2粒目
どれくらい歩いただろうか。
足袋に包まれたあんよは、我ながら小さく可愛いと思う。
今はさくら貝の様な爪を覆う足袋の足先は、少し土で汚れている。
寝起きしている洞窟は奥に深さはなくて何もないけれど、川には鉱物らしいものがごく稀にキラキラしており、それらは見つけるたびに拾っておいた。
のちのち、物々交換の材料になるやもしれぬと。
我は、山を降りてから。
山の麓の深い大きな大きな森を抜け。
やがて現れた、ただただ広く続く草原を夜も朝も、ぽてりぽてりとひたすら歩き続けられたのは。
先へ続く馬車の轍の跡。
たまに、目印としても重宝されているであろう背の高い木の下で赤飯を炊き。
大きな川の浅瀬では小豆を研ぎ。
「のの?」
やがて見えてきたのは、簡易な木の柵と、元いた場所で見たことのある羊の、あれの優に3倍は毛がモコモコしている羊らしいもの。
羊擬きが放牧されている土地だった。
元の世界でも、川の綺麗な場所を求めて転々としていたから、わりかし世の事は色々と知っているつもりである。
羊飼いの若者が、道沿いの地べたに座って巻き煙草に似たものを吸っていた。
被っている帽子から見える髪色は明るい茶色。
瞳の色は森の水面のような美麗な淡萌黄。
ごく普通の人の男に見える。
我に気づくと少しだけ驚いた顔をしたけれど。
なにもない草原と道なき遠くの山の方から、幼子が1人で歩いて来たことに驚いている顔。
(それはそうの)
それと片手に持つ炊飯器にも視線を向けている。
珍しいのであろうか。
珍しいのであろう。
もしかしたら、炊飯器は鈍器とでも思われているのかもしれない。
警戒されるかと足を止めたけれど。
けれど、我は相手から見れば、見た目はただの、珍妙な格好をした幼子でしかない。
1人なことには疑問を抱くであろうけれど、案外人懐っこい笑みを浮かべ、こいこいと手を振ってくれる。
(おやの)
隣を指差され、
「のの、では失礼するの」
隣に腰を降ろすと。
我は鞄から葉に包み、更に風呂敷に包んで持っていた赤飯おにぎりを差し出せば。
若者は、更に目を見開くとまじまじと赤飯おにぎりを眺め。
「食べられのの」
掴むふりをしてその手を口に運んで見せれば。
大きく頷かれてからおにぎりを笑顔で受け取り。
代わりに葉巻を3本も貰えた。
なんと、気前がいい。
若者は珍しそうに赤飯おにぎりを眺めていたけれど、ぱくりと大きな一口で食べてしまう。
なるほど、我の手は小さい。
握れるおにぎりもどうやら小さい。
若者は首を傾げながら咀嚼しているため、
「どうの?」
問うてみたけれど。
「○○○○?」
「?」
「○○○?」
「なんの、何も解らぬの」
「?」
互いに言葉は、何も通じない。
若者も半分くらいは予想していたのか、苦笑いで肩を竦めるだけ。
ただおにぎりは残りも、不味くはなさそうに、むしろうんうんと頷きながら食べ切り、歯を見せて笑ってくれた。
「お口にあったなら何よりであるの」
若者は、お粗末様的なことを言われたことは察したらしい。
我に対し、何か問いながら大事そうに薄く小さな箱から葉巻を取り出すと。
若者が人差しを指を立て、そこからふわりと小さな火が出た。
「ぬっ!?」
さすがに驚き、座ったまま軽く跳ねれば、
「?」
不思議そうに我を見つめてくる。
(なんと)
魔法とやらがあるのかこの世界は。
我は貰った葉巻を、小さな風呂敷に包んで鞄に仕舞う。
微かな匂いだけれど、この葉っぱはどうやら元の世界で言う葉巻の匂いではない。
きっと美味しい葉巻は、山に帰ってからのお楽しみにしよう。
火の問題はあるけれど。
「先の村にお邪魔するのの」
規模的に街ではなさそうであり。
立ち上がり、若者に手を振れば、身振りで付き添おう的な親切を提案されたけれど。
「大丈夫の」
気持ちだけ頂くのと手を振り。
また先へ先へ歩き出すと、ぽつりぽつりと木の家が見えてきた。
洗濯物も干してある。
大変に田舎ではあるけれども、建物はそう貧相ではなく、しっかり補修の痕もある。
横目で干してある洗濯物を眺めてみれど、鼻緒の生地になりそうな布がない。
タオルらしき薄い布はあるけれど、さすがに勝手に盗るのも忍びなく。
もう少し先に見えている集落まで向かうことにする。
小さな川が流れ、気持ちが弾む。
木の橋も掛かっている。
村に場所に近い川は石の橋に変わる。
畑が広がり、人もちらほらと現れ始めたけれど。
やはりこちらを、ちらと見るだけでそれは奇異な者への視線ではなく感じるのは好奇心。
服は農作業をしているため華美ではないけれど、そうくたびれても見えない。
目が合えば、変な格好をしたひとりぼっちの幼子にも手を振ってくれる。
もしや。
(我のような幼子は珍しくないのかの)
村を覆う砦のようなものはなく、平和そのもの。
道沿いに小さな店が現れ始めたけれど、建物は高くても2階建の年季の入った建物。
普段着や農作業に適した服を売る服屋らしき店の前に立てば。
奥で服を繕っていた若い女がこちらに気づくと、布や服を掻い潜りやってきた。
我の姿に、やはり少しばかり驚かれたけれど、すぐににこりと微笑まれ、通じないけれど、何が必要かとそこらの布や紐を指差してくれる。
長細くした布が欲しいと、身振り手振りで伝えると、長細い布切れを見せてくれ、
「それの」
指を差して、麻色と淡く染められた朱色を数本。
拾った石をいくつか見せると、一番小さな紺色の石を指先で摘み、お釣らしい銅貨をくれた。
何か話し掛けられるけれど、言葉は通じない。
ただ、口調はとてもやわこく、通じなくとも耳に優しい。
その若い女に、身振りで、炊飯器と籠をそこの腰掛けに置けばいいと。
預かっておくと、厚意は伝わり。
(ぬぬ……)
そして、その微笑みにはいくら目をすがめても悪意などは感じられず。
「……ぬん」
ではお願いするののと炊飯器を置き、ザルを背中から降ろし。
身軽になった手で若い女に手を振り、我は歩き出す。
村にしては割りと大きく、賑やかな雰囲気が伝わって来る。
ざわめきと人の匂いと、少し獣の臭いもするけれど、街に馴染んだもの。
建物は高くても2階建て。
石ではなく木の家がほとんどで、駆けていく子供たちも簡素でも清潔な身形をしている。
そして文字の読み書きは当たり前ではないらしく、看板には分かりやすい絵で店は何屋なのかを教えてくれる。
(これは有り難いの)
石とコインを↔️で現している絵の描かれた立て看板があり、
開きっぱなしの大きな入り口から中に入ると、左右には珍しいものであろう大きめの石が飾ってあり、どうやら両替屋ではなく鉱石を売る方がメインの店らしい。
売り物の石に良くないのか店内は薄暗い。
人の良さそうな、いかにも好好爺そうな趣のお髭のおじじが、我の気配に振り返って、こちらに気付き少し驚く顔をする。
「……」
けれど、この小柄なおじじからも敵意も悪意なども感じない。
鞄から石をいくつか取り出して見せると、奥の鑑定机に招かれた。
椅子によじ登ると、おじじが片眼鏡を掛ける。
そして満足そうに目を細め、少し大きめのコインを見せてくれてから、手書きで、鉱石の形や色とコインの大きさを描いて教えてくれる。
じっと眺めて覚えていると、石と交換した後に、その紙を畳んでコインと共に貰えた。
店を出る時に握手を求められ、それがこの街での挨拶らしいことを知る。
店は広場を囲むように村として機能するための店など一通り揃っているらしい。
(村と言うより、小さな街であるの)
ふと、小麦の香ばしい香りが鼻に掠める。
そう、元の世界ではわりと記憶に新しい匂い。
立ち止まり、色々な匂い、特に食べ物の匂いを辿ると、ここではモチモチした米ではなく粉、特にパンが主食らしい。
何か食べるもの、特に食べたことのないパンに似ているものを探しつつ、他の店も外からちらりと冷やかしてみる。
食堂やテラスのある茶屋らしき店もあるけれど、どこもまず素朴さが印象に残る。
ここにいる人間は皆が、あの火を出せる魔法を使えるのだろうか。
一体、どんな原理でどんな方法で使えるのか。
後付けも可能なのか。
考えながらも匂いを辿っているとパン屋らしい店を見付けた。
開きっぱなしの大きな扉から中に入る。
シンプルなパンが所狭しと並んでいるけれど、意外にも柔らかそうなパンもある。
ただ到底届く位置になく、困ったのと見上げていると、置くにいた店の若い男が出てくると、何が欲しいとパンに向けて手の平を伸ばしてくれる。
「あれが欲しいのの」
欲しいパンを指すと、紙に似た布袋に入れてくれ、さっき換金したばかりの適当に小さなコインを若い男の手の平に落とすと、コインを2枚で後は戻される。
隣のミルク屋らしい店で、瓶に詰められたバターと思われるものも買い、金物屋では小さな匙を買い求め。
ホクホクしながら街から出て服屋に戻ると、若い女は、何か繕い中だった。
小さな椅子を出してくれ、炊飯器も籠も隣に置いてくれる。
休めと言わんばかりに。
有り難く椅子によじ登り座り直すと、我は若い女を眺める。
繕い物はしっかり手縫いで、繕い物の魔法などは特にないらしい。
そのまましばらく店の中で若い女将の繕いを眺めさせてもらいながらも。
自分のように、どこかの世界からこの世界に紛れ込んでしまったものがいるのだろうかと我は考える。
この若い女や、街の人間たちの若干の好奇の視線。
一方、我のような明らかに余所者に対しての、そう珍しくなさそうな対応を考えると、もしかしたら、思ったよりもいるのかもしれない。
ふと、こちらを見た若い女が、炊飯器を指差して首を傾げるため、
「これは、すいはんき、の」
と伝えてみたけれど、小さく微苦笑するだけ。
我の言葉は、発音すら出来ない言葉に変換されているのだろうか。
陽が暮れ始めた頃。
若い女の繕いの仕事が終わり。
休憩もさせて貰えたし、我もそろそろ帰らねばと、言葉が通じない変わりに、
「世話になったの」
と頭を下げて帰ろうとしたけれど、何か慌てたように引き留められた。
どうやらこれから夜に掛けて歩き出すことを危惧されているらしい。
「のの」
両手で力瘤を作るポーズをしてみたけれど、全く通じないし、この見た目では確かに説得力もない。
ついておいでと言っているのか、おいでおいでをされ。
裏の家に招かれたけれど、我はかぶりを振って、家の隣の空いていそうな納屋を寝床にさせて欲しいと指差した。
人でない我が、人間の棲み家にも、団欒に入れないのは、ここ異世界でも同じ。
納屋のドアの前に腰を掛け、どうやら月が存在しない、星だけは不思議と色とりどりに輝くこの異世界で。
鞄から買ったパンを取り出し、バターを挟み、
「あむぬ」
大きく噛み付く。
「ぬん♪」
(なるほど、これは美味の)
香りを裏切らない小麦の素朴さと、塩の混ぜられたバター。
(もっと買っても良かったの)
指先に付いたバターを舐めながら。
今日は、街に着くことを優先したため、小豆を洗えていないなと思う。
明日はしゃきしゃきしたい。
小豆をしゃきしゃきしないと、我は、自分が自分でなくなる気がする。
(小豆しゃきしゃきは我の“あいでんてぃてぃ”であるからの)
納屋のドアの前に座り、パンをもぐもぐしている我の姿を、家の窓から伺う若い女のシルエットが見えた。
翌日は彼誰時。
まだ陽が上りきらない薄暗い中。
納屋の棚に葉に包んだおにぎりを置いて出発する。
我が家と言う名の、あの山の洞窟へ帰ろう。
畑を抜け、放牧地を抜け、橋が石ではなく頼りない木になってきたところで、昇ってきた明るい朝日を浴びながら。
我は。
しゃきしゃきしゃき、と小豆を洗う。
馬車が1台通れれば精一杯の橋の近くで。
「あーずき洗おか、人とって食おうか」
しゃきしゃきしゃき
しゃししゃきしゃき
「あーずき洗おか、人とって食おうか」
しゃきしゃきしゃき
しゃししゃきしゃき
歌いながら、ふと考える。
また。
旅をしようかと。
元の世界では、水の綺麗な川を探す理由があったけれど、この世界。
我のいるお山の中は、水が綺麗で人も来ない。
旅をする理由もなかった。
けれど。
元の世界同様、幼子とは言え人の姿をしているせいか、我を見ただけで石を投げるような人間たちではなさそうでもある。
まぁもし、石を投げられたら小豆をぶつけ返そう。
相手は穴だらけになるけれど。
それに。
(魔法……)
そう。
元の世界にはないあれが気になるのだ。
ぽてりぽてりとひたすら歩き続け、途中雨が降り、木の下で雨宿りをする。
雨水も驚く程に綺麗なもの。
日中夜歩き続け、やがて行きにも通った深い森の中にまで辿り着いた時。
またも通り雨に、幸運にも、我の背丈ほどの小さな洞窟を見付け、雨宿りさせてもらう。
「はふはふ」
炊いた赤飯をおにぎりにして熱々で食べながら。
指についた米を舐めとりながら考える。
まずは、言葉と文字。
家代わりの洞窟を起点に今度は逆に行ってみようかと考えていると。
「……ぬ?」
ふと目の前に、我の短い両腕では到底抱えきれない程度の大きさの枯茶色の、狸に似た生き物がこちらを見て立っていた。
色も見た目も狸に似ているのだけれど、村の手前で見た、あの羊たち同様に、毛の量が、ボリュームが我の知っている狸より数倍はある。
エゾタヌキの数倍、身体も毛量も大きくしたような。
「……」
『……』
そもそもの気配の希薄さにも驚き、微動だにせず、じっとこちらを見ていると思ったその狸擬きは。
正確には、我の食べている赤飯に視線を合わせている。
「のの?」
『……』
「これも縁かの」
大きな葉っぱの上に赤飯おにぎりを置いてやると、警戒する様子もなく目の前にトトトと歩いてくるも。
(の?)
意外にも、その場にぺたりと座り込み、前足で赤飯握りを食べ出した。
「なんの」
(……器用の)
猫舌でもなさそうであるし。
これは大変に珍しいものを見られたと思っていると、遅蒔きながら、その“匂い”でやっと気づいた。
我のいるここ、この小さな穴蔵は、この狸擬きの寝床なのだ。
「のの、これは申し訳ないの」
この狸擬きからしたら、散歩か何かから戻ってきたら、自分の穴蔵に何かいるのだ。
住み処を追われる億劫さと辛さと面倒さは身を持って知っている。
「大変に失礼したの」
そそくさと荷物をまとめ背負い立ち上がると、しかし狸擬きは、
「……」
前足の爪で裾を摘まんできた。
「ぬ?」
そしてくいくいと洞窟の方に引っ張る。
(おやの)
どうやら雨宿りさせてくれるらしい。
「良いのの?」
『……』
この世界は獣すら優しい。
「では、もう少しだけお邪魔するの」
端により隙間を作ると、狸擬きも隣にやってきて、ぴとりとひっついて身体を丸めた。
「ふぬ……」
(なんの、温いの……)
目を閉じると、山の気配と狸擬きの気配が非常に近いことに気付き。
あぁ。
なるほど。
なるほどの。
この狸擬きは。
(主の……)
ここいら一帯の森の主。
どうやら長いこと、ここを守っている。
それでは。
(少しだけの)
お言葉に甘え狸擬きの身体に凭れると。
「おやすみの」
少しの間、眠らせて貰うことにした。
どうやら我に、友が出来た。
会話こそ出来ないけれど、簡単な意志疎通は容易に出来る。
狸擬きは、森を抜けるくらいまで、正確にはこちらの縄張りの辺りまで付いてきてくれた。
「それは早めに食べるの。多少我の力が籠っているため日持ちはするけれど、早めに食べた方が美味の」
別れ際に赤飯おにぎりを渡して手を振って歩き出す。
目が覚めた時、気づけばもう夜だった。
この世界の星の色は非常に賑やかでめるへんちっくである。
寝床にしていた洞窟に付いたのは夕方くらいであろうか。
馴染みある川でしゃきしゃきしたいけれど。
「のの、また雨の……」
梅雨は少なさそうだと思っていたけれど、そうでないのかもしれない。
では。
(次に晴れたら、旅に出ることにしようかの)
何もかも分からず、何もかも手探りであるけれど。




