55粒目
日の出と共に男は、サクサクと荷台の車輪を取り替え、風魔法を仕込んだ石を車輪に嵌め込んでいる。
こちらは急ぎの仕事があるからと、男は我と狸擬きを荷台に乗せたまま川沿いの道まで出ると、すっかり笑顔を見せた若い女と狼と別れた。
狼の、絶えず何かこちらへ言いたそうな空気は伝わってきたけれど、荷台でうつ伏せになり、狸擬きとお絵かきに勤しみ、気づかないふりをした。
(助けたのは男であり、我ではないしの)
雲一つなく快晴の冬空。
雪化粧の草原、男が馬車を停めて、
「おいで」
手綱を引くベンチに移動するために、荷台にいる我に両手を伸ばしてきた。
「お主はどうするのの?」
狸擬きはそのまま荷台から動かず、けれど狸擬きの腹から、
ぐー……
と盛大に音が鳴った。
狸擬きにしては、らしくなく空気を読んでいたらしい。
「はは、のんびり行こうか」
天気もいいしと、男が馬車の脇に物干しを設置し、布団を干す。
湯気を立て始めた炊飯器の隣で、男に髪を梳かして貰う。
「……?」
ぺたりと座り込み、視線を下げた先にふと目に入ったのは、小さな手。
桜色の爪の、先。
白いものが生えている。
正確には、爪が、
(伸びている……?)
今まで、そんなことは一度もなかったのだけれど。
目線まで上げてじっと眺めていると、
「爪は後で削ろう」
男の声が背後から届く。
「切らぬのの?」
「爪が傷む」
「お主は器用にナイフで切っておるの」
「君の爪は薄く脆い」
よく見ている。
しかし。
「爪を削る道具などよくあるの」
「卸すための品物に混じっている」
堂々と横領宣言をするなの。
握り飯とお茶で朝食を済ませると、荷台の柵を下ろして座らされ、荷台から降りた男に、指先の爪を1本ずつ削られる。
「我はまるでお姫様の」
「君はお姫様だ」
荷台から降りていた狸擬きが、フンフンと我の目にすら留まらない程度の、微量に散っていく爪の粉を鼻先で追っている。
「……の?」
『……』
獣、我等の中でもまこと稀有な不死の存在の欠片、粉塵ですら惹かれて仕方ないと。
(ふぬ)
確かに、梳かれる髪も全く抜けることはない。
削れたほんの微かな粉塵をも逃すものかと、鼻先を上げてをスンスン鳴らす狸擬きに、
「くふふ、ならお主に、唾液でも与えてやろうかの」
戯れ言を口にしてみせるも、
「駄目だ」
狸擬きの言っていることはわからないはずなのに、男から禁止された。
「……の?駄目の?」
「……」
男は答えずに、手の爪を削り終えると、だらりと下がる我の足から足袋を脱がせ、小さな足を、大きな硬い手が包み込むように、足の爪先を削っていく。
そう大して伸びていない爪も、1本1本丁寧に削られると、そのまま男は、目を伏せて、足の甲に唇を触れさせてきた。
少し、くすぐったい。
足袋を履かされながらも、どうやら本当に、我の身体に、粉塵に変な力でもあるのか、狸擬きはふらふらと千鳥足になり、出鱈目に雪に足跡を付けている。
「……何を話していた?」
男が不審気な顔で狸擬きを見下ろしてから、我を抱き上げてくる。
「あやつが我の爪の垢に酔うと言うから、ならば唾液でも飲まそうかと言ったのの」
「……」
男の呆れた様な、不可解と言った様な、複雑な表情に、
「人の男にでも効くのだろうかの?」
男の頬に触れてみる。
ひんやりとしているのに、皮膚の奥には血が通っている。
「酔いが、か?」
「不死の」
冗談めかしてみたものの、男は笑わない。
男の瞳に、我が映る。
「君は、人魚なのか?」
「人魚の?」
人魚。
ふぬ。
「人魚はこちらでも変わらず、不死の象徴としての扱いなのの」
男は答えない。
しかし。
「残念ながら、我には、両足があるの」
今の今、男に丁重に両足の爪を削いで貰ったばかり。
くちづけまでされた。
けれど。
「まぁ、似たようなものよの」
あやつらも、我も。
人から見れば。
同じ、
(化け物の)
「……」
そっと目を伏せれば、
「それなら、人魚も結構な食いしん坊か」
男に頬をつつかれ、
「ぬ、我は甘いものが少し好きなだけだの」
つつかれた頬を膨らませる。
膨らませたまま男と顔を見合わせ、額を合わせて、笑う。
(あぁ……)
あぁ。
楽しいの。
男の首にしがみつくと、男もしっかりと抱き締めてくれる。
そして。
「君の唾液が飲みたい」
男に囁かれた。
「なんと……。お主も不死が必要の?」
失笑して見せたが。
「君と同じ時を過ごすためだ」
「の……」
そうか。
そうだ。
そう。
この男は、いつでも軸がぶれない。
「そうの……」
もし我の身体に、本当にそんな力があるのならば。
「いくらでも、与えようの」
唾液どころか、片足くらいなら、股ぐらからもぎ取ってくれてやる。
そしてその時は、文字通り骨の髄まで、しゃぶって貰おうかの。
淡々と馬車を走らせ、陽が暮れ始めた頃。
急げば布の国まで辿り着けそうだったけれど、急いでも、ろくなことはない。
それはあの若い娘が身をもって教えてくれた。
(あれも半分は狼のためではあるけれどの)
空が紫色に染まり、川の畔に、馬車を停めると。
「あーずき洗おか、つーめをけーずろか♪」
「あーずき洗おか、なーにを食べよか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
狸擬きには、あの若い娘の居場所を見付け、そこまで誘導したご褒美に、何重にも重なる蓮の花弁を、羽に見立てた鶴の折り紙を折ってやった。
どうかと思ったけれどそれは杞憂で、また前足で天に掲げるようにして眺めているから、作りがいもあると言うものだ。
夜の草原。
今夜は風がないのが有難い。
男が、パンの在庫が過剰なため、夜はパンのみと伝えられ、狸擬きは不服そうにしていたけれど、赤飯おにぎりがないだけで、肉の煮込みと、芋のポタージュ。
この世界は、国と言っても、規模はだいぶ小さい。
これから向かう国は、この世界のもの達でもそう思うほどに小さく、3国が一括りにされることも珍しくないらしい。
花の国へ向かうつもりが、若い女の元へ向かったため、もう一つの布の街の方が若干近くなり、先に寄り道することになった。
甘味は遠退くけれど、仕方ない。
国は小さいけれど、それ故に移動も短くて済むと。
「布の国と言うくらいの、お主のその煙草は大丈夫の?」
少し開いた幌の隙間から煙を出す男は、肩を竦め、
「早めに切り上げたい」
まぁそうだろうの。
「あそこは、火の魔法のない人たちが、遠くから、他国からも来たりするらしい」
この世界では珍しい火魔法の出ない人間。
「火魔法がないと、自国では居心地が悪いのかの?」
「いや、うっかりがないから重宝される」
確かに。
「なら我も重宝されるの」
男の許に四つん這いでにじり寄り、あぐらの中におさまると、
「君は手先も器用だ、勧誘されるかもしれない」
右手を男の手に掬われる。
「器用といえば狸擬き、お主もよの」
3体の折り紙を並べて悦に入っていた狸擬きが、
「?」
顔を上げ、自分の前足を眺める。
「宝物が一杯だな」
男が折り紙を眺めながら、また煙を吐き出す。
「お主も欲しいのの?」
いくらでも折るが。
「いや、宝物は腕の中にある」
いやはや天然のたらしよの。
「ある意味関心するの」
「?」
無自覚だからたちが悪い。
空いた指先で髪を梳かれ、静かな時間が流れる。
狸擬きがあくびをしたのを潮に、男が川で小さな樽に水を汲んでくると、ストーブから火ばさみで石を取り出し、樽に落とした。
その熱めの湯で絞った布を手渡され、身体を拭く前に、狸擬きには大きな布が被せられ、いつも笑ってしまう。
布越しに不満そうな気配が漂うことにも。
自らの身体を清めつつ、しかと目をすがめてみるものの、成長は全く見られず。
微かに爪が伸びたことにも、まず驚いたのだけれど。
食事のせいなのは間違いなさそうだ。
(まぁ、特に問題はなかろうの)
寝巻きに着替え、湯を絞り直してから、座る男の背中を擦る。
その度に不満そうな気配はあるのに、布を被せると段々規則的に布が小さく上下し始め、そのまま眠りに就く狸擬き。
ストーブには新しい石を置き、男が火を点ける。
「今日も楽しい1日だったの」
髪を梳かされながら狸擬きを起こさぬように声を忍ばせると、
「移動しかしていないぞ?」
そう答えつつも、男の声も楽しげな色が混じる。
「十分の」
川で小豆もしゃきしゃきできたし。
「明日は仕入れもするのの?」
「その予定だ。……それと」
「の?」
「いや、……寝ようか」
「ぬん」
干した布団に横たわり、男と手の平を合わせる。
「大きいの」
食べでがありそうだ。
「君は小さいな」
「紅葉の手と言われるらしいの」
「もみじ?」
「赤い、こんな手の平の形をした葉のことの」
「楓か」
「近いものの」
風が強くなってきたけれど、隙間から流れ込んでくる無色の風に、ほんの微かに、桃花色が混じっている。
どこから。
遠くから。
花の匂い。
花の国?
山を超えて。




