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122粒目

隣の宿泊客が、雨もなんのその、賑やかに帰ってくる話し声と足音が微かに届く。

パンはまだまだ温かく、せっかくの焼き立て。

昨日、ろまんちっくを邪魔した詫びもあり、男にパンのお裾分けへ行って貰うと、

「とても喜んでいたよ」

狸擬きだけは、不満そうに椅子から伸ばした後ろ足をパタパタさせているけれど。

「パンはいつでも焼けるの、他の酵母の作り方も試してみたいしの」

「フゥン♪」

あっさり機嫌を直す。

「発酵の本などはないかの……」

この広い世界、どこでもヨーグルトが手に入るわけでは無さそうだし、

(記憶の本棚には……どこかにあったかの)

「ぬん……」

頭が回らないのは。

「……ぽんぽんいっぱいの」

食べ過ぎた。

「腹ごなしに散歩……も雨だしな」

「箸の練習をするの」

男は残ったパンのスケッチをし、狸擬きはベッドで仰向けになり、腹を擦りつつ、呑気に夕寝を始め。

雨は、続く。


翌朝。

「フーン」

狸擬きが「ホットケーキ」が食べたい、と朝ご飯のリクエストをしてきたため、焼いてやり。

荷台から本を持ってきて広げ、男に読んでもらっていると、雨の中、茶鳥が遊びに来てくれた。

学校での男のお話会がとても楽しく、次もまた楽しみだと軽く足踏み。

仕事で村の方へ行ってみたら、狼たちに呼ばれたとも。

ほうほう。

「狸さんとあの人の幼子を模したお方は元気かと、とても気にされていました」

とぺたりとテーブルに座り込む。

茶鳥なりに、リラックスしているらしい。

「元気にしてるかの?」

もう懐かしく感じる。

「えぇ。遅い春の来た、奥の山の獣たちが活発な様子で、忙しく追い払っている様子」

ふぬ。

「あとはなぜ羊が以前より言うことを聞くようになり、追い回すことが格段に減ったと、不思議がっておりました」

「ほほぅ?」

「フーン?」

男に伝えると、煙草に火を点ける男も、

「不思議だな」

と首を傾げる。

狸擬きが一緒に走り回っていたせいだろうか。

楽しく話していたけれど、茶鳥がそわそわしはじめたため、

「何か要望があれば聞くの」

訊ねて見れば。

「図々しいのですが、あの、ポルボローネを作って頂ければ」

と嘴を胸に埋めるような仕草をする。

「あぁ、よいの。今日はおやつを求めて外にも行きにくいしの」

狸擬きは心得たもので、荷台から殻付の胡桃を持って来た。

「白い船鳥が気が強いというと、お主の方はおっとりが性分なのかの」

「そうですね、地味な私たちは、鳥舎でも、山の中でも、他の種族とは基本争いは好まず調和を望みます」

ぬぬん。

船鳥とは「ふぉるむ」は似ているのに、色だけで性格が真逆に近い。

この狸擬きも山に里に馴染む、ほぼ同化している深い深い焦げ茶色。

闘争心とは真逆の性格で、狸擬き自身も、特技は足の早さと逃げることだと言って憚らない。

「あの船鳥は、その気の強さ故、伴侶を見つけることが難点なのが、長年解決されないままです」

「ののぅ」

雄も雌も気の強さは変わらないと。

「私たちはお見合いや仲間内で自然に伴侶が見つかりますが、船鳥は相手が見付かれば、人間が祝盃を上げるくらいです」

我伝の鳥の話に、男がくくっと笑う。

そんな話していたら、生地ができた。

男にオーブンの予熱を頼み、焼き始めればやがて部屋に甘い香りが広がり始め。

狸擬きが、

「フーン……♪」

ゆらりゆらりと尻尾を揺らし、まだかまだかと熱心に火の番をしている。


「お土産までありがとうございます」

「小降りとはいえ雨はまだ降ってはいるから、気を付けの」

「えぇ、えぇ。人の姿を模した優しきお方、感謝します」

小雨程度なら全く問題ないからと、首から小さくない袋を下げて飛んで行く茶鳥を見送ると、何とも中途半端な時間。

「フーン」

狸擬きが欠伸をし、

「……あふぬ」

つられて欠伸をすると、

「少しお昼寝しようか」

「の」

「フーン」

雨の日は、少し静かな海岸沿いの街の空気を感じながら、

「……」

降りてきた睡魔に、おとなしく身を任せる、海岸沿いは雨の午後。


翌朝はまた曇り空。

広くない道の水溜まりをポーンと飛び越える狸擬きを真似て、男の手から手を離し、

「ふぬんっ!」

勢いよく跳ねたものの。

「ぬっ!?」

「フンッ!?」

「あっ!?」

見事に水溜まりの中に着地し、

「……」

我は勿論、水飛沫で狸擬きと男のパンツを盛大に濡らし。

「……すまぬ」

「フーン……」

「一度、戻ろうか」

走った勢いでの跳躍力に自信はあったけれど、助走がないと全く駄目だった。

下駄と足袋を脱ぎ、巫女装束から黒ドレスに着替えている間に、男が狸擬きの毛を拭き、パンツを履き替え、思い出し笑いをしている男に、今度は抱っこされて学校へ向かう。

学校の事務室には、じじが待っており、生徒たちから集めた紙の束を紐でくくったものを男に渡しながら、またなにやら話している。

狸擬きは、こっそりと生徒たちのいる教室を覗きに行ってしまった。

何をしているのか気になるらしい。

じじが話しつつも、何か紙に描いている。

「食事がてら質問を纏めるつもりだと伝えたら、昼前から食事を出している店を教えてくれたよ」

おや、親切の。

狸擬きがテコテコ戻って来たけれど、男が子供たちに話していたことと、似たようなことをしていたと。

だろうの。

さらさらと描かれたわりに、精巧な地図と店の位置が記されている。

(ぬぬん、これも一種の才能の……)

地図を見て、食事処が何軒か続く1軒がもう店を開いている。

「のの……」

昼前だけれども、出されたのは、タラらしい魚のフライ、骨付きのラム肉、生のチーズがたっぷり入った山盛りのサラダ。

サラダだけでなく、全てにボリュームがある。

味も美味。

そして我だけでなく狸擬きもら人間の大人の1人前は余裕で食べるため、

「甘いものはまだお腹に入る余裕があるの」

と食後のデザートをねだってみたものの。

「質問を見てからな」

「んの」

そうだ、当初の目的を忘れていた。

食後の珈琲と甘めのカフェオレを頼み、質問を眺めていく。

正直なところ、子供たちの書く文字は読めるかと思ったら、あまりに難解な文字には教師が、何が書いてあるかを書き足してくれている。

(先生というのは、なかなかに大変な仕事の)

男が見て、メモした後の質問の書かれた紙を我も見るけれど、

「おにいさんの好きなたべものはなんですか」

「くもにはどうすればのれますか」

「いっしょにいる生き物はなんですか」

(……質問が大変に自由の)

狸擬きも、複雑な顔をして我を見てくる。

それでも、

「旅で困ったことはどんなことですか」

「ママとパパと会えなくてさみしくなりませんか」

など、子供らしい質問もある。

「いくらお金があれば旅人になれますか」

なんて問いかけもある。

答えるかはともかく、回答が難しそうだ。

質問と答えの時間、どれくらいの時間を食うかと、我が書いてある質問をして、男が答えるも、

「待つの、それは言葉が難しくて子どもには通じぬの」

「ぐ……」

一方的な「お話」より、遥かに難題になっている。

狸擬きは、

「もっと美味しいものの話が聞きたい」

と余計な口を挟んでくるし。

しばらくして、男自身が、

「休憩にして、甘いものでも食べよう」

と狸擬きと共に目を輝かせる我を抱き上げた男が、ふと動きを止めた。

「の?」

テラスの前の通りを、買い物か、レストランのあの腰の細いマスターが、片手に紙袋を抱えて通り過ぎるところだった。

向こうもこちらに気付き、立ち止まるとにこりと微笑む。

相手が大人なせいか、顔馴染みのせいか、狸擬きが一足先に、トトトとマスターの足許に向かい、鼻を突き上げてスンスンと紙袋の匂いを嗅いでいる。

「フゥン?」

どうやらマスター自身にではなく、マスターの持つ紙袋が気になっている様子。

マスターは屈むと、紙袋の中身を狸擬きに見せている。

男が、多分すみません的に駆け寄り、マスターは笑顔で何か答えている。

何か。

(甘い匂いがするの)

マスターが男に何か問いかけ、男はいやいやとかぶりを振りかけている。

しかし、狸擬きのジーッと見上げてくる視線に、肩を竦め頷く。

「なんの?」

「お茶に誘われたよ」

「のの?」

「少しお邪魔させてもらおうか」

「ぬん」

やぶさかでない。

人の男同士、年が近いせいもあるのか、互いに波が合うのかもしれない。

楽しげに話す男も、仕事の時の顔はしておらず、ごく自然に笑っている。

マスターの店の前に、まだ看板は出ていない。

良かったらカウンターに、と手振りで促され、マスターが紙袋から皿に乗せて出してくれたのは、小麦粉を練って丸めて揚げたらしいもの。

それが蜂蜜の様なシロップに浸けられ、しっとりと甘い香りを漂わせていたらしい。

(ドーナツとやらに似ているものかの……)

ドーナツは砂糖をまぶされたりしていたから、親戚のようなものだろうか。

狸擬きが爪で摘み、ぽーんっと口に放り込む。

もぐもぐと咀嚼し、

「……♪」

満足そうに鼻を小さく鳴らすところからして、そうおかしなものでもなさそうだ。

我も1つ貰ってみるけれど、

(ぬぬん、生地自体は甘くないのの)

けれどカラリと揚がり、そこに甘い蜂蜜が染み込んで、しかと美味。

男が煙草に火を点けながら、質問の紙の束を取り出すと、マスターも興味深げに覗き込んでくる。

「どうして、たびのひとになろうとしたんですか?」

「おんなのこはどこのくにのひとですか」

(の、我のことか……)

「いっしょにいた茶色の生き物にさわりたいです」

の、すでに質問ではない「お願い」には、狸擬きがぶるるんっと震え上がっている。

マスターもカウンターの中からメモを手に取って眺めては、たまにおかしそうに笑い、その静かな笑い方に。

(あぁ……)

あれの。

唐突に合点が行く。

そう、ほんの少し、誰かに似ていると思ったら。

(小麦の国の王子を思い出させるの……)

見た目は全くだけれど、その仕草や立ち振舞いが、生まれついての、育ちの良さや品を感じるのだ。

どこかの、いいところの坊っちゃんなのだろうか。

なぜ、毛色の違うこの国で、1人でこの店を営んでいるのか、見当もつかないけれど。

もう1つと、揚げたドーナツ的なものを摘まむと、マスターが出してくれた塗れた布で、男に指先と口許を拭われる。

「ぬぬん」

狸擬きは自分で爪先を舐めている。

「美味しいか?」

「美味の。マスターも甘党かの」

我の男伝の問いかけにマスターは、

「たまに食べたくなります」

と。

そのたまのおこぼれを頂いてしまったらしい。

また男2人が楽しそうに話し始め、狸擬きに通訳を頼むのも不粋な気がし、

「ほれの」

狸擬きの口に、ドーナツ的なものを放り込んでやる。

「♪」

天井に紫煙が広がっていく。


カウンターで、男が明らかに答えないであろう質問やお願い、例えば、

「僕も一緒に旅をしたいです」

や、我への問い掛けなどの答えられない紙を使って手裏剣を折って見せると。

「フンッ!?」

狸擬きが目を輝かせて、自分にも折り方を教えろと、尻尾をぐるぐる回す。

「の、これは2枚使うの」

指先には力を込めずに、焼き立てパンのことなどに想いを馳せながら手裏剣を作り。

「本来はの、固い金属で武器になるのの」

「フーン?」

「そうの、先に毒などを塗ったりするの」

「フンッ?」

「それを、標的に飛ばすのの」

こうやって飛ばすであるの、と単純に上、横、と形だけ飛ばすふりをすると、

「フーン♪」

自分も遊びたい飛ばしたいと狸擬き。

男に外に出たいとせがむと、仕事途中の男とマスターも付いてきた。

不思議そうに、それでも好奇心旺盛な瞳で紙の手裏剣を眺めるマスターは、

「君の国に伝わるものですか?」

と男伝に訊ねられ、頷くと、

「形がとても素敵ですね」

と褒めてくれる。

紙で作っているため武器とは思われていない。

狸擬きが、そう広くない道で、先にも人がいないのを確認してから、

「フーンッ」

と手裏剣を飛ばすと、紙でも結構シュルシュル飛んでいく。

「おぉ……」

男が感心したような声を上げ、マスターも拍手している。

狸擬きはたっと素早く走り、壁に当たった手裏剣を取り、楽しそうに戻ってくる。

(……ふぬん)

よいの。

こう、とても、楽しそうである。

「……」

片手に持った1枚。

我だって、気楽に投げれば問題なかろうと、

「……えいのっ」

持っていた紙手裏剣を軽く横に滑らすように飛ばしてみた。

が。

なぜか軌道が大幅に逸れ、上に飛んで行き。

それは。

トスッ!!

と音を立てて、紙手裏剣は向かいの建物の白い壁に、見事に突き刺さった。

「……のっ!?」

「フンッ!?」

「あっ!?」

「!?」

ひゅっと心臓が縮まる感覚は久しく、3人と1匹で顔を見合わせたあと、なんと我らは卑怯この上なく、建物の中の人間が音に気付いて出てくる前に、店の中に逃げ隠れた。

「……」

そして、こそりと向かいの建物の人間が出てこないかと3人と1匹で様子を窺ったものの、幸運にも住人は不在な様子。

不幸中の幸い。

大きく息を吐き合うものの。

あれを回収せねばならぬ。

またこそりと外に出て、マスターが周りを見回し、人が来ないのを確認してから、

「今だ」

「ぬぬぬ……」

高い位置に刺さった紙の手裏剣を、下から男、男に肩車された狸擬き、その狸擬きに股がる我が。

「ふぬっ!」

がっつり漆喰に食い込んだ手裏剣を引き抜いた。

その傷は深くも、よく見なければ気付かない鋭利さ。

男が、

「よし、まだ動くなよ……」

ゆっくり屈み、目の前に立つマスターが我を抱き上げ、狸擬きがほいっと地面に着地し、男が、ふーと大きく息を吐いて立ち上がり。

マスターに抱っこされた我を見て、非常に苦々しい顔をするため、

「わ、我は力を込めてないのっ、投げる時に、こう、少し、無意識に力が籠ってしまったかもしれぬがのっ?」

と、我ながら苦しい弁解をすると、男は苦々しい顔のまま、こちらに両腕を伸ばして来る。

「の……」

恐る恐る両手を伸ばすと、マスターから我を受け取った男は、しっかり我を抱き寄せると、しかしどうしてか髪を撫でられる。

「の?」

怒らぬのか。

「いや、……うん、君もわざとではないからな」

ではなぜ仏頂面。

マスターの苦笑いも不可解であり。

それを訊ねる前に、

「とりあえず、あの手裏剣を、マスターに何とか弁明しよう」

我の持っていた手裏剣をまじまじと見て首を傾げるマスターに、

「ぬ、ぬん……」

どう言い訳をしようと、ない頭を悩ませた。


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