43粒目
男の言うとおり、村の店は朝から開いており、馬車ですぐ2つ目の村で、男が雪の中で踏み台に乗り、幌の骨に合わせて厚手の布を留めている間、こちらは狸擬きを踏み台にし、馬に馬用のポンチョを被せてやる。
男は、寒いから荷台へと言ってくれたけれど、狸擬きだけ荷台へ放り込むと、男と共に馬車に乗り込み、すると男に厚手の毛布のようなものでポンチョの上からぐるぐるに巻かれた。
(寒さ暑さには滅法強いのだけれどの……)
男がそれで安心するならば、されるままになろう。
3つ目の村は少しだけ離れており、少し頑丈そうな石の小屋が点々と建っていた。
(鍛冶屋と呼ばれるものの……?)
朝から何やら打ち付ける音も聞こえてくる。
奥の小屋から出てきた男がこちらに気付き、また中に戻ると、一昨日すれ違った、あの初老のおじじが出てきて、雪の中を駆け寄ってきた。
礼を言われている様子。
孫は体調を崩して寝込んでいたけれど、あの土産物を見て宝物だと喜んでいたと男伝に聞き、改めて礼を言われた。
そしてぜひ寄って行って欲しいとも誘われたらしいけれど、先を急ぐからと男が丁寧に断ると、我の手にも握れる、とても小さい、持ち手の柄が洒落たナイフを貰えた。
(おやの……)
メモ帳1冊とはまた到底釣り合わない礼の品。
良いのだろうか。
老人と共に男が頷いてくれたため、通じないだろうけれど、
「ありがとうの」
と礼を伝え、毛布の中から手を出して振り。
また先へ、山へ向かい進む。
多くの旅人や行商人は、これからの時期はこの山を越えることはなく、この村から西の方へ向かうと教えてくれる。
ほほぅ。
「甘いものはあまり収穫がなかったな」
申し訳なさそうに男が白い息を吐くけれど。
「構わぬの、宿に着いてからを楽しみにしておるの」
しんしんと雪の降る山を大きく迂回し、登り、先を急ぐために、1日2食。
朝は荷台で赤飯おにぎり、夜も荷台で簡単なスープと赤飯おにぎり。
(こんなに炊飯器が重宝されるとは思わなかったの……)
狸擬きは殆んどの時間を荷台で丸くなって過ごし、食事の時に顔を上げるだけ。
男は走らせている間は、口許どころか鼻にまで襟巻きを巻き付けているためと、道を誤らないために絶えず前を向いており、会話もほとんどない。
途中、沢を見掛け、雪の中での小豆洗いもまた乙なもの。
けれど男が心配するため、すぐに戻る。
そんな風に、ただひたすら雪の山々を大きく迂回しつつも先へ進み、それでもそれが3泊程度続いた日の昼前。
「あぁ、あったな」
雪の中、男が目ををすがめ、視線を向けると、旅人用の小屋が見えてきた。
山頂に近いと思われる。
だいぶ雪が積もっているけれど、一体、これらは、いつ、誰が建てて来たのだろう。
形も今まで見たものと、ほぼ同一。
それは、建てやすさもあるけれど、旅人や行商人が分かりやすく、「使っていい小屋」
と言う認識を持ちやすいためだろう。
それを、誰が、何の目的で。
いつも不思議に思う。
ここの小屋は分厚いドアが氷で張り付けていた。
男が指の火と風魔法で壁とドアの隙間を溶かし中に入ったけれど、今までで一番使われていないのは、大層澱みきった空気で分かった。
運良く雪風が少し収まってきたため、急いで掃除をして荷物を運び込み、馬用の天幕を設置する。
「ふー……」
「ふぬ……」
「……」
男はともかく、我はあまり気を張っている自覚はなかったけれど、雪は元の世界でもずっと避けていたため、それと、隣の男の緊張が多少なりとも移っていたのかもしれない。
雪風を防げる屋根と壁、揺れない地面と言うのはとても有難いことだと思い知らされた。
それくらい、割りと頑丈な自覚のある我でも息を吐く程、男は休みなく急ぎのペースで馬車で走らせてきた。
しかし、外に天幕を設置している間も、けろりとしていた馬達には恐れ入る。
小屋の中で2人と1匹で顔を見合わせて、大きく息を吐き、
「食事にしようか」
「の」
小屋の作りは中もやはりほぼ他と変わらず、下拵えを手伝いながら男に小屋のことを聞いてみたけれど。
「組合関係か、善意の娯楽か……」
男にも分からないらしい。
肉と野菜、チーズもたっぷり挟んだパンに、村で仕入れた芋をポタージュにしたもの。
それに1人と1匹の所望により赤飯握り。
「のの、ポタージュが美味の」
五臓六腑に染み渡る、とはこう言うことか。
我の身体に、五臓六腑が存在しているのかどうかは定かではないけれど。
(しかし)
つい先日寄ったあの村は。
余計なお世話だけれど。
(もう少し食事事情がどうにかならぬものかの……)
あのチーズを売っていた娘も、もしかしたら、あの食事に嫌気がさして村から出たいのではと勘繰る程。
「……」
それでも。
少し先にはなるけれど、あの黒い城の異常が知れ渡るにつれて、あの城を避け、村まで急ぐものが増えれば、また変わる気もする。
「ここで少し休んで行こうか」
男の提案に黙って頷く。
何より男が、一番の労力と苦労を背負っている。
何もできない変わりに、せめて労らねばならぬ。
ゆっくり食べて片付けをしてから、同じ机で、ストーブの上の鍋の湯気で、部屋の湿度が上がるのを感じながら、狸擬きに簡単な折り紙を教える。
男は始めこそ煙草を吹かしていたけれど、手帳に、何か日記のようなものを書き始め、しばらくは静かな時が進んでいた。
(……の)
けれど。
少々、穏やかでない気配。
小屋の外、馬車や我等の気配につられて、山の生き物たちが好奇心で近づいて来ているのは分かる。
それだけなら、今のところ用もないし、放っておくつもりだったけれど。
どうにも。
(それだけではないの……)
馬狙いの、悪いものも一緒に、じわじわと、遠くから。
「……」
冬眠し損ねた、熊か何か。
狸擬きも、折り紙を折る爪先の動きを止めて、じっと気配を窺っている。
「外に、少しばかり良くないものが近づいて来ておるの」
手帳に視線を落としている男に伝えると、男は動かしていた指先を止め、視線だけこちらに向けて来た。
「……獣か?それとも」
「多分、熊擬きかの」
狸擬きも同意するようにスンと鼻を鳴らす。
男は深刻そうに眉を寄せたけれど、
「熊は食べられるかの?」
我の問いに、
「熊は、無駄なところがない」
苦笑いで顔を上げた。
ほほぅの。
そう言えば、冬に青のミルラーマでも道沿いに置いておけば毛の1本も残らずになくなっていた。
そして。
無駄なところがないとなると、
「どこを狙えばよいかの?」
「頭を狙ってくれればいい。脳みそは保存と調理が難しい」
「それなら楽の」
更に、のっそりのっそりこちらを窺いつつ近づいてくる気配に、
(の……)
小動物たちが、慌てて逃げていくのが分かる。
したらば、我ももう気配を殺す必要もなく。
椅子から降り、分厚い扉を開き外へ出ると、珍しく狸擬きも付いてきた。
男には出てくるなと言ったけれど、ドアの向こう側に寄りかかっているのは知っている。
木々の隙間から青空がちらと見えた。
「のの……」
食事を作り、食べている間に晴れていたらしく、久々の快晴、風もない。
何とも狩りに適した日和の。
木々の枝に積み上げられた雪が、時たまドサリと落ちる。
そしてそこらに、小さな獣の足跡が幾つか。
そしてどんどん、荒めの呼吸音が近づいてくれば。
その姿は。
(おぉ……青熊より大きいの)
あの湖畔の黒い鹿よりかはだいぶ茶色みがかり、重心が下にあるせいか、二足歩行に近い。
それでも山の主の貫禄はなく、じっとその場で耳をそばだて山全体に意識を向けると、
(此処等を仕切る主は、しっかり冬眠しておるの……)
代わりに冬眠し損ねたこやつが、今はやりたい放題と言うわけだ。
「……」
熊は自分から意識を逸らされた事に腹を立てたのか、少し離れた木々の間から唸るように威嚇してきた。
木々が、空気が揺れる。
そんな威嚇熊の周りには。
(ふぬん、解体の時に吊るせそうな太い柄のある木もあるの)
よきよき、と唇をちろを舐めると、それを煽りと取ったか、熊は空を仰ぎ、今度は何とも迫力のある咆哮を上げた。
しかし、
(おやの?)
その咆哮で、更に遠くへ逃げる獣たち、震える木々から飛んで行く鳥が多くいる中でも、隣の狸擬きは、微動だにすることもなく、白い息を吐いている。
雷はあんなに怖がっていたのに。
音の発生源の問題なのだろうか。
まぁ、お天道様の気分は、我等ではどうにも出来ぬしの。
雄叫び熊は、さすがにここまで大きく育ちきっただけはあり、すでに我の右手が、小豆を握る右手が脅威の元だと気付いていた。
こちらへ向かい、勢い良く足を踏み出そうとしたため、
「……」
(我等の旅路の、よき贄となっておくれの)
小豆を多少力を込めて飛ばすと、思ったより力が入り、小豆が貫通していく。
けれど、
「のの……」
『……』
(さすがに丈夫よの)
ぐらりとしつつ、何が起きたか本人、いや本熊は解らぬままに、また、のそりと足を踏み出すため、続けて2発程撃ち込むと、やっと、
「……」
牙を剥き出しにしまま、
(成仏するの)
思ったよりも静かに、その場に倒れ込んだ。
その衝撃は拍子抜けで、あの鹿の様な重量感がない。
(ぬぬ、毛ばかりの見た目倒しの?)
と思ったけれど、小屋の中に声を掛け、出てきた男に解体を頼むと、そうでもないと言う。
鹿と違い、膝を付いて倒れたからだろうか。
その熊を、比較的野太い枝に吊るしたけれど、
「のっ!?」
「おっ」
熊の重量で折れた。
結局、男と我で熊を引き摺り、更に太い枝木を見つけ吊るした。
腹を裂き、大きな樽に内蔵を落としていく。
「湯気が立つの」
吊るさずに仰向けにし、腹をかっぴらいての内臓風呂は温いのだろうか。
狸擬きがその場で後ずさっている。
人の心を読むな。
「内臓も食べるのの?」
「いや、保存して宿や街で卸す予定だ。俺もどう使われるかはあまり詳しくない」
そうなのか。
ただ心臓だけは小さく切り取られ、口に運ばれ、男も少し切り分けて食べている。
(ぬ、美味の)
血に浸したまま、瓶に詰めると言うため、それを手伝うことにするけれど、血も内蔵も一瞬で冷えていく。
後ずさっていた狸擬きは、血の匂いにでも酔ったのか、なぜかその場でくるくる回っている。
「?」
鹿よりも時間が掛かり、終わった頃には、
「ふぬ」
自分はともかく男は、ふぅと大きく息を吐いている。
毛の処理は、後回しにする。
「疲れたの?」
「少しな」
雪山の移動から、休みなくの大型の熊の解体。
疲れないわけがない。
狸擬きは千鳥足で小屋に入ると、ストーブから少し離した敷物の上に、こてりと倒れ込んだ。
男も服を脱ぎ、ベッドに倒れ込むと、片手でこいこいと呼ばれる。
ベッドによじ登り、男の脇にペタリと座り込むと、男は、
「行商人の仕事をしなくても、狩りで生計を立てられそうだ」
と笑う。
「……獣たちとはよく遭遇するのの?」
訊ねれば。
「いや。ちょっと驚く程には多いな。馬も強いとは言ったけれど、相手があの大きさになると無傷では済まないから、とても有難かった」
熊を呼んだのは、君の力ではないのかと、暗に視線だけで問われたけれど、我にそんな力はない。
そんな返事をする前に、男は珍しく寝落ちた。
規則的な寝息が聞こえ始めると、血の匂いで酔っぱらったらしい狸擬きが、寝返りを打ちつつ、
『主様には良い匂いがあります』
と口を開いた。
「の?」
『長い時を生き永らえた生命力の塊、獣たちから見て、髪の1本ですら、魅力的でないわけがありません』
それは。
「お主もの?」
『……』
目を逸らすな、返事をしろの。
狸擬きもその逸らした目を瞬かせ、そのまま、すうすうと本気で寝始めた。
その狸擬きの言う実際の所は分からない。
それでも、1人と1匹が眠りに就いたため、
(では、我もそれに習って)
少し目を閉じることにする。
男の横に滑り込むと、あの青空は一瞬で、また雪の静けさが、小屋を包んでいた。




