120粒目
「疲れた……」
「お疲れの」
「フーン」
お話会としては、大成功だったと思う。
生徒たちは興味津々で男の話を聞き、時には笑い、時には怯え。
教員たちですら、ほうほうと楽しそうに聞き入っていた。
知らない国の、土地の話が、目の前に広がる地図と男の語りで、物語ではなく本物だと、世界が存在することを証明する説得力。
それは、子供たちには我等の予想を超える、楽しいお話、だったのだ。
男が話を終え、胸に手を当てて軽く一礼すると、一斉に子供たちが男を囲み、あれはあそこはと疑問質問謎問い掛けと、収拾が付かなくなった。
そこに組合のじじが、
「この地図は是非組合で買い取らせてもらいたい」
と迫り、学校側のじじが、
「勝手なことを言うな、この地図は学校に所有権がある」
と、じじ同士で、どちらが地図を引き取るかで喧嘩が始まり。
組合じじを迎えに来た組合の男が、この騒ぎに何事かとなり、狸擬きは子供たちの遊び道具にされることを悟り、早々とスタコラと部屋から逃げ出し、それを子供たちが追いかけ、慌てて止めに行く教員たち。
我は主に女子たちに囲まれ、やんややんやと話しかけられたけれど、当然、言葉は通じず。
教員たちが、
「今日は終わり解散!」
と声を上げ、子供たちを引き摺り何とか講堂から追い出し。
言い争うじじ2人は、学校じじはむちむち姉に羽交い締めにされ、喚く組合じじは組合の男が引き摺って行き。
茶鳥と白鳥は扉が開き次第、もう逃げるように去っているし。
組合じじに罵声を浴びせつつむちむち姉にがっちり抱えられる学校じじに変わって、むちむち姉が男に、多分礼と謝罪を伝え、その場は、なんとか収まった。
「ののぅ……」
狸擬きではないけれど、さすがに。
「お腹が減ったの……」
「だな」
男と顔を見合せ息を吐くと。
「フーン……」
子供たちから逃げ惑い、何とか戻ってきた狸擬きが、我の身体にするりと寄り添う。
事務室にじじを置いてきたむちむち姉が、
「自分達も昼がまだで、良かったら一緒に」
と誘ってくれ、もう1人見学していた、こちらも明るく笑顔が柔らかい、姉よりも少し年上らしい女が、私もご一緒させて下さいと付いてきた。
その女は、色彩の勉強をしていると言い、学舎では美術を担当していると。
姉ほどではないけれど、やはり健康的にむちりむちりとしている笑顔が魅力的なおかっぱ頭の女。
むちむち姉は、文字と数字の両方を教えていると言う。
(ぬぬん……)
薄々は感付いていたけれど、我の魔法に関する情報は、ここではどうにも掴めそうにない。
勉強の、
「カテゴリ」
違い、である。
2人がよく行くという店は、学校からほどなく近い、大きなテラスのあるレストラン。
海は見えないけれど、解放感がある。
昼を過ぎても賑やかで、2人は顔馴染みの若い店員に明るく声を掛けている。
ランチは1種類。
半円形の薄く大きなパンの口が開いており、そこに削いだ肉とヨーグルトのソースにきゅうりや野菜が溢れる程詰め込まれたものが2つ皿に並ぶ。
「あーむぬ」
かぶり付けば。
(ぬ?ふぬふぬ)
肉にヨーグルトソースと少ししんなりしたきゅうりの食感が合う。
狸擬きは食べるのに夢中で、男と女2人の会話は通訳してくれない。
(まぁ、良いの)
空腹も相まって尚更美味。
むぐむぐ咀嚼していると、
「ぬ?」
男の手が伸びてきて、その指先で口の端のソースを拭われる。
「……」
その指を伏し目がちに舐める男を、目の前の女たちは、満更でもなさそうに横目で眺めている。
なんとも。
(山を少し超えるだけで、色々違うものの)
この国は、見た目からして「ばいたりてぃ」溢れる女たちが多い印象。
男たちはより気候に順応し、のんびりしている気がする。
目の前に出された食事に夢中になってかぶりついていた狸擬きは、皿を空にし、けぷっとげっぷをした後。
やっと男たちと姉2人が、会話していることに気づいたらしい。
「フゥン」
小さく鼻を鳴らすと、
「それにしても、組合のじいさんったら、あんな大変な仕事を無償で頼むなんで、図々しいにも程があるわ、本当にごめんなさいね」
「私からも謝るわ、今度はちゃんと学校からの依頼としてお願いしたいの」
女たちの言葉を訳してくれる。
男はいえいえと軽く手を振って煙草に火を点け、
「……今度は?」
動きを止める。
(今度?)
「子供たちに質問を考えて紙に書いてくるように、と課題を出してあの場を収めたようで、それの話かと」
ののぅ。
しかも今度は依頼ときた。
男の、行商人としての仕事もこれからだし、まだしばらくは滞在する予定だけれども。
なし崩しに、2回目のお話会を引き受ける羽目になり。
(ぬぬん)
むちむち姉たちからも、まんまとしてやられたと言うわけだ。
レストランの前で2人と別れ、
「また仕事ができたの」
男に両手を伸ばして抱っこをせがめば。
「俺の仕事は行商人のはずなんだけどな」
それでも笑いながら我を抱き上げて歩き出す。
「さて、どうしようか」
のんびりしたい気はあるけれど。
「猟師に手紙を書きたいの」
船鳥の出発前に書き終えねば。
「あぁ、そうだった」
宿に戻り、テラスのテーブルで、男とそれぞれ手紙を書く。
狸擬きは字の練習と思ったら、絵を描いている。
しかも。
(ぬぬ、我より上手の……)
複雑な気分で海を眺めながら、何を書けばいいか迷う。
男と離れた時は、男も我も、最低限の事柄しか書かずに送っていたけれど。
(猟師と別れてからのことであるの)
まずは、花の国から、無事に牧場のある村へ着いたこと。
そこで食べたアイスクリームが大変に美味だったこと。
狼と友達になったこと。
アイスクリームの種類が豊富で、とても美味しいこと。
(ぬぬん……)
そうだ、ここの話も書かなければ。
「ここは、ヨーグルトアイスクリームが、とても、おいしい」
新たな味である。
「ぬぬん……」
自分には、絵だけどはなく、どうやら文才もないことに気づく。
(困ったの)
「フーン」
祭りや演劇を見た感想はいかがですか、と狸擬き。
「のの。それが良いの」
男は煙草を咥えながら、サラサラと文字を書き連ねている。
少しの癖毛が緩やかに海風に靡き、流れる煙、襟裳とから覗く首筋。
どうしてか、目が惹かれる。
「……」
(……いや、見惚れてないで急がねばの)
我も、猟師の様に大型の獣などは倒していないけれど、赤茶けた狼を屠ったこと。
兎を狩り、久々に山から転げ落ちたこと。
どこの鳥も、皆甘党な事。
甘い香りの花を落とした酒が見目麗しいこと。
最近は更に荷台が狭いこと。
碧玉色の海を初めて見たこと。
「フーン」
狸擬きが、自分が描いたのを見て欲しいと、紙をこちらに向けてきた。
狼が2匹、器に入ったアイスクリーム、凧、赤飯おにぎり。
「のの、とても上手の」
少なくとも我でも、何が描いてあるものは分かる。
「あぁ、凄いな」
男も感心している。
「フーン♪」
思いもよらぬ狸擬きの特技。
この際、狸擬きに教えを乞うべきか、
「フーン?」
悩むところである。
何とか手紙を書き終えると。
「の、おやつが食べたいの」
「フンフーン♪」
狸擬きも尻尾をぐるぐる回す。
「時間的に今日はおやつで仕舞いかな、何を食べようか」
この街は茶屋に困ることはなく、石を投げれば当たる勢いで茶屋で溢れている。
宿の近くの小さな茶屋のテラス。
若い女が足を組んでスプーンで何か掬って、美味しそうに食べている。
ヨーグルトであろうか。
物は試し。
テラスから直接注文できる店先で、男が、あの人が食べているものも同じものを頼むと、
「ふぬ?」
「フーン?」
ヨーグルトのアイスクリームと、何かくすんだ赤と白の水分のない果物が軽く混ぜられている。
「乾燥無花果のヨーグルト和え、だそうだよ」
ほほぅ。
無花果はたまに山でもいで食べていたけれど。
「ぬ?ぬんぬん、美味の♪」
乾燥無花果に、アイスクリームの水分が染み込み、控えめな酸味が良く合う。
狸擬きも、
「♪」
ご機嫌に口に運んでいる。
男は珈琲。
我と狸擬きがパクパク食べているせいか、テラスに店主が出て来ると、今は乾燥させたものが多いけれど、もうしばらくすれば無花果の時期になり、店先にも並ぶよと教えてくれる。
「ほほぅの」
しかし。
「もうしばらくすれば」
それまでに、その無花果の実るまでに、我等はこの街にいるのか、いないのか。
(全くわからぬの)
夕暮れ時。
橙色に染まる街を歩きながら、少し食材を買って帰ろうかと話していたけれど、特に生鮮品は朝に入り昼過ぎには売れてしまうらしく、残っているのは、缶詰めや日持ちのするものばかり。
明日にしようかと、おとなしく宿へ帰ろうと歩いてあると、あの学舎に通う、男の話を聞いていた子供らしいとすれ違い。
「フーン」
子供は男に気付くと、
「先生、こんにちは!」
と挨拶していったと。
(のの?)
「お主は、先生の?」
「いや、学校で話す大人は皆『先生』になるんだろうな」
ほほぅ。
「我の先生の」
手を繋いでいた男に、手を伸ばすと、
「んん?」
くすぐったそうに笑いながら、我を抱き上げてくる。
「俺は旅人だ」
ふぬ。
「でも、たまに先生にもなるの」
「そうだな」
「お主は、色々なものになれるの」
「そうだな」
夕陽の眩しさに男の肩に顔を埋める。
それは凄いことだ。
宿に戻ると、男が4つ足をジタバタさせている狸擬きを片手に抱えて風呂場へ向かう。
男が、学校から依頼された二度目のお話会は、来週の同じ時間。
全部の質問には当然答えられないため、予め目を通し、答えられる質問を選ぶ必要がある。
しかしそれは、学校側が質問を回収する明後日以降の話。
男と狸擬きが風呂のため、1人テラスに出ると、
「んのしょ」
椅子によじ登り、
「ののぉ……」
今日も今日とて橙色に染まる海を眺める。
沈むという錯覚を見させる夕陽を瞳に映していると、ふとテラスの壁の向こう、隣の部屋から客人が出てきたらしく、夕陽にはしゃいでいる声。
若い女2人の声。
ここの言語ではなさそうで、仲の良さそうな若い易者と絵描きを思い出したけれど。
向こうは、隣のこちらに我が、人がいることに気付いておらず。
(の、ののぅ……)
なにやら、妙に艶かしい声。
いつも人を避けて忍び旅をしたいたため、そういう場面にも、男女だけでなく、色々と出くわして来たけれど。
(困ったの……)
わざとらしく咳払いをするべきか悩んでいると、
「君はテラスが好きか?」
男が出てきて、隣の声が止まる。
「ん、んの……」
「ん?」
肌着1枚の男は布を頭に被せながら、おいでと両手を伸ばしてくる。
「狸擬きは?」
「身体を振って盛大に水を飛ばしているから先に出てきた」
なるほど。
抱き上げられて中に入り、
「その、お隣が、こう、ろまんちっくになっていて動くに動けなかったの」
と話すと、
「おっと。そうか、ここは新婚旅行でも人気の場所らしいから」
と肩を竦める。
のの。
この世界にも、
「新婚旅行があるのの?」
びっくりした。
「あるな、わりと無理してでも行くし、その間は例えば店が休みでも、それは仕方ないくらいにメジャーだよ」
ふぬぬ。
(新婚旅行……)
この男の様に、絶えず旅をしている場合はどうなるのだろう。
(仕事をせずに遊びに行くのかの)
無意識に唇を尖らせて考えていると、
「君は、どんな所へ行きたい?」
「のっ?」
心を読まれた。
男は柔らかく微笑んだまま、我を見つめてくる。
「ぬぬ……」
「ん?」
「……の」
男から目を逸らせずにいると。
「フーフン」
狸擬きが、毛を乾かして欲しいと、毛に水を含み重そうな身体で、のたのたと風呂場から出てきた。
「あぁ」
男は、君も浸かっておいで、と我の額に唇を当てると床に降ろし、やってきた狸擬きの毛を布でゴシゴシと擦り始める。
「……」
脱衣場で巫女装束をほどき、肌着を床に落とし。
髪を洗い、身体を洗い。
「……」
我は。
いや、我も。
(新婚旅行とやらへ行くのかの……?)
「……」
いつ?
あの男と?
それは、やぶさかではないけれど。
そもそも。
我は、結婚をするのかの?
(……我が?)
長考し、
「フーン?」
狸擬きが、主様?と扉の向こうから声をかけてくるくらいには長風呂をし。
「ぬー……」
また茹で小豆になりかけた。




