133粒目
「フフーン♪」
テーブルには、四角く切り分けてフライパンで焼いたスコーンと、バター。
春苺のジャムと春桃のジャム。
「クロテッドクリーム」
と男に聞いて見たけれど、首を傾げられた。
わからないらしい。
写真であったのは白いバターのように見えたけれど。
布の国で出されたのもバターだった。
紅茶を淹れて、ミルクを少し注ぐ。
焼けたスコーンは、外側はサックリでたまにザクリ、中はふかふかで、
「ぬぬん」
溶けたバターが生地に染み込んで、甘いジャムの風味が交わり。
(美味の♪)
なかなかに上手く出来たのではないか。
「フンフーン♪」
お店のものより美味しいですと狸擬き。
それはそれは。
「くふふ、悪い気はせぬの」
「いや、本当に美味しいな」
男にも評判がいい。
けれど、
「これは焼き立てで食べてこそ、な気がするの」
作り置きには向かなさそうだ。
貪る勢いで食べていた狸擬きは、
「フゥン……♪」
おかわりの紅茶も飲み干し、サスサスと前足で腹を擦る。
そして椅子代わりの重ねた箱から、ポーンッと飛んでベッドに着地すると仰向けになり、満足そうに後ろ足を広げて尻尾をゆらりゆらりと揺らしている。
「……♪」
外は曇り空。
すぐに出発してもよかったけれど、狸擬きも食後の余韻に浸っていることもあるため。
「砂糖をもう少し貰ってよいかの?」
「あぁ、食材は君のものだよ」
その言葉に有り難く、胡桃も持ち出してくると、
「フン?」
何かいいものかと、狸擬きがササッとベッドから降りてくる。
「旅の道中のおやつ作りの」
胡桃をフライパンで乾煎りし、
「香ばしくてよき匂いの」
「フン♪」
胡桃を取り出し、砂糖と少量の水を加えて、また火を点けてる。
狸擬きが覗き込もうとしてきたけれど、
「これは熱いから気をつけるの」
やがてフライパンの表面にグツグツと、白くねっとりとした泡が立ち、
「そろそろかの」
そこに胡桃を落とす。
段々と甘く、そしてほんのり焦げた匂いに、狸擬きがスンスンスンスン忙しく鼻を鳴らす。
「とても甘い匂いがする」
と煙草を咥えながら男も隣に立った。
「胡桃のカラメル和えか」
艶やかな濃い黄金色が胡桃に絡み出し、
「フゥーン……♪」
とてとよい香りです、とうっとりとした眼差し。
「お主も大概甘党であるの」
鳥たち程ではなくとも。
「フーン?」
そうでしょうか、と狸擬き。
自覚はないらしい。
冷ましていた胡桃を瓶に詰め替めてから。
たった一泊なため、片付けも必要なく、男に馬車に乗せられると、狸擬きが、
「フンフン」
先刻の甘い木の実はどこですか?まだですか?
と裾をつんつん引っ張ってくる。
何を言っておる。
「あれは午後のおやつの」
昨日は移動が長く、我を案じた男が、馬車に乗りつつビスケットを寄越してくれたため、今日も貰えると思ったらしい。
しかも。
「今朝はちゃんと食べたろうの」
『……』
ケチ、と聞こえた気がした。
「の?」
何も言ってないとブンブン高速でかぶりを振る狸擬き。
隣で笑う男が馬車を進めると、段々と、雲が途切れてきた。
真ん中の国では。
「のの、これが海老の?」
「フンッ!?」
我が幼子のせいか、適当に入った食堂の店主が、好意で見せてくれたのは、調理前の、ガサゴソと動く大きな海老。
初めてみる生きた海老の姿に、目をまん丸にして驚くのは我だけでも狸擬きも。
その大きな海老を、
「ふぬん、美味の♪」
一番気に入ったのは、やはり我であり。
真ん中の街の数少ない名物であるため、力も入れているらしく、石を投げれば当たる勢いでどこでも食べられる。
たらふく、それこそ飽きる程に食べ。
そんな我のために、男は、遠回りになるけれどと海沿いの道へ馬車を進めてくれ、適当なお宿に泊まり、海を眺め、また進み、海老を食べ、進む。
「……の?ここは少し磯臭いの?」
「漁港が近いらしい」
ほほう。
狸擬きは、臭いが苦手か眉間に皺を寄せている。
男は特に仕事はしないため、ただ、淡々と街を海沿いの道を走り抜けていく。
3つの街の中では一番広いとは言え、ただ街を突き抜けるにはあっという間で、
「フーン」
「のの、アイス屋さんの」
「ん?」
「あそこにあるの」
アイスクリーム屋を見掛けたのは、もう少しで、3つ目の街へ入る手前だった。
そう、先の通りにあったアイスクリームの店をまず狸擬きが目敏く見つけ、男が馬車を停めるなり、狸擬きと共に店へ駆け寄る。
男が笑いながらやってくると、背の高いカウンターの椅子に座らせてくれた。
アイスクリームの種類は少なく、牛の乳と、珈琲味。
あとは飲み物。
「あーむぬ」
一口食べて気付いた。
(ぬぬ)
「これは、あそこの牧場のアイスクリームの」
「フーン♪」
狸擬きも同意する。
「よく分かるな……」
男の感心したような呆れた様な顔で、口許を拭われる。
「……元気にしてるかの」
少し懐かしくなる。
「フーン?」
気になるなら様子を見てきましょうか?と狸擬き。
「くふふ、確かにお主ならば、半日も掛からずに行って帰って来られるしの」
頼みはしないけれど。
珈琲を飲む男が、店の人間に声を掛けられ、何か話している。
どこまで行くのか?的な問い掛けらしい。
我等は、海の向こうまで行く。
「海の向こうには、お主の仲間はいるのかの」
「フーン……?」
どうでしょうと首を傾げる。
「の?会いたくないのの?」
「フーン」
それほどでも、と返事。
(まぁ、そうかの……)
我も、同族がいようがいまいが、何も思わない。
あぁ、いたのか、程度で終わる。
「少しの間、海はお別れらしいよ」
「の?」
そろそろ陸地に入るんだそうだと。
ほうほう。
「でも、このまま行けば夕方には隣の街に着けそうだ」
ふぬふぬ。
ならば。
「その前に海老が食べたいの」
「すっかり気に入ったな」
「とても好きの」
調理の「バリエーション」が多いのもいい。
それでも。
「やはり生では食べぬのの」
「……生?」
怪訝な顔。
「魚をそのまま捌いて食べるのの」
男が固まる。
「……君のいた国では、あったのか?」
「特に酒のつまみだったはずの」
あとは寿司か。
「……」
我のいた世界が、男の中でまた「あぐれっしぶ」になったようだ。
「フーン」
狸擬きは、同じ獣たちは川で魚を捕って食べているせいもあり、そう珍しさを感じている様子もない。
こちらの街境は、向こうの街境と違い、街と街がもう少し近いらしい。
そのためか、しばらくは道沿いに出ても、ちらほらと土産物屋があり、屋台なんかも出ている。
それも終わると、また牧歌的な土地が広がり始め、牛や羊の群れを眺めながら、やがて放牧場の柵もなくなり、淡々と轍だけが続く。
「……」
鼻先にほんの微かな湿り気。
「……もう少ししたら雨が来るの」
「しばらくはやみそうにない?」
「ぬぬん、にわか雨程度かの」
休憩がてら、先にポツリポツリとある、高い木々の群生の下に馬車を停めると、
「フーン」
あの甘い胡桃が食べたいですと狸擬き。
あれから、おやつで出していた胡桃のキャラメリゼは狸擬きが大層気に入り、ほとんど食べられてしまっていた。
まぁ散々海老に付き合わせたお詫びもある。
荷台に移り、底に少し残った瓶を取り出し。
「これで最後の、味わって食べるの」
「フーン?」
「そうの。胡桃か、アーモンドでも手に入ればまた作れるけれどの」
「……」
何か考え始めた、多分、遠く遠くに見える山へまで走り、木の実を拾ってくるかと画策してしているらしき狸擬きは放っておき、男と地図を眺める。
「こっちの国には、船で9日くらいかかるらしい」
「ののぅ、遠いの」
それに、海の具合で出発にも影響が出ると。
話を聞きながら、紅茶の茶葉と一緒に砂時計を出し、湯を沸かし、街で買い足したお茶菓子を、今日はどれにするか悩んでいると。
「……」
(……?)
ふと、凄い勢いで何かがこちらに向かってくるのを感じる。
狸擬きも、瓶の中に伸ばした前足を止めて、顔を上げる。
「どうした?」
「……何か、来るの」
狸擬きの本気の走りと同様と思われる速さ。
しかしそれは、唐突に止まり、
「ピチチッ!?」
と鳴き声がしたと思ったら、止まりきれずに荷馬車の上の枝葉に突っ込んだらしい。
パラパラと葉が落ちてくる。
「鳥か」
「あの世にも恐ろしい弾丸鳥の」
片道だけでも結構な値が張る鳥のはず。
色んな意味で恐ろしい。
「ピーチチッ」
お待たせしましたと言わんばかりに、小鳥は開きっぱなしの荷台の柵に降りてくると、白い小鳥の身体に似合わぬ大きさの筒を足に留めている。
「ありがとう、お疲れ様」
「ピチッ」
ご機嫌に鳴いた小鳥は、男が足の金具を外すと。
狸擬きの前にトンッと跳ね、狸擬きが抱える、底に溜まった胡桃のキャラメリゼを、じーっと凝視している。
「……」
『……』
「鳥、ジャムを挟んだビスケットもあるのの」
と声を掛けてみても、弾丸鳥はキャラメリゼから目を離さない。
鳥は相当な甘党が多いのは経験上知っている。
この小鳥も、それの1匹なのだろう。
狸擬きも、瓶をしっかりと抱えていたけれど。
「……狸擬き、お主にはお主の好きなものを作ってやるから、それはこの鳥に譲ってやるの」
「フーン……」
我の言葉にしぶしぶ狸擬きが瓶を離して小鳥の前に置くと、小鳥は瓶の中に飛び込み、物凄い勢いでつついていく。
男は隣で慎重に手紙を開いている。
「誰からの?」
「麦わらの旅人からだった」
「のの?」
「フン?」
未練たらたらに前足の爪を咥えていた狸擬きも、さすがに少し驚いている。
手紙を見せて貰うと。
『君たちが出発した後、俺もすぐに村を出た』
『あの何も目印のない草原で、君たちの、ほぼ何もない中で見付けてくれた川の蛇行の目印、稀にある木々、そして置いてくれた岩のお陰で、無事に花の国に着いた』
『あのまるで、水のない大海原のような草原を抜けようとした君たちの無謀さには、未だに呆れる他ない、いや、これは心からの褒め言葉だ』
『そうそう、2つ目の岩の前に、薄桃の木があった。あれも君たちの仕業だろう、薄桃の木にしては、なぜか妙に高さがあるから見付けやすくてとても助かった、そして実も数粒頂いた、とても瑞々しくて甘かった』
のの。
薄桃の木の報告は有り難い。
萎れずに、あの場で根を張ってくれた模様。
『そして手紙の本命の用件だけれども。
すまない、君たちのことは組合で話さざるを得なかった』
『俺1人ではさすがに不自然が過ぎたし、あまりにも信憑性がなさすぎた。けれど君たちのことを話したら納得してくれたし、中継地点の話も、今はもうお伽噺ではないと真剣に考えてくれてる』
「フーン……」
狸擬きは、懸念するように顔を上げてこちらを見て来たため、大丈夫のと背中を撫でてやる。
(仕方ないの……)
それよりも、花の国では特に何もしていないのに、随分と高い信用を見積もられたものだ。
確実に国には話が伝わっているであろうから、きっと姫のお陰だろう。
『花の国は、今は初夏の花の全盛期で、毎日お祭りの様な賑やかさで、旅行客も多い』
『俺はここは好きだ、海がないのは残念だけれど』
旅人の好き嫌いなど聞いていない。
『今は連日組合で、中継地点の話を進めている、日に日に関わる人が増え、現実味が増しているよ』
『国の方からの介入もあるけれど、資金援助的な話で、そう悪いものではない』
『話が前後してしまうけれど、あの桃の木のお陰で、目印に背の高い木にしようと提案できた。
どうせ時間はかかる、いくつかの若い苗木を実験的に植えて育てて行けばいいと』
良い案である。
小さな村の村人たちでは、根付くかも分からない木々を遠くまで運び植えるのは、あまりにも現実的でなかった。
『この手紙は、ここからは気の遠くなるほど遠い空と海を経由して届くらしい、届くのはいつになることやら』
『そうだ、狼の姉さんから、もし君たちに手紙を書くことがあったら、ありがとう、とても嬉しいと伝えて欲しい、と言伝てを頼まれていた』
『まだ当分は花の国にいる予定だ、よかったらそちらの近況も教えてくれ』
と。
往復料金の証の小さな紙も含まれている。
(ふぬん……)
そして、手紙の最後に小さく、
『今のところ目新しい小麦粉はない』
とも。
「白いお粉」
の事だろう。
やはり、一介の旅人などには、そう簡単には渡ることはない。
ある意味、花の国に信用が置ける。
そして狼の姉も、我等からの礼を無事に見付けてくれたらしい。
喜んでくれたなら、良かったと思う。
小鳥が、瓶の中からピチチと鳴く。
「の?」
「フーン」
狸擬き曰く、船に乗られて遠くの国に行かれたら、さすがに追い付くのが厄介だったので、間に合って良かったですと言っていると。
それはそれは。
「こちらも助かったの」
そして。
「ピチチ?」
これはもうないのかと中で瓶をツンツンつつく。
「残念ながらの。……改めてのお主への礼は何がよいかの」
「ピチチッ」
甘さの濃いものなら何でもと。
成る程、甘党の理由は飛行でそれなりのカロリーを消費すると見た。
小鳥は、狸擬きとまた何か話してたけれど、そのまま瓶の中でうとうと眠り始め、荷台の外で、サワサワと小雨が降り出してきた。




