130粒目
夕刻までのんびりし、陽の暮れ始めた中、組合へ向かうと、カウンターから出てきたじじにジャムを渡す。
ホクホクとして受け取ったじじと、じじのお目付け役と思われる職員の男も付いてきた。
学校へ向かうと、開きっぱなしの門扉から学校じじとムチムチ姉たち2人がすでに待っていた。
「狸擬きの」
「フン?」
「今日はこの者らの奢りであるからの、好きに食べるの」
「フーン♪」
街中の、さぞ賑やかな飲み屋にでも連れて行かれるのだろうと思ったら、
「のぅ」
「フーン?」
あのマスターの店に続いて異質な、テラスではなく室内に重しを置いた、この街では珍しい、テーブルに布が掛けられたレストランに案内された。
我と狸擬きの椅子にはクッションが追加され、
「……」
男が、店構えの豪華さに酷く構えているけれど、ムチムチ姉が純粋なお礼だからと手を振って笑っている。
男だけでなく我もいるし、賑やかな店は好まないだろうと、どうやら気を遣ってもらえた様子。
学校じじは酒は飲めるらしいけれど、それよりも、他の国の話が聞きたいと、子供たちに負けじ劣らずな好奇心いっぱいの目をしている。
距離はあれども波が穏やかで、尚且つ昔から交流のある隣の国々との話はよく聞くし交流もある。
けれど、我等の走ってきた道は街は、どこの土地も全く知らないからと。
辛うじて船は出ているけれど、せいぜい港のある国の話のみ。
体力と力のある弾丸鳥が、何とか山を越えられる程度で、そこから更に先の花の国は、こちらの大人でも、お伽噺の世界。
そんな中であの地図は、画期的な代物であると。
あの牧場村に、こちらから組合の人間を送る話も具体的になっており、村長がますますてんてこまいになることは想像に難くない。
じじたちは、死ぬ前に花の国にでも行ってみたいなと仲良く笑い合っている。
おじじ同士、基本、仲はいいらしい。
料理はどれもこれもそつなく美味しく、狸擬きだけが、隣で1匹、呑気に酒を煽っている。
「ここには、いつまで居てくれるのか」
とムチムチ姉の1人に聞かれ、曖昧に首を傾げている男だけれど。
そうの。
(そろそろであるかの……)
東に抜けるまで、まだ街が2つも残っている。
その前に、オリーブの木の島よりも小さな小さな無人島に行ってみたい。
男に聞いてもらえるように裾を引っ張ると、
「オリーブの木の島から、直接船を出すように頼んでもらうらしい」
ほほう。
「でもそろそろ早目の夏休みで人が増えてくるから、他の客と乗り合わせて行く
ことになるかもしれないと」
ぬぬ?
どうやら、小さな無人島は釣りの人気スポットらしい。
(釣りはお預けかの)
せっかくだし、祭りまでいればいいとじじたちは言うけれど。
男は祭りで儲ける仕事をしていない。
店を出ると、改めての報酬の話しは組合に来てくれと、男がじじに伝えられている。
それぞれ手を振って別れると、今夜も賑やかな街を、男は我を抱いても尚、身軽に通り抜けていく。
「フーン」
狸擬きも、酔っ払いながらも、ステステと男の足許から離れず付いてくる。
それにしても。
「今日もお疲れ様だったの」
子供や増えた大人たちの前でも、男は堂々と、楽しげに、皆の関心を引くような話しをし、実際成功していた。
「君といると色んな経験が出来るな」
それは。
「……嫌味の?」
宿の近く、賑やかさの少し遠退いた、もうすぐで宿に着く手前。
我の言葉に男は足を止めると。
「いや、自分のしてきた経験を、あんな風に聞いて貰えて、行商人冥利に尽きると思える日が来るとは、思わなかった」
と、我ではなく、夜の海を見て呟いた。
「のの……」
そうなのか。
男にしがみつくと、
「ありがとう」
と続けられ。
「ぬ、ぬん」
こそばゆい。
階段下から人が上がってくると、軽く手を振って挨拶しながら通り過ぎて行く。
男は挨拶を返すと踵も返し、
「ここもいい街だったな」
男の囁きで、街との別れが見えてきた。
翌日。
手芸屋へ向かう前の今朝は、ほとほどの快晴。
「手芸屋の乙女に、礼になるものを持っていきたいのの」
今、焼いているパンだけでは礼としては心許ない。
「それなら布の国で仕入れた、少しいい生地をお礼にしようか」
「の」
それはいい。
荷台から巻かれた布を取り出し、ついでに掃除と荷台の整理。
狸擬きが、
「フーン」
とやって来た。
「の?お散歩?良いの」
気を付けるの、と狸擬きを送り出すと、男が忘れてたと、その場に物干しを組み立てると布団を干し、
「少し石の補充をしてくる」
すぐ戻ると行ってしまう。
石とは万能石のことだろう。
荷台に腰掛け、男を待ちながら。
そう言えば。
(青のミルラーマと呼ばれるあの山から旅に出て、そろそろ1年位経つの……)
今までの妖生からしてみると、何とも密度の濃い1年だった。
見せて貰った地図では、やはり北よりの東へ向かうらしいけれど、にも西にも南にも名の記された国がある。
上、北側は海のように広い川、南はひたすら山。
「昨日聞いた話だと、この辺りで一番栄えているのが、あの獣の国のある方、ここからだと、少し北よりの東の方らしい」
「ふぬん」
「でもその前に、隣の街を抜けて、更に越えた街から、船に乗る」
「ぬん」
「一番端の国が、向こうの国との交流が一番多い」
「一番海に面した国の」
活気がありやはり陽気であると。
ただ、少し海の向こうの国の文化も混じり、こことは毛色が若干違うとも。
男が戻ってきたけれど、 万能石だけでなく、蓋付きのバケツと大きな刷毛を片手に戻ってきた。
「忘れていた、錆止め」
「ほほぅ」
何気なく蓋の中を覗き込んだけれど、
「ぬっ!?」
臭い。
獣のように飛び退いた我に男がくくっと笑いを堪えると、車輪を1つずつ外して、塗っていくらしい。
「ぐぬぅ……」
狸擬きでなくとも、我も臭いに耐えきれず逃げるように部屋に戻ると、おとなしく刺繍の練習をすることにした。
昼、乙女の手芸屋にお邪魔させてもらい。
「刺繍は、小さいものからがいいですよ、埋めるのが楽ですから」
と極意を教わる。
文字は、特に片仮名は直線のため難易度は低い。
文字だけであるし、ここで完成させてしまいたい。
一昨日、基礎は教わっているし、特に難解な針の通し方でもない。
「……」
息を吐き、指先に持つ、糸を通した針に意識を集中させると、今日もお行儀悪くテーブルに乗って、我の手許を覗き込んでいた狸擬きの毛が、何を感じたか、
『……ッ』
ボワッと大きく膨らませた。
(ぬ、力を込めすぎたかの……)
まぁいいだろうと、つぷりと布に糸を刺し込む。
「タ……」
と、まずは一文字。
ゆっくりゆっくり針を刺し、糸を通していく。
「……」
糸に、布に、自分の命を吹き込むように。
分け与えるように。
身体に通っている血を意識して、書いた文字に沿って行けば、視界の端で、狸擬きの尻尾がゆっくり揺れている。
初めても初めてで、多少カクカクするけれど、カタカナならそれも味となる。
(そもそも、我以外誰も読めぬしの)
ゆっくりと身体から五感が浮遊し始め、男と乙女の話し声が遠ざかる。
一文字、また一文字。
(タヌキ、モド、キ…)
最後の玉結びの後、鋏で糸を切り、木枠から外すと、確かにハンカチがふわりと浮いた。
男はちらと眉を上げ、狸擬きは小さく尻尾を上げたけれど、乙女には我が揺らしたと思われ、ニコニコしている。
広げて男と乙女に見せると、
「あぁ、とても上手だ」
乙女も胸の前でパチパチと拍手してくれる。
「フーン♪」
狸擬きは、今夜からはこれを敷いて寝ると、嬉しそうだ。
寝床の敷布団代わりにするらしい。
「俺にも何か刺繍をして欲しいな」
テーブルでくるくる嬉しそうに回る狸擬きを見て、男が羨ましそうな顔を隠さずに催促してきた。
「ド素人の腕で良ければ構わぬの」
むしろ玄人の乙女に頼むべきではないのか。
「いや、君の刺繍だからして欲しい」
「ののぅ」
たまには変化球を投げろと言いたくなる真っ直ぐな物言い。
お礼の布と、おまけのパンを渡すと、どちらもとても喜んでくれ、この布はどこで?と訊ねられた。
男が布の国でと話すと、俄然食い付きが違う。
食事がてら、是非お話を聞かせて欲しいと誘われた。
乙女は昼はほとんど自炊だと言い、外からの階段で2階の赤い扉を開く。
乙女は兄と住んでいると言い、しかし今は仕事に出ていると。
兄。
あのマスターに似ているのだろうか。
そう広くはないけれど、白い壁に、大小の花が刺繍された布が飾られ、
(ほほぅ)
「刺繍の見本市の様の」
水場と炊事場の部屋にテーブルがあり、奥にドアが並んで2つあるのは、兄妹のそれぞれの自室であろう。
そのドアにも、小さな花が刺繍された布と、もう1つは船の刺繍のされた布が飾られている。
兄の方は、船乗りだったりするのだろうか。
清潔な水場には、白地に紺色の皿が重なり、硝子のグラスもある。
振り返った乙女は、狸擬きもしっかり椅子に座っている姿にクスリと笑うと、耳障りのいい、何か歌を口ずさみながら、鍋に火をかける。
魚の切り身をオイル漬けにしたもの、魚の卵を茹でて潰したジャガイモに混ぜて、酸味のあるソースで和えたもの。
「の、タコの」
タコの足が出てきた。
「柔かくなるまで煮込んだものを、焼いたものだそうだ」
「のぅ」
パンは、切り分けられたものが置かれ、男が軽く炙ったものを我の皿に置くと、乙女が何か訊ねている。
我は、まだ魔法が使えないのか、火魔法が使えないのかといった問いだろう。
男は「まだ」と言っているらしい。
ふぬ?
我が魔法を使えないのは、あまり言わない方が良いのだろうか。
狸擬きが、自分の分もと催促していると、乙女が炙ってくれている。
料理はどれも目新しく、特に、
「ぬぬん、タコが美味の」
オイル浸けなどにでもしても、保存は利かないのだろうか。
男が、乙女に布の国の話をしている。
まだだいぶ先だけれど、牧場村からの道が繋がれば、いつかは布の国へ行けるはすだと。
我のように、布の国にそこはかとない衰退と閉鎖感を感じる一方で、乙女の様に、布の国を憧れの夢見るものもいる。
常々、あまり積極的に人と関わりたくはないと思っているけれど、思いもよらぬ他人の見方を感じられるのは、新鮮で悪くない。
下の店で布と刺繍糸を買い足し、礼を告げて乙女の店を後にすると、午後は本格的に、次の街に向かうために、必要なものを買い込むも、
「草原や山とは違うから」
追加した荷は少な目。
「ヨーグルトで作る酵母の作り方を描いて貰ってきたよ」
宿の荷台に戻ると、干しっぱなしにしてある布団のほつれに気付き、縫い直していると、男が再びの買い出しのついでに、ヨーグルトの入った容器と、紙を1枚手渡してくれた。
なんと。
「これは有り難いの」
字と絵で描いてある。
隣の街まで1日は掛かるらしい。
街とはいえ思ったより距離がある。
布団を繕い、荷台の整理も終わる頃、海風が雷雲を連れて来た。
「のの……」
狸擬きは部屋に入るなり、自分の名の刻まれたハンカチ持ちベッドへ向かうと、
(おやの?)
敷かずに頭から被っている。
お守りに近いものだろうか。
上から布団を被せてやったけれど、雷はゴロゴロと不機嫌に腹を鳴らすだけで、
「……不発の」
「中途半端だな」
パラパラと雨が降るだけ。
やがて夕陽が射し込み、
「食事は外へでも行こうか?」
「そうの」
近々の出発に向けて、なるべく今在庫としてある生ものは、中途半端に抱えたくない。
なのに。
「フーン」
雷がおさまった途端、狸擬きが寝室から出てくると、
「フーン、フーン」
夜はおにぎりが食べたい、おにぎりが食べたい、と尻尾を振って訴えて来た。
「……」
聞こえぬふりをして無視しようとしたら、我と男の周りをくるくる回ってアピールしてくる。
「なんて?」
男がおかしそうに笑いながら訊ねてくる。
薄々察しているのだろう。
「……おにぎりが食べたいと」
「あぁ」
やっぱりか、と声を立てて笑う男。
「……わがまま狸がすまぬの」
「いや、俺も食べたいよ」
結局、豚肉を蒸し焼きにしたもの、我の作ったいびつなオムレツに、野菜たっぷりのスープ。
ご機嫌な狸擬きに、
「フーン♪」
「お主はもう少し遠慮を覚えるの」
と、席に着けば。
「フンフンフンッ」
「の?」
「フーンフンッ」
主様の作るおにぎりと主様が作る料理が一番力が付く、それはこの男も同じ、また近々また移動になるのでしょうから、体力は必要ですと。
椅子に飛び乗り、前足に赤飯おにぎりを掴みながら、後ろ足をジタバタさせて訴えてくる。
ふぬ。
なるほどの。
一理あるけれどの。
それより。
「行儀が悪いの」
「フンッ!?」
話していることは分からないはずだけれど、ふんわりとは察するのか、男がおかしそうに笑いながら、おにぎりを齧る。
明日は男が組合に顔を出してから、明後日、出発すると決めた。




