138粒目
洒落じじはやはりしっかり着替えて来ており、昼よりも更に華やかさが増している。
隣の娘も、可憐な、肩の部分がレースになったワンピースに髪もやはり纏めてアップにしている。
我も、服屋で男に髪を2つのお団子頭にしてもらった。
狸擬きは、ほぼ毛で隠れているけれど、白い蝶ネクタイをしている。
おじじは、研師をとても気にしているようだけれど、いきなり現れた飛び入りの客だからではなく。
もっと、別の戸惑いや、微かな浮かれたような、喜びの様なものを感じる。
そして我の隣に4つ足でもったりと立つ狸擬きの姿にも驚いて、なんとも視線が忙しい。
娘も驚きつつも、狸擬きに興味津々だ。
そして、その娘と研師は、どうやら顔見知り程度ではあるらしく、二度ほど店でカップを買ってくれたお客様だと言う。
しかしおじじとは面識が、少なくとも研師の方はないらしい。
話は席に着いてからと歩きながら、この狸も同じ席に付く、と男が伝えたらしく、昼間は絶えず堂々していたじじが、さすがに少し狼狽える姿は見ていて楽しい。
そして、狸擬きのせいでもためでもなく、初めから個室を考えていたからと、レストランも売りという宿に入ると。
「明るいの」
夕刻でも煌々と明るい広間を抜け、大きな階段を上がり、案内された大きな扉の部屋からは。
「ののぅ……」
橙色と群青色の夕暮れと、遠く遠くに、少しだけ海が見えた。
長方形のテーブルの、長さの短い方の席に、我と狸擬きが向かい合って座る。
どうせ会話はできないし、邪魔もしたくない。
斜め前に男が座り、やってきた給仕に後ろからエプロンを付けられた。
同じくエプロンを付けられていた狸擬きが、テーブル越しに、小さくスンスンと鼻を鳴らし、会話を教えてくれる。
研師を連れてきた事情を聞いたおじじが、今日会ったばかりの女性を食事に連れてくる男の大胆さを、
「大した度胸だ」
と称えれば、
「あなたこそ私を食事に誘ってきたではないですか」
と男が答え、テーブルに和やかな笑い声が弾ける。
研師も、積極的に会話には加わらないけれど、退屈そうにはしておらず、食前酒と思われる酒を美味しそうに飲んでいる。
娘も若そうに見えるけれど、酒は飲める年齢らしい。
狸擬きは、我と同じく葡萄のジュース。
『……』
空気を読み、眉間に見えない皺を寄せるだけで、
「酒、酒が欲しい」
と前足でテーブルを叩かない大人な狸擬き。
正面の我には、じっと不満の空気をぶつけてくれるけれど。
気付かないふりをする。
このレストランも、どうやら料理は順番に運ばれてくる店らしく、小さな器に、とろりとしたクリーム色のスープが注がれたものが出された。
掬って口にしてみると、
「の」
冷たい芋のスープ。
(これはこれは……)
なかなかに良き。
冷やす手間があるけれど、一手間かけるかいはある。
何やらちまちま盛られた前菜は、どれも何か分からぬものもばかりだけれど、味はどれも美味しく。
自分で口を拭うより先に、布を持った手がすっと伸びてきて、
「むぬん」
男に口を拭われる。
おじじに、何か我のことを聞かれている様子だけれど、相変わらず男の苦笑いと肩を竦める仕草。
さすがに、
「この子のはぐれた親を追っている」
と言う嘘はやめて、遠い知人の子を預かっている的なことを話しているらしい。
娘には、
「お揃いのお洋服が素敵ですね」
的な褒め言葉を貰えたのは解り、少しばかり、心がむず痒い。
そしておじじは、表面的な愛想ばかりではなく、斜め前に座る研師に、とても興味があるらしく、酒が入ったせいか積極的に話し掛けている。
目の前に置かれた魚は、皮がパリパリに焼かれて美味しい。
付け合わせは根菜に混じって蒸かされた栗も美味。
「ぬふん♪」
男以外は酒の進みも早く、娘も強そうな酒をさらりと飲み干している。
狸擬きの、今にも前足を咥えんばかりの心底羨ましそうな視線が、さすがに不憫になってきた。
通訳の褒美も兼ね、
「すまぬ、狸擬きに一杯だけ見繕ってくれぬかの」
会話の途切れた隙に男に頼むと、
「あぁ、そうだな」
男がやってきた店員に指を2本立てて何か頼んでいる。
大人の興味が狸擬きに移るも、やはり男は何も分からないとかぶりを振るだけ。
「君は、どこかの国のお嬢様なのかと聞かれているよ」
「の?」
山の中の洞窟暮らしの。
「狸擬きなどを引き連れてる時点で色々と察しないものかの」
こそりと男に訊ねるも。
「大変に貴重な動物をお供にしている、と思われている」
なるほど。
貴重なのか。
「狸なんぞがいるド田舎の出身だと、答えておいて欲しいの」
男の言葉がどんな風に伝わったのか、それでも、
「山は遠いから縁がない」
と返事が来て、娘はもちろん、研師も行ったことがないと。
あぁ。
そうか。
(そうの……)
この世界、移動はほぼ馬車か、お船のみ。
そう簡単には、辿り着けぬ場所ばかりなのだ。
写真もない、地図も貴重。
せいぜい絵か、遠目で山があれば、あれが山かと認識するくらい。
我がいた場所は山でしかないド田舎であれど、人によっては、それだけでも、夢見る場所になる。
(ふぬ……)
今更ながら、男の描いたあの地図は、どれだけの数の人間の人生を狂わせることになるのであろう。
狸擬きは運ばれてきたワインに、
「フーン♪」
途端にご機嫌になり、飲んだ時にチラと見えた蝶ネクタイを娘に褒められ、
「♪」
これ以上ないほど、ご満悦になっている。
肉はラム肉。
パンは少し硬めのパン。
しかし。
夜は仕事の話かと思ったけれど、研師や娘がいるからだろうか。
おじじははにかみつつも、研師に、まぁ良く話し掛けている。
話しかけれた研師は淡々と答えているけれど、別に不機嫌でもなさそうに見える。
それに、
(そう)
たまに口許に笑みも浮かぶ。
娘は、こう、自分の立ち位置を充分に理解しており、ニコニコしたまま、静かに酒に手を伸ばしている。
我の男もまた、どうやら食事の趣旨が変わったことに気付き、あーむと肉を頬張る我を見て、笑いかけてくる。
デザートは、粒々の混ぜられたアイスクリーム。
(栗の?)
「ここは栗が名産らしいよ」
ほうほう。
そういえば、街中にも小さな屋台がいくつか、ほんのり香ばしい匂いは焼き栗だったか。
おじじがアイスクリームを食べる研師の前に、自分の手付かずのアイスクリームを寄せている。
研師は、驚いた顔をしたけれど、断らずに、初めて見る、酷く落ち着かない様な顔をして、ぼそぼそと礼を述べている模様。
(ふぬん?)
レストランの給仕に、男たちがシガールームへ招かれた。
男は我が気掛かりらしいけれど。
「大丈夫の」
男からアイスクリームの皿を受け取ると、手を振って見送る。
途端に狸擬きが、椅子から降りてこちらへやってくると、
「フーン」
自分にも少し寄越せ、と我の椅子に前足を掛けてくる。
栗もアイスクリームも狸擬きの好物である。
「仕方なしの」
スプーンで掬うと、しかし研師が狸擬きに声を掛けている。
「フン?」
私のを分けてやるからおいでと言ってくれたらしく、狸擬きが男の座っていた椅子に飛び乗ると、研師は、笑みを浮かべて狸擬きの口にアイスクリームを運んでやっている。
「フーン♪」
美味しい美味しいと、ほとんどが狸擬きの腹に収まり。
研師と娘が話を始め、我は。
(ぬー、とても美味だったの……)
巻いてもらっていたエプロンを外すと、背凭れに身体を預け、目を閉じてじっと耳を澄ます。
廊下を出て、一番奥の部屋のシガールームに、男たちがいる。
酒が運ばれている様子。
不意に娘に声を掛けられ顔を上げると、身振り手振りで、狸擬きを撫でてもいいかと問われている。
「良いかの?」
男の椅子に腰かけたままの狸擬きに訊ねれば、
「ほどほどになら」
と、なんとも勿体ぶった返事。
頷くと、娘はいそいそと立ち上がり、テーブルを回って狸擬きの背中を、おずおずと撫でている。
研師も、蝶ネクタイの下辺りをそっと撫でている。
「フーン♪」
そうだ、こやつは落ち着いた女たちが好きだった。
もう外はすっかり暗く、窓も映すのは景色ではなく、自分たちを映している。
レディたちを待たせているせいか、煙草もそこそこに戻ってきた2人と個室を出ると、男に抱き上げられた。
男には、少し違う煙草の匂いが混じっている。
ロビーでソファーに座らされると、おじじが男に何か渡し、驚く男。
何か言っているけれど、狸擬きは我の隣でしっかりソファに凭れ、腹を擦り全く役に立たない。
まぁ大したことではないのだろう。
少し戸惑った表情で男がやってきた。
おじじと娘と研師は、こちらに手を振りながら、ホテルの従業員に見送られながら出て行ってしまい。
「……?」
手を振り返すと、
「彼に、部屋を取ってもらっていたよ」
「のっ?」
「まだ宿も決めていなかっただろう」
確かに。
「荷台はあのままでいいし、馬もあのまま裏の庭に放しておくからと言ってもらえたから、お言葉に甘えることにしよう」
よいのだろうか。
「どうやら、紳士の嗜みとして、彼女を、家まで送りたいらしい」
「ほほぅ?」
ほうほうのほう。
では我等はご厚意に甘えようと、案内されて階段を上がり、ホテルの部屋に入ると。
「わほー♪」
ベッドの上で相撲がとれそうな大きさ。
そして、ベッドの近くの2人がけのソファの上には、大きな籠が置かれ、中にはクッションが詰められている。
(これは……)
「狸擬き、お主の寝床が用意されておるの」
「フーン?」
まずは部屋を一通り歩き回る狸擬きに呼び掛けると、
「……フーン」
喜ぶべきか、不満を表すべきか、複雑な表情で我を見上げてくる。
「とりあえず足を拭くから座るの」
ソファにぽんっと座る狸擬きは、足を拭いてやると、籠の中に入り、
「フーン」
まぁ悪くないと丸くなる。
そうやって、なあなあに風呂を避けようとしているけれど、
(まぁ良いかの)
山を森を駆け回ったわけでもない。
振り返ると、男はジャケットを脱いでいる。
(のぅ……)
これはまた。
「何とも、色っぽいの」
「んん?」
男の楽しげな横顔。
少し疲れを漂わせた感じが、また。
いつもは服は雑に畳むだけだけれど、今日はジャケットをクローゼットの衣紋掛けにしっかり吊るしている。
窓際に、大きなソファが向かい合い、間には、なんぞ凝った猫足のテーブル。
「おいで」
「の」
男の膝に股がると、
「可愛い」
改めて告げられる。
「ぬぬ……」
少しこそばゆい。
頬を指の腹でなぞられ、
「あの洒落じじは、あの研ぎ師の女に夢中になっていたの」
頬を擦り寄せると。
「一目惚れをしていた女性なんだそうだよ」
シガールームで聞いたらしい。
「なんと?」
正直、人間の女性としては、愛想もなくざっくばらんとし、とうが立ったと言うか、我は決して嫌いではないけれど、あの姪にあたる娘とは真逆のタイプというか。
なのだけれども。
おじじは以前、彼女が店に来た時に一方的に姿を見て、気になっていたらしい。
それから、無駄に街を彷徨いてみたりしたものの、研師は仕事柄、仕事場に籠るタイプであるし、偶然にすれ違えることもなく。
その幻の様な女性が、好奇心だけで食事に誘ってみた男と共に現れ、心底、驚いていたらしい。
そして、驚きよりも喜びが勝り、あの若干の挙動不審だったと。
「実際、話してみてどうだったのの?」
「あの1つも気取らない感じが、自然体でとてもいいそうだ」
のぅ。
しかしなんとも。
「我等は、とんだキューピッドになってしまったの」
研師にとって、迷惑にならなければ良いけれど。
「彼女も、満更でもなさそうだったよ」
その辺の機敏はさすがに鋭い。
「アイスクリームはどうだった?」
「美味だったの、栗を買って行きたいの」
栗の言葉に、いつの間にか向かいのソファで仰向けにひっくり返っていた狸擬きの耳が動く。
「そうしよう」
男の指先が、髪のリボンをほどいていく。
さらりと首に髪が流れ、櫛がない代わりに、指先で髪を梳かれる。
「……」
目を閉じても、今夜は、虫の声も獣の足音も、木々のざわめきも、波の音も聞こえない。
聞こえるのは、街の、人のざわめきだけ。




