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13/147

13粒目

深く広い森も、霧もなければ、たまの柔らかな木漏れ日に、耳に心地好い小鳥の囀ずり。

雨上がりの土の濃い匂い。

けれど。

(川は少し遠いの……)

雨の中の移動の間で、川沿いから少し外れたらしい。

男は、森に入るとしばらく辺りを見回し、何とも言えない顔で我を見下ろしてきた。

男には、

「雨が降るとよくない」

と聞いたため。

晴れていなくとも、まだ曇り空であれば、男もそう不審には思わないのではと思ったけれど。

どうやら、そうでもないらしい。

(それもそうの)

ただ、今は黙っているのが最良な選択なはずであり。

男をじっと見上げ返すと、男は肩を竦めて先に視線を戻す。

狸擬きも、丸まらず。

我の隣で、後ろ足を前に放り投げて座っている。

やはり森に住んでいただけあり、知らぬ土地の森であれば、眠りよりも、興味や好奇心が上回るのであろうか。

鼻をスンスンして、今も何か匂いを嗅いでいる。

つられて鼻腔に意識を向けて見るけれど。

水を含んだ泥の匂い、草木の匂い、虫たちの匂い、獣の匂い、屎尿や糞の匂い、小さな花たちの芳香。

数えきれない程。

(ぬ……?)

ふと。

獣の、こちらを意識した小さな獣の気配。

それは、男の座る方角から。

と視線を向けた途端。

男がどこに隠していたのか、ふと屈み、手の動きからブーツのどこからか外した、小型の刃物を手にしており。

好奇心旺盛に後ろ足を立てて、木の影からこちらを覗いていたのは、耳の短い兎。

瞬きの間に、男が投げた刃物は、兎の額に突き刺さり。

「のの」

男は、馬車を停めて飛び降りて行く。

「御見事(おんみごと)の」

耳の短い兎は、青のミルラーマでも見掛けていたけれど、

(耳の長い兎はまだ見ておらぬの……)

我も馬車から飛び降りて付いていくと、男は兎の額からナイフを引き抜き、辺りを見回している。

耳を傾ければ、お誂え向きに、少し先に湧き水場がある。

「の」

指を差せば、男は、助かる的なことを口にすると。

多分、こちらも何となくでしかないけれど、

「先に向かっていて欲しい」

と、兎を差し出してきたため。

「の」

後ろ足を持ち、頭なら引き摺っても構わぬであろうとそのまま足を持って歩き出すと、馬車から降りた狸擬きも付いてきた。


男は、荷台から縄やら何やらを持って駆けてくると、手慣れた様子で、兎の頭部を切り落とし。

そこらの木の枝に縄を使ってぶら下げ、血抜きをしてから毛を剥いでいる。

何とも。

(手慣れておるの)

「剥いだ毛は我が洗うの」

両手を伸ばせば、ちらと眉を上げ、頼むというように血の付いた黒い毛皮を手渡され。

「じゃぶじゃぶの」

雨のため少し濁った湧き水をバケツで汲み、血や泥を落とす。

目の端に映る、地面に流れる兎の血は。

当たり前だけれども。

(血は鮮やかな朱色の)

赤黒い血であった青熊などより、見惚れるほどの、とろりとしたそれは。

「……」

なぜか目が離せずにいると。

『……』

狸擬きが、我の手が止まっているとスンと鼻を鳴らし。

「のの」

水を替えて軽く絞ってから。

「背中を貸すのの」

下駄を脱いで狸擬きの背に乗り、我でも届く木の枝に干すと。

男は、捌(さば)いた兎の体内から小さな心臓を摘む出すと、我の口許に運んで来た。

「?」

意図が解らず、首を傾げれば。

男は頷いてからそれを躊躇いなく口に含み、もぐもぐと食べている。

こちらでは食べるものらしい。

他の内臓や足はその場に捨てられ。

他の獣の餌にでもなるのであろう。

(兎の心臓は、美味なものなのかの)

兎は、特に害にもならなかったため、見掛けても気にもしなかった。

我を天敵として懲りずに挑んできた、あの青のミルラーマの青熊たちは。

心臓はおろか、肉からして臭く、とても食べられたものではなく。

そもそも、肉を食べようとなどとも思わなかったけれど。

青熊の数が減っていくにつれ。

我の暮らしていた深い谷底の。

もっと遥か上、山の上を人が通るようになり。

その通り道にまで引き摺って運んだ青熊を放っておくと。

人が、毛から皮から内臓まで綺麗に持ち帰ってくれ、とても有り難かった。

あの山を越える人間たちは、毛皮の活用だけでなく、あの青熊の肉も美味しく食べる術を知っていたのであろう。

兎が肉だけになると、男は荷台へしまいに行く。

冷蔵庫、ではないけれど、例の石の力で冷やせるらしい。

そう、あの石。

我が勝手に万能石と勝手に呼んでいる石。

まさしく万能であり。

必要なのは、人の魔法の力。

狸擬きは、落ちた内臓の臭いをスンスン嗅いでいるけれど、食べることはしない。

「の、毛皮は鞣(なめ)しとやらをするのの?」

戻ってきた男に、枝に干した兎の毛皮を指差せば。

「?」

今度は男が首を傾げながら、風魔法で兎の毛皮を乾かし始めた。

(ぬぬぅ)

やはり大変に便利であり。

(よいの)

羨ましい。

毛皮の裏表を乾かせば、男は枝から毛皮を外し。

(おやの)

そう言えば手ぶらでもあり。

男は少し屈んで、毛皮を持たぬ手を我に伸ばしてくる。

「……の」

我も手を伸ばし、それでも男の人差し指を掴むのが精一杯であり。

男は、何だか力が抜けた様な顔で笑うと、馬車に向かってゆっくり歩き出した。



兎の毛皮は。

男は皮の方を表にして荷台に広げていたけれど。

それも終われば、鞣(なめ)しの作業は行われず。

男に背後から猫のように持ち上げられて、我はベンチに座らされる。

(急がなくても問題ないのかの)

その辺りは、元の世界と少し違う様子。

我も、大昔に遠目で作業を眺めるか、せいぜい拾って読んだ本の知識程度しか残っていないため、詳しくはない。

先に進みつつも、それらを男に訊ねなかったのは、そう急ぐ内容ではなかったためと。

「……」

男がまだ、獣の気配を探しているため。

我は黙って、隣の狸擬きの背中を撫でていると。

結果。

森の中程までで兎を3羽。

そのうちの1羽は、血抜きの前に男が腹にナイフを入れ、手を突っ込み。

血塗れの手で、小さな、当然血塗れの心臓を見せてきた。

(ふぬ?)

黙って口を開くと、そっと口に入れてくれる。

「……」

(ふむん。……血生臭いの)

ぶちゅっと口の中で小さく弾けるも、特に美味なものでもなく。

(ただの動物の内臓の……)

むぐむぐ噛んでいると、男が腰のベルトに挟んでいた布で唇を拭われる。

血が付いていたらしい。

(なんぞ、世話焼きの……)

3つ目の心臓は、男が狸擬きに見せていたけれど。

『……』

狸擬きは、その場から数歩後退し、尻尾をぐるぐる回転させている。

「なんの、その動きは」

あまりに謎でおかしくもあり、男と共に笑ってしまう。

一体、どんな感情であるのか。

狸と言う生き物は、本来、何でも食べる雑食なはずなのだけれど。

こちらの狸は、また違うのであろうか。

(そもそも)

擬き、であるしの。


森の中は、夕暮れも少しばかり早い。

「ぬ……?」

森の中でも少し開けた場所に出ると、先に小屋が見えた。

名の通り、本当に小さな、物置かと思われる小ささ。

人のいる気配もなく。

使われたのは、

(どれくらい前であろうの……)

気配を探っても、今はおろか、過去の人の気配すらとても薄い。

この男の様な、冒険者や行商人が使う小屋なのだろう。

誰が建てたのか。

窓は小さく、扉は厚く重い木製。

外には井戸もあり、馬用に作られた屋根付きの上屋(うわや)もあり。

元は、誰かが住んでいたのかもしれない。

鍵はなく、男がドアを開くと、埃と少しのカビの臭い。

中は、たった5畳程度。

部屋の真ん中には、古い古い木のテーブルと、こちらは誰かが持ち込んだのか。

まだ若干新しく感じる、大きさも形もバラバラな椅子が4脚。

右手には、コンロを置くためだけの作り付けの棚と、奥はあの万能石を置いて冷やすための、冷蔵庫のような、我の背丈より背の高い箱。

奥の左手には、壁に沿うように置かれているベッドの木枠。

案外埃は少ないけれど、されど拭かないと使えなさそうであり。

男が、バケツで水を運んできた。

手分けして拭き上げたけれど、狭いため掃除はすぐに終わる。

狸擬きは何をしているかと思えば。

外で、馬たちの前に立ち。

『……』

じっと馬たちを見上げている。

種族は違えど、話が出来るのであろうか。

壁に造り付けのランプの皿に、男が万能石を乗せて灯りを点け。

我はコンロの棚に、荷台から出してもらった炊飯器を置いてもらうと。

椅子を運び、よじ登ると、炊飯器に小豆を落としてスイッチを押す。

男は開きっぱなしの扉から外へ出て、水を汲み馬たちに飲ませている。

(ふぬん)

「……」

我も男を追い、屈んでいる男のシャツの裾を摘みくいくい引っ張ると、

「?」

どうしたと首を傾げてくるため。

森の、先へ進むであろう方角を指差し、足踏みをしてあちらに行きたい伝えると。

当然、酷く渋られた。

我は、狸擬きに乗ること、男を小屋の方に引っ張り、開きっぱなしの扉から炊飯器を指差し。

これが音を立てる頃には必ず戻ることを何とか伝えると。

男は。

森の、我等の向かう方角に目をすがめ、眉を寄せる。

我程でなくとも、ぼんやりとは「何か」が見えているのであろうか。

「心配させるな」

的なことを言われたばかりであれど。

夕刻の今。

人ならざるものたちの姿は、特に“我が”可視化しやすく、祓(はら)いやすい。

明日の天気は、我予報では晴れ。

太陽光に呑まれてしまう明日より、今のうちに出来る限り、数を減らしておきたい。

森の先は、夕陽でパッと見は分かりにくいけれど、人影は確実に濃く漂っている。

「……」

今度は駄々こねもせずに、静かに男を見上げていたお陰か。

男は眉を寄せたまま、何とか、渋々、了解してくれた。

もさもさやってきた狸擬きに乗って先へ急ぎ。

森の中、それっぽいものを見つけると、纏(まと)めては小さく丸めるを繰り返し。

狸擬きも慣れてきたのか、人の形を見掛けるとテコテコ向かうようになった。

こやつらが、そう脅威にもならないと気付いたのであろう。

せっせとこなしていると、あと、1、2体にまでには減らせられたけれど。

(ぬ、そろそろ時間の……)

男に心配される前に帰らなければ。

狸擬きに掴まり、だいぶ風通しの良くなったなった森を走り戻ると、男が小屋から出てきたところだった。

人待ち顔で辺りを見回している。

我等に気付けば、あからさまに安堵の息を吐かれ。

「すまぬの」

(お主を含む、我等の安全な旅路のためであるからの)

狸擬きから降りれば、小屋の中から。

炊飯器が、赤飯が炊けたと音を鳴らし、スープのいい匂いもしている。

狸擬きが、美味しい夕食の気配に、我先へと小屋へ入っていく。


我と男も、小屋へ入りながら。

(ぬぬ)

しかしこの男は。

(とかく仕事が早いの)

芳しい香りのスープと、フライパンで軽く焦げ目を付けたパンには、野菜と薫製肉が挟まれたものは、テーブルに並べられている。

今は、あの狩ったばかりの兎の肉を、焼き始める所だったらしい。

男がフライパンで肉を焼いている間。

我はテーブルに炊飯器を置いて貰い、椅子の上にに立って赤飯を握れば。

兎の肉と野菜が多く入ったスープにトーストサンド、赤飯おにぎりでの夕食。

狸擬きは早々と、少し古いクッションを敷いた椅子に腰掛け前足をテーブルに乗せている。

2人と1匹で手を合わせ、いただきます。

「のの♪」

(兎肉、柔らかくて大変に美味であるの)

誰も言葉が通じぬため、淡々と、無言の食事になるけれど。

「……♪」

狸擬きのご機嫌な空気。

男も、目が合えばまたやわこく微笑み。

その、なんとなしの気恥ずかしさこそあれど、気まずさなどはなく。

隣の狸擬きは、まず一番好物の赤飯おにぎりを食べてから。

器用にフォークとスプーンを操(あやつ)って、肉を食べスープを飲む。

お箸も与えれば、爪先と肉球で難なく使いこなしそうではある。

(お箸……)

石の街。

あそこで食器を売っている店では、お箸は売られていなかった。

遠い土地では、お箸が使われていたりするのであろうか。

そんなことをぼんやり考えつつ、我はまだ噛み慣れない肉を咀嚼する。



本日も美味しい夕餉が終われば。

片付けをしてから、男が硬く絞った布を渡してくれた。

身体を拭く仕草。

男は、手振りで荷台で拭いてくると。

ちまっこい我に対し、大変に紳士である。

狸擬きは、我の側にいたけれど。

その紳士な男に小脇に抱えられ、

『……!?』

一緒に小屋から退出させられている。

どうやら男から見る限りは、狸擬きはレディではない様子。

けれど我も、あれがメスかオスかは知らぬ。

身体を拭いていると、外から、葉の揺れ擦れる音。

あらかじめ持ち込んでいたキャミソールをカボチャパンツを身に付けていると。

何か、カリカリと音がする。

「?」

何かと思えば、狸擬きが外から扉に爪を立て、ここを開けろと催促している様子。

(なんの)

随分と、“獣らしい”ではないか。

「お待たせであるの。もう開けて良いの」

扉から外に声を掛ければ、男が外から扉を開ける。

普通の宿の扉の取手も、下駄の歯での底上げ、更に背伸びして何とか開く位であるのに。

この小屋は妙に取手の位置が高くて、我の背丈では届かない。

後で、扉が重いのは獣の侵入を防ぐため。

取手は、獣にちょっかいをかけられて壊されないために、わざと位置を高くしていると聞いた。

男が荷台の布団を運び込み、板張りのベッドに敷き、男と2人で俯せになり。

小屋まで持ち込んだ画板で、話をした。

こちらから、聞きたいことではなく。

ほんの他愛のない会話。

男は絵が上手いため、見るだけでも楽しい。

知っているものも沢山あったけれど。

知らないフルーツ、見たことのない野菜、食べたことのない料理の絵も多い。

男は、言葉が伝わらなくとも、その言葉を声に乗せ、その低い声は非常に耳障りが良く。

「……ぬん」

そう、それは、とても心地好く。

(んぬぬ……)

我にとって。

長年。

眠るという行為は、人を真似ているだけで。

更に自分で「眠る」と意識して眠るものだったのに。

「……」

(何だか、ぼんやりするの……)

もしかしたら、この、こんな小さな小屋にも「睡魔」とやらが住み着いているのかもしれない。

「ぬぅ……」

奴等はどこにでも現れる。

そして、その眠気と言われるもので、うつらうつらするのは。

案外、悪くもないものだけれど。

けれど。

まだ話したいのだ。

この男と。

そう。

まだ、話したいのに。

「……の」

我に寄り添う男の匂い、体温、吐息。

足先に感じる狸擬きの毛の感触は。

あぁ、とても。

(柔らかいの……)

「んの……」

意識が、何とも呆気なく睡魔に乗っ取られる瞬間。

男の声で、

「おやすみ」

と囁かれた気がする。

なんとも甘く優しく、心地好い声で。


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