129粒目
「ののぅ……」
お話会は、前回より大人は勿論、子供まで増えていた。
まだ未就学児の子供は勿論、学校は卒業し、すでに働き始めたくらいの若い子供たちまで。
口コミ、とやらで話が噂が広まったらしい。
見知らぬ大人たちも多く、この学校の職員は勿論、組合のじじに別の職員たち。
そして、もうすぐ自国に帰ると話していた一緒に島を巡った若い女、結構飲んでいたはずなのに、二日酔いの影は全く見えないニコニコとしているマスターに、乙女も端に佇み、目が合えば控え目に小さく手を振ってくる。
今日は、皆が集まってから部屋へ行きましょうと、あのグラマー教師に、職員室で待機です、としばらく待たされていたのだ。
男も、確実に増えた観覧者に、笑みが固まり。
我と狸擬きはまた端に寄り、窓際の壁に寄りかかるようにして座る。
貼られたままの地図の前に男が立つと、それでも軽い口調で話し出し、肩を竦めて、何か大袈裟な仕草に、皆が笑う。
狸擬きが、ちらとこちらを見て、
「通訳はどういたしますか?」
と訊ねて来たけれど、
(大丈夫の)
狸擬きの毛を撫でると、身体を寄せてくる。
(あぁ……)
そうの。
今日も、男の少し知らぬ顔、知らぬ一面を見て、少し遠くに感じる気持ちは、解る。
男が纏めた紙に視線を落としながら、質問に答えていく。
地図を指差し、国によって言葉や文字が違うこと、身振り手振りで空腹で初めて狩りをして獣を捌いた話などもしているらしい。
地図にある馬車の絵の車輪を指差すと、大きな笑いが起きる。
興味深そうな眼差しは前回と変わらず、むしろ熱を帯び、質問の紙に答えた男に、更に質問が飛び、遠慮がちな大人たちからの質問すらあり。
またも時間は大幅に越え、グラマー姉が手を叩き、ここまで、と止めてくれる。
大人はともかく、子供たちはもっと話を聞きたいと騒ぎ、他の教師が解散、解散と声を掛けても、構わず男に群がっていく。
「の……のの」
そして我と狸擬きも、好奇心を露にした子供たちに囲まれ、なにやらわやわやと話しかけられるものの、言葉は通じないし、
(のぅ……)
壁際で逃げられずにいると。
(ぬ?)
前回は一目散に逃げていた狸擬きが、
(おやの)
ずいと身体を横にして盾になってくれた。
なんと。
そして当然、子供たちに身体を触られ放題になっている。
『……』
(おおぅ……)
今夜の赤飯おにぎりは大きめに握ってやるの、と内心で手を合わせると、大人たちがとうとう実力行使で子供を抱えあげて廊下へ連れ出し、マスターや若い女も、子供を抱き上げたり手を繋いで外へ出してくれている。
「すまない」
男がやって来て謝られたけれど。
「お疲れ様の」
ボサボサになった狸擬きの毛を撫でてやりながら、男を見上げると、
「やっと終わった」
男も息を吐きつつ笑う。
大人たちが、校舎から生徒を追い出したらしく、外から声は聞こえるけれど、やっと大人たちだけになった。
グラマー姉と学校じじが、男に何か、少し改まった様子で何か問いかけている。
「?」
「正式に、あの大きな地図を、学校側で買い取らせては貰えないかと言う提案をされていますね」
狸擬きが教えてくれる。
(あぁ……)
まぁ、紙とは言え、あんなに大きなものがあっても、我等が何が出来るわけでもない。
組合じじは渋々承諾したらしい。
それでも。
「フーン」
あれは、少しばかり価値のあるものです、と狸擬きが伝えてくる。
「知っておる」
でも。
「男が学校か組合の方に、何か大きく吹っ掛けるだろうからの」
問題はない。
若い女と乙女が我に話し掛けてきた。
「ぬ?」
「お召し物を褒められています」
(あぁ、今日は巫女装束だったの……)
特に乙女は、生地や型に興味津々らしい。
男は何か手を振ってじじたちやグラマー姉の誘いを断っている様子。
断りきれていないけれど。
若い女と乙女が話し出し、何やらクスクスと淑やかに笑い合っているけれど、狸擬きは、
「……」
我に身を寄せるだけで、それについては何も教えてくれない。
男の話でもしているのだろうか。
そのやってきた男に、
「お待たせ」
抱き上げられ、打ち上げ的な食事に誘われたと。
「夕食の?」
「あぁ」
それくらいなら。
「我は構わぬの」
「悪いな」
そう言えば、若い女のお供の狼がいない。
男伝に訊ねると、
「子供が苦手で、宿で待機だそうだ」
まぁ気持ちは解る。
未だボサボサの狸擬きを見れば尚更。
その狼の相棒の若い女は、何かあっけらかんと話しているけれど、
「今日、これから出発する」
のだと言う。
(なんと)
お話会の話を聞きたさに少し滞在を伸ばしていたと言う。
「なら、お見送りくらいはさせて貰おうか」
「の」
街の少し外れに、馬車の乗り合い場があると聞き。
急いで宿に戻り、袋に胡桃のパンと春苺のジャムの瓶を詰め、尻尾をくるくる回している狸擬きの口にもパンを放り込む。
男に抱かれて急いで街外れへ向かっていると、脇道からマスターが現れた。
マスター曰く、
「僅かな時間での出会いでしたが、これもご縁かと」
と、何かやはり甘いものでも詰められていそうな紙袋を持っている。
徐々に民家よりも、扉の開いた店が増え、長旅用の保存食や鞄や馬車の部品などが売っている店が目立つようになる。
建物からの道を抜けると、これから旅立つ馬車の進む道は、目にも鮮やかな青々とした草原が広がり、
「ほほぅ」
馬車が数台並び、馬の休憩所と思わしき建物や、小さな宿もあり、見送りも思われる人間の姿もちらほら見える。
草原の向こうからまた1台、馬車がやってくるのが見え、若い女の声がし振り返ると、思ったよりも大きな背負い鞄を背中に掛け、更に片手にも大きな荷物を持った姿で、隣に狼を従えやってきた。
男の腕から下ろしてもらい、狸擬きと共に狼の前に立てば。
『……あの、今度、僕たちの国にも来てくれますか?』
おずおずと話し掛けてくれた。
『是非の、行ってみたいの』
一度脳内地図に付けたバツ印を消す。
狸擬きも行きたそうにしているし。
狼は、嬉しそうに尻尾を振ると、
『僕の国には、とても長生きしている鳥がいます。あの方なら、もっとたくさんお話できると思います』
と、教えてくれる。
長生きしている鳥。
「小鳥の?」
『そうです、そうです』
岩の街で郵便屋をしていた、あの小鳥と同じ種族だろうか。
奥の建物から、空の荷台を引いた馬が、人に牽かれてやってきた。
どうやら若い娘はあれに乗るらしい。
旅人らしき者たちが集まり始め、皆荷物は多い。
狸擬きと馬がするりと顔を寄せ、別れの挨拶をしている。
男とマスターがそれぞれ、気の利いたものでなくてすまない的なことを言いながら、若い女に紙袋を手渡している。
無粋だけれど、多少の紙幣と硬貨は布に包み、底に忍ばせてある。
馬車は先払いらしく、それはマスターが横から手を伸ばし、若い女の分を支払っている。
渡された紙袋をぎゅっと抱えて、笑顔だけれども涙目で馬車に乗る若い女に手を振り、ひょいと馬車に乗り込む狼にも、
(またの)
目を細めて挨拶をする。
同じ馬車には旅人だけでなく、親子もいる。
若い男女の2人客は、新婚旅行だろうか。
若い娘は、何か声を上げて手を振っている。
「あっちで待ってるからと言っているよ」
「ぬん」
「組合にも、言伝てを頼んでおくからと」
おや。
馬車が、緩やかにカーブした小高い道の先に消えていくまで見送ると、マスターが、少し恐縮したように男に話し掛けている。
「?」
「忙しいとは思うのですが、新しい看板を作るに当たって、看板を頼む店で少し口添えを頼めないか、と頼んでいますね」
狸擬きの通訳。
あぁ、昨日は途中から酔っ払ってネタに走ってたからの。
ならば。
「我は狸擬きと先に帰るの」
「ん?」
男の我を抱く腕に力が籠る。
どうにも。
この男は、我のことが大好きの。
「我等は役に立たぬしの」
それに顔料の臭いは、我はともかく、嗅覚のとみに優れた狸擬きには毒にもなろう。
男は、ううんと眉を寄せたけれど、
「わかった」
と我を降ろす。
街の道半ばで男とマスターに手を振り別れ、狸擬きと歩き出す。
「我等は、海の方まで行こうかの?」
『良いのですか?』
真っ直ぐ帰れとは言われていない。
「散歩の」
『では、お付き合いいたします』
路地を曲がり、低い階段を降り、たまにある高い階段は両足で飛び降りる。
「お主は、この街では何が美味しかったの?」
『主様の握る「おにぎり」でしょうか』
「……それ以外の」
『主様の焼かれたパンでしょうか、卵焼きも』
ううん。
「我の作ったもの以外の」
『新鮮なのはイカとやらでしょうか』
「ふぬ。我は海老が美味だったの」
階段から見える海を眺め、また降りていく。
『こちらに』
「の?」
狸擬きの案内で道を逸れる。
馬車はおろか、人一人が精一杯の狭い道を抜け、
『背中にどうぞ』
「のの」
狸擬きの背中によじ登ると、狸擬きはテテテと助走をつけたと思ったら。
ポーンッ
と、斜め下の人様の家の屋根に降りては飛び超え、崖に建つ建物の段差を横切り、海岸沿いの建物を小気味良く走り抜けていく。
やがて、街の端も端、切り立った崖の、海風に強い木々の生える、海風で舞う砂の溜まったほんの小さな出っ張りに到着した。
海と小島が一望出来る。
「ほほぅ……」
狸擬きの背中から降り、並んで、今日も惜しまずに太陽を反射させる海を眺めていると。
『海とは』
「?」
『海とは、いつかの大きな湖より、もう少し大きいものかと思っていましたが、海こそが、この果てのない地を形成する源なのだと、この街で知りました』
あぁ。
ゆらりゆらりと揺れる尻尾。
「……そうの、海は大きいの」
しばらくそれぞれ、物思いに更け。
また狸擬きの背に乗り、建物の屋根を超えて、そのまま狸擬きの背に乗り宿まで戻った。
「我のいた場所ではの、いんすたんと珈琲とか言う名で、この砂糖みたいに、湯に注げば溶けて飲める便利な品があると見たことがあるのだけどの」
ゴリゴリと珈琲豆を砕き。
「もう少しかの」
狸擬きが、自分もやりたいと言うため豆を砕かせ、湯を沸かし、持参したコンロで牛の乳を温める。
「フーン?」
それは美味しいのですかと豆を曳きながら聞かれる。
「ぬぬ、味は落ちるとあったの」
しかし我の様に、牛の乳と砂糖をドバドバ注ぐのであれば、あれで十分なのだろう。
細い注ぎ口のヤカンなど、少なくとも我等の荷物にはなく、鍋から、曳いた珈琲豆に湯を落とす。
(ふぬん……)
「香りはやはり良いの」
「フーン♪」
たっぷりの砂糖と温めた牛の乳を注ぎ、テラスへ出る。
「旅に出て、わりと早々とお主の仲間と出会ったせいもあり、どこぞにもいるもの、と言う認識があったけれど」
「フン?」
「あれっきりさっぱり、お主の仲間は見掛けぬの」
「フーン」
基本、人の居ない場所に住み着き、逃げ足だけは早いため、尚更人目には付きにくいと。
「確かに、青のミルラーマにも人は来なかったの」
青熊たちがいたお陰で、人も立ち入ってくることがなく、狸擬きには都合が良かったのだろう。
カフェオレは、ほんのりほろ苦くて、甘くて美味。
「フゥン♪」
しかし。
「こう、おやつが欲しくなってくるの」
酒で言うツマミ的な。
でも。
「おやつは、男が戻ってくるまで我慢の」
両手で頬杖を付き、海を眺めていると、
「フーフン」
「の?」
耳をそばだてていた狸擬きは、男が帰ってくると言う。
「おや、早いの」
部屋の中に戻ると、男がなぜか苦笑いで、
「海岸沿いの建物の上を、小さな女の子と獣が飛ぶように駆け抜けて行った、と噂になっている」
「の、ののぅ……」
皆、案外見ているものの。
「君は自由だな」
怒られると思ったら笑われた。
「皆が、楽しそうに話していたからだよ」
狸擬きは、男が持つ袋に、スンスンと鼻先を寄せている。
「いい匂いがするな」
「カフェオレの」
「あぁ、いいな」
お土産は、無花果のジャムが挟まれたビスケット。
それに、ヨーグルトのチーズケーキ。
男には珈琲を。
我と狸擬きは2杯目は紅茶を淹れ。
サクサクのビスケットに、とろりとした無花果のジャムが合い。
(んぬぬ、美味の)
ヨーグルトのチーズケーキも、少しの酸味に後味がチーズで、
「んふー♪」
「フゥン♪」
紅茶によく合う。
しかし。
「早かったの」
「あぁ、昨日描いた図案を看板屋に見せたら、あれで充分に参考になると言われた」
おやの。
酔っぱらう前に描いていたものか。
看板が変われば、また人の目にも留まり、客も入りやすくなるだろう。




