51粒目
それでも、もう1泊程度してからのんびりと行こうか、などと話していた翌日。
珍しく朝の鐘が鳴らず、窓から視界に入り、そして聞こえるのは、鳥たちが羽ばたいてくる姿と鳴き声。
顔を見合せて降りていくと、朝も早くから、小鳥だけでなく鷹程度の大柄な鳥も、どんどん飛んで来ては、外のテーブルに降り立ち、宿の方には表立ってはいなかったメイド達が幾人も現れ、鳥の便りを捌いては、別の者が宿の宿泊帳らしきものに記載し、また鳥の足の筒に手紙を忍ばせ、また飛ばしていく。
男が、
「何か手伝おうか」
的な言葉を掛けているが、
「食事を少し待って貰えたらそれで充分です」
と言われたと。
そのせわしない姿を宿の広間から眺めていると、宿の奥から、主人と鳥が現れた。
が、主人の頬が若干やつれているのは気のせいではなく。
昨夜はメイドたちと、さぞや熱い夜を過ごしたのだろう。
(元気そうで何よりの)
そう思いつつも、何となく男の首にしがみつくと、
「ん?」
どうした?
と男に耳許で囁かれ、くすぐったい。
狸擬きは、宿の主人の腕から、こちらへ飛んできた鳥と何やら話している。
宿の主人は、朝食が遅れていることを謝っているらしいけれど、男がそろそろ発つことを告げると、驚きつつも、苦笑いしながら、何やら話をしている。
後で、狸擬きが鳥に聞いた話だと、この宿は、この宿の主人目当ての「マダム」が多いらしく、多少の雪道なら何のその、主人が行商や買い出しから帰ると、それを狙って駆けつけてくる御婦人等が1人や2人ではなく、その旨を伝える手紙をしたためては、鳥に届けさせると。
要はこの鳥たちの数と同程度のマダム達が押し掛けてくるらしい。
外から主人が帰ると、その便りを常連のマダムたちに送る手筈になっており、その返事となる宿泊予約が届いての、今朝のこの有り様だと。
御婦人たちにとって、ここの主人は、偶像、いや、
『推し』
というものなのだろう。
そして、この様子だと主人は割りと積極的に、宿の主自ら、行商に買い出しと、宿にいる日は少ないと見た。
こんな立派な宿にメイドの数に家畜、どうやって維持しているのかと不思議だったけれど、しっかりと太客達を掴んでいるのだ。
男と顔を見合せ小さく肩を竦め合い、では、自分達は嵐が来る前にお暇しようと、朝食は出発の準備を理由に断り、荷造りを急ぐ。
とは行っても、部屋での食事もなし、荷を少し纏めるだけで済む。
荷台と馬を繋いで貰ってくる、と男が出ていくと、
「何とも慌ただしいの」
自らで決めたことだけれど、つい笑ってしまう。
狸擬きは、ベッドの上でだらりとしているだけ。
そう言えば、昨日も案外大人しく身体を洗われていた。
何か心境の変化か。
(そうの)
「の、お主は寂しくないのの?」
メイドたちに大層懐いているように見えたけれど、狸擬きには聞かずに出発を決めてしまった。
狸擬きはそれには答えず、ただ、あの「おにぎり」が恋しいとスンスンと訴えてくる。
なるほど。
元気のない理由はそれか。
「少し先に進んだら、食事にするの」
狸擬きの尻尾が嬉しそうに跳ねる。
「お主は赤飯おにぎりが大好きの」
また跳ねる。
とても好きらしい。
(まぁ悪い気はしないの)
色より食を好むとは。
なんとも、主の我にそっくりである。
男が戻ってきた。
片手に抱えていたぽんちょを被せられ、風呂敷に包んだ炊飯器とザルを持つと、男に抱き上げられる。
(またの……)
またいつか。
また来たい。
部屋に挨拶し、広間へ向かうと、第一段の鳥便が落ち着いたらしく、見慣れた馬車は大きな扉の前まで運ばれていた。
初日から迎えてくれたメイドの1人が、持ち手のあるかごにパンをたんまりと詰めたものを持たせてくれ、有り難く頂戴する。
宿の主人と鳥にも見送られ、山の手前の森を抜けていく。
距離はあるけれど、そうそう酷い道はないとと男伝に聞いた。
「王子の所にはお主だけで行くと良い」
「でも屋敷では、美味しいものが沢山出されるぞ?」
「ぬっ……」
面倒さと秤に掛けていると男が笑う。
途中、宿へ品物を届ける馬車とすれ違う。
老人だったけれど、ニコニコと手を振ってくる。
明日にでも、ここは主人目当てのマダムたちの乗った馬車が列を作るのだろう。
宿の規模の割りに道幅が広く作られているのもそのためか。
途中、狸擬きが森の奥に沢と、馬車が止められる程度の空間を見付てあると教えられる。
散策で、こんな所まで来ていたらしい。
狸擬きの誘導で馬車の通れる道を進むと、そこだけすっぽりと木々がなく、しかし、そこには先客が、大爪鳥が水を飲んでいた。
「の……」
しかしこちらには興味はなさそうで、ちらと見ただけでまた水を飲み始める。
我等も特に用はない。
隣で水を汲み、地面は雪が積もっているため、小豆をしゃきしゃきした後は、荷台で食事にする。
たった数日ぶりの荷台なのに、懐かしさすら感じる不思議。
風もなく天気はいいため、後ろの乗り口部分の幌を開き、赤飯が炊けるまで男のあぐらの上に座り、本を開いていると、不意に影ができた。
「?」
炊飯器の近くで丸まっていた狸が飛び上がり、顔を上げると、水を飲んでいた大爪鳥が、ぬっと顔を覗かせてきた。
「……どうしたかの?」
『……』
どうやら言葉は通じないけれど、雇われ鳥なのだろう。
人には慣れている。
大爪鳥が気にしているのは、湯気の抜け始めた炊飯器で、小豆と米の炊ける、しかしそう強いわけではない匂いに惹かれたらしい。
そう言えばここの鳥達は、嗅覚も異常に優れている。
(ふぬ)
赤飯の匂いに惹かれるとは、なかなかに「解っている」ではないか。
「分けてもよいかの?」
男に訊ねると、勿論と頷き、狸擬きにも問えば渋々鼻を鳴らす。
「もう少し待っててくれの、そしたら炊き上がるの」
大爪鳥は了解したと言わんばかりに顔を引っ込めたと思ったら、幌を盛大に揺らし飛んで行ってしまった。
「……?」
まぁ戻っては来るだろうと、少しして炊き上がった赤飯を全て、
「ふんぬ、ふんぬ」
男が下拵えに使う大きめのお椀、ぼうるに入れ、もう一つのぼうるを重ねて、振る。
ある程度丸く形が出来たら、ぎゅうぎゅうとボールの中で固くして大きな三角握り飯が出来、それを浅い木皿に移していると、鳥が帰ってきた。
荷台の縁に置いたそれを見て、身体とは裏腹な可憐な声で鳴き、啄み始める。
狸擬きは、その大きな大きなおにぎりに目を輝かせ、羨ましそうに前足の爪を咥えている。
そして、炊き終わった直後には冷えているし綺麗なままの魔法の炊飯器。
次は自分達のために炊き始めると、あっという間に赤飯を啄み終えた大爪鳥は、片方の足をトントンと動かし、
「の?」
荷台の外を見ると、雪の上に、
「おぉ……」
耳の短い兎が3羽も落ちている。
あの短時間で。
「これはなんとも、心遣い大変に感謝の」
『……♪』
大爪鳥は小さな囀りの後、また盛大に荷台の幌を揺らし、満足そうに飛んで消えて行った。
こちらは二度目の赤飯が炊けるまで、兎の内臓を取り出してまおうと男と兎を解体する。
心臓を口に運ばれ、こちらも取り出した心臓を男の口に運ぶと、少し驚かれた後に、男は口を開いて咀嚼する。
「の、これには何か意味があるのの?」
むぐむぐと咀嚼してから問うと、男は今度は露骨に固まり、我の唇の血を指先で拭ってから、黙って皮を剥ぎ始める。
「たぬぞう、お主は意味を知っておるかの?」
荷台の狸擬きに問うと、無言。
知っているらしいけれども、男から聞けと言わんばかりだ。
(まぁ、いいの)
話したくないことなら、深追いはしない。
雪の上に広がる血と臓物。
何とも美しい、こんとらすと。
(しかし、こんなに小さい生き物でも腸はとても長いの……)
ほほぉと血塗れのはらわたを両手で伸ばして眺めていると、
「諸説ある」
男が口を開いた。
「の?」
「心を捧げる、忠誠を捧げる。本当の心臓を捧げる代わりに、それを以て相手への忠誠を誓う。
相手が心臓を捧げてきたら、相手も、まぁ隣に側にいることを許す的な意味だ」
「ふぬん」
「友情の証で行うこともある、それは主に男同士での、戦友的な意味で」
何となく解る。
「後は『秘密の共有』だな。
心臓を生で食べることは、あまり大っぴらにはできない行為だから、秘密を口にした後で、心臓を食べて約束する」
男が汲んできた水で手を洗い、我の手も洗ってくれる。
(秘密……秘密の)
男があまりに「ふらんく」に口に運んできたため、何も考えずに食べていたけれど、思ったよりしっかりした意味があったらしい。
「珍味的な意味も強い」
「のの、なるほどの」
それだ。
珍しいものだから食べさせてやろう、男にあるのはそれだ。
「滋養強壮も多少はあると聞く」
「ふぬん。なら宿の主人にうってつけの」
数日は搾り取られるのだろうから。
宿に卸した熊の心臓も食べたのだろうか。
メイドたちが大層喜んでいた。
「……」
男が何とも言えない顔をして、我と視線を合わせると、
ピーッ
と炊飯器が二度目の仕事終わりを告げてくれた。




