覚だからたちが悪い。

空いた指先で髪を梳かれ、静かな時間が流れる。

狸擬きがあくびをしたのを潮に、男が川で小さな樽に水を汲んでくると、ストーブから火ばさみで石を取り出し、樽に落とした。

その熱めの湯で絞った布を手渡され、身体を拭く前に、狸擬きには大きな布が被せられ、いつも笑ってしまう。

布越しに不満そうな気配が漂うことにも。

自らの身体を清めつつ、しかと目をすがめてみるものの、成長は全く見られず。

微かに爪が伸びたことにも、まず驚いたのだけれど。

食事のせいなのは間違いなさそうだ。

(まぁ、特に問題はなかろうの)

寝巻きに着替え、湯を絞り直してから、座る男の背中を擦る。

その度に不満そうな気配はあるのに、布を被せると段々規則的に布が小さく上下し始め、そのまま眠りに就く狸擬き。

ストーブには新しい石を置き、男が火を点ける。

「今日も楽しい1日だったの」

髪を梳かされながら狸擬きを起こさぬように声を忍ばせると、

「移動しかしていないぞ?」

そう答えつつも、男の声も楽しげな色が混じる。

「十分の」

川で小豆もしゃきしゃきできたし。

「明日は仕入れもするのの?」

「その予定だ。……それと」

「の?」

「いや、……寝ようか」

「ぬん」

干した布団に横たわり、男と手の平を合わせる。

「大きいの」

食べでがありそうだ。

「君は小さいな」

「紅葉の手と言われるらしいの」

「もみじ?」

「赤い、こんな手の平の形をした葉のことの」

「楓か」

「近いものの」

風が強くなってきたけれど、隙間から流れ込んでくる無色の風に、ほんの微かに、桃花色が混じっている。

どこから。

遠くから。

花の匂い。

花の国?

山を超えて。


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