110粒目
小鳥たちの喧嘩する賑やかな鳴き声で早朝から起こされ、巫女装束をまとう。
今朝も、荷台で赤飯おにぎりとお茶で軽く済ませ。
山はほどほどに深く高く。
男は地図に印を付けつつ、今日も採れるものを探しながら進もうと、また狸擬きの案内で山を散策する。
「しかし君は、山道もすいすい歩くな」
わりとすいすい山道を進む男に言われた。
男の言葉に混じるのは、その小さな身体で、だけではなく。
草履と言う足の指で挟むだけの簡単な造作の履き物で、山道を容易に進む、と言う意味も含まれている様に感じる。
「我は、山にいた時間も長かったからの」
正確には、ほぼ山と言っても過言ではない。
山は高い位置でも花が咲き始めている。
「の、きのこの」
倒木に作茸、マッシュルームに似たきのこが生えている。
しかし、あれは倒木には生えないはずであるから、正確にはマッシュルームではないのだろうけれど。
「あれは食べられるきのこだな」
「ぬ?」
ならば。
「きのこを入れた白いシチューが食べたいの」
「夜に作ろうか」
「ぬふん♪」
2人と1匹で、むしりむしりときのこ狩り。
「の?あれは何の?」
ふと視線を上げた先にあるのは、鮮やかな橙色。
金柑?に似ている。
我等には少し高い位置に、中背くらいの木にモコモコと果実が実っている。
狸擬きが黙っているため、あまり美味なものではなさそうだけれど。
「あぁ、あれは染料に使う、発色がいいらしい」
やはり味はあまり美味しくはないらしく、似ていても金柑ではなさそうだ。
目の前を水色のトカゲ擬きが横切っていく。
「売れるの?」
「売れるな」
ただ、生えている場所が少し悪い。
男は勿論、我も、よじ登れば行けるけれど、男に止められるだろう。
狸擬きが、
「フーン」
ではわたくしめが、とトトッと身軽に斜面を登り、近くの木から、小さな出っ張りに飛び降りると、首に袋状に巻いている風呂敷に詰めていく。
「たまには役に立つの」
ぽつりと呟けば。
「フーンッ!!」
やはり地獄耳。
プリプリしながら降りてきた狸擬きを労るのは男。
「これも煮詰めるのの?」
「いや、そのままだ、染料にする方法は分からないから、街に着いたら、すぐに卸そう」
持ってきたカゴがいっぱいになり、荷台まで戻ると、男は荷台から空の箱を取り出し、広げっぱなしの敷物の上に腰を下ろす。
金柑に似た果実を、布で丁寧に拭いては空箱に移し始めたため、
「我も手伝うの」
「あぁ、ありがとう」
狸擬きも、男と我を見ていたけれど、ぺたりと座り込むと、前足で金柑擬きを取り、布でふきふきと拭き始める。
山は騒がしくとも、静かな時間。
艶やかな金柑擬きは、匂いも少なく、拭かれて艶やかになったものが、箱に、狸擬きの足許にも溜まっていく。
(しかし……)
なんとも。
「……」
今、我の目の前にいる。
春の木漏れ日に、祝福されるように照らされ、微睡むような伏し目で、果実を拭く男は。
非常に、
(絵になるの……)
つくづく思う。
我が手を止めていたせいか、
「ん?」
こちらに視線だけ向けられる。
「何でもないの」
止めていた手を動かそうとし、ふと、視界の中で、端で、何かが動いた。
(の……)
残り少ない金柑擬きを手に取る男に。
「……夜は」
無意識に唇を舐め。
「ん?」
「夜のシチューは、きのこと、新鮮な兎肉が良いの」
と、金柑擬きの入ったカゴを迂回して、座る男の脇に四つん這いでにじりより、男の身体を目隠しにする。
そう。
視界に留まったのは、耳の短い山の兎たち。
昨夜から突如できたこの我等の拠点に、とうやら興味津々で、様子を窺っているのだ。
狸擬きも、素知らぬふりをして金柑擬きを拭きながらも、耳を微かに先に傾けている。
「……ん?」
男も、我のあっけらかんとした声に瞬時、戸惑いを見せたものの。
我のにんまりと細めて見せた瞳に、
「……あぁ、そうしようか」
自然に動きを止める。
こちらはあくまでもさりげなく、兎擬きたちに、動きを悟られない様、そっと手を動かす。
男の斜め後ろ、だいぶ奥の木の影に、黒い兎擬きが小さな耳をピクピクさせている。
距離はある。
男に視線を向け、男を見つめたまま、右手に小豆を1粒。
「……?」
何か近いと思ったら、男の顔が我に近づいている。
(……ぬっ)
我の狼狽えに兎擬きたちが警戒するだろうと、男を見つめたまま微かに唇を尖らせて見せると、視界の端で、更に顔を覗かせた兎擬きの額に向けて、小豆を飛ばす。
「……ッ!」
次の瞬間、微かな断末魔と共に兎が倒れた。
それを見届けるまでもなく、地面を蹴るように立ち上がると、足袋のまま土と草と根っこだらけの山道を走り、やはりもう数匹隠れていた、文字通り、脱兎で逃げていく兎擬きたちに、倒木を飛び越え、低い枝木を潜り、小豆を貫通させる。
我ながら、
(見事な命中率)
先を走る最後の一羽の頭を後ろから貫通させ。
「ふぬ」
走る速度を弛め、目の前に惰性で転がってく兎擬きを拾おうと腕を伸ばし。
「ぬふー♪今夜は兎のシチューの」
と顔を上げた時。
「……の?」
妙に視界が開けていた。
「……のの?」
身を屈めて、転がる兎の頭を掴んだ瞬間にはもう。
「……ののーぅ?」
兎擬きたちが我等の様子を窺っていたのは、程ほどにきつい、切り立った斜面の手前だった。
「ののーっ!?」
「おいっ!?」
「フーンッ!?」
我は、久しぶりに。
正確には、この世界に来てからは初めて。
山から落ちた。
「……おや、助かるの」
「フーン」
パサパサと振ってくる土と草。
だいぶ転り落ちたらしく、男のいる平坦な地面は随分高くに見えるけれど、そう急でもない。
男がこちらを見下ろしているため、特に問題はないと兎の頭を掴んでいない方の手を振ると、男の大きな溜め息だけが、斜面から滑り落ちてきた。
すぐに狸擬きが駆け付け、木の根本で足を空に向けてひっくり返っている我を乗せると、斜面を大きく迂回して、男のいる場所へ戻る。
男は兎を回収してくれていたけれど、狸擬きに乗って戻ってきた我を見て、
「……こら」
危ないだろうと、眉を寄せたものの。
「……」
「……ぶっ……く……っ」
頭から足先まで、草と土と枯れ葉まみれの我を見て、
「んんっ……」
たしなめることに失敗して、俯いて笑いを堪えている。
「ぬぅ、すまぬ……」
布やら何やらを持って、狸擬きの案内で湧水場へ向かう。
巫女装束を脱いで裸になり、頭から水を浴びて髪と身体を軽く拭き、キャミソールとかぼちゃパンツ姿でいると、男が兎を詰めたズダ袋と、大きな桶を持ってやってきた。
我の髪を乾かしてくれながら、
「怪我がなくて良かった」
「の」
我は怪我はしない、とは、あまり言いたくない。
自らの身体を傷付けることはできるけれど。
『……』
そのため、他者に命を絶たれることはないけれど、自分で死を選べはする。
せめてもの神の慈悲か。
我の髪を乾かした男が、涌水から細く流れる沢で、兎の解体を始めたため、我は溜まった水場で巫女装束を洗う。
洗った巫女装束は、解体した兎の毛と一緒に乾かしてもらおうと、適当な木の枝に引っ掛けてから。
「我も解体を手伝うの」
キャミソールとかぼちゃパンツ姿で、持参していたナイフを鞘から外す。
「あぁ、頼む」
我と、沢を挟んで兎擬きの内臓を指先で引きずり出す男に、
「……」
また黙って血塗れの指で心臓を近付けられ、口に運ばれる。
「……あむぬ」
歯で噛み潰すと、口の中で血が弾ける。
飲み込むまで、男にじっと見つめられ、
(ふぬ……)
この習慣は、こう、男にとって、とても大事なものだとは解る。
男が血塗れの手を流してから、指で我の口の端の血を拭う。
「ぬぬ」
そんな男に、我も血塗れの手で男の口許に小さな心臓を運ぶと。
「嬉しいよ」
とても嬉しそうに口に含む。
しかし血の味はあまり好きではないらしく、ほとんど噛まずに飲み込んでいる。
(不思議な儀式であるの……)
食べる理由も聞いた。
その上で、やはり理解は難しく感じる。
ただでさえ、我は獣。
(人の考えていることなど、全く理解できぬの……)
『……』
そんなことを思いながら、切り裂いた兎の腹から温い内臓を引き摺り出す我を、狸擬きがじっと見つめてくる。
「?」
そういえば、あの禍々しい黒き城の先で会ったおじじに貰えた、この小振りなナイフが、とても手に馴染み、使いやすい。
(よい物々交換であった)
「……フーン」
「の?」
狸擬きが、自分も兎の心臓を食べたい、と訴えてきた。
「のの?」
珍しい。
別に良いけれども。
血塗れの我の手から兎の心臓を狸擬きの鼻先に近付けると、狸擬きはスンスンと匂いを嗅いでから、
『……』
眉間に、これ以上ないくらい皺を寄せて口を開いた。
「ほれの」
血塗れの心臓を狸擬きの口に放り込み、狸擬きが口を閉じ、咀嚼したと思われた瞬間。
「……フンンッ!?」
ベッ!!
と血と共に盛大に吐き出し、
「うわっ!?」
「のっ!?」
噛み跡の付いた小さな心臓は沢に跳ね、そのまま、サラサラと流れて行く。
「……っ……っ!!」
そして狸擬きは涌き水の方に頭ごと突っ込む勢いで、水を飲み始めた。
血の匂いと味に、耐えきれなかったのだろうけれど。
そもそも。
「……お主は、一体何をしたかったのの」
こやつは雑食であるはず。
野生でもあるし、血もそこまでは敬遠することは、ないと思っていたのだけれど。
けれど、所詮は狸。
積極的に狩りはしない、否、出来ないため、血には馴染みがない、もしくは我等といることで、若干味覚も変わっているのか。
ガボガボ騒がしく口の中を濯いでいた狸擬きは、
ブハーッ!
と顔を上げ。
「……」
『……』
頭からポタポタ雫を垂らす狸擬きと目を合わせれば。
(なんのその顔)
「君と、もっと主従関係を強めたかったんじゃないか?」
と、男が手を休めずにそう教えてくれる。
のの?
そうなのか。
しかし、なぜ、今。
しゅんと耳と頭を下げる濡れ狸を拭いてやると、男が魔法で乾かしてくれる。
全くもって。
(人だけでなく、獣の気持ちもさっぱり解らぬの……)
狸擬きが、無言でたっと荷台の方へ駆けて行く。
それを黙って見送り、
「何やら面倒ばかり掛けるの」
我も狸擬きも。
「いや、面倒なんて思ってないよ」
それなら、よいけれど。
「ただ、君に何かあったらと思うと、辛いだけだ」
手を動かしながらも、声が固くなる。
「……我は平気の」
コロコロ落ちる際に根っこや木々にぶち当たったけれど、やはり掠り傷1つ出来ず。
それでも、男のその気持ちが嬉しくないわけではない。
狸擬きが自分用の、獣用の櫛を前足に持ち3本足でトテトテ戻ってきた。
「あぁ、助かる」
「の、南の方は少し暖かいのであろうの?毛皮は売れないのではないのの?」
「いや、南の方というだけで、南国ではないから、冬は雪は少ないけれど寒いと思う」
そうなのか。
「ただこれから暖かくなるから、そういう意味では売れ時を逃しているかもしれない」
「冬まで温存させるの?」
ますます荷台が圧迫されるけれど。
「んん、悩むな」
皮を剥ぎ、血塗れの毛を洗うと、木の枝に岩場に広げて男が乾かし始める。
狸擬きが乾かした兎擬きの毛を梳かし、男が、我の巫女装束も乾かしてくれた。




