135粒目
朝も早くから出たせいか、街の端に位置する、しかし大きな朝の市場に遭遇できた。
我と狸擬きの視線に。
「寄っていこうか」
「の♪」
「フーン」
馬車を停め、賑やかな市場をひやかす。
果物に野菜、雑貨と、割りと大きめの家具なども売っている。
氷魔法で冷やされた肉、海からは離れているけれど、魚も売られている。
貴金属も飾られ、人目を惹いているけれど、売られている場所からしても価値はそうそうないものなのだろう。
「気になるか?」
「ふぬ、緑色が多いの」
あまり、いや、あの緑色はほとんど持っていない。
「緑は、海辺で拾いやすいらしい」
それはそれは。
我が手にしていないはずだ。
(翡翠、だったかの)
こちらでも、石の価値は元いた世界と似ているのかどうなのか。
あまり見慣れぬ花なども、束でも鉢植えでも売られている。
中に行くほど人は多く、
「おいで」
我は抱っこされたけれど、ついでの様に狸擬きも片手で抱えられている。
「お主は大荷物になったの」
お陰で店先の品物は見やすくなったけれど。
「構わないよ」
狸擬きは狸擬きで売り物が見えるのが楽しいのか、脇に抱えられても、風呂ではないせいか案外おとなしく、視線だけを忙しく動かしている。
抱っこされて視界が開けるかわりに、気になるものがあっても気軽に駆け寄って行けない。
(ぬぅ、脱走防止か)
よく分からぬ、多分薬の容器と思われる器や塗り薬に首を傾げ、薄茶色の服を売る店では、ブローチの付いたタイが気になる。
大まかに売場が分かれているらしく、呼び込みの声は少ない雑貨に特化した区画に男が足を進めた時。
「のの」
「ん?」
「短刀の」
先に見えるのは小さな屋台にずらりと並ぶ刃物たち。
男に足を止めるように促すと、
「君は刃物が好きだな」
男が、人をすり抜けて刃物屋の屋台の前に向かってくれる。
「お主が獲物を狙う時、小型の短刀を投げるからの、あれを見て気になるようになったの」
屋台には、刃物だけではなく、砥石も売っている。
男が短刀をブーツに仕込むように、
「……我の草履にも忍ばせられぬかの」
と思うけれど、中を空洞にしても、なんせ草履そのものが小さすぎる。
ならば、太股に巻き付けるか。
女性の刃物の隠し場所としては、割りと一般的だとあった。
もう1ヵ所の、女性ならではの胸の谷間は、残念ながら我には存在しない。
ペタペタの胸許を手の平で触れていると、
男の呆れたような声。
屋台の店主は、意外にも女性だった。
我を抱く男よりも多分、20は余裕で年上に感じる中年の女。
この国の人間らしく、着ているものもこの海街の風土に合わせた、緩い麻のシャツに麻のパンツ。
半分白髪の髪を額で潔く分けた長めのおかっぱは、しかしキレイに切り揃えられている。
こちらを見ても、無表情のまま男と我を見つめてきたけれど。
「……」
冷やかしではないと感じたのか、ゆっくりと何か話しながら並ぶ刃物を指差す。
「?」
「あぁ、研ぎも行っていると言っているよ」
ほぅ。
値段を告げているであろう広げた女の手は。
あぁ。
(職人の手の)
長年の砥でとうに指紋は消え、手の平も皺の深い、表面から水分が消えても尚。
美しい手。
そう。
これは。
信用の置ける、手。
とても、良い。
どうやら、砥の方が本職らしい。
「この者に仕事を頼みたいの」
「そうしようか」
男も何か感じることがあるのか、あっさり頷く。
研いで欲しい品を持ってくると男が伝えると、女はゆっくり頷き、男に小脇に抱えられた狸擬きを、4つ足をモダモダする姿を見て、ぬいぐるみではないと気付いたらしく、初めて、小さく笑みを浮かべた。
賑やかな朝市を抜けて馬車置き場へ戻ると。
「結構あるの……」
「だな」
男は獣の解体もするため、改めて並べると大中小と、よりどりみどり。
大きな鞄に手当たり次第の一式を詰め、砥が必要なものを判断してもらおうと、今度は大回りせずに中を突っ切って行く。
そのあまり表情のないナイフの店の女は、男が片手に下げた鞄の大きさに苦笑いし、屋台の内側に来いと顎をしゃくる。
そして鞄を開くと、ゆっくりとまた男に何か伝えている。
ぶっきらぼうな話し方だけれど、その相手に、きちんと伝えようとする話し口調からして、やはり悪い人間ではなさそうだ。
その女の話だと、
「8割は砥ぎが必要だ、けれど、ここでは到底もて余す量だし、店に来いと」
ふぬ。
しかし、ここは昼まで場所を借りているから、まだ店を閉じたくないとも。
それはそうであろう。
「俺たちも昼までここに居て、それからこの方の店に向かわせてもらおうか」
「の」
刃物の鞄は預かってくれると言うため、狸擬きと共に女に手を振り、男と手を繋いで市場を眺める。
木の小物細工に、
「のの、本があるの」
駆け寄ってみたものの、しかしせいぜい10冊程度で、店番はやはり、茶色い服を見る限り海の向こうの人間らしい。
若い男。
男が、我の後ろから少し見てもいいかと指を指して、若い男がニコニコと頷き、手に取らせてもらったけれど。
「……ぬ?」
装丁のわりに、中身が、紙がまず分厚く枚数が少ない。
「……ぬぬ?」
(癖のある字?……それに、文字が、何とも適当)
絵が多く、かと言って絵が重要そうでもなく、こう、
(酷いかさ増し感があるの……)
眉を寄せた我に、
「どうした?」
「変の」
「んん?」
男も覗き込んできたけれど。
(暗号……?)
我の、不可解、と更に尖らせた唇を見て、店の若い男が、
「降参」
や、
「参ったね」
とでも言っているらしく、両手を広げて、手の平を上に向ける。
「これは、主にレストランや高級な店で使う装飾品に近い品。もしくは、本はあまり読めないけど家にお洒落で飾りたい人なんかに御用達ものだよ」
と。
「ほうほう」
なるほど。
要は見栄っ張り御用達の作品。
だから中身は適当も適当、装丁だけは無駄に凝っているのだ。
しかもどうやらほどほどに売れている様子。
「何とも、色々と勉強になるの……」
見せてもらった礼を言って、その場からまた歩き出す。
すぐそばに地図も売っている店もある。
「これも壁に飾る適当なものかの」
「んん、どうだろう」
男がじっと眺める。
しかし。
「フーン」
男の向こう側から、狸擬きが、
「お肉の焼ける匂いがします」
と我を見上げてくる。
「ふぬ?」
少し離れた一角で、食べ物の屋台が並んでいる様子。
「の、の」
「ん?」
「あそこに、お肉の屋台の」
「んん?」
朝から甘いものの欲は満たされたものの、お腹には余裕がある。
「あっちの」
男を促せば。
「フンッ」
狸擬きも前足をピシッと屋台に向けている。
「はいはい」
男は地図を眺めるのを諦め、屋台とはいえ立呑屋のように小さく背の高いテーブルだけが置かれた一角へ向かう。
屋台では、木皿の上に鉄板が重なり、そこに一口大に切られた肉がジュワジュワ音を立てている。
「ののぅ」
「フーン♪」
昼から酒の匂い。
やはり、こちらでも昼酒は珍しくないのだろうか。
魚をカラッと揚げたものもある。
男が注文すると、屋台の女将が、裏手に指を差し、男が頷く。
「ここを抜けてすぐに小さな広場があるから、子供がいるならそっちで食べればいいよと」
それは有り難い。
裏手は、小さな木のベンチとテーブルが数台置かれ、市場の荷物置き場も兼ねているらしい。
雑多ながらくたが積まれている。
ベンチに座ると、男に、肉を口に運ばれ。
「あーむ」
(何の肉かの、牛、違うの、これは羊の)
しかし癖も少なくほどよい歯応え。
「フンフン」
狸擬きの催促に、男が狸擬きの口にも肉を運ぶ。
「フーン♪」
一緒に買っていた揚げた魚も、ホワホワとカリカリで美味。
この辺りまで来ると、我は相変わらずだけれども、男の服装すらも、少し珍しいものになってくる。
再び市場へ戻り、新鮮そうな野菜を少し買い、食器などを眺めていると、あっという間に、昼になった。
刃物屋へ向かうと、店仕舞いをしているところで、片付けを手伝えと言われたらしく、布に包み丁寧な仕舞い方を教わり、男と一緒に我も刃物を包んでいく。
女が乗って来たものは男が停めた市場の端にあると言い、まだまだ盛況な人の間をすり抜けて行くと。
「のの?」
「フーンッ」
女が乗ってきたのは馬。
男が、なら荷物はこちらに乗せましょうとでも提案したらしく、女は黙って、背負おうとしていた自分の鞄を男に渡している。
「フーン、フーン」
狸擬きが女の足許で女を見上げている。
「?」
狸擬きは馬に乗りたいのだ。
無表情ながらも狸擬きを見下ろし首を傾げる女の周りを、狸擬きは、
「フーン、フーンッ」
くるくると回り始め、男伝に女に伝えると、女は少し驚いた顔をした後に。
「自分が先に乗るから、そしたらその狸をこっちに寄越せと言ってくれているよ」
なんと。
乗せてくれるらしい。
「刃物の分の重さがないし、その子は軽そうだからね」
と。
女は身軽に跨がると、男に抱えられた狸擬きを受け取り、腕の中に抱くように座らせる。
「フゥーン……♪」
念願だったらしい馬の背に乗れて、ご満悦な狸擬きは、
「フンフンッ♪」
主様、見て下さい、馬に乗っています、と大興奮だ。
「落ちるでないの」
女がいるから大丈夫だろうが。
フンフンキョロキョロと忙しい狸擬きに、女は仕方なさそうに笑い、手綱を握る。
我も男に馬車に乗せられるけれど、
(ぬぬ、馬の足の長さも細さも全く違うの……)
こちらはとにかく頑丈。
頑丈以外売りがないくらいとにかく頑丈。
対して女の乗る馬は、すらりとスマートで、毛並みも艶やかで、歩き方も、優雅である。
まぁ。
(比べるのは野暮の)
これだけの荷物を積み、悪路を走り、知らぬ土地まで来させられているのだから。
感謝こそすれど、だ。
先を走る狸擬きのご機嫌が、こちらまで伝わってくる。
(そこまで乗りたかったのの……)
確かに、花の国の山の屋敷でも、タップダンスでも踊る勢いで乗りたがっていた。
「フーン?」
曲がり角で狸擬きが女に何か訊ねているけれど、女は当然、
「……?」
言葉は伝わらず。
首を傾げ、しかし口許には笑みを浮かべている。
どうやら獣が嫌いではないらしい。
白い珈琲の街や真ん中の比べ、こちらは港が近いせいか、商人も多いのだろう。
道は馬車が2台はすれ違える広さがあり、馬車も多い。
あの茶色い、向こうの国のカチリとした服を売る店もあり、
(ほぉぉ……)
街も、陽気さと穏やかさ堅実さとが適度に入り雑じる。
街の一角、こじんまりした建物の前に馬が停まり、建物の赤い扉、青い扉はこちらの街も同じ。
刃物の絵の描かれた看板が取っ手にぶら下がり、今はしっかり閉じられている扉。
店はここだけれど、先にこの借り馬を、馬舎に置いてくると言う。
「フーン」
狸擬きはこのまま馬舎まで乗っていきたいと言い、女は構わないよと、狸擬きのわがままを聞いてもらい、我と男は馬車で待つことにしたけれど。
馬が歩き出すと、女がそっと、狸擬きの頭を撫でているのが見えた。




